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<東京怪談ノベル(シングル)>


UMAイアル・ミラール


 霊鬼兵が1体、帰って来た。
 どこかで、何かしらの任務を遂行していたらしい。
 それを完了し、盟主に様々な事を報告すべく帰還したところである。
 虚無の境界・盟主の私室。
 この霊鬼兵は、そこへの出入りが許可されているだけでなく、盟主本人との直接の会話まで許されているようだ。
 霊鬼兵、つまり前線の戦闘員であるから身分は低い。だが様々な任務を盟主より直々に拝領し、それらをことごとく成功させてきた、歴戦の猛者である。
 そんな彼女が、盟主への報告ついでに、瀬名雫と楽しくお喋りをしていた。
 イアル・ミラールはその間、物陰に隠れていた。
 この霊鬼兵とは、浅からぬ関係が出来てしまった。
 険悪なもの、ではない。イアルを見る度に彼女は、まるで仔犬の如く甘えてくるのだ。
 お姉様、などと言いながら。
「知らなかったわ。彼女と仲、良かったのね」
 どうやら次の任務を与えられたらしい霊鬼兵が退出した後、イアルは雫に話しかけた。
「イアルちゃんは……あの子と仲悪いの? ずっと隠れてたみたいだけど」
「……良くは、ないわね。殺し合いみたいな事、何度もやらかしたみたいだし。私はよく覚えてないんだけど」
「調教、したりされたり?」
 雫が、いくらか悪戯っぽく微笑んだ。
 イアルは頭を押さえた。思い出したくもない記憶が、蘇ってくる。それを無理矢理、押さえつけた。
「あいつ……シズクに、そんな話まで」
 いくらか強めに、脳漿が飛び散る程度には折檻してやる必要があるかも知れない、とイアルは思った。頭蓋を叩き割った程度で、死ぬ娘ではない。
 雫が、じっとイアルを見つめている。
「いいなぁ……あたしも調教したい。動物みたいになっちゃった、イアルちゃんを」
 真摯な眼差しが、イアルを逃がしてくれない。
「ね、お願い……させて? 調教」
「貴女は何を言ってるの」
「あたしの……最後の、お願い」
 雫が、イアルの腕にしがみついてくる。
「ここの盟主様が言ってたよね。虚無の境界の専属アイドルとして、あたしとイアルちゃんを売り出してくれるって」
「悪いけど私、そのつもりはないわよ」
 イアルは即答した。
「私……帰らなきゃ、いけないから」
 1人の女教師の顔が、イアルの脳裏に浮かんだ。
 続いて、もう1人の瀬名雫の笑顔も。
 今ここにいる29歳の彼女ではない、現役のオカルト系アイドルである17歳の少女。
 あれから12年間、別にしなくても良かった苦労を重ねた結果こんなふうになってしまった雫にも、帰る場所はあるはずなのだ。
「あたしは……ソロでやってく事になるわけね」
 雫は微笑んだ。
 イアルの胸を締め付けるほど、寂しげな笑顔だった。
「あたしの本来いるべき時代……イアルちゃんと一緒に楽しくやってた頃から、12年も経っちゃった世界で」
 どこか、禍々しいものを孕んだ笑顔でもある。
「虚無の境界プロデュースで……いいわ、一大オカルトムーブメントを巻き起こしてやろうじゃないの」
 その笑顔を、涙がつたう。
「イアルちゃんとは今度こそ、本当のお別れ……だから、ね? 調教させて……?」
「……麻薬は、絶対にやらない事。それを約束出来るなら……まあ、いいわよ」
「貴女はどうも、泣き落としに弱いところがあるみたいねえイアル・ミラール」
 虚無の境界・盟主が、いつの間にか、そこにいた。
「帰る場所があるから、と言って……私が、貴女をそこへ帰してあげるとでも?」
 盟主のその言葉に、イアルは返答も反論も抗弁も出来なかった。
 イアル・ミラールと名を呼ばれた瞬間、言語中枢が麻痺してしまった。思考を、言葉にする事が出来なくなった。
「が……っふうぅ……ぐるるるるる……」
 口から溢れ出すのは、人間の言葉ではなく、獣の唸りである。
 魔女結社によって名前に刻み込まれた呪いが、覚醒したのだ。
 人間の若い娘の豊麗な姿を保ったまま、イアルは獣と化していた。


