コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


三顧
 髪の先から、制服の隙間から、肌の隅からあふれ出す、重いムスクの香り。
「おーい。ダメとは言わんけどな、つけすぎは」
「あーはいはいー。応援ありがと次週をお楽しみにー」
 すれちがいざま、鼻をひくつかせた教師を適当にやり過ごし、SHIZUKUは神聖都学園の廊下を早足で抜けていく。
 心からはまだ、数ヶ月もの間彼女を押し固めていたコールタールの臭いが抜けきっていない。ことあるごとに鼻の奥で蘇るあの激臭から逃れたくて、SHIZUKUは今もムスクのトワレを重ねがけているのだが、さておき。
 SHIZUKUが在籍する怪奇探検クラブ。そのホームページの掲示板に、こんな書き込みがあったのだ。
『第四美術室に見慣れない石像が増えてるって噂』
 有名というほどではない、美術部の定番ネタ。
 しかし最近、掲示板ではこの話題が妙な盛り上がりを見せている。
『姉の友だちの友だちが――』
『卒業生の先輩から聞いた――』
『知り合いの家族が――』
 噂でしかなかったものに、“関係者”が現われ始めたのだ。
 ひとりの関係者を呼び水に、ぽつりぽつりと集まる関係者たちの証言。そしてついに『3年前に学園内で失踪した美術部員の弟』が登場し、この話を不思議話から怪奇事件へと昇格させた。
 ――裏は取った。例の弟の姉、ほんとに消えてる。それに。
 この学園の七不思議のひとつに、“泣く石像”なる話がある。人知れず姿を消した女子生徒が数年後、石像となって美術室に現われ、我が身の不幸を嘆いて泣くというのだ。
 ――どっちも美術室発信の話で、似てるとこも多い。気にならないわけないよね。
 ここ2回の経験で、本物の怪異と関わるためには距離感が大事だと学んだ。
 怪異を直接どうにかできる力がないのは認める。だから代わりに、まわりから怪異の隠れている暗がりを削り、真相をさらけ出してやるのだ。

 しかし。
 SHIZUKUの調査はあっさりと行き詰まる。
 第四美術室を始め、学園内に点在する美術室はもれなく潰したのに、肝心の石像がどこにもない。
 現役退役問わず、連絡のとれる美術部員と全員会って話を聞いてみた。だが“弟”のもの以上の話は出てこない。
 SHIZUKUは放課後の部室の内で独り、まとめた情報を確認しながら歯がみする。
 ――前のときは家出した子たち、助けらんなかった。でも、石像が消えちゃった生徒なら……あたしとおんなじ、生きたまま像にされてるんなら……
「今度は助けられるかもじゃない」
 だからもう一回、最初から。
 完全下校時間まであと40分。美術室に残ってる部員の中で、まだ話を聞けていない誰かを訪ねるには充分な時間だ。
 SHIZUKUは手鏡にメイクの具合を映し、おかしく見えていないことを確認。部室を飛び出した。


「話?」
 第四美術室の作業卓で石膏粘土をこねていた女子生徒が顔を振り向けた。
 表情は真面目で固く、いかにも美術部員といった感じ。
「あー、ハジメマシテだよね? あたしSHIZUKUっていうんだけど、知らない?」
 SHIZUKUは務めて明るい声を弾ませた。第四美術室へ来たのは、部室からいちばん近かったからなのだが、噂の本拠地でまだ話を聞いていなかった美術部員に会えたのは思わぬ幸運だった。
「アイドルの人でしょう? 名前くらいは知ってるわよ」
「じゃ、あたしの身元は証明できたってことで。……あたしね、美術部に伝わってるっていう“泣く石像”の話、調べてて」
 女子生徒はかすかに眉を跳ね上げた。これは完璧。なにか知っている顔。
「なにか知らない? っていうか、知ってるよね? 勝手に名前出したりしないし、約束したことはちゃんと守るから」
「知ってるってほどじゃ、ないけど」
 渋る女子生徒。できれば話したくないって顔。でも、「できれば」は「絶対」じゃない。話していい気になってもらうには、こっちも隠してるカード切らなくちゃだよね。
「……バカみたいなこと言うよ。あたしさ、石像になっちゃってる人のこと、助けたいんだよね。泣くってことは生きてる。アタマおかしくなってもない。だから、まだ間に合うんじゃないかって」
 SHIZUKUの真剣な言葉に、女子生徒はため息をつき。
「……座って。飲み物持ってくるわ」

