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<東京怪談ノベル(シングル)>


表裏の理
 響・カスミは夢を見る。
 数百年の昔、名も知れぬ小国の王女を襲った運命を。
 真名を奪われ、王女と成り果てた女傭兵が演じた悲劇を。
 そして――自分によく似た誰かが妄執の果てに晒した末路を。
『あなたがこのことを憶えていられるかどうかはわからない。特技が特技だものね。……でも、あなたには思い出す権利があって、義務がある。だから見て。あなたが知るイアル・ミラールの切り取られた一時を』
 イアルの姿をとった鏡幻龍が、今なお深い眠りの底にあるカスミを次なる場面へと誘う――


 カスミの面影を持つ老いた神官は、自我を取り戻すことなく放り捨てられた石のように死んだ。
 イアルを王城に飾った国王は熱病を患い、豪奢な羽布団の内で溶け崩れて死んだ。
 跡を継いだ第一王子は遠乗りの最中に馬から振り落とされ、頸骨を折って死んだ。
 そして。図らずも新王となったは第一王子の息子……わずか六歳の男子であった。
 彼は摂政を買って出た母親の親族どもにすべてを投げ渡し、大勢の騎士を連れて王城を練り歩いた。そして自分が生まれる前から王城の正面扉の内に据えられていた石像を見て、盛大に泣いた。
「よはこれがきらいだ! すててしまえ!」
 とはいえ、この石像は先の大戦での勝利を象徴する記念品。おいそれと損なうわけにはいかない。
「国王陛下のお目に障らないところに置けばいいんですよ。王城前の広場とかね」
 今やこの国の政治になくてはならない存在、モノクルをふたつ繋げて造った眼鏡をかけた呪い師が語る。
 国民って人たちには、怒りやら不満やらをぶつける敵が必要でしょう? 貶めてもらいましょう。敵国の王女を、存分にね。
 果たして広場へ引き出された石像を、民はあらゆる手段をもって穢し始めた。
 打つほど、汚すほど、民は自身を愛国者と誇り、互いを讃え合う。摂政政治を演じる王母の一族が欲に溺れ、凄絶な速度でこの国を喰らいだしたことに気づかぬまま。

「……困りましたねぇ。このままじゃ、遠からず国が滅びます」
 呪い師が困り顔を左右に振った。
「今や国の中枢は王母様のご親族の方々で埋め尽くされてます。そのおかげであたしもお役御免。意見するどころかお給料ももらえない有様でして」
 将軍は憂い顔をうつむけた。
 王が王の責を果たさぬがゆえに国が滅ぶなど、あってはならないことだ。
 しかし王は未だ幼く、まわりの大人に言われるまま命を発している。
「王母に連なる者を、諫めねばならんか」
 将軍は腰に佩いた剣を手で探り、ためらいを振り切るように柄を握り締めたが。
「でも、そうなったらまた問題ですよね。次の摂政を誰にするのか……?」
 武官である彼に文官の出来は測れない。ましてや忠義心と清廉さを測るなどできようはずもなかった。
「簡単な解決方法、あるんですけどね」
 呪い師が将軍に近づき、その目を見据えた。
「……方法とは、なんだ?」
 呪い師は答えず、まるで関係ないことを口にした。
「広場に置かれたあの像のことですけどね。あれ、どうしましょうか?」
 呪い師を叱責しようとして将軍は失敗した。声が出ない。あれは――彼の祖父である部隊長が持ち帰ったあの像は――彼の初恋の相手だったから。
 像の前で祖父の功績を語る父の傍ら、彼は殊勝な顔の裏で浅ましい劣情をたぎらせていた。あの像を生身に戻してかしづかせ、思うままに辱めたい。ずっとそれだけを念じてきた。
 ゆえに国民があの像を汚すことに激しい憤りを感じると同時に、得も言われぬ悦びを感じてきたが……もしできるのなら、この手で。
「王の名は、誰よりも貴族の義務を知り、誰よりもそれを成してきた者に与えられるべきものですよね。その責任を負う代償に王はすべてを手に入れるんです。そうでしょう、新王?」
 聞かなければよかった。将軍は後悔した。
 聞いてしまえば自分はそれを選んでしまうだろうことを、聡明な彼は誰よりも知っていたからだ。
 そして同時に思う。
 この呪い師は百年前にはもうこの国にいたという。それが真ならば、どのような妖術で今まで生き延びてきた? 歳をとることもなく、どうやって――?


