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Wish
「確かに応援を一人頼んだけどさ……」
無言のまま解錠されたオートロックを抜けたニノマエを出迎えたのは、氷のような青い瞳と、瞳と同様に冷えきった無表情だった。
「随分と先生に好かれてるようだね」
玄関先でニノマエを見据えた青霧ノゾミは、言葉尻に含みを持たせて言い放つ。屈強とは程遠い細身の身体からも、言外に威圧されているように思えた。心なしか、室内から漏れ出てくる空気も薄ら寒い。
ニノマエとて、上から頼まれた仕事だから今この場所に立っているのであって、なにも自ら率先してここを訪れたわけではない。だというのに、随分丁重なお出迎えだ。そう思う一方で、ノゾミの言葉尻に滲んだ不服の理由にもしっかり察しがついていた。つまり、彼に信頼されているのが気に食わない、ということだろう。
ニノマエに仕事を振った彼を、ノゾミは先生と呼び慕っている。だがそんなことはニノマエ自身にはどうでもいい話であり、嫉妬されても困る。と、口にすれば火蓋が落ちるのでやめておいた。
代わりに、
「文句を言うなら帰る」
と、ぶっきらぼうに言って返した。
応援を頼んだ張本人が不要と言うなら帰る以外にない。身に着けている高校生の制服はどうにも落ち着かず、この仕事が飛ぶのならさっさと帰って脱いでしまいたいくらいだった。
「……クリスマスなのに」
ノゾミは、ニノマエが片手に持っている竹刀袋に視線をやり、中を見通すようにすっと目を細めた。中身は普通の日本刀だ、なんて言わずとも通じているのだろう。
「喧嘩をするつもりはないよ。入って」
威圧を解いたノゾミが部屋に促す。そうしてようやっと、ニノマエは青霧ノゾミの『自宅』に入室を許された。
『現在、高校一年生。両親は海外赴任中。一人暮らしのノゾミを気づかって親戚の叔父や叔母が時折訪れる。その他、友達もそこそこ出入りしている』
これが研究所生まれのホムンクルスである青霧ノゾミに用意された、表向きの設定である。わかる連中にはバレているだろうが、まだ襲撃されたことはないらしい。
ニノマエが今日、落ち着かない制服に竹刀袋、カモフラージュのスポーツバッグまで背負ってこの部屋を訪れたのは、その『友達』に擬態するためだった。
ニノマエのように後天的に能力を獲得した者は別として、一般的にホムンクルスが研究所外にこういった隠れ蓑を用意することは稀である。その点、青霧ノゾミは例外中の例外と言っても過言ではない。理由は、『出来が良い』、その一点に尽きる。知識・能力共にずば抜けているのだ。
この部屋を筆頭に、他のホムンクルスと比べてかなり多くの自由を与えられている。必然テストケースに駆り出される機会も多々あるが、ノゾミはどの仕事に関しても存分にその能力を発揮している――と、まあ全て上からの受け売りであるが。
部屋に通されたニノマエに、適当に座ってて、と言い置いてノゾミが姿を消した。言われるままリビングのソファに腰を下ろしたニノマエは、今日の相棒である日本刀を竹刀袋の上から撫でる。武器庫からクレームが来るから極力壊すな、と言われているが、果たして今日はどうなるか。
そうこうしている内に、ノゾミはすぐにリビングに戻ってきた。着替えてきたようで、黒のパンツに黒のカットソー、手にはこれまた黒のナイロンジャケットを持っている。色白で黒髪のノゾミが全身黒ずくめの格好をすると、瞳の青だけがやけに鮮やかに見えた。
ニノマエの向かいに腰かけたノゾミは前置き抜きで早速仕事の話を始めた。
「今日の仕事だけど、港湾地区の有刺鉄線の向こう側。『国外』での仕事になるよ。僕らには内だの外だの関係ないから。そういう理由」
淡々と説明しながら、ノゾミがタブレット端末を操作する。差し出されたそれに目を落とせば、作戦ポイントの地図が表示されていた。
「船から降ろされると困る荷物の強奪が今回の仕事。強奪は他のチームが行う予定で僕らは時間稼ぎ」
なるほど、とニノマエは表情には出さず静かに得心していた。ノゾミほど出来の良いホムンクルスが応援を要請するとはどんな仕事だと訝っていたが、頭数が必要だったということだ。加えて、自身に声がかかった理由も合点がいった。
