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<東京怪談ノベル(シングル)>


魂囚
『イアル、目を覚まして』
 イアル・ミラールの姿を映す鏡幻龍――かつて欧州の片隅にあった小国を守護した超越的存在――が、依代の主であるイアルを内から叩く。
 イアルの無二の友であり、魂の片翼である響・カスミは、他ならぬイアルを救うために魔女結社へ乗り込み、彼女に“犬”の偽名を刻み込んだ眼鏡の魔女を連行。イアルに真名を取り戻させた。そして……魔女結社の手に落ちた。
『イアル! イアル!』
 どれほど龍が呼びかけ揺さぶっても、イアルの血肉を封じる“石”はまるで解けることなく、彼女の魂は弱々しくかすれた声をあげるだけ。
 ……カスミ……カスミ……
 そんなときだった。
「イアル?」
 居間の戸口から、イアルとカスミの新たな家族となった少女が、おずおずと顔を出したのは。
 鏡幻龍の石化の守護は、乙女の口づけにより解かれる。
 少女の無垢なる口づけで生身を取り戻したイアルは、取るものも取りあえずカスミを追おうとしたが――
『今飛び出して行ってもまた捕まるのがオチよ。行くなら今度こそ今までの流れを繰り返さないよう考えた後よ』
 同じ顔、同じ声の鏡幻龍にたしなめられる。
「そんな臭い体で飛び出してったら、途中で捕まっちゃうかも」
 鼻を隠して言う少女の顔を見て、イアルはあらためて自分の体を見下ろした。
 先ほどまで犬だった彼女が自らなすりつけ、重ねてきた汚れと臭いを。
 それに、いつもこうして飛び出して行っては、捕らえられてきた。魔女結社に打ち勝つためには、これまでとはちがう手が必要だ。


「あの眼鏡の魔女、何者なのかしら」
 少女の手も借りて汚れをこすり落としながら、イアルは内の鏡幻龍に疑問を投げた。
『わからない。でも、国を亡くしたわたしたちを陥れた呪い師があの女なら……長生きが過ぎるわね』
 モノクルをふたつ繋げた眼鏡をかけた魔女。鏡幻龍が見たところ、魔力は高いが達人には程遠く、知識はあっても天才の格はない、ありがちな秀才なのだが。
『ともあれわたしたちだけじゃ、魔女結社どころか眼鏡の魔女にも対抗できない。向こうは万全の準備をして待ち受けてるんだから。それを噛み砕けるだけの攻撃力が必要よ』
 イアルはうなずき、ふと顔を上げて。
「それより、いつまでわたしの真似してるわけ? 自分と相談って、すごくさみしい感じなんだけど」
『威厳とか古式ゆかしさとか、回りくどいでしょう? それにあなた、見かけだけは龍の姫君っぽくて人受けがいいし』
「なによそれ!? 内面はどうなのよ内面は!!」
 憤るイアル。
 鏡幻龍は冗談めかした口調をふとあらためて。
『わたしには、無垢な乙女じゃないあなたの心を探ることができない。力のほとんどを顕現させることもできないの。……わたしが力を振るえたら』
 こんなバッドエンドは許さなかった。
 龍が噛み殺した言葉の続きを思い、イアルはうなだれた。
 なぜ自分は乙女ではないのか。
 王女というだけで犯され、穢され、堕とされてきた。それはもう、運命というよりない。でも。自分の運命に、大事な人を巻き込んでしまっていることが、たまらなく辛いのだ。
「わたしの剣だけで魔女の企みを斬り払えないなら、それを斬り抜けて先へ進めるだけの剣を、力を集めるわ」
 イアルは湯船に身を沈め、全身に力を込めた。手段はもう選ばない。プライドもこだわりも捨てて、目的を果たすことだけを考える。
 今度こそ、あなたの一生を取り戻してみせるから。
「――カスミ」


