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<東京怪談ノベル(シングル)>


愛欲は凍らない


 年間、何万人もの行方不明者が出ている。
 行方も不明なら、そうなった原因も不明。犯罪に巻き込まれたり、己の意思で失踪したりと、事情は様々だ。
 おかしな話があった。
 響カスミの、同僚の女性教師が話していた事である。
 彼女には、あまり仲の良くない兄がいた。が、いなくなった。
 亡くなった、にしても遺体は見つかっていない。つまり行方不明である。
 いわゆる引きこもりの青年で、家出して姿を消すような事は有り得ず、家の中で失踪したとしか思えぬ状況であったらしい。
 青年の自室で、謎めいた本が1冊、発見された。
 それは書物と言って良いほど古めかしく分厚い1冊で、日本語でも英語でもない、わけのわからぬ言語で書かれていたという。
 挿絵があった。
 その挿絵の中で、兄に良く似た青年が、大勢の美少女に囲まれて楽しそうにしていた。
 そんな話が、冗談も言わぬ理系の女教師の口から淡々と出て来たのである。
 脛かじりの寄生虫がいなくなってくれて清々したわ、と彼女は付け加えたものだ。
 戯れにゴーストネットOFFを覗いてみたところ、同じような行方不明事件が頻発している、という内容の特集が組まれていた。
 老若男女を問わず大勢の人が、自室で姿を消してしまう。その現場には必ず、謎めいた書物が残されており、消えた人物が挿絵として描かれているという。
 記事の中では管理人の少女が、「ひとりかくれんぼ」と関連付けた独自の考察をしていた。
 人が、書物の中に入り込んでしまう。
 本日2時限目の音楽の時間、オカルト好きな生徒たちが、授業開始前にその話で盛り上がっていた。
 本の中に入った事なら、先生もあるわよ。カスミは冗談めかして、そんな話をしてみた。もちろん、冗談としか思われなかっただろう。
 授業が終わって1人、校舎の廊下を歩きながら、カスミは呟いた。
「まさか……ね。魔本が、出回ってるなんて事……」
「あの、響先生」
 背後から、声をかけられた。
 普通に可愛い、としか言いようのない、いくらか没個性的な女子生徒が、追いついて来たところである。
「さっきのお話……本当ですか?」
「え……っと。何のお話?」
 先程、音楽の授業を終えたばかりのクラスに、この女子生徒はいたのだろうか。
 どこにいても目立たぬであろう少女が、両の細腕で何かを抱えたまま言う。
「本の中に、入った事があるって……」
「……ああ、その事ね。まあその、何と言うか」
 魔本の中に、入った事がある。
 生徒相手に、得意げにそんな話をしているなどとイアル・ミラールが知ったら、怒るかも知れない。
 そんな事を思いつつ返答に困っているカスミに、女子生徒が、抱えていたものを差し出してきた。
 1冊の、本。分厚く重みのある、古めかしい書物である。
「実は……あたしの姉も、いなくなってしまって……」
「……この本の、中に?」
「わかんないんです。ただ、姉の部屋に……この本が」
 少女は、涙ぐんでいた。
「響先生、本当に……本の中に入って、出て来た事もあるのでしたら……姉を、助けてくれませんか?」