「いただきまーす」
 よく冷えたマンゴージュースのグラスに口をつけ、SHIZUKUはとろみのある甘い液体を飲み下した。出されたものに手をつけないのがビジネスマナーだが、信頼を得るには積極的に食べて飲む。これがレポーター仕事で得た彼女の持論だった。
「とろっとろでうまい! 南国ハンパないねー」
 その様子を見て安心したのか、女子生徒がかすかに口の端を吊り上げ、うなずいた。
 よし、掴んだ! 好印象を与えられたと確信したSHIZUKUは、時間を置かずに本題へ。
「で。例の“石像”の話なんだけど」
「――香水、ちょっと濃いわね」
「え? やー、ちょっといろいろあってねー」
「香水でごまかしてるのね」
「は?」
「私、よく知ってるのよ。だってそのコールタールの臭い、うちで扱ってる商材の臭いだから」
 びくり。SHIZUKUが体を強ばらせるが――やけに重くて動かない。まるで内臓に石を流し込まれたかのように。
「美術部員の数は数えてなかったのね。あなたはもう、現役部員の全員に会ってるの。ああ、幽霊部員がいるから、計算をまちがえるのもしかたないか」
 苦く鼻を刺すあの臭いが脳裏に蘇る。コールタールで固められ、ブロンズ像として過ごしたあの時間が。
 逃げようと必死で両脚を動かすが、ギチギチときしむばかりでうまく動かない。たまらなく重い。
 床にゴトリと落ちたSHIZUKUは思い出したくなかった過去を噛み締める。
 冷たい目で価値を計られ、蔑まれて置き去られる屈辱。
 いつそれらの目に見初められ、どことも知れぬ場所へ連れ去られるのかという恐怖。
 その目が自分を見捨てるときを、命尽きるまで怯え続けなければならなくなるのだという絶望。
 それを知っているからこそ、生ける石像を助けたかった。
 充分に距離を取って、怪異に当たっているつもりだった。
 しかし。怪異とはそれ単体で発現するばかりのものではないこと、仕掛けている誰かがいる可能性を、彼女はまるで考えていなかったのだ。
「同じ仕事をしていたブティックの同僚が粛清されたの。大事な資金源を潰した責任をとらされてね」
「オ……なジ、し、ゴ……ト?」
 SHIZUKUが固まりゆく喉から絞り出した疑問に、女子生徒は不機嫌な顔で答えた。
「うちの主力商品はね、生きたまま像にした女なのよ。同僚は街で、私はこの学園で、それぞれ商品の製造を任されてた」
 SHIZUKUを引き起こした女子生徒が、少しずつ関節を曲げ伸ばしさせながらポーズをとらせ、表情を指先で整える。
「あなた、ブティックにいたんでしょ? だったらわかるわよね、私がどうしてあなたに話してあげたか」
 わかりすぎるほどわかっている。
 ブロンズならぬ石の像として、自分が今度こそ売られていくことを。
 像にできることは真実を語ることならず、夜にただ、むせび泣くことだけなのだと。


 敵に捕らわれた親友を救い出すべく準備を進めていたイアル・ミラールの元に、先日の“白い女”を巡る騒ぎで知り合ったテレビ番組の製作会社から連絡が入った。
「デビューの話はお断り――それじゃなくて?」
 話によれば、SHIZUKUとまた連絡が取れなくなったのだという。
 そしてそうなったときには、所属事務所ではなくイアルへ連絡してほしいと。
 とりあえず製作会社が把握している限りの情報を聞き出し、通話を切ったイアルは深いため息をつく。
「今度は学校