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<東京怪談ノベル(シングル)>


ページの向こう
 世界には魔本と呼ばれるものがある。
 それは読者を本の内の登場人物と同化させ、物語を“体験”させる魔法的エンタテイメントだ。
 内容は、冒険や戦いといった全年齢向けから恋愛やミステリといった大人向けのものまで様々あるが、近年は「読者の心の安全」を守るため表現の規制が進められている。――あまりに強烈な体験は読者にトラウマを与えるからという、実にもっともな判断から。
 ――そんなの表現の自由の侵害よ!
 東京は神田の古本屋街の真ん中で、響・カスミはふんすと拳を握り締めた。
 数週間前、彼女は滅ぼされる国の女王となって、出産したり捕らえられて石像にされたりしたばかり。あれはきつかった。
 ――でも。あんな体験、普通に生きてるだけじゃ絶対にできないもの。
 カスミはアンティークショップ・レンへ駆け込み、魔本を漁った。店頭に出ているものから倉庫にしまわれているものまで。
 ――全部規制版だったけどね。
 剣でとどめを刺す瞬間――愛する者と体を重ねた瞬間――いきなり暗転するようなぬるいドラマはいらない! 最後までやらせ……じゃなくて、見せてよ!
 と、いうわけで。
 カスミは規制前に発行された魔本の発掘を志し、神田まで出かけてきたのだった。
 ――とはいえ、さすがに見つからないわねぇ。
 魔本のように特殊なものを、それと知って扱うような本屋はない。どこに紛れているかも知れない本を4時間探したあげくにあきらめ、帰ろうとしたカスミだったが。神ないし悪魔は彼女を見捨てなかった。
 カスミの目が、投げ売りコーナーに差し込まれた一冊の本の上に止まった。
 装丁が剥がれ、日に焼けて汚れたその本から漏れ出すこの感じ、まちがいない。
 ――運命の出逢いってやつじゃない?
 カスミは知り合いには絶対見せられない笑顔で、いそいそとレジへ向かった。

「さて」
 マンションの自室に戻ったカスミは、デスクの上にあらためて本を置いた。
 書かれた文字は多分フランス語。
 書かれた内容は多分騎士と姫君の恋愛もの。
 まあ、中に入ってしまえば何語でもわかるだろうし、ドラマを楽しめるはずなので気にしない。
「ちょっと汚れがひどいのは気になるけどねぇ」
 表紙がないことから覚悟はしていたが、中の紙は相当に傷んでいて、文字のところどころが怪しい染みで潰されている。
 と。
 コツン。ドアが一度だけノックされて、カスミの無二の友であるイアル・ミラールの顔が現われた。
「カスミ、なにしてるの? 怪しいにおいがするんだけど」
 イアルの言うにおいは香りではない。気配や魔力という、普通には感知できないはずの存在感だ。彼女は内に宿す鏡幻龍の加護をもって超常の力を発揮するが、これもその力によるのだろう。
「え? ああ、うん。ちょっと」
 適当なことを言いながらイアルを追いだそうとしたカスミだが、思いついたので思いとどまった。
 ――イアルもいっしょに行ってくれないかしら?
 規制されていない魔本の世界は、よくも悪くもスリリングだ。おかげでカスミは酷い目に合い、途中から駆けつけてくれたイアルに救われた。
 だったら、イアルが最初からいてくれたら? なにかあっても手間が省けるし、同じ物語をふたりで楽しめたら……。
 説得に時間はかからなかった。
 カスミがそこそこの頻度で猪化するのはイアルも承知していたし、それならいっしょにいるほうがやきもきせずにすむ。
 カスミはイアルの手を取り、彼女を待つ物語の世界へ飛び込んだ。


