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<東京怪談ノベル(シングル)>


決意の末路
 響・カスミは鏡幻龍に導かれ、夢の内でイアル・ミラールの過去をたどり続けた。
 数百年のほとんどを石となって過ごし、ほんの一時生身に戻されては汚され続け、穢され続ける王女の……あまりに酷い、生を。
『イアルを、助けたい』
 つぶやいたカスミに、イアルの姿を依り代とした鏡幻龍は笑み。
『イアルは救われてきたわ。これまでも、ずっと』
 王女の乳姉妹だった神官やアマゾネスのリーダー……イアルが生を取り戻すとき、運命に導かれるように現われる女たちの姿が浮かび上がった。そう、イアルを救い、そして失い続けた女たちの姿がだ。
 イアル王女の乳姉妹にして鏡幻龍の神官が涙をこぼし、言った。
『今度こそ』
 迷宮の奥底よりイアルの石像を地上へ運び出したアマゾネスが、苦悶の表情で言った。
『今度こそ』
 砂の国の呪術師がヴェールの奥で目を細めて言った。
『今度こそ』
 赤く焼けた肌を持つ考古学者がそばかすの散る頬をこすり、言った。
『今度こそ』
 女たちが口々に『今度こそ』と言葉を紡ぎながら、カスミの内に染み入ってきた。
 私は、こんなにたくさんの私の先にいる。そして、こんなにたくさんの私ができなかったことをしなくちゃいけない。
 できることなら次の自分に托してしまいたいと、そう思う。でも。
 私はイアルと同じ時間をいっしょに進む――今度こそ。
 カスミは心地よくて寂しい眠りを振り払い、目覚めた。


「鏡幻龍さん。イアルの石化、解くわよ」
 意を決したカスミが、家具をすべて片づけた居間の中央に置かれたイアルの石像と対峙する。
『危なくなったらすぐ石に戻すわ。あなたの指示は待たないから』
 イアルの内から応えた鏡幻龍にうなずいてみせ、カスミは牙を剥いたまま固まったイアルの口に、自らの唇を重ね合わせた。
 イアルの石の肌に生気が宿り、無機質の硬さが生物のやわらかさへと変じていく。
 そして。
「グォウ!」
 荒ぶる獣が再生した。
 魂に刻まれた“イアル・ミラール”の真名を損なうほど深く偽名を刻み込まれたイアルは、自らを“犬”だと信じ込むことでその体までもを獣のそれに変化させている。
「イアル!」
 すぐに襲いかかってこようとするイアルに、カスミが自らの姿を見せつけた。
 魔女結社のアジトの地下、下水道の死闘で犬となったイアルを傷つけ、石に封じた際につけていた、あのビキニアーマーを。
「グゥ」
 牙を剥いてカスミから後じさりながら、壁に首筋をこすりつけるイアル。
 それだけでなく、部屋の入り口付近を小水で丹念に汚し、すえた臭いを放たせる。これは自分のにおいをつけて縄張りを主張する、いわゆるマーキング行為。通常、雌が行うことはないはずなのだが。
『せめてもの抵抗なんでしょうけど……雌ばかりの群れにいたせいかしら』
 イアルの内で、鏡幻龍がため息混じりに言った。
「いいわよ。どうせリフォームしなくちゃいけないんだから」
 カスミは先の騒動であちらこちらに傷のついた壁を見やり、眉根を八の字に困らせた。
 それにしても。このビキニアーマーはもともとイアルのものだ。それすらも忘れ果て、恐れるばかりとは――石化することで呪いを封じ、癒やすという鏡幻龍の守護をもってしても、元のイアルに戻すことはできないのか。
「それでもあきらめないって決めたんだから。今度こそ、絶対に」
 と。
 ――スミ。カ……スミ。
 犬の唸り声の奥から響く、声。
「イアル? イアル!?」
 ――動……け、ない。わ、たし……カス、ミ……。
「鏡幻龍さん!!」
 カスミの意を察した鏡幻龍が、イアルを速やかに石化した。
「イアルの声が聞こえたわ。イアルは――呪いの奥にちゃんといる! 戻せる!」
 目を輝かせるカスミに、鏡幻龍は弱々しく言葉を返した。
『でも、力のほとんどを使えないわたしじゃ、今のイアルを解呪するのにどれくらいかかるか……せめて呪いがもう少しだけでも弱められれば』
 カスミは必死で思考を巡らせた。
 イアルの呪いを解くには鏡幻龍の力が必要だ。しかし、龍は乙女ならぬイアルの内では本来の力どころか、ある程度の力すら発揮できない。
 呪い自体を、解けぬまでも弱める。そのためにはどうすれば――
「――鏡幻龍さん。もう一度、私の中に来て」
『でもそうしたらイアルの解呪が』
「少しでも早くイアルの人生を取り戻して、イアルに進ませてあげたいの。だから――解呪の方法、訊きに行くわ」
『まさか、あそこに戻るつもり!?』
 カスミは両手を握り締め、力を込めてうなずいた。

