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帰って来るオカルトアイドル
『アイドルってゆーのはぁ……ひっく……うえぇ……皆さんにぃ、ゆっ夢をヒグッ、見てもらうお仕事でええ、うふわぁああああああああん! あ、あたし実は保母さんになるのが夢だったんですぅうううう! だけどグスッ、日本は少子化でぇ、高齢化社会でぇ、待機児童問題でええ、あああああああああん! 日本死んじゃダメなんですうぅ! だっだから、あたしぃ、保母さんのの夢はあきらめてうえええええええええん! か、介護のお勉強しようかなって』
「これはひどい……」
テレビを見ながらイアル・ミラールはつい、そんな言葉を発していた。
「これ……お笑い番組? じゃないわよね……」
「謝罪会見よ。シズクの麻薬常習が、発覚した時のね」
虚無の境界・盟主が言った。
ここは、彼女の私室である。
ソファーに腰を下ろしたまま、イアルは録画映像に見入った。
「謝罪会見……って、謝ってなんかいないじゃない。シズクったら……」
画面の中で瀬名雫は、ひたすら泣きじゃくりながら意味不明な事を言っている。
泣き腫らした、その目は、紛れもなく麻薬常習者のそれだ。
イアルは訊いた。
「ねえ盟主様。今のシズクが、またこんな状態に戻っちゃう……なんて事はあり得る?」
「どうかしら。何百年も時間を進めて、薬は抜いてあげたけど」
盟主が、綺麗な顎に綺麗な指を当てた。
「まあ本人次第、としか言いようがないわねえ」
「そうよね。おかしな薬に2度と手を出さないように、芸能人としてちゃんと独り立ちさせてあげないと」
「あらあら、意見が合うわねえイアル・ミラール」
盟主が、ぽんと嬉しそうに手を叩く。
イアルは、部屋の片隅にちらりと視線を投げた。
かつての自分に良く似た、女戦士の石像が、観葉植物の如く飾られている。
「あれに関しても、貴女にいろいろと訊きたい事はあるけれど……今は、シズクのために力を尽くしてもらうわよ盟主様。もちろん、私に出来る事があれば何でもするから」
「言われるまでもない事よ。貴女にはね、大いに協力してもらうから」
雫のポスターその他で満たされた部屋の風景が、歪んだ。空気が歪んだ。空間が歪んだ。それら歪みが、人面のようなものを形作る。
イアルが気付いた時には、すでに遅い。
(ちょっと……!)
叫ぶ事も出来なくなっていた。声帯が、舌が、唇が、石に変わっている。
(やめて……やめてよ、何をするの……!)
「我慢しなさい、シズクのためよ」
石像と化したイアルの身体に、盟主の優美な細腕が絡みつく。
「私が愉しむため、でもあるけれど……ね。うっふふふふふ」
「な……何やってんのよ、ちょっと!」
瀬名雫は叫んだ。叫んでしまいたくなるようなものが2つ、部屋の扉を開けた瞬間、視界に飛び込んで来たのだ。
1つは、石像と化したイアル・ミラール。
そしてもう1つは、どうやら先程から盟主によって際限なくリピートされているらしい録画映像。
何年か前の瀬名雫が、記者たちの質問攻めに遭いながら号泣し、わけのわからない事をまくし立てている。
「処分してよ! そんな映像!」
「今更何を言っているの。ずっと前からネットに出回って、色々ネタにも素材にもされている映像よ?」
動けぬイアルに頬を寄せながら、盟主は言った。
「この会見で瀬名雫を知ったという人もいるのだから」
「……それで、お仕事が舞い込んで来たりとかはなかったけどね。って言うか、イアルちゃんから離れなさい」
雫は、ずかずかと部屋に踏み込んで盟主に詰め寄った。
「いい加減、イアルちゃんをオモチャにするのはやめなさいよね!」
「彼女を助けたい? それならね、また企画を上げて来なさい」
盟主は言った。
「私ね、貴女の脚本・構成の力も高く評価しているのよ? ゴーストネットOFFの頃から、ずっとね」
「……あれだって、あたし1人でやってたわけじゃないし」
共にゴーストネットOFFを支えてくれた少女が、1人いた。
路線変更と共にゴーストネットOFFは消滅し、彼女とも疎遠になった。今頃どうしているのかは、わからない。
オカルト路線を捨てる事で、自分は他にも様々な大切なものを捨ててしまったのだ、と雫は思った。
『アイドルってゆーのはぁ……ひっく……うえぇ……皆さんにぃ、ゆっ夢をヒグッ、見てもらうお仕事でええ、うふわぁああああああああん! あ、あたし実は保母さんになるのが夢だったんですぅうううう! だけどグスッ、日本は少子化でぇ、高齢化社会でぇ、待機児童問題でええ、あああああああああん! 日本死んじゃダメなんですうぅ! だっだから、あたしぃ、保母さんのの夢はあきらめてうえええええええええん! か、介護のお勉強しようかなって』
私は笑い転げていた。1日1回は、この動画を見てしまう。下手なお笑い番組よりも、ずっと笑える。
こういう会見を晒してくれたり、不倫でベテラン俳優を1人破滅させてみたり、AVまがいのシネマに出演して触手に襲われてみたりと、路線変更後の瀬名雫にも確かにそれなりに見るべきところはある。
だが、やはりオカルトあってこその彼女であると、私としては結論付けざるを得ない。
ゴーストネットOFFは、とうの昔に閉鎖された。更新の暇もないほど多忙な時期が、彼女にもかつてあったのだ。