 中国の山深い地方に、野人と呼ばれる怪生物が棲息しているという。
 冬仕様ではないサスカッチやイエティのようなもの、であるらしい。まあ、ネッシーや宇宙人の同類である。
 その野人の群れが、1人の若い女を追い回していた。
 いや、若いかどうかは微妙であろう。少なく見ても二十代後半、いわゆるアラサーというやつだ。
 どこかで見た事のある女だ、と僕は思った。
 瀬名雫、ではないのか。
 痛々しくもオカルト路線に復帰して、芸能界への返り咲きを狙っている、という都市伝説的な噂がある。
 ある意味、ネッシーやイエティ以上にUMA的な女である。
 おすすめ動画の中から、適当なものを1つ選んで視聴しているところだ。
 瀬名雫によく似た女が、山林の中で野人の群れに襲われている。
 そこへ、1匹の獣が飛び込んで行く。いや、人か。
 獣か人か判然としない、超高速の何かが、野人の群れを叩き潰してゆく。
 臭い、と僕は感じた。
 もちろん、画面から悪臭が漂い出しているわけではない。
 間違いなく臭い、と確信出来るほど汚らしい生き物が、そこにいた。
 ほつれた金髪、垢と泥にまみれた肌。獰猛に躍動するボディライン。
 清潔にしていれば美しいであろう若い女が、野人たちを細腕で引きちぎり、牙で噛み裂き、太股で圧殺する。
 まさに、牝獣であった。
 その牝獣によって、野人たちの狼藉から救われた女……どうやら間違いない、本当に瀬名雫である。
 牝獣が、まるで仔犬の如く、雫に甘えじゃれついてゆく。
 見ているだけで臭くなってくる、まるで雑菌の塊のような女を、雫が愛おしそうに抱き止めている。
 音楽が流れている事に、僕は気付いた。
 牝獣と戯れながら、雫が歌っている。
 僕は見入った。聞き入った。
 そうしている間に場面が変わり、瀬名雫が、今度は下水道の中を逃げ惑っている。
 彼女を追いかけているのは、何匹もの白いワニであった。汚水の飛沫を飛び散らせながら猛り狂い、雫に襲いかかる。
 そこへ、またしても牝獣が現れた。白いワニを片っ端から捕え、むしゃむしゃと喰らい始める。まるで駄菓子のように。
 そんな牝獣の頭を撫でながら。雫は歌い続けた。
 完全新曲、ではない。芸名変更前のアルバム『ウィジャボードは教えてくれない』に収録されていた、知る人ぞ知る珍曲『UMA-Unidentified Mysterious 愛』の、セルフカバーと言うかリメイクである。
 純粋に、今の方が歌は上手い。歌唱力の訓練は欠かさなかったのだろう。例の号泣会見などネタ的に扱われがちな瀬名雫を、僕は少しだけ見直す気になった。
 歌いながら、と言うか上手に口パクをしながら、雫が鞭を振るっている。牝獣を、調教している。
 鞭を振るう動きが、そのままダンスになっているのだ。アクションも、なかなかのものだ。
 29歳にして一念発起し、本気でオカルト路線に復帰せんとしているのなら、しばらく見守ってやってもいい。僕は、そんな気分になっていた。
 調教を終えた雫と牝獣が、一緒にお風呂に入っている。堂々たる入浴シーンである。モザイクもボカシも無しに大事な部分を隠しきる編集テクニックは、脱帽ものだ。
 雑菌の塊のようだった牝獣が、凄まじい勢いで綺麗になってゆく。
 清潔になってみると、やはり美しい。想像を絶する美女、と言っていいだろう。劣情を掻き立てられるよりも先に、神々しさを感じてしまうほどだ。
 泡の中で戯れ続ける、2人というか1人と1匹。
 そんな動画の片隅に、謎めいたリンクが貼られている。
 もしかしたらウイルスか何か仕込まれているのかも知れないが、どうせ会社のパソコンである。こんな会社、システムダウンしようが乗っ取られようが情報を盗まれようが潰れようが、僕の知った事ではない。
 迷う事なく、僕はクリックをしていた。


 戯れの余韻の中で、イアルは正気に戻った。
 泡まみれのタイルに横たわったまま、雫はぐったりとしている。
 自分が彼女に何をしたのか、イアルはよく覚えていない。いや、思い出したくないだけかも知れない。
 とてつもなく恥ずかしい事をした、ような気がする。火照り、のようなものがイアルの全身にじんわりと残っている。
 自分は今まで、獣だったのだ。
「シズク……その、ねえ大丈夫?」
「大丈夫じゃない……あたし、イアルちゃんに……食べられちゃったよぉ……」
 まだ夢の中にいるかのような口調で漏らしながら、雫は涙を流していた。
「これで、本当に……さよなら、だね」
「シズク……」
 今度こそ、本当のお別れ。雫は、そんな事を言っていた。
 どうしても訊けなかった事が、1つある。
(ねえシズク……貴女の時代に、私は……いるの?)
 雫はすでに1度、イアルとの別離を経験しているのではないか。17歳から29歳までの、12年間のどこかで。
 今の雫にとっては過去、イアルにとっては未来である、12年間のどこかで。
 未来なら、いずれ来る。
 訊く事が出来ないままイアルは、泣きじゃくる雫をただ抱き締めた。