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<東京怪談ノベル(シングル)>


交差点
 私立神聖都学園には“此彼”最強のアイドルがいる。
 此とは此の岸で、つまりは現世。彼とは彼の岸、ようは冥府。
 とはいえ彼女に霊能力があるかは不明なのだが……世間ではオカルト系アイドルとして、学園では怪奇探検クラブの副部長として走り続けるSHIZUKUは、今日もオカルティックゾーンへ突撃する。

「このへんのはずなんだけど――さすがは噂になるだけのことあるよね。ぜんっぜん、見つかんない!」
 住宅地図を表示したスマホに高い声を吹き込みながら、SHIZUKUはかわいらしい顔をきゅっとしかめた。ちなみに録音するのは後で記事を作成するためだ。
 なんの変哲もない街中の小路のはずなのに、なぜかどこにも行き着けない。入口へは簡単に戻れても、先へ進もうとするといつの間にか横路に迷い込み、元いた場所へ吐き出されて終わる。
「街の音はちゃんと聞こえるし、人が歩いてないわけでもないのに、あるはずのブティックは見つかんない。これってちょっと、すっごくおかしくない?」
 SHIZUKUは画面にあるオカルト系ホームページを表示し、掲示板をスクロール。クラブ活動用に、それ系のホームページでネタを漁っている途中で見つけた書き込みを映し出した。
『○○街の小路に、行こうとしても見つけられないブティックがあるって噂。場所もだいたいわかってるのに、俺も見つけられなかった』
 ここには同じような書き込みが多数あるのだが、SHIZUKUが目をつけたのは彼らの性別だ。
 全員、オトコなんだよねぇ。
 ブティックと言うからには、対象客層は女性のはず。この手の掲示板には自称・霊感高い系の女子も多い。なのになぜか女の書き込みはなく、男ばかりが騒いでいる。
 そのへんがなんともリアル。
 だから彼女はブティックの存在を疑わない。在るのだ。ただ、そこに行ける条件が整っていないだけで。
 さて。どうしよっか。SHIZUKUは考える。
「行こうとするからダメ? じゃあ、行きたくないって思ってみたら? ――実験開始! あー行きたくない。噂のブティックになんか行きたくないわー」
 録音しながら、また闇雲に歩いてみた。
 結果は空振り。先ほどまでと同じように小路の入口まで戻された彼女は「もーっ!」と頬を膨らませ、また考える。
「天下無敵のアイドル様が行きたいって言ってるでしょ! どうぞおいでくださいってのがスジなんじゃないの!?」
 と。
 空気が、変わった。
 街の音が、質のよくないスピーカーを通したようにキンキンと反響し、景色は薄いフィルターごしに見るような微妙さでぼやける。
 今なら、行ける。オカルトのただ中で大立ち回りを演じてきたSHIZUKUは確信。そして。
「小路の入口でアイドルだって言うと行けるっぽい」
 スマホにささやきかけ、SHIZUKUは慎重に一歩、踏み出した。


 地図に示されたその場所にブティックがあった。
 どんなブランドを扱っているのかはわからないが、黒を基調にした、よく見かけるようななんでもない店だ。
「いらっしゃいませ」
 シックな服装の若い女店員が会釈してくる。
 拍子抜けしながら、SHIZUKUはそろっと声をかけた。
「……この店探してたんだけど、なかなか見つかんなくて。なんでかなって」
「オーナーの趣味でやっているお店ですので、宣伝していませんからね」
「いやいや。だって地図見ながら来てるんだよ? おかしくない?」
「そういえば――見つかりにくいとはよく聞きますね。私なんか毎日通勤していますから、よくわからないんですけど」
 店員の笑顔は崩れず、言葉も自然のラインから外れない。
 でも。だからこそ怪しい。
 とはいえ、一気にいろいろ聞き出そうとすればこちらが怪しまれるだろう。客のふりをして店を探り、証拠になりそうなものを見つけてから畳みかけよう。
 ――こういうとき、軍資金に困んないのがアイドルのいいとこよね。
 SHIZUKUはそれほど広くもない店内の中、自分が手に取ってもおかしく見えない服を探してみることにした。