「貨物コンテナが置かれた入り組んだ場所での戦闘になる。僕ら二人で各個撃破だ、よろしくね」
「えらい棒読みで説明どうも」
言いながら端末をノゾミに返すと、入れ替わりにカナル型のイヤホンと小振りなモバイルルーターのような代物を渡される。
「通信機。試作機で、データを取って来いと言われてる」
盗聴防止のため特殊回線での通信になることや通信範囲はそう広くないが今回の作戦では問題ないことなどをノゾミが変わらぬ棒読みで説明してきたが、ニノマエは半分以上聞き流していた。要は、持っていれば良いということだ。
「壊さないでね」
ちくりと付け加えられた警告に、ニノマエは僅かに眉を顰める。皆、ニノマエに壊すなと言う。壊そうと思って壊している訳でもないのに。
そんなニノマエの心情など気にも留めず、時刻を確認したノゾミが窓の外に視線をやった。
「それじゃあ、行こうか」
ノゾミの視線の先、窓の外は、もうすっかり陽が落ちて夜の気配を漂わせていた。
港湾地区には夜の帳が下りている。
ニノマエは夜闇に目を凝らし、傍らに携えた日本刀の鞘を握り直した。貨物船の停泊ポイントからほど近いコンテナの陰に身を潜め息を殺していると、イヤホンからノゾミの声が聞こえてくる。
『そろそろだ。準備は』
「いつでも」
ノゾミから渡された試作機は、ノイズもなくかなりクリアに通信できている。耳穴に入れ込んだイヤホンは戦闘の邪魔にならず、接近戦闘が主のニノマエには好都合だ。ルーター様の装置は制服の前ポケットに突っ込んであるが、大してかさばらないから気にもならない。
ニノマエは己の呼吸を数え、聴覚に意識を集中させる。波の音、遠くに聞こえる機械音――潜めた息の向こうにそれらを聞きながら、ノゾミの合図を待つ。ターゲットの貨物船が到着したのか、にわかに人の話し声がニノマエの耳に届いた頃、ノゾミの合図が与えられた。
『GO』
「っしゃ」
コンテナの陰から飛び出したニノマエは、一目散に貨物船へ向かって走り出した。今し方船から降りてきたらしい人影が二つ、ニノマエの足音に気が付いたのか慌てた様子で身構えたその内の一つを、ニノマエは一閃で地面に倒した。
「クっ」
残りの一つが慌てふためきながら斬りかかってくるが、腰がすっかり引けてしまって全くなっていない。ニノマエは容易くそれを避け、一歩後退し距離を取った。
『わかってると思うけど』
「あァ??」
唐突にノゾミが声を飛ばしてくる。戦いの真っただ中だと言うのに、と舌打ちしそうになるニノマエに、ノゾミが続ける。
『僕らの仕事は時間稼ぎだ。あまりあっさり倒してしまったら敵が撤退してしまうかもしれない。適当にやらなきゃダメだろ』
「うるせえな。わーってるよ」
ニノマエはいきり立ちそうになる心を静めて相手に向き直った。急襲の後に出来た間合いで、相手がほんの少し落ち着きを取り戻している。幾度か打ち合いながら、ニノマエは相手を誘い出すように少しずつコンテナの群れへと戦いの場を移していった。
『まあ、上出来かな』
そりゃどうも、と心中で呟いたニノマエの耳に、僕も出るよ、とノゾミが告げる。ニノマエの視界の端に、今までどこに潜んでいたのか小さな黒い人影が映り、僅かに場の空気が冷え込んだ。
船に残る敵をノゾミが外へ誘い出し、船外へ降りてきた者は端から順にニノマエが相手をする。そうして積み荷の周辺を空にするという手筈だった。
そんな面倒なことなどせず、全員打ち倒してしまえば済む話ではないか、とニノマエには思われたが、それでは駄目なのだとノゾミは言っていた。積み荷を奪取するチームの安全を最優先するには無駄な犠牲は避けるべきだ、というのがノゾミの言い分だったが、ホムンクルスの言としては随分人道的ではないか。
そんなことを考えながら敵の戦意を半ば機械的に奪い続けていると、ノゾミから船内に残る人間はいないと通信が来る。
(なら、あいつで最後か)
打ち合っていた男を沈めたニノマエは、仲間の様子を見に来たらしい一際屈強そうな男に視線を移した。
(能力者か……?)
