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ヒトのモト
――ここは何処?
夢か現かと問われれば、
「その間」
とあたしは答える。
ここは海の広がる内面世界。
この海は氷が張るように冷たくもなれば、胎内のように生温くもなる。
いずれにしても海はカタチを変えながら、意識の隅に流れ着いたあたしを手招きする。
無邪気な子供を誘うみたいに。
ここにあたしはいるけど、足はなかった。
足は、溶けていた。
両足が太ももの所から混じり合って、一つの大きな肌色のカタマリになっていた。
(さっきまで足だった気がするけど)
(どうしてこんな姿に?)
己に問いかけてはみたけど、驚いてはいなかった。心の底では分かっていた。
あたしは少し前に、こう思った。
(人魚がヒトの始まりだったら、どんな感じなんだろう)
――理科の授業で進化の話を聞いたからだった。
ヒトは霊長類から進化したそうだ。
だけど、昔は色んな説があったらしい。ヒトは恐竜から進化したと言う人もいれば、魚から進化したなどと唱える人まで……。
(もしも、人魚からヒトが生まれたのだとしたら?)
ヒトが還っていく先が、人魚であるなら。
人魚はどんな生き物になるだろうか。
おとぎ話に出て来るような姿ではないだろうと思った。
人間に憧れるような、弱い存在ではありえない。
もっと力強く、大きく、命が震え出すようなおどろおどろしいモノだった筈だ。
下を見れば、足が、なかった。
ぐるぐる回る、意識の海の底へとあたしは呑まれていく。
生々しい肌色の下半身から、透き通った蒼色の鱗が生えてきた。
鱗たちは幾つも幾つも、メリメリと肌を突き破って顔を出すのだ。
最後の一枚まで鱗が出ると、それらは一斉に身を震わせた。まるで穢れを払うように。
鱗の生えた場所は、一つ一つが、細い針を刺されたように痛かった。
風船になったような気分だった。膨らみ過ぎて、小さな穴をたくさん開けられる、あたしという風船……。
あたしは呻いた。
叫びもした。
口の中に、生温かな海が流れ込んできた。
舌先に絡まった海のしっぽは、しょっぱかったけど、苦しくはなかった。
(当たり前のことよね)
(あたしは人魚なのだから)
もがいている身体とは裏腹に、あたしの意識は冷静だった。
そして残酷だった。
半透明の蒼い鱗は花が咲くように開いていった。
音なく広がっていくあたしの尾鰭。
幾重もの花びらが折り重なるようにして、命が開く。
膨張していく尾鰭と、渦を巻く海の咆哮。
それをあたしの意識が冷たく眺めていた。
深く深く、落ちていく中で、あたしの指先が舞った。
そこには黒ずんだ水掻きがあった。
海の声を聞く耳には、大きな鰭が生えていた。
――あたしは、弓のように身体を反らせる。
上半身も膨らみ続けていた。
大きくなる場所と、そうじゃない所があって、ぐんにゃりと歪んで膨らんでいくあたしの身体。
(萎んだりしないの?)
(ねえ、ねえ。こんなに膨らんで、萎んだりしないの?)
悪戯っ子のように繰り返して、あたしの心が騒いでいる。
(馬鹿言わないで。萎んでしまったら、死んでしまうの。あたしの身体なのに)
(あたしの身体だけど、あたしだけのモノじゃないわ。ヒトのモトなのよ。死んだって仕方がないじゃない。淘汰されただけ)
ああやっぱり、あたしの意識は残酷だ。
あたしの身体は落ちていく。
海の底へ。
鱗の花を開きながら。
膨らみ続けるカタマリの中で、そこだけが美しく。
穢れた海とくすんだ身体の中で、そこだけが蒼く輝いて。
開かれた鱗の隙間から、透明な粘液が流れ出ていた。
粘液は生温かな海をゆっくりと侵していった。
あたしは、落ちて、落ちて、落ちて。
――特に問題はないと思う。
ここは夢と現の間だから。
終。
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