 心配していた通り、イアルに怒られた。
「そんな、ねえ? 魔本に入った事があるなんて、生徒相手に自慢していい話なのかどうか。大人なんだし、ちょっと考えればわかると思うんだけど……27歳って大人の年齢よね? カスミ先生」
「お、お願い……年齢の事は……言わないでえぇ……」
 カスミは涙を流し、吐息を乱した。
 全身を、縄で縛り上げられていた。
 左右の細腕は、優美に反り返った背中に密着する形で、ぐるぐる巻きに固定されている。
 縄と縄の間からは、豊麗な胸の膨らみが、ブラウスもろとも押し出されて揺れ続ける。
 カスミの、マンション自室である。
 今ここで、主人と居候の立場が完全逆転していた。カスミは、折檻を受けていた。
 イアルが、縄の一端をくいっと引っ張った。
 カスミの全身至る所に、強弱様々な締め付けが加わって来る。いろいろな部分に、縄が食い込んで来る。ある部分ではキュッと優しく、ある部分ではグリグリと容赦なく。
 一体どんな縛り方をされているのか、見当もつかない。
 とにかく、カスミは泣き叫んだ。悲鳴に、吐息が溶け込んだ。
 そんなカスミの耳元で、イアルが囁く。
「魔本が本当に出回っているのなら……興味を持たせるような話、しちゃ駄目でしょう? あれはね、この時代で言う覚醒剤なんかと同じようなもの。生徒に覚醒剤をお勧めする教師が一体どこの世界にいるのよ。ここ? ここにいるの? ねえ」
「はっ、話の流れで、話の流れでぇ……つい、言っちゃったのよう……」
 カスミが泣きじゃくり、イアルは溜め息をついた。
「……その上、こんなものまで持ち帰って来て」
「そ、それ……やっぱり、魔本?」
「間違いなく、ね」
 カスミが、あの女子生徒から手渡されるまま持ち帰った書物を、イアルが手にとって睨み据える。
「本当に、魔本が出回っている……としたら十中八九、魔女結社の残党どもの仕業だとは思うけど」
「そ……その中に入って、出られなくなっちゃった人が……いるんならぁ……」
「……助けないとね」


 心地良い温かさの中で、王女イアル・ミラールはゆっくりと目を覚ました。
 連日の公務で疲労していた全身に、温もりが満ちてゆく。強張っていた筋肉が、ほぐれてゆく。
「う……ぅん……」
 身体は良い感じに脱力し、だが意識は覚醒に向かってゆく。
 二度寝に陥る事なく、イアルは目覚める事が出来た。こんなに気持ちの良い目覚めは、何年ぶりであろうか。
「……おはよう、姫様。よく眠れたようだね」
 いくらか馴れ馴れしく、声をかけられた。
 いつも身の回りの世話をしてくれる侍女、ではない。見知らぬ女性だ。
 王宮に、不審人物が入り込んでいる。王女の寝室にまで、忍び込んで来ている。
 いや違う、とイアルは気付いた。
「…………ここは……?」
 自分の寝室ではない。王宮、ではなかった。
 祭壇のようでもある、水晶の寝台の上に今、イアルはいた。
 傍に立っているのは、白い女性である。
 白い肌に、白いドレス。それは氷雪の白さであった。とてつもなく冷たい、暗黒よりも禍々しい白さ。
 銀色の髪の煌めきは、雪の結晶を思わせる。
 人間がこれほど美しいはずがない、と思えるほどに美しい女性。
 イアルは息を呑んだ。
「氷の女王……!」
「おや、私をご存じなのかい? 光栄だねえ」
 白く冷たく禍々しい美貌が、にっこりと歪む。
 氷の女王。この王国で、最も邪悪なる存在。
 イアルは思い出した。
 民情視察の旅の最中、自分はこの氷の女王に捕われたのだ。氷漬けにされ、運び去られたのだ。
 そして今、温かく心地良く解凍されたところである。
 心地良さを振り払うように口調強く、イアルは言い放った。
「私を捕えて……殺したところで、この国は貴女の思い通りにはならないわよ」
「殺すつもりなら解凍はしないさ。凍らせたまま、打ち砕いているところ」
 氷の女王の、白く冷たい繊手が、ひんやりとイアルの頬を撫でる。
「最初はね、そうしてやろうかと思った……お前は美しい、私よりもね。だから生かしておけない、そう思った……だけど」
 身体だけではなく、魂を、心を、撫でられている。イアルは、そう感じた。
 冷たい手が、心を凍りつかせてゆく。
 凍りついた心を打ち砕くような衝撃が次の瞬間、イアルを襲った。
 氷の女王のたおやかな肉体から、決して有り得ない、あってはならないものが生えているのだ。
「私は氷の女王……だけど見ての通り、男でもある」
 隆々と勃ったものをイアルに向かって誇示しながら、氷の女王は笑った。
「お前を見た瞬間、こいつが猛り狂って仕方がないのさ。だから、静めてもらおうか……静めてくれなければ、私は猛り狂ったまま。魔力が暴走し、この国は草木も生えぬ死の氷原に変わってしまうかも知れないよ?」


