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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


夜の向こう
「じゃあ、行ってくるわね」
 素材や加工品が綺麗に梱包され、陳列された魔法薬屋の戸口。古式ゆかしいインバネスコートをまとい、シリューナ・リュクテイアは笑みを振り向けた。
「はい! お姉様のお留守はしっかりがっちり私が守りますから!」
 シリューナに自分の胸をどんと叩いてみせ、痛みにうずくまるファルス・ティレイラ。
「あっ、疑いの目で見るのやめてくーだーさーいーっ!」
 わーっとティレイラにまとわりつかれながら、シリューナは小さくため息をついた。
 今日は商工会の会合が徹夜で行われる日――単なる温泉での慰安会なのだが。しかし、扱う商材はともかく他と同じように店を構えている以上、近所づきあいをおろそかにはできない。どれほど弟子が不安でも。どれだけ妹分が心配でも。
「信じてるわよ? 知らない人から渡された菓子を食べないとか、寝ぼけながら夜食を用意しようとして左手を切断しないとか」
「……あの、私に対するお姉様の信用って、何歳児レベルなんでしょうか?」
 指を4本立てかけたシリューナはふと迷い、最終的には親指を加えた5本を示した。
「信用が薄い! それに気づかいが――痛いっ」
 よろめくティレイラに、シリューナはやれやれ、かぶりを振って。
「安全な場所から見ているだけなら、どじっ娘もかわいいんだけど」
 身内にいるからシャレにならないのよねぇ。
 シリューナの口パクを正確に読み取ったティレイラがまた絶望した。
「見えてます! 見えてますから! もっとこっそり気づかってくださいーっ!」
「読唇術って、妙なスキルだけ上がってきたわね……。まあ、料理するなら明るいうちに。あと、新しく入荷した素材、鼠を惹きつける性質があるみたいだから注意しておいて」
 ティレイラはくわっと顔を上げ、両手を胸の前でぐっと握り締めた。
「帰ってきたお姉様が見るのは、今日このときとなんにも変わらないお店とお家の姿ですよ。そしたら思い出してくださいね。平穏を守り抜いたのは、他でもない私なんだって」
 留守番ってそんなにドラマチックなミッションだったかしら? 首を傾げながらもシリューナは店を後にし、営業用の笑顔で商工会の中高年を蕩かしつつ、温泉宿の名前が貼りつけられたマイクロバスに乗り込むのだった。
 ちなみに、道中しつこく勧められたカラオケをシリューナが歌ったのか? それは永遠の謎である。

「いらっしゃいませー!」
「こちら、眠り香が3点になりますね。ありがとうございます!」
「ただいまうかがいます! 喜んでー!」
「え、お菓子いただけるんですか!? お菓子だけ――じゃなくて。お気持ちだけ、いただき、ます……」
 ティレイラの元気な声が、広くもない店内に乱反射する。
 最後のお客をお見送りし、定時ぴったりに看板を撤収した彼女は、レジ台の隅でちぎった生キャベツにごま油をかけまわし、塩昆布を乗せた居酒屋お通しメニューをつつきながら息をついた。
「お店のほうはこれでよし。今日届いた荷物の仕分けして、例のブツを確認して、かるくお掃除して、お風呂入って仮眠! 完璧!」
 先ほどのメニューに、火の魔法でローストした鶏胸肉の裂いたやつを加えてぱくり。うん、微妙に焦げ目のついた肉に、ごま油の風味と塩昆布の塩分がいい感じで効いておいしい。
「ほんとは普通にお料理できるんですけどね。今日はたまたま、簡単メニューになっちゃっただけなんですよ」
 今ごろは鮮度もなにもないマグロの刺身などつまみながら、ビールを注いだり注がれたりしているだろうシリューナへ言い訳してみる。
 が。
「ほんとにそうなのかな?」
 そつも隙もないシリューナが、いつまでも人間どもに捕まっているとは考えにくい。おっさんのチャージを角が立たないようかわしつつ、落ち着ける場所へ逃げたのだとすればその先は――
「――女湯の、温泉だよね」
 こうしてはいられない。
 ティレイラは猛烈な勢いで夕飯を平らげ、風呂場へ駆けた。
 たとえいる場所はちがっても、せめて同じ状況に! 乙女特有の妄想力で、ティレイラはひとりぼっちの夜をぶっちぎる。


