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―エキドナの胎動・2―
その頃、ガルダに扮する少女――瀬奈雫は、生理的に大嫌いな気色の悪い感触と、懸命に戦っていた。
「群がってくる雑魚は大した事ない。けど、このブヨブヨした感触がとてつもなくキモいよ!」
携えたダガーで、とにかくウザいエネミーたちを切り裂きながら、先へ先へと進んでいく。が、彼女は先へ進んでクリアするよりも、一刻も早くこのダンジョンを抜け出したいという衝動に駆られていた。それほどまでに、このグロテスクな光景と感触はプレイヤーに苦痛を与える作りになっていたのだ。
(あの兄ちゃんも、みなもちゃんも……この気持ち悪さと戦ってるんだろうな。ジメジメ、ドロドロ……耐えられないよ!)
ブーイングを唱えながらも、決して諦める事はしない。この気色悪さだけを我慢すれば、確実にクリアできる自信が彼女にはあったからだ。逆に言えば、クリア出来て当たり前。問題はどんなラスボスが控えているか、そこに尽きるからだ。
(そういえば、みなもちゃん……調子悪そうだった。大丈夫かな?)
ふと、船上で不調を見せた仲間の事が頭に浮かぶ。しかも、彼女は不調を訴えながら、不可思議な『変身』をしてみせた。
あれは単なる偶然だったのか、バグによって現れた変調だったのか。それは定かではない。だが、何かが起こる前兆であった事に間違いは無いだろう。でなければ、あのような事象をわざわざ見せる必要は無い筈だ。
(妙な胸騒ぎがするよ……無事にクリアしてね、みなもちゃん!)
雫は、自らのピンチをものともせず、ひたすらゴールを目指していた。
眼前にどのような強敵が現れようと、ものの数ではない。ただ、親友の安否だけが気にかかる。
彼女は無意識に、且つ確実にエネミーたちを薙ぎ払い、胃袋と思われる広場へと到達していた。
(溶解液、か。でも、あたしには関係ないね。床や壁面に触れなくとも、飛んで行けばいいんだから)
飛翔能力を備えたガルダならではの手段であった。が、それも反則ではない。元々備えられた能力を駆使して、障害をクリアしているに過ぎないからだ。
普通ならば難所といえる『胃袋』を難なくクリアして、雫は『ふぅ』と一息ついていた。
***
「思ったよりも簡単だな。これなら、上手くすればMVPとはいかなくとも、上位に食い込めるんじゃないか?」
3人の中で最も高いレベルを誇るウィザードは、既に『腸』へと歩を進めていた。食道も胃も、全部魔術を利用して浮遊しながら、エネミーを薙ぎ倒して此処まで前進して来たのだ。ルールには抵触しておらず、且つ、スピードではトップクラス。非の打ちどころのない、鮮やかな行軍であった。
「これなら、他の二人も問題なくクリアできるだろう……でも、なんだか胸騒ぎがする。彼女、大丈夫だろうか?」
彼もやはり、船上で不調を訴えたみなもの事を気に掛けていた。
「彼女は、僕らの中で唯一、飛翔能力を持たない。あの溶解液の中を、這って進むしかない訳だが……まさか、溶かされてしまう、なんて事は……無いと思いたいね」
胃の中で、溶解液を避けながら進んで来たウィザードが、自分にあって彼女には無い能力の違いを鑑みて、思いを馳せる。
互いに姿が見えない、個人プレイのダンジョンだからこそ、仲間の事が気に掛かるのだ。
頼む、無事でいてくれ……彼の想いは、そこに集約されていた。最早、自分の着順や成績などは気にならない、と言いたげに彼はみなもの事を気に掛けていた。
それは、奢りでも慢心でもない。純粋な、仲間に対する気遣いであった。
***
(あれが……あたし? ドロドロに溶けた、醜いゲルじゃない……でも、それを見ているあたしは何? あれはあたしであって、あたしでは無いとでも云うの?)
すっかり肉体を溶かされたみなもは、精神体だけが分離した状態で、自分のなれの果てを見詰めていた。
意識はしっかりしている、けれど溶けてしまった身体を置いて前進してしまう訳にはいかない。
(そういえば、あたし……船の上で『変身』したって聞いたなぁ。あれって単なる偶然だったのかな? それとも、何かの前触れだったのかな?)
みなもは、ダンジョンに入る前の『異変』について聞かされた事を思い出していた。その時は意識を失っていたし、その時の記憶も無い。しかし、変調を来していたのは事実のようで、それは間違いない事だった。
と、その時。
ドロドロに溶けた肉体が、一か所に固まって何かを形作り始めた。と同時に、意識もその中に吸い込まれていくのが分かった。
(なッ、何!? 今度は何が起こったって云うの!?)
一旦溶けた体が、また元の形に戻ろうとしているのか? いや、それにしては様子がおかしい。
見れば、手足も頭も無い、まるで虫のさなぎのような、妙な形になりつつあるのだ。そしてその中に『自分』が取り込まれて行くではないか。
(おかしいよ、虫じゃあるまいし! ラミアって、半分人間で半分ヘビの幻獣でしょ? 変態の過程にしたって、おかしいよ!)
肉体が無いから、叫ぶことも出来ない。しかし、意識だけはハッキリしている。それが、みなもにとってはこの上ない苦痛に感じられた。
気持ちが悪い。自分が自分でないような、そんな感覚が全身を支配する。
やがて、固まりつつあった『肉体』に、精神体がシンクロし始めた。いったん離れた肉体と精神体が、再び融合しようとしているのだ。
(気持ち悪い……何なのよ、これ? 体と言うには、あまりに頼りない。まるで、卵になったような……卵!?)
そう、ラミアは上半身が人間、下半身が蛇。言うなれば、哺乳類と爬虫類の混成体だ。母体と卵、どちらから生まれるのかと考えれば、卵から生まれる可能性の方が高い。
では、何でこんな状態になっているのか……考え付く事はただ一つ。
今までの肉体をリセットして、新たな生命体として生まれ変わろうとしているのではないか? という事だ。
(でも、おかしくない? このクエストをクリアすれば、どっちにしろレベルアップか、上位種族への生まれ変わりが約束されていた筈でしょ? なのに、何で既に『生まれ変わり』が始まっているの?)
それは、既に彼女の理解の範疇を越えていた。
クエストの一環として、仕組まれていた事にしては用意が良すぎるし、第一に、まだクエストは途中までしか進行していない。なのに何故、報酬である筈の『転生』が始まっているのか。それが分からなかったのだ。
(……もしかして、クエストとは無関係に、あたしの体は進化しようとしていたのかな? ……だとしたら、あの時に聞いた、変身の話も強ち出鱈目では無かったのかも……)
皆が見たという、あの時の自分が『予告』であり、その実態が今から始まる……そう考えるなら、今の不可解な状況にも説明が付く。しかし、よりによって、溶解液で溶かされる様まで見せなくたって良いじゃないか……と、みなもは舌打ちをしながら不満を露わにした。
やがて彼女の体は、固い殻に覆われた卵のような形状に落ち着いた。が、それは外側だけの事。中は未だ、ドロドロの液体が混ぜ合わされながら固まるのを待っている状態だ。しかも、その状態でも意識だけはハッキリしている。そんな自分の姿なぞ、誰が見たいと望むものか。
(お願い、こんなもの見せないで……)
みなもは、およそ有り得ない自分の姿に、この上ない不快感を抱いていた。
<了>
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