 縛り上げられた感触が、全身いたる所に残っている。
 鎧の下で、目に見えない縄が身体じゅうに巻きついているかのようだった。
 身体を火照らせながらカスミは剣を振り回し、氷の女王を切り刻んでいた。
「ぐっ……お、お前の存在を忘れていたよ……火事場の馬鹿力で無茶をやらかす、女教師……」
 ほとんど原形をとどめないまま、氷の女王が弱々しく言葉を発する。
 何を言っているのだ、とカスミは思った。
 自分は女教師などではない。王国最強の騎士。王女カスミと恋仲の、勇者である。
 いや。言われてみれば、教師であったような気もする。
「まあ、どうでもいいわ……それより、イアルはどこにいるの」
「そこだよ……見えないのかい? 見えなくとも匂いは感じるだろう……ふふっ、私が散々ぶちまけて浴びせてやったものの匂いさ」
 むせ返るような異臭を、カスミはずっと感じてはいた。
 部屋の奥の壁が、祭壇状に飾り立てられている。そこに、異臭の発生源は立っていた。
 氷像である。王女イアルの姿を、実に上手く彫り込んである。
 しかし、この匂いは何とした事か。異臭を発する液体を、凍らせて作ったのか。
「私は死ぬ……だけどイアル姫は、もう2度と元には戻らないよ……浴びるだけで凍りつく、私の体液を……」
 細切れ肉の寄せ集めのような姿となった氷の女王が、もはや肉の残骸に等しいその身体の一部を、ムクムクと盛り上げ勃たせてゆく。
「大量に、飲ませてやった……ぶちまけて、やったのさ。肉体の外からも、中にもねえ……イアル姫はもう、私なしじゃあいられない身体に」
 隆起したものを、カスミは剣の一閃で斬り刎ねた。
 氷の女王は、永遠に黙った。
「イアル……」
 濃密な匂いに引き寄せられるかの如く、カスミはふらふらと氷像に歩み寄った。
 否、氷像ではない。
 それは、凍りついたイアル・ミラールの肉体そのものであった。
 温もりを失い、ただ異臭だけを発しているイアルに、カスミは抱きついた。しゃぶり付いていった。
「縛って……イアル……もう1度、私を縛ってぇ……」


「2人の愛が奇跡を起こし……王女はこうして、元に戻りました。めでたしめでたし、と」
 読み上げながら、イアルは魔本を閉じた。
「魔本に飲み込まれた人なんて結局、いなかったわね……少なくとも、この魔本には」
 カスミに魔本を手渡した女子生徒というのが結局、魔女結社の残党の1人であったのだろう。そうとしか思えない。
「私に復讐したいのなら、すればいい……だけどカスミを巻き込むなんて、許せない」
「ゆ……許してぇ、イアル……」
 縛り上げられ、芋虫のようになったカスミを、イアルは素足でぐりぐりと踏みにじった。
「この変態女教師は、また私に散々恥ずかしい事してくれて……もっとも、そのおかげで元に戻れたんだけどね」
 ご褒美、になってしまっているのだろうか。カスミが、吐息を乱している。
「お、お願い……私、おトイレに行きたいの……」
「そのまま、しちゃいなさい」
 縄を食い込ませたカスミのボディラインを、イアルは足の指で愛撫した。
「大した事ないわ……私なんて、しょっちゅうよ?」