 かくして今一度鏡幻龍をその身に宿したカスミは先を急ぐ。
 イアルを“犬”に堕とした魔女結社の本拠へ。
 イアルのみならず、カスミをも幾度となく罠にかけ、弄んできた、あの眼鏡の魔女の元へ。


 鏡幻龍は乙女の魂を守護し、そのためにこそ力を顕現させる。
「たあっ!」
 カスミが鏡幻龍の“石”で強化されたロングソードを一閃、メタルゴーレムを叩き斬った。
 その斬り終わりを狙い、別の魔女どもが杖を振るって雷を飛ばすが……カスミの前に沸き立つ靄に阻まれ、あっけなくかき消される。
『空気中の水分をわたしの“石”でコーティングした膜よ。守るだけじゃなくて、こんなこともできる』
 イアルの声で語った鏡幻龍は、石の膜を魔女どもへけしかけてその体を石化させ、カスミの内でうすく笑んだ。
『たいした魔力だけど、龍の本来の力に及ぶほどじゃなかったわね』
 そして眉根をしかめ。
『イアルが乙女だったら、魔女結社なんて輩に後れを取ることもなかったんだけど』
「イアルはイアルだからいいのよ。その分私が清らかな体を張ってるでしょう?」
 ビキニアーマーによって際立つ豊満な肢体を手のひらであおぎ、汗の熱を覚ましながらカスミが応えた。
『大台の見えてきた女が清らかって……』
「う」
 ――そういうのって巡り合わせだし! 巡り合わないことに焦って巡り合おうとしたってうまくいくはずないし! だから私はいいご縁があるまで待つわけで!
『そう思い続けて27年、よね』
 言い返せない。なにも、言い返せない……。
『でも、ありがとう』
「はいはい、これからしばらく穢れる予定もないから。安心して頼って――」
『イアルはイアルでいいって言ってくれて』
 カスミは応えず、先へ進む足にさらなる力を込めた。
「それにしても、眼鏡の魔女はどこにいるのかしら?」
 魔女結社のアジトたるホテルへ乗り込んで一時間余り。ずいぶん派手に暴れているはずなのに、眼鏡の魔女とは遭遇できていない。彼女の立ち位置的に、そこまで重鎮でもないはずなのに。
 憤るカスミに答えたのは、鏡幻龍ではなかった。
「鏡幻龍さんの予想は半分当たりで半分外れですね。鏡幻龍さんが乙女の体に宿るとどのくらいの力を使えるものなのか。それからカスミさん自身がどのくらい鏡幻龍さんの力を使いこなせるものなのか。あたしが見たかったのは、そのふたつですから」
 モノクルをふたつ繋げた眼鏡を鼻先から押し上げ、したり顔でうなずいたのは。
『眼鏡の魔女』
「どうもどうも。お探しいただいてたみたいですねぇ」
 チェシャ猫さながらのニヤニヤ笑いを貼りつけた顔を傾げ、眼鏡の魔女はくせの強いショートヘアを指で梳いて整えた。
「なんでしたらお茶でもどうです? もちろん薬は入れさせてもらいますけど」
「イアルの呪いを解いて」
 魔女の喉元に切っ先を突きつけ、カスミが低く言い放つ。
「と、言われましても。あたしはただの下っぱですんで。決定権とかないんですよねぇ」
「ただの下っぱが、同僚を見捨てて悠々登場できるはずないでしょう」
 カスミが魔女の喉に切っ先を押しつけた。その手が、刃が、細かに震えている。剣の重さと、決意がもたらす結果への恐れによって。
「……カスミさんってほんと、おもしろい人ですねぇ。音楽教師のくせに、たかが友だちのために人を殺す覚悟決めちゃうとか」
「イアルは“たかが”友だちなんかじゃないから」
 この命を賭けても取り戻したい、ただひとりの大切な人だから。
 眼鏡の魔女はニヤニヤ顔のまま大げさに考え込むふりをし、ゆっくりと言い放つ。
「みなさんおつかれさまです。あたしも命が惜しいんで、こっちはかまわず持ち場に帰っちゃってください」
 と。
『……わたしたちを囲んでた魔女が、退いたわ』
 鏡幻龍がカスミにささやきかけた。
 カスミもまた、鏡幻龍の感覚を通して感知した人間の気配が遠ざかっていくのを確かめ、小さくうなずく。
 カスミが落ち着いたことを見て取った魔女は「さて」と口を開き。
「イアルさんの呪いを解けってご命令ですけどね。これってかなり難しいんですよ。あたしはイアルさんの真名を削り落として偽名を刻みました。魂に刻みつけられてる真名を削るってどういうことか、ご存じですか?」
『魂の表面を、真名が消えるまで削る』
 憤りに熱せられた鏡幻龍の言葉に大きくうなずき、魔女は言葉を継いだ。
「そうです。ようは魂の深いとこまで浸透した真名を削るってのは、魂をそれだけ損なう行為なわけです。で、対処策ってのは、新しく刻んだ偽名を削って、跡しか残ってない真名を彫りなおす作業になるわけで」
「イアルの魂が、もっと傷つけられることになる――?」
 魔女が今度は青ざめたカスミに大きくうなずいてみせた。
「ただ、手がないわけじゃないんですけどねぇ」
 魔女は笑みを見たカスミは思った。
 悪魔が笑ったら、こんな顔をするんじゃないかと。