 服のラインナップはロリータまで行かないゴシック調。多いのは黒だが、白もある。値段もバカみたいには高くなく、怪しいほどに安くもない。
 ――これ、ステージ衣装に使えそうじゃない?
 SHIZUKUが手に取ったのは白のドレス。デザインも縫製も申し分なかった。
「よろしければご試着をどうぞ」
 カーテンではなく、鍵のかかるドアを備えた広めの試着室をすすめられた。
 一応は警戒しつつ、SHIZUKUは試着室へ踏み込み、鍵をかけた。外に鍵穴がないのは確認してある。床はコンクリートがみっしり詰まった感じ。壁は盗撮防止のためだろうか、天井と床とにしっかりと接合されていた。
 よし。特にしかけは見当たらない。天井はやけに高いので探りようがなかったが、継ぎ目ひとつ見当たらないし、圧迫感がないのはありがたい。
 安心して身につけた白ドレスは思ったとおり、いい感じにSHIZUKUのかわいらしさを引き立ててくれた。黒系のメイクを合わせればギャップも演出できるだろう。
「サイズはいかがですか?」
 室の外から店員。
「ぴったり。これ、どこのブランド? ちょっと契約とかしたいかも」
「この店の服はすべてオリジナルですが。SHIZUKU様にご契約いただけたら、特別なお客様もお喜びになりますよ」
「え? あたしの名前、知って」
 ――るんだ。最後の3音はどろりとしたものに塞がれて消えた。
 試着室の天井から、凄まじい速度で黒い粘液が染み出してくる。
 試着室が、見る間に粘液で埋められていく。
「ちょ、な、これ、臭っ! なに」
 あわててドアの鍵を開けようとするSHIZUKUだったが。
 ――壊れてる!?
 いくら回しても、逆に回してみても空回りするばかり。
 それだけではない。臭い粘液を浴びた体はぎちぎちと音を立て、動きを鈍らせていくのだ。
「なによこれ!?」
「うちで製造しているコールタールです。青銅が配合されていまして、簡単にブロンズ像を造ることができるということで売れ筋の商品ですね」
 多分、壁の向こうの店員は笑んでいるのだろう。
 その間にもコールタールは試着室を満たし続け、白ドレスを黒く汚し、SHIZUKUを固めていく。
「これからSHIZUKU様を2階の展示室にお運びします。1階は女性のみご入店いただける場所で、2階は男性のみご入店いただける場所になっていますので。いい方にお買い上げいただけるといいですね」
 SHIZUKUは悟る。
 あの掲示板にこの店についての女性の書き込みが存在しないのは、行き着いた女性がひとりとして戻れなかったからなのだと。
 そして今までは客だったはずの自分が、このときから商品として扱われ、客の前に並べられるのだということを。


 SHIZUKU失踪。
 その話題は世間で広く取り上げられた。
 さまざまな憶測が飛び交い、“失踪直前”の目撃情報が語られ、騙られたが――いつしかネットの片隅でぽつりぽつりと見かける程度のネタと成り果てた。
「もうずいぶんとあなたの話題も下火になりましたね。しかし……アイドルなのですから、もう少しいい表情で固まってほしかったところですよ」
 3ヶ月後の状況をSHIZUKUの像に語って聞かせながら、店員は渋いため息をつく。
 あのアイドルのブロンズ像ということで、早々に上客へ売り渡せるものと思っていたのに、今なおSHIZUKUは展示室の真ん中で立ち尽くしたままだ。
 理由は単純。彼女の表情が恐怖に怯える美少女のそれではなく、今にも反吐を吐きそうなしかめっ面なせいで、嗜虐心に満ちた顧客の興を削いでいるから。
 もっとも、SHIZUKUの内心は表情とは裏腹だった。
 当然だ。体は固められていても心はそのままに保たせられている。固められるときには確かに燃え立っていたはずの怒りもとうに冷め、今はいつ誰に売り飛ばされるかもわからない恐怖に震えていた。
 いっそ狂ってしまえれば楽なのに、とも思う。しかし、彼女のまわりには同じようにブロンズ像とされた少女たちがいる。言葉こそ交わせずとも、かすかな揺れや気配で心を感じることはできる。そのことが彼女を正気に繋ぎ止めていた。
 でもこのままじゃ……誰か、助けて。


『魔女結社のアジトでまちがいないと思う』
 イアル・ミラールの内に宿る鏡幻龍が、彼女と同じ声でそう告げた。
「そうね」
 魔女結社に捕らわれた親友の行方を追うイアルは、その準備を進めると同時にできるかぎりの情報収集を行ってきた。そしてインターネットの中で、魔女結社に繋がると思しき情報の断片をようやく見つけ出したのだった。
 すなわち、普通には行き着くことのできないブティックと、そこを目ざしたアイドルが失踪したという話題を。
「ここにいる可能性は低いだろうけど」
『次に繋がる情報が得られるかもしれない』
 今、魔女結社の本拠地へ乗り込んだところでどうにもならない。それを悟るだけの失敗を繰り返してきた。だから。
『悩むよりも行きましょう。たとえ無駄足に終わっても、結社の資金源をひとつ潰すことはできるしね』
「ええ。――って、わたしの真似、そろそろ本気で止めてくれない?」
『真摯に受け止めて熟考の末検討するわ』
「……」