 イアルが名を呼んだ、そのころ。
 カスミは魔女結社の日本本部であるホテルのスイートルームにいた。
 四肢を絹で捕らわれ、大の字に拘束されたその体に、魔女どもが群がる。
「あっ、っ、く、ひっ」
 丹念に体毛を抜き取られた肌、そこに吹きこぼれた汗と蜜をついばまれ、自分ではけして触れられない奥に、秘薬をなすりつけた指が潜り込む。
 未知の快楽に跳ねた体はすぐに魔女どもの腕にからめとられ、固められたあげくにまたついばまれた。
「っ――」
 声をあげることすらも忘れ果て、すすり泣くカスミの唇を、食らいつくように貪った魔女が部屋の隅に目をやった。
「本当に奪ってしまってはいけないの? これほどの体を投げ与えておいて、おあずけは酷くない?」
 眼鏡の魔女は「まあまあ」と魔女を制し。
「イアルさんと“縁”で結ばれた貴重な被験体ってだけじゃなく、希に見る『無垢の魂』の持ち主ですからね。穢しちゃうと純度が下がります」
 イアルにカスミの魂の一部を移植した際、眼鏡の魔女はその手で確かめていた。
 カスミの魂が、普通に生きてきた人間のそれとは思えないほど無垢で純粋――言ってしまえば清らかであるのだと。
 このような魂は希少だ。イアルのように縁の深い相手だけでなく、誰にでも移植できる。死んでいこうとしている誰かに命を継ぎ足すことが――いや、そんなことはどうでもいい。
 最重要なのは、彼女の魂が無垢であるがゆえ、他の鋳型へはめ込んでも容易にその形へ変わるだろうということだ。
 通常、魂が輪廻するサイクルはどれほど早くても数百年。ちがう器に収まるためには、それだけの時間をかけて魂を変形させていく必要があるのだ。しかし。
 ――下手すれば十数年ごとに転生してきたカスミさんの秘密、どうやらそのへんにありそうですしねぇ。
 輪廻転生という神の領域へ手を差し込む。その可能性をぶら下げられて飛びつかない研究者がいるものか!
「……イアルさんみたいな魔力源にはなりませんけどね。魔女の業の粋ってのを味わわせてあげてください」
 魔女どもは不服そうに鼻を鳴らし、それでもカスミの体にからみついていった。
「――! ――っ!」
 芯に芯を重ね合わされ、すり潰される快楽に、カスミが高く鳴き叫び、泣いわめいた。
「やれやれですねぇ」
 眼鏡の魔女はレンズをかろうじて支える鼻先を掻き、甘い媚香と嬌声とで満ちる部屋を抜け出した。においや音ではなく、剥き出しにされた“欲”の浅ましさに耐えかねて。
 そも、欲というやつは深淵だ。
 満たそうとなにかをそそぐほどに餓え、もっともっととわめきだす。金も情欲も権力も魔力も、いくらくれてやったところで満ち満ちることなどないのだ。
 それがわかっているからこそ、眼鏡の魔女は中庸を心がけて生きてきたのだが。
 ――まあ、あたしも同類じゃありますけどね。偉そうなことは言えません。
 カスミが充分に蕩けたら、そこから彼女の宴が始まるのだ。


 虚ろな目を上に向け、甘い息を吐くカスミに眼鏡の魔女が声をかけた。
「同性殺しの方々にお願いした甲斐がありました。すみませんね、あたしはそっち方面に明るくなくて」
 耳に入ってなどいないだろうことを知りながら、魔女は語り続ける。
「ここ、下水道の先をちょっと“曲げて”繋いだ空間なんですよ」
 ほの明るい空の下、地平まで拡がる青い海。
 そのほとりの砂浜に、魔女とカスミはいた。
 それこそどこかのビーチに見えなくもないが、ある場所をそのまま切り取って封じた閉鎖空間なのだ。
「ここに棲んでる方々は知らないことですけどね」
 魔女はカスミの体にまんべんなく、どろりとした秘薬をかけた。
「今かけたのは変装薬ってやつです。浴びた人が念じたままに変形する、人工皮膚みたいな効果を発揮する薬ですね。特製でもなんでもない、ごくごくありふれたやつですよ」
 魔女の指先が術式を編む。
 すでに一度、カスミの魂には触れている。手触りも構成も、指が憶えている。だから術式のメスをもって、ぼやけているカスミの真名に偽名を上書きする程度は一分もかからない。
「普通は変装で終わる。でも、魂を形ごと変えるあなたなら――それだけでは終わりませんよねぇ?」
 どくり。カスミの魂が跳ねた。無垢だからこそ特定の形に捕らわれず、どのような器にも収まることのできる魂が、偽名を信じて変形していく。
 薬を吸った両脚から鱗が沸き出し、互いに繋がって大きな足ヒレを伸ばした魚身へと変じた。
 内臓が変化し、気管もまた海水を濾して酸素を取り入れるものへと変化し、人ではありえない水棲の体構造が完成した。
「薬が呼び水になるとは思ってましたけど、ここまで早い時間で変化しますか」
 魔女が嘆息し、口の端を吊り上げた。
 その視線の先に横たわるのは、カスミの顔をした女ならぬ人魚姫だった。


 なぜ自分が浜に打ち上げられていたのか、彼女は憶えていない。
 それどころか、自分が何者であるかもおぼろげだ。
 はっきりわかっているのは、この海に現われた天敵の目をかいくぐり、自らを姫とあおぐ仲間の元へ還らなければならないことだけ。
 生来備えているはずのヒレをぎこちなく動かし、彼女は深海へ――仲間のにおいがする底へ――人魚の集落へと急ぐ。