 心ある者たちを率いる将軍が王城を攻め落とし、玉座につくまで一月とかからなかった。それほどに国は腐り、疲弊していた。

 そして。
 清廉なる新王は丁重に自室へ運び込ませた王女の石像を前に、荒げた息の狭間よりかすれた声音を絞り出した。
「解け」
「すべては国王陛下の御意のままに」
 呪い師は口の端を吊り上げ、石像へ解呪の魔法を注ぎ込む。
「王女イアル、これからいくらかの間、仮初の生を味わいなさい」
 石が解けていく。民につけられた穢れをそのままに、王女イアルは生身を取り戻す。
「――あ、わたしは」
「そういうことは後回し。まずは自分の有様をご確認くださいよ、王女」
 聞き覚えのあるその声に、イアルは顔を上げたが……体がうまく動かなかった。まるで粘土の服でも重ね着させられたように。
 イアルは自分の体を見下ろした。
「ひ――」
 彼女の体は穢れていた。
 腐肉で、吐瀉物で、ありとあらゆる汚物で。それらが風雨に流され、その上からまた穢されるを繰り返されたことでこびりついて厚く積み重なり、汚泥さながらの臭気を放っているのだ。
「そばにいるだけで病をもらいそうですね。部屋を濡らしますけどいいですか、陛下?」
「かまわん」
 呪い師の合図で、怪しげな黒装束の女たちが大量の水桶を運び込む。
「ぶっかけちゃってください」
 混乱するイアルに、八方から水塊が叩きつけられた。
「あ――ぶぁ――!」
 濡らされることで臭気が際立ち、イアルの目鼻を突く。
 臭気にみまわれたのは新王も同じだが、息を奪われて悶えるイアルを見据える彼の目は、悦楽の予感に赤く輝いていた。
「次は石像だったころに受けた仕打ちを追体験していただきましょうか」
 主であるはずの王を振り返りもせず、呪い師は言い放った。
 黒装束の女たちが桶を手に取った。中身は水ならぬ汚物だ。
「う――っ!」
 イアルの体へ次々と汚物がぶちまけられ、さらには尖った小石が投げつけられる。
 粘りつく嫌悪と肌を削る痛みにイアルは打ちのめされた。なぜ自分がここにいるのか、このような目に合うのか、考えることすらできぬまま、ただただおののき、叫んだ。
 そして。腐り果てた小動物の骸を浴びせられた瞬間、彼女がイアルであることを保っていた正気の糸が切れた。
「あああああああああああああああああああああ」
「どうせおかしくなるならもう少し早くなってくれませんかね。後片付けが大変じゃないですか」
 顔をしかめた呪い師が腐肉にまみれたイアルの顔を両手で挟み、瞳孔の開いた目に視線を突き込んだ。
「あたしの声を聞きなさい。植えつけられた誇りも持ち合わせの正気も捨てたあなたは、今日このときから主に喜んで腹を晒す雌犬です」
 視線に乗せられた呪いがイアルの目から脳へ這い上がる。
 対して、彼女を石に封じて守ろうとした鏡幻龍だったが、今のイアルは前のイアルとちがい、乙女ならぬ身。思うように力を顕現させることができない。
 龍がとまどう中、イアルは呪に侵されていく。
「いったいなにをしたのだ?」
 新王が浮かされた声音で呪い師に問うた。
「陛下が扱いやすいよう傀儡にしました。正気を失くした瞬間ってのがいちばん心につけ込みやすいですから」
 呪い師が呆としたまま動かないイアルを指し、笑んだ。
「さて。これで王女は陛下の意のままです。どうなさいます? 穢しますか? 働かせますか? それとも飼いますか?」

 汚れたままのイアルを組み伏せ、情欲を満たした新王は呪い師に命じた。イアルをどのような姿勢にも固められる拘束具と責め具を持てと。
「……その最中、王女の心を正気に戻せ。かような人形を責めてもつまらん」
「御意」
 男という生き物はつくづく面倒なものですね。
 でも、この経験は今後の商売に生きるでしょうから。最大限お応えいたしますよ。
 慇懃に頭を垂れ、呪い師は撤収作業を終えた女どもを連れて部屋を出た。


 先の大戦でこの国を陥れようとした王女を改心させ、慈悲の心をもって庇護下に置いた。
 呪い師が発した噂は民の耳と口を通じて一気に広まり、新王の名声を高めた。
 彼は表にあっては国をよく治めたが、裏へ回れば嗜虐の暴君と化し、猛った。
 そして、その猛りを一身に受ける者こそが件の王女、イアルである。