だが私は思う。芸能界にあまり深入りせず、半分クラブ活動のような感覚で怪奇現象を漁っていた頃の彼女が、やはり一番輝いていたと。
あの時の彼女は女子高生。良くも悪くも、大人になってしまったのだ。
2度と戻らぬ日々。
そんな事を思いながら、私は左手でポテチを口に詰め込み、右手でクリックをした。適当な動画を、再生してみた。
そこは水中、どうやら海の中である。
鮫が泳ぎ、貝や頭足類が蠢き回る闇の中、巨岩にも似た建造物が浮かび上がってゆく。
実に見事な海底遺跡であった。CGの技術レベルは、かなり高い。
私は見入った。
深海魚が泳ぎ回る海底神殿の中を、カメラが進んで行く。
厳かなBGMが、静かに流れ始める。
それはイントロで、やがて歌が始まった。
私は耳を疑った。
瀬名雫の歌声、ではないのか。いろいろネタ的な扱いをされる彼女だが、昔から歌は決して下手ではなかった。
カメラ視点が、やがて神殿の最奥部に達した。
祭壇の上に、石像が立っている。
恐れおののく若い女性をそのまま石化したかのような、見事な造形である。
どこかで見たことのある女性だ、と私は感じた。
大学時代、私は美術史を専攻していた。その時に何かの資料で見た『裸足の王女』に良く似ている。
いや、あれそのものではないのか。
また1匹、大型の深海魚が泳いで来て、その石像にまとわりつく。
否、深海魚ではない。人魚であった。
私は、己の耳に続いて目を疑った。
間違いない。瀬名雫である。
前の動画では号泣会見を晒していた彼女が、この動画では魚の下半身など穿いて、すいすいと泳ぎ回っているのだ。
まるで、本物の人魚姫だった。29歳ではあるが。
口パクも、背後の歌に合っている。
本当に歌っているかのように動く唇を、人魚姫が石像に触れる。
裸足の王女が、石像ではなくなった。生身となって、ぐったりと人魚姫にもたれかかってゆく。
海底神殿が、崩壊を始めていた。
渦巻き漂う瓦礫を避けながら雫が、裸足の王女を抱き運んで逃げ泳ぐ。
それら瓦礫を粉砕しながら、やがて巨大なものたちが姿を現した。
シーサーペントその他、グロブスターの正体と思われる巨大な怪物の群れが、雫と裸足の王女を猛然と追い回す。
2人が無事に逃げ延びたのかどうかは、わからない。歌の1番が終わると同時に、場面が切り替わったからだ。
今度は陸上である。ジャングルの奥地、であろうか。
巨大なマヤ風ピラミッドが建っていて、その中を無数のレプティリアンが徘徊していた。
中国拳法のようなダンスで彼らを蹴散らしながら、雫が2番を歌っている。もちろん人魚姫ではない。ひらひらとしたファンタジー風の衣装を身にまとい、綺麗な太股や横乳を惜しげもなく晒している。
かなり身体を仕上げている、と私は思った。もしや芸能界に復帰するつもりなのか。
レプティリアンの軍勢を蹴散らしながら、雫はやがてピラミッドの中心部へと達した。
巨大な楯が飾られている。レプティリアンたちの信仰対象、なのであろうか。
精緻なレリーフが施された、金属製の楯。
裸足の王女が、そこにいた。レリーフ像となって、楯に閉じ込められているのだ。
切なげに歌いながら、雫が片手を差し伸べる。
その手を取りながら、裸足の王女が生身に戻ってゆく。
またしても場面が変わった。
今度は、猛吹雪の中にそびえ立つ氷山である。南極か、北極か。
その氷山の、洞窟の奥で、瀬名雫は凍りついていた。最初の、人魚姫の格好でだ。
今度は、裸足の王女が助ける役であった。
毛皮のコートをまとった彼女が、そのコートを開き、氷漬けの人魚姫を肌で温める。
やがて、氷山が崩落した。
巨大な南極のニンゲンが、温め合う2人を背に乗せて悠々と泳ぎ去って行く。
次は、UFOの中であった。
雫が、悪いグレイエイリアンに捕われて宇宙コールタールに漬けられ、ブロンズ像と化している。
善いグレイエイリアンたちの協力を得た裸足の王女が、レオタード状のSFヒロイン衣装に身を包み、UFOに殴り込んで行く。雫の歌に口パクを合わせながらだ。
プロテクターに押し込められた胸の膨らみが躍動的に揺れ、むっちりと活力に溢れた太股が歌に合わせて跳ね上がる。
アクロバティックな戦闘ダンスで悪のグレイエイリアンたちを蹴散らしつつ、裸足の王女がUFOの中枢部に取り付いて機械を操作した。
宇宙コールタールから解放された雫が、生身に戻りながら裸足の王女に抱きついてゆく。
だがその時、UFOの自爆装置が作動した。
歌が終わると同時に、UFOは爆発四散した。綺麗な花火のようだ、と私は思った。
動画の片隅に、リンクが貼られている。
呆然と余韻に浸りながら、私は迷う事なくクリックをしていた。
「887億回、を超えるかどうかは微妙なところだけど。評判は上々、よく頑張ったわね2人とも」
虚無の境界の盟主が、満足げに言った。
だがイアルも雫も、満足するどころではない。
「……爆発するなんて、聞いてなかったんだけど」
雫が恨みがましい声を発し、そしてイアルは盟主の胸ぐらを掴んでいた。
「私も、シズクもね……死ぬところだったのよ」
「そのくらいの事をしないと、彼女を騙す事は出来ないから」
盟主が、謎めいた事を言っている。
「シズクは死んだ……そう思わせる必要があるのよ」
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