「シリさんもう1杯! あそれもう1本!」
「さりげなくグラスが瓶になってますなぁ! こんな綺麗な人酔わせてどうする気ですか御老体!?」
「ご内儀には言わないぎ? なんつってな!」
「うはははぶべごっふぉ!!」
「あれ、咳き込むほど笑えるかぁ? おーいママさん、おしぼりちょうだいおしぼり」
 温泉宿の息がかかったスナックで、シリューナはおっさんとじいさんに取り巻かれて水割に口をつけていた。
 ――迂闊だったわ。ただの人間に、竜たる私が封じ込められるなんて。
 酒で理性を都合よくゆるめた酔っ払いは連携し、異様な洞察力と執拗さをもってシリューナの言葉や動作を先回り。彼女をけして逃がさない。
 だがしかし!
 シリューナは愛想笑いの下で術式を展開。男たちの水割のアルコール濃度をじりじりと押し上げていた。
 彼らのグラス内の液体は、もうそろそろアルコール度数30を越える。全員潰れるのは時間の問題だ。
 ――ティレは今ごろお風呂にでも入っているのかしらね。
 唯一楽しみにしていた温泉に彼女がつかれるまでには、もう少し時間がかかるだろう。


「リラックス以外の効能がないのはさびしいとこだけど」
 少しでも温泉に近づけたくてティレイラが投入したのは、とっておきのバスボールだ。
「でも気は心って言うもんね。私のリラックス、お姉様に届け〜」
 湯船の中からみゅんみゅん、怪しい気を放つティレイラ。なんだか今夜は調子がいい。これなら行ける。届けられる。
 みゅんみゅんみゅんみゅん、みゅ?
 思わず放出してしまっていた魔力に、なにかが当たった。無機質ではない、有機質ななにかが。
 自分の魔力をたどり、“なにか”の位置を特定すると、そこはまちがいなく倉庫だった。
「……これってまさか、ネズミ?」
 そんなはずがない。魔力に反応するもの、それすなわち魔力。この世界のネズミが魔力など持ち合わせているものか。
「ネズミじゃないネズミ――!」
 魔力を備えた泥棒が、倉庫にいるということだ。
 ティレイラはそっと湯船から出た。緊急事態だが、音をたててはいけない。服を着るのはあきらめ、バスタオルだけをはおって、つま先立ちで現場へ急行した。