「風呂はいいものだ。そうは思わぬか、王女」
 石を掘り抜いて造った浴槽に張った湯へ身を浸し、新王は傍らの王女に声をかける。
「――、――っ」
 四肢を拘束され、轡を噛まされたイアルがうめいた。
 薬液をかけられて暴れ狂う蚯蚓で満たされた壺に浸された彼女は、肌をなぶられる嫌悪と屈辱にむせび泣く。
 こうして体を“清められた”イアルは、新王の意のままに様々な責め苦を与えられた。
「いかがですか、我が結社謹製の拘束具は?」
 背に魔具を突き立てた木馬にイアルを跨がらせ、彼女を鞭打つ新王へ呪い師が声をかけた。
「よい出来だ。ああ、実によい」
 今、イアルを後ろ手に固めている拘束具は、よくなめした狼の毛皮の至るところに留め具をつけた代物だ。留め具同士をかけることでどのような姿勢をもとらせることができ、外部のフックに引っかけて吊り下げたり、縛り上げることもできる。そして毛皮面をイアルへ向けることで、毛先によって肌を傷つけず不快感を与える。
「とりあえず、それ以上イアルさんを無理な姿勢にしないでくださいよ。血が巡らなくなると人間、すぐ腐りますし死にますからね」
 呪い師は注意を促したが、とても新王の耳に届いているとは思えなかった。
 彼は長年指をくわえて憧れ続けてきたおもちゃに夢中だ。
 昼間は傀儡に戻されたイアルを側づきのメイドとして使っているようだが、その時間が彼の歪んだ欲望をいや増し、夜にこうして暴走させている。
 ――心が壊されるのはなんとかなりますけど、体を壊されると面倒ですからねぇ。
 呪い師はため息をつく。
 この男は結局のところただの男だった。彼女が望んでいたような責めをイアルに与えることはできない。
 魂に上書きを施すことで、魂は己を別人と認識する。そのことは、百年の昔にある神官がひとりの女傭兵を王女へと変えたことで実証した。
 ――次はそれを、卵をゆでる程度の手間で実行できるよう汎用化する。秘技がなきゃできないようなもの、売り物になりませんからね。そのためにも元の魂を穢して弱らせるような手を考えないと。
 呪い師は心中でつぶやいた。
 ――とにかく。実験を続けるためには状況を大きく変える必要がありますか。
 念話で配下へ指示を送った呪い師は、背を仰け反らせたイアルが跳ね飛ばす脂汗と血から目を守るべく、鼻先に落ちていた眼鏡を指先で押し上げた。


 深夜。
 王妃の私室に呪い師の使いを名乗る黒装束の女が訪れた。
「畏れ多きことながら、お耳を拝借いたしたく」
 王妃は新王がまだ将軍ですらない一介の騎士であったころ、家同士の申し合わせによって添わされた。
 夫は彼女を大切に扱ってきたが、儀礼を越えて触れることはなかったし、ゆえに子を授かることもなかった。おかげで心外な苦労を強いられたものだが、それでも王妃に任じられた以上は国母として一生を捧げると決めていた。
 しかし。
 女はイアルのことを――夫が庇護下に置いたイアルへ夜な夜な加えている嗜虐の責めを、微に入り細に入り語りあげた。
 すべてを聞き終えた王妃は呆然と息をつく。
 自分ではない女に、夫は情のすべてをそそいでいる。
 俄には信じられないことではあったが、彼女には思い当たることがあった。夫が石像だった王女の前で見せた、あの……
 女として、これほどの屈辱を感じたことはなかった。
 女として、これほどの憤怒を感じたことはなかった。
 自分がこれほどまでに夫に情があったことも、知らなかった。
 どこからか漂い来る甘い香が彼女の頭を痺れさせる。
 ――どうにかしなければ。でも、どうすれば?
「すべては我らにお任せくださりませ」
 甘さを増す香に浮かされた王妃は、茫洋とした怒りを貼りつけた面を幾度もうなずかせ、女が差し出した書面に自らの名を書き入れた。


「香はよく効いたみたいですね。これで王妃様のご公認もいただけましたし、思いきってやっちゃいましょう」
 女の念話で受けた呪い師は迅速に動き出す。
 まずは王妃の名を掲げて新王を拘束し、神の禁じた邪淫に溺れし咎人として、王妃自身に超法規的組織である宗教裁判所へ投げ渡させた。
 その間に準備を進めておいて、王妃を女王として電撃立位させ、さらには宗教裁判所への裏工作をすませて元王を女王の王配として取り戻す。
 そして呪い師は、夫を隷属させた女王に訊くのだ。
「さて。例の王女はいかがいたしましょうか? ついでにこの国のあちらこちらにいる、ご夫君を惑わすかもしれない女たちは」
 まなじりを吊り上げた女王は鋭く命じた。
 我が夫を惑わす者には相応の罰を!
「では、みんなまとめて死よりも酷い生き地獄へ追いやってごらんにいれますよ」
 かくして傀儡となったまま戻らぬイアルを始め、黒装束の女たちが国中から捕らえてきた美しい女たちは落とされる。
 呪い師と黒装束の女たち――いや、魔女狩りの業火より逃れ、『魔女結社』なる組織に身を置く魔女どもの造りし迷宮へ。