 気がつけば、カスミは宮殿の大広間にいた。
 極彩色の羽、なめらかな絹、針のようなヒールで装った姫たちが、礼装で身を固めた騎士や貴族の手にリードされ、舞い踊る。
「舞踏会、なのね」
 すり寄ってきた給仕が赤ワインを差し出し。
「いかにあなた様がお美しかろうとも、壁の花を演じるはご婦人のお役目にござります。花を摘まれるお役目、どうぞお果たしくださりますよう」
 は?
 カスミはあわてて自分の姿を確かめた。
 彼女がまとうものは礼装。当然、男用の。
 体は女のままだが、どうやらカスミは「美形の騎士(男)」という役どころをあてがわれたらしい。
「どうして役になりきってないの!? 私、どうしたらいいわけ!?」
 これも本が強lているせいだろうか……とりあえずカスミはあたりを見回した。こう言われるということは、誘うべき姫君とやらがいるはずだ。
 と。
 踊りの輪が割れて路ができた。
 路の奥から歓声が聞こえて、それがどんどん近づいてくる。
「王女様――なんとお美しい」
 果たしてカスミの前に立ったのは、誰よりも豪奢なドレスでその身を飾ったイアルであった。
「王女殿下、ご生誕のこの日をお祝い申し上げます」
 次々とその足元へ跪く男たちに口づけるべき手を与えながら、イアルはむっつりとカスミを見る。
「……踊ってくださらないと話が進まないみたいよ、女のくせに男の騎士様」
「そういう格好をされると、なんだか同じ女としてイラっとするくらい似合うわね、王女様」
 ふたりはしばしにらみ合い、あきらめてため息をつき、手を取り合った。
「おお、なんと見事な」
「戦場の華と王宮の花、すばらしい組み合わせではないか」
 人々が感嘆する中、カスミとイアルは必死だった。
「ちょっとカスミ! 足踏まないでよ!」
「ワルツなんて、演奏はとにかく踊ったことないもの! それよりあなた元王女でしょう!? リードしてよリード!」
「我が国にワルツなんてものはなかったのよ! 多分」
 それでも物語はとどこおりなく進み。
 騎士と王女はバルコニーで愛を語らうのだった。
「このお話、展開がちょっと強引すぎない?」
 イアルはワインを口にして、顔をしかめて吐き出した。黴の味しかしない。
「当たり外れはあるだろうけど、物語を思いきり楽しもうって気持ちが大事なのよ」
 イアル同様、ワインを吐き出したカスミが答えた。
『ずいぶんと楽しそうじゃの、戦場にあって“鋼の華”と呼ばれる騎士の有様とは思えぬ』
 どこからか響き渡る女の声。
 内容にはまるで納得できないが、今は愛を語らうシーンなので、そういうことになっているのだろう。……この物語、確かに強引すぎる。
『なるほど。我が求愛を斬って捨てた“鋼の華”を落としたは、この国でもっとも気高く美しき“金の花”であったか』
 集まりきた氷の結晶が夜空を塞ぎ、ひとりの女を形作った。
「氷の女王、ね」
 氷の女王。それはこの物語の敵役で、カスミ(騎士)に邪な想いを抱く魔物である。
「憎き恋敵をただ殺すだけでは飽き足らぬ。趣向をこらしてもてなそうぞ」
「っ!」
 吹雪がバルコニーへ叩きつけ。
 カスミのとなりから、女王とともにイアルの姿が消え失せた。

 誕生を祝う宴の席より王女が誘拐された。
 王と重鎮たちはごく短い会議の後、控えていたカスミへ告げる。
 時をかけていては手遅れになる!
 氷の女王を討ち、王女を救い出せ!
 カスミとしても、それを他のキャラクターに任せるつもりはなかった。
「王女を い出 ば、 を王女の  とし 認めよ 。主が 女を想 ておる とは ってい 。王女が を うておる と な」
 文字が染みで潰れているせいか、王の言葉は聞き取れなかったが。まあ、王女を救えば婿にしてやる程度の流れだろう。
 へきえきとしながらもカスミはうなずいた。
 かくして彼女は馬を駆る。王城の北にある氷の女王の居城を指して――