纏っている空気が、他とは明らかに違っている。男は丸腰で、ニノマエに気付くと屈強な体躯には似合わない速さでこちらへ駆けてきた。
グローブをはめた右手が打ち込まれる。刀で受けたニノマエはその一瞬で相手の力量を悟り相手の間合いから逃れるが、男はそれを読んでいたらしく続けて数度拳を打ち込んできた。刀身の軋む気配がする。
今日、この刀で何人切っただろう。このままこの男と戦い続ければ遅かれ早かれ刀は折れるに違いない。その前にケリをつけなければ。
相手の拳を避け、隙が出来た男の肩口に切先を突き刺す。が、――
(クソっ、誘われた)
男の両の拳が刀身に迫る。刀が砕かれる様が、スローモーションのようにニノマエの目に映った。
この距離なら、雷撃は効くはずだ。ニノマエは柄から離した右手の親指を噛み切りながら、自分と相手に帯電を開始した。
『ニノマエっ――』
ビ――――――――!!!!!!!
「くっ……」
突如、イヤホンから高音のエラー音が鳴り響く。
目の前の男はニノマエの雷撃で怯んでいるが、ニノマエも耳を劈くような異音で動きが鈍ってしまう。動きを制限しなくて良いと思っていたカナル型イヤホンが今は疎ましい。
ニノマエが耳元に手を伸ばした時、強い風が吹いた。冷たい風に制服がはためき、それから、音が消えた。
(なんだ……?)
目の前の男が派手な音を立てて倒れ込む。意味がわからず、ニノマエは当たりを見回す。そうして、自分の制服を――通信機を放り込んでいたポケットの辺りを、氷の針が突き刺していることに気が付いた。
イヤホンをつけていない左耳の鼓膜が、微かな物音を拾う。音のした方へ顔を向けると、小さな黒い人影があった。
コンテナの上からこちらを見下ろすノゾミの瞳だけが、青々と光っていた。
その後、別チームから作戦が完了したと連絡が入り、ニノマエとノゾミは揃ってその場を離脱した。
「完了しました」
並んで歩きながら、ノゾミは上司に報告の電話を入れている。ノゾミの声を聞き流していると、彼の口振りが急に重くなった。
「えっと……ごめんなさい、壊しちゃった」
通信機のことだ、とすぐに察しがついた。あの時ノゾミは、ニノマエがポケットに入れていた通信機を氷の針で壊すことで音を止めたのだ。ほんの短時間で、あれほど迅速かつ正確に対処したノゾミの能力には素直に感服するが、事が済んだのちの『詰めが甘いよ』の一言によって礼を言いそびれてしまった。
通信機はニノマエの雷撃によって誤作動を起こしたらしかった。その旨を簡単に説明したニノマエは、詳細は明日研究所で報告すると口にし電話を切ろうとする。
しかし、電話を切る前に僅かな躊躇いが生まれた。困った様子で何か言い淀んだノゾミは、表情を緩め微かに笑う。
「メリークリスマス」
さも愛おしげに呟いたノゾミが今度こそ通話を終了させた。その時にはもう、笑顔のかけらすら残されていなかった。
研究所に直帰するニノマエは、一度隠れ家に戻り報告書をまとめると言うノゾミと帰路を分かつ。
「じゃあ、おつかれさま」
「ああ、おつかれ」
相変わらずの棒読みで寄越された別れの挨拶に、同じようにおざなりな言葉を返したニノマエは踵を返した。
夜は更け、すっかり冷え込んだ暗闇に吐き出した息が白い。その白さに紛れるように、小さな粒が割り込んできた。
雪だ。
空を見上げると、雪が散らついている。ノゾミがやったのかと思い振り返ると、ノゾミも驚いた顔で空を見上げていた。
無言のまま、視線が絡む。作戦中は表情のようなものが殆どなかったノゾミだが、今はバツが悪そうにしている。
しばらく沈黙が続いた。そうしてノゾミは、電話の相手に告げたのと同じ言葉を口にした。口を尖らせ、いかにも居心地悪そうに。
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