 動き出してしまえば早かった。
 ネットのまとめサイトに記された住所をたどり、イアルは問題の小路へ足を踏み入れる。
『……魔術のにおいがする。単純な人払いの術ね』
「解除できる?」
『あなたが乙女だったらね』
「そう言われても……」
『こういう常時発生型の魔術はアイテムを使うことが多いわ。地面を探ってみて』
 鏡幻龍の言葉を受け、イアルは慎重に路へと視線を巡らせた。アスファルトのどこかに、不自然な場所が――
「あそこだけアスファルトが切り取られてる」
『素手で触ると危険よ。剣で掘って』
 イアルは魔法銀のロングソードを召還し、その切っ先をアスファルトの切れ目の奥へ突き込み、探り当てた。
『そのまま壊して』
 かくして人払いの術を解いたイアルはまっすぐ歩き出す。

 ブティックはすぐに見つかった。
 ドアを蹴り破り、踏み込んだイアルは店員――魔女と向かい合う。
「招かれてもいないのにごめんなさい。こんな手口で女性をさらうんだから、魔女結社の人でまちがってないわよね?」
「残念ながらそうですね、イアル・ミラールさん。今、あなたと関わらなければならない命令は受けていないのですが……ただお帰りいただくのもなんですね」
 店員の言葉が終わると同時に、天井からコールタールが染み出し、イアルへ降りかかった。
 思考するよりも先に、イアルが身を床へ投げた。転がる間にコートを脱ぎ去り、ビキニアーマーを晒した彼女はタールの飛沫を呼び出した盾で止める。
「このにおい……!」
「そうですよ。あなたを固めていたものの改良版です。ですからこんなこともできる」
 床に拡がったコールタールが寄り集まり、人型を成した。
『タールゴーレムというわけね』
 この力があればこそ、試着室を満たしたはずのタールも綺麗に片づいたのだが、ともあれ。タールゴーレムがイアルを捕らえようと迫る。
 振り込まれた左のゴーレムの拳を内側から盾で叩き、その反動を利して右へ踏み出したイアルは、その肩口へ切っ先を突き込み、片腕を斬り落とした。
 べちゃりと落ちた腕がタールを振り撒くが、イアルの足はすでに床を蹴っている。
「はっ!」
 跳躍したイアルが宙で反転、片腕を失くしてバランスを崩したゴーレムの首を薙ぐ。
 あえて皮一枚残した状態で斬った頭部がぶらりと体から垂れ下がり、重さに耐えかねて下へ落ちた。
「これなら無闇に飛び散らせずにすむわ」
 着地したイアルは悠然と落ちた頭部の額をブーツの踵で踏み抜き、タールに刻まれた魔法言語を壊した。
「雷よ!」
 イアルの背後に回っていた店員の短杖から雷が放たれた。
 体をひねってそれをかわしたイアルが、剣刃をお返し。
 店員もまた一歩下がって刃から逃れる。
「体術も使えるのね」
「ブロンズ像を運ぶことも多いですからね。魔法より得意です」
「なら」
 イアルは盾を前に掲げて踏み出した。
 シールドバッシュとそれに連動する切っ先を警戒した店員が、雷を撃ちながらイアルの左側へ回り込む。
 それを盾の正面で受けながら、イアルは盾の位置はそのままに体を前へ運ぶ。
 店員はそれに気づかないまま、さらに左へ――
 ここでイアルが縮めていた腕を伸ばし、盾の縁で店員の顎をかち上げた。
「!」
 直前で直撃を避けた店員だったが、体が反り、結果、立ち位置を固定された。
 その足の甲へ、イアルが青銅化したタールで固められたブーツの踵を叩きつける。骨が砕ける湿った音が響き、店員が「ぎ!」、硬直。
「本物の戦士と戦うのは初めてだったみたいね」
『か弱い女を陥れるだけの輩だもの』
 店員のこめかみを剣の柄頭で叩いたイアルと鏡幻龍がうなずき合った。

 店員から有益な情報は得られなかったが、タールの中和剤を手に入れることはできた。
 2階の展示室へ上がったイアルは、中和剤を陳列されていたブロンズ像へ振りかけ、染みこませていく。
「最後はこの子――って、SHIZUKUさん?」
 像がかすかに揺れる。どうやら肯定しているようだ。
『まだ売られずに残っていたのね。まあ、この顔じゃあね』
 鏡幻龍のあきれた声に、像が先ほどより大きく揺れた。
 そしてブロンズから解放された瞬間。
「アイドルになんてこと言うのよ臭っ!! あたし臭っ!! おフロおフロおフローっ!!」
 像だったころよりも激しい顔で、甲高く叫んだのだった。


「この借りはあとで絶対返すから! 胸んとこがブッカブカの服とか貸してくれた恨みもね……」
 イアルの住むマンションで風呂を使ったSHIZUKUは、借り物の服に絶望しながらそう告げた。
 ただそれだけの出逢いと別れになるかと思われたが、それだけでは終わらないことを、このときのふたりはまだ知らなかった。