 氷の女王の居城は、溶けぬ氷雪に覆われた岩山の頂にあった。
 広間には女王がその美しさを嫉み、二度と男どもを誘わぬようにとさらい続けてきた美女たちが、苦悶を象る氷像となって女王を楽しませ続けている。
「これでまたひとつ、妾の笑みを飾る像が増えたが、の」
 他の女同様、氷像に変えられたイアルを見やり、女王が不満気に鼻を鳴らした。
 吹雪を避けようと顔の前にかざされた手。これでは表情が見えない。
「まるで足りてもおらぬしな」
 女王がイアルに触れ、その凍結を解いた。
「――っあ、はぁっ!」
 詰まっていた息を急に取り戻して咳込んだイアルに女王が告げた。
「立て」
 考えるよりも先に体が動いていた。
 わけがわからないままイアルは直立不動を保つ。
 ――体が、動かない!?
「おまえの血肉には妾の冷気が染み通っておる。その体は妾の意のままに動くというわけだ」
 これは物語のはず。なのに、読者をこんな目に合わせるなんて……イアルは作者に文句をつけかけて、思い出した。この物語には表現の規制がかけられていないのだと。
 ――こんなの規制されて当然じゃない! なにが「剥き出しのスリルを楽しみましょう」よカスミーっ!!
 胸の内で憤りながらも、イアルの顔は無表情に固まったまま動かない。
「次はその心に冷気を吹き込んでやろう。芯の芯まで氷に変え、妾が飽きたら砕き食す」
 ――なにそれ趣味悪すぎでしょう!?
「笑め。こちらへ来よ」
 抗議の声をあげることもできないまま、笑まされたイアルは女王に招き寄せられ、そして。
「妾に口づけよ――凍りつく前に、とろけさせてくれようゆえ」
 自らの赤き唇を、女王の青き唇に重ね合わせた。
 ――あ、ああ、あ、あああ。
 体を満たす命の熱気が吸われていく。
 熱の代わり、死の冷気が吹き込まれてくる。
 その冷気はイアルの体を繊細な指先のごとくさぐり、彼女を高め、堕としていく。
 イアルは悶え、あえぎ、自ら体を開いて熱を捧げ――とろけた笑みを浮かべる氷像と成り果てた。


 数々の魔物を討ち、途中で馬を捨てて険しい山を登り続けたカスミが、ついに女王の居城へたどり着いた。
「ヒーロー補正がかかってなかったら死んでたわね」
 これほどに体を動かすのは何年ぶりだろう。まだ女子のつもりでいたが、そろそろ歳というものをわきまえる必要がありそうだ。
「でも、負けを認めた瞬間から衰えそうだし……」
 ぶつぶつ言いながら、カスミは氷で造られた城内を進む。
 奥の広間に、女王とイアルがいるはずだ。

 広間の大扉を押し開くと、果たしてそこには女王がいた。
「なんと、もうここまで来やったか。そこまで王女を愛しておったとは……おまえも王女と同じ氷に変えてやろう。朽ちることもゆるされぬまま立ち尽くすがいい」
 女王の吐く息が吹雪へと変わってカスミを叩く。
 カスミは盾を掲げてこれを払い退け、一気に女王の懐へと飛び込んだ。
「イア――王女はどこ!?」
「王女ならそこよ。妾の口づけを受け、あのような顔を晒しておる」
 踏み込んだカスミが突き上げた切っ先を氷剣で受け、女王が嘲笑を振り向かせた。
 その笑声の先に、イアルの氷像がある。
 陶然とした笑みをたたえる彼女の顔に、カスミは苦いため息を漏らさずにいられなかった。
「本の世界でも像になるのね」
 世話が焼けるったらないわ。でも。
 私だって同じくらい――それ以上に救われてきた。
 イアルが窮地に陥るなら、私は何度だって助けに行く。イアルがそうしてくれるように……!
「たぁっ!」
 カスミは女王が放った無数の氷針を傾けた盾で受け流し、そのまま盾をぶつけて女王の体勢を崩した。
「ぐっ」
 打たれながらも女王は魔法を発動。カスミの脚を氷で封じたが、遅い。
 離れ際に女王の首筋へあてがった剣を思いきり引き、その首を落としたカスミが言う。
「私を凍らせることにこだわりすぎたわね。不慣れな斬り合いに応じた時点で、あなたの勝機は失われたのよ」
 決戦というにはあまりに短い戦いと、ひねりのない決めゼリフ。作者のセンスを疑いつつも、カスミは筋書きどおりに騎士の役目を果たした。
 広間のあちらこちらで氷の割れる音がして、これまで封じられてきた美女たちが息を吹き返す――なのに。
「イアルだけが解放されない。どうして――?」
 眉をひそめたカスミに、床に落ちた女王の頭が語った。
「王女は魂の芯まで氷と成り果てた。二度と戻らぬよ。おまえはもう、王女を抱くことはできぬ」
 甲高い笑声が尽き、女王が今度こそ息絶えた後。
 カスミは助け出した女たちを連れ、山を下りた。
 その背に、溶け出さないよう厳重に封をしたイアルの像をかついで。