 カスミは今、自分のマンションに帰ってきている。
 その前には、カスミの剣を突きつけられたままの眼鏡の魔女。
「魔女を住処に招き入れるなんてねぇ。あたしなら絶対しませんけど」
「これしかないなら、こうするしかない。……早くして」
 居間の中央に置かれたイアルの石像を指し、カスミが唇を噛み締めた。
「御意。あたしにはやらせてもらえないでしょうから、鏡幻龍さんお願いしますよ」
 魔女に促された鏡幻龍がためらいながらカスミに訊いた。
『カスミ、ほんとにいいの?』
「大丈夫。私の魂はそれこそ傷ひとつない清らかなものなんでしょう?」
 イアルの魂をこれ以上損なうことなく真名を刻みなおす手について、眼鏡の魔女はこう語った。
 イアルさんと相性のいい人の魂をちょっともらって、イアルさんの魂を補強するんです。ようはイアルさんと因縁の深いカスミさんの魂をくださいってことですね。
「鏡幻龍さんが宿ってないイアルさんは、呪いに対抗する力もなくなってるんでしょう? ほっとけば偽名がそれだけ浸透しちゃいますよ」
 迷っている時間はない。
 カスミが鏡幻龍に合図し。
 鏡幻龍がカスミの魂をその霊力の爪で削ぎ落とした。
「!」
 損なってはいけないはずのなにかが失われる、たまらなく不快でおそろしい感覚がカスミを苛んだ。しかし、カスミは両足に力を込めてその責め苦に耐えた。
 ――イアル、もうすぐだから。もう少しで、あなたはあなたに戻れるから。
「鏡幻龍さん、カスミさんの魂をイアルさんの魂に」
 カスミの魂を抱えた鏡幻龍がイアルの内へ還りゆく。
 守護を失くしたカスミはアーマーの重さに耐えかね、膝をついた。先ほどの立ち回りの疲労に加え、魂を失ったダメージがその身にのしかかる。もう、動けない。
「偽名を削った上にカスミさんの魂を貼って、その上からイアル・ミラールの真名を彫りなおしますよ」
 繊細な術式を苦もなく編み上げ、魔女はイアルに処置を施していく。彼女がなにか細工しようとしても、鏡幻龍が速やかにイアルを護るだろう。なにも心配はいらない。いらないはずなのに……。
「これで完了です。鏡幻龍さんはイアルさんの魂からカスミさんの魂が剥がれないように押さえといてくださいね。2、3日でくっつくはずですんで」
 眼鏡の魔女がイアルからカスミへと視線を移し。
「そのままで結構ですんで、ちょっとお話しましょうか」
 魔女が膝をついたままのカスミの前へかがみ込んだ。
「あたしは言ったとおりの下っぱですけどね。まあ縁があってイアルさんのこと追っかけてきました」
 眼鏡の向こうで、魔女の両目がぐっと細められた。
「イアルさんと初めて会って400年くらいですか。それはそれとして、ひとつ気になることがありましてねぇ」
「400年? あなた……」
「そこは大事なとこじゃないんで置いといて。……あなた、戦士みたいで探検家みたいで、呪術師みたいでしたよ。完璧からは程遠かったですけど、そつのない対応ってやつでした。ただの音楽教師とは思えない感じでね」
 笑みを拡げながら、魔女がカスミにゆるやかな言葉に乗せて息を吹きかけた。
「イアルさんが石から解放されるとき、かならずそのきっかけを作る女がいます。その女は全員同じなんですよ、魂の色ってのがねぇ」
 酸味を含んだ甘いにおい……鏡幻龍の守護を失くしたカスミにはわからなかったが、それは魔女の編んだ催眠の術式だ。
「女の数は400年で20人以上。ありえない速度の輪廻転生ですよねぇ、神官さん?」
『カスミ! そいつの言葉を聞かないで!』
 石像の内から鏡幻龍の警告が飛んだ。
 しかし、疲労と苦痛、さらには術に捕らわれたカスミは反応すらできず、呆然と魔女を見つめるしかない。
『カスミ、心を強く持って!』
 カスミの体へ戻ろうとした鏡幻龍だったが、今動けばイアルとカスミの魂が剥がれ、イアルを元に戻せなくなる。カスミの決意が無駄になる。だから鏡幻龍は歯がみし、成り行きを見守るよりなかった。
「あなたは、いったい」
「ちょっと長生きしてるだけの研究職ですってば」
 そして。
 カスミを抱え込んだ眼鏡の魔女が、忽然と姿を消した。
『カスミ!! これじゃあなんのために……! イアル、目を覚まして! イアル!!』
 残された石像の内に、鏡幻龍の叫びが木霊する――