 朝から誰も近づいていないはずの倉庫から、ぼんやりと赤い光が漏れ出していた。魔力の灯だ。
 ティレイラは万が一にも転ばないよう足元を確かめつつ前進。戸口に貼りつき、内をうかがうと。
 いた。
 例のブツ……ネズミを惹きつける性質があるというあれをナップザックに放り込んでいる、魔族の少女が。
 ――私の魔力に気づかなかったってことは、感知系の魔法が得意じゃないんだ。泥棒なんてしてるくらいだから回復系でもないだろうし……やっぱり戦闘系?
 とはいえ、考え込んでいる猶予はない。
 留守番を完遂し、今日と同じ明日をシリューナに見せつけるため、泥棒は絶対に退治しなければならないのだ。
 1、2の――3!
 炎を鎧さながら全身にまとい、「どろぼーっ!!」、ティレイラが少女へ跳びかかった。
「熱っつー!!」
 横からしがみついてきた重さと熱。不意を突かれた少女は床に押し倒される。
「ちょっとアンタなによ!?」、仰向けに転がされ、うろたえる少女。
「泥棒に跳びかかる泥棒なんていないでしょ!」、少女の両手首をつかんでのしかかるティレイラ。
「げ。店の奴」、少女は顔をしかめ。
「ボッコボコにしたげるんだから覚悟してね!」、ティレイラは息巻いた。
 少女はばたばたもがくが……小柄なティレイラよりもさらに小柄な彼女は、ろくに動けもしない。下から魔法弾を撃とうとするが、呪句も唱えられず、印も結べないこの状況ではただの悪あがきだ。
 と。圧倒的優位に立ったティレイラは考えてしまった。
 この泥棒を拘束し、シリューナに見せたりできたら……ご褒美なんかもらえたりするんじゃないかな!?
「ちょ、待った待った! 熱いって! 降参降参!!」
「わかればいいのよ、わかれば。おとなしくね。いいわね?」
 少しだけ少女を押さえつけた手の力をゆるめた、そのとき。
「あっさりあきらめる程度の気合じゃ泥棒なんかできないよ」
 蛇のように体をくねらせ、ティレイラの下から這い出した少女がそのあたりにあったものをつかんで投げつけた――
「わわっ」
 ――少女の手を離れる前に、ティレイラが危うくキャッチした。
 倉庫にあるものは薬の素材もしくはシリューナの鑑定を待つ依頼品だ。そして素材でない以上、これは後者。素材は最悪金で補えるが、依頼品を損なえば金よりも信用を失う。シリューナの名に、泥を塗ってしまう。
「そんなことさせないんだからぁ!」
 ティレイラは依頼品をひしと抱きしめ、そして気づいた。自分が抱えているものが、石化の呪を込められた鏡“メデューサの眼”であることに。
「そのままじっとしてろ!」
 ティレイラの動きが止まった隙に逃走をはかる少女。
「待ちなさい! 力を貸して“メデューサ”!!」
 この魔法薬屋がどのような場所か、少女は知っている。だからこそ貴種な素材が入荷したタイミングで女主人たる竜が留守にする今夜、ここへ忍び込んだのだ。
 だから、振り向いてしまった。
 そして。
「「あれ?」」
 なにも起こらなかった。
“メデューサの眼”は使い手の魔力で発動し、対象者の魔力を石へと置き換えていく呪いのアイテムだ。それが発動しないということは、つまり。
「……アンタさぁ、呪具使えないとか、魔法の才能ないんじゃね?」
「うう」
 少女は落ち込むティレイラを残し、盗品の詰まったザックを手に悠々と倉庫から逃げていく。
「ああっ! 私のご褒美ぃ!」
 床に鏡を置いて後を追いかけようとしたティレイラの背に、ぱしゃん。冷たいなにかが弾けた。
「え?」
「ったく、いらない手間かけさせさせるんじゃないよ」
 振り返れば見覚えのない女が苦い顔を戸口に向け、ため息をついていた。あの少女とよく似た女はもちろん魔族。親子という歳の開きはなさそうなので、姉?
 いやそんなことよりも。薄く伸ばして球にした水晶と、液体。この組み合わせはあれだ。
 ――液状水晶!
 水晶を秘術で液化し、薬の材料や他の薬の器として加工するためのもの。空気に触れると速やかに固形化するが。
「毒とかじゃないし!」
 ティレイラが女に跳びかかった。大事な素材、盗られちゃった……せめて泥棒ひとりだけでも捕まえなくちゃ!!
 水晶が固まってバリバリになったバスタオルが、ティレイラの体からごとりと落ちた。火の守りもすでに消火してしまっている。彼女の身を守るものは、先ほどまでつかっていた湯のぬくもりだけ。それでも!
「まだやるのかい? 面倒な子だねぇ」
 女の魔法弾がティレイラを打つ。打撃力で制圧したいんだろうが、無駄だ。
「痛いのはガマン! 辛いのもガマン!」
 胃から逆流しそうになるものを悲鳴といっしょに飲み込んで、ティレイラはありったけの魔力を自分の体に巡らせて打ちかかる。
「たぁぁぁぁぁっ!」
 火炎をまとった右ストレートが女の胸に突き立った。
 あえて顔は狙わなかった。初手はどこでもいいからとにかく当てて、硬直させるのが目的だからだ。ティレイラの思惑どおり、打たれた女は息を詰めて動きを止めた。
「ドラゴンテイル!!」
 左フックを叩き込むと見せかけて半回転。たっぷりと遠心力を乗せた尾で女の脚を払う。
「っ!?」
 宙を舞う女の体。そこへ。
「これが本命よ!」
 今度こそ、魔力と膂力と遠心力で加速した左拳を女の顎に打ちつけた。
「ちぃ!」
 半ば失神しながらも、女はティレイラの左腕にしがみついた。
「離して――わあっ」
 バランスを崩し、女ごと倒れるティレイラ。女の腕を振り解こうとするが、女は魔力で強化した握力をもって離れない。ダメージが回復するまで追撃を防ごうというのだろう。
「負けないんだから!」
 ティレイラもまた魔力を燃え立たせて対抗し。
 ふたりはからみあったままつかみ合い、殴り合い、転がりまわった。そして。
 置きっ放しになっていた“メデューサの眼”の上に、乗ってしまった。
「あ?」
「え?」
 ふたりの魔力に呼応し、呪いが発動した。
「やばいやばいやばいからーっ!」
「そんなこと言われたってどうすりゃいいんだい!?」
「転がって! 右右右!」
 なかよく息を合わせて転がり、鏡の上から脱出するティレイラと女。が、天井に向けられた鏡の面からは逃げられたが、すでにかけられた分の呪いは振り解けない。
「ちょっと、手が! 動かないんだけどぉ!?」
「魔力が濃いところに反応してる――って、なんで水晶!?」
 ふたりの体が水晶の膜に包まれ、固められていく。鏡の呪いは石化のはず。なのになぜ?
「……さっきの水晶が過反応したんだ」
 水晶と魔法の相性は最高だ。中途半端に発動した呪いを、ティレイラの体に付着し、絡み合ううちに女へもすりつけられた液化水晶が吸ってくれたのだろう。それはいい。石像にならずにすんだのだから。
「でも、結局固まっちまうんだったら同じじゃないのさ!」
「解呪とかは!? 泥棒なんだからそういうの得意でしょ!?」
「ワタシの得意は罠も番人もまとめてぶっ壊す系なんだよぉ!」
「脳筋! 泥棒のくせいにぃ!」
「半人前に言われたくないねぇ!!」
 互いにののしり合いながら、水晶と互いから逃れるべくふたりはあがく。しかしその攻撃に乗せた魔力はもれなく水晶に吸い取られ、より強固な膜と化したそれに体を包み込まれていった。
「あ」
 立ち回りで火照った体が水晶に冷やされる心地よさ。ティレイラは思わず息をついて――絡み合う水晶像の半身と化した。


「なんとも凄惨な有様だったわね……」
 昼過ぎ、魔法薬屋の戸口についたシリューナはげんなりとつぶやいた。
 シリューナとの「あわよくば」を夢見て迫り来る男どもを飲ませて潰す作戦は成功した。その後温泉も堪能した。
 問題は、その次の朝だった。
 上から下から(描写規制)や(描写規制)を噴射し続ける男のただ中、宿の用意してくれた朝食をせめて自分だけでもといただき、本来予定されていたスケジュールを無理矢理にこなして屍どもをバスに蹴り込み、地獄のような数時間を過ごしてきたのだ。
「次はもう少しやりかたを考えないと」
 ドアのノブに手をかけ、鍵がかかっていることに気づく。本来ならとっくに開店していなければならない時間なのに。
 眉をひそめて魔法で解錠、内へ踏み込めば、そこにティレイラの姿はなかった。
「倉庫で番をする気で寝過ごしたなんてありえ……るわね」
 普通にはありえないことをやらかしてのける。それこそがどじっ娘というものだ。
 かくして倉庫へ向かったシリューナの行く手を塞いだものは、手足を石化されて弱々しくもがいている魔族の少女だった。
「あ、アンタ。これ。なんとかして……」
 対象者の魔力を石に変換する呪い――能力の詳細を確認してほしいと持ち込まれた“メデューサの眼”を見てしまったのか。が、あの鏡はもともとが盾として造られたもので、発動者が必要となる。
 ――ティレね。
 ティレイラは魔力量こそ高いが、それを使いこなす業が荒い。中途半端に作動させてしまって、時間差で対象者の末端部だけを石化させてしまったというところだろう。
「ようするにあなた、盗賊ってわけね」
「そう! そうだしあやまるし反省してるし!」
「報いは後で考えるわ。その前に、返してもらうわよ」
 横に落ちていたナップザックを拾い上げ、中身を確認。例の素材が詰まっているが、損傷はなし。
 シリューナは少女を置き去り、さらに倉庫へと歩を進め、そして複雑に絡み合った水晶像と対面した。
「石呪のにおいがする水晶……液化水晶かしら? これは予想もしなかった反応式だわ」
 水晶像を成す術式を読み解き、シリューナはうなずいた。
 ――それにしても、ずいぶんとがんばったようね。
 盗賊の片割れだろう女から離れようとしているらしいティレイラ。でもその体は女の動きのことごとくを邪魔していて、彼女が絶対に盗賊を捕まえるのだと奮闘していたことが窺い知れた。
「ご褒美は……社員旅行の温泉なんかどうかしらね」
 でもその前に。
「このたまらない疲れを癒やしてもらわないと、ね」

 シリューナは作業卓の上にコーヒーミルを置き、豆を挽く。今日の選択はトラジャ。酸味がなく、コクが深い品種だ。深煎りしたそれを少し粗めに挽いた一杯は、疲れた体をいい感じで目覚めさせてくれるだろう。温泉饅頭の餡ともよく合う。
 白磁のカップに満たしたコーヒーを舌で味わい、ティレイラの感触を指で味わう。
 不思議なものだ。水晶の奥に、やわらかな肌の質感を感じる。膜の薄さもあるだろうが、少々の隔壁など通り越えて伝わるほど、ティレイラの生命力は強いのだ。その証拠に、ティレイラと絡んだ女からはなにひとつ、匂い立つものがない。
 命を封じることに取り憑かれる芸術家や魔道師が多いのもうなずけるわね。でも。
 彼らは半分しか理解していない。どのような方法で封じたとしても、いずれ解放されて再び輝くことがわかっているからこそ、命とはこれほどに美しく、愛おしいのだと。
 ――だから私はこのときを愛でる。
 ティレイラの肢体が描く、瑞々しくも妖しい筆線を。また動き出せるときをうずうずと待ちわびる表情の儚さを。
 すぐに熱し、すぐに冷める男の情欲とはまるでちがう、魂の奥底から静かに染み出してくる微熱を湛えた指を、シリューナは飽きることなくティレイラへと這わせた。
 コーヒーが1度、また1度、冷めていく。
 シリューナはそんなことに気づくこともなく、ただティレイラを――女という台座を得ることによって形作られたティレイラという名の表現を味わい尽くす。

 あと少しだけ……私だけのものでいて、ティレ。