 宮殿に戻ったカスミは、手短に報告をすませた後、イアルの像を王女の寝室に運ばせた。王も文官も武官も、一様に泣き崩れてしまって話にならなかったから。
「でも、本当にこれからどうするべきなのかしら」
 イアルの像はほどなく溶け始めるだろう。
 なのに、カスミの頭の中に筋書きは浮かんでこない。なにをすればいいのかがわからない。
 カスミは思案した。
 この物語は豪速球の王道であるらしい。
 だとすれば、こうなってしまったヒロインを救うためには、きっと……
「一応思いついたけど、実行するのはなかなか恥ずかしいわね」
 顔を赤らめながら、カスミは大きく息を吸って気合を入れた。
 ここまでなんとかしのいできたのだ。最後までやり通そう。
 ――服を脱ぎ落としたカスミがイアルを抱く。
 こういうのは古今東西、愛の奇蹟がなんとかしてくれるもの!
 イアルという氷が容赦なくカスミの体温を奪っていく。
 寒くてたまらなくて、カスミはイアルを寝台に横たえ、いっしょにもぐり込んだ。
「還ってきて、イアル……イアル……」
 いつしかカスミは、心の底から念じていた。
 どくり。氷に熱が灯る。
 どくり。熱が氷を溶かす。
 どくり。鼓動が命となってイアルを満たしていく。
 どくりどくりどくり。
「――カ、スミ?」
「イアル……おかえりなさい」
 イアルのあたたかな体を抱きすくめ、カスミはその耳元にささやいた。
「それでね。ここですごく大事な話があるのよね」
「ああ、その、筋書きのこと、よね?」
 頭の中に戻ってきた筋書きによれば、ここから騎士と王女は情を交わす。ページにして87ページ分。長い。
「どうする?」
 イアルの問い。その潤んだ声音に、カスミは熱い息を重ね。
「やり通すって決めたんだから、最後まで。つきあってくれるんでしょう?」
「ここまで来たら最後までつきあうわよ――」
 ふたりの間からは言葉が消え、艶やかな息だけが行き交い始めた。


「ページが欠損してるのね。ちょうど王女が寝室に運び込まれたあたり。古いのはしかたないけど、メンテナンスはしておいてほしかったわ」
 本に入り込まないよう注意しつつ調べ終えたカスミがため息をついた。
「それがなくてもひどい出来だったけど」
 唇を尖らせたイアルにカスミは苦笑を返した。
「そういうのも含めてスリルあったじゃない! じゃあ私、行くところがあるから」
「ちょっと待って! まさか行くところって神田じゃないでしょうね!?」
「大丈夫よ! 今度こそ当たりを引いてみせるから!」
 カスミが逃げだし、イアルが追う。
 新たな騒動が巻き起こる日は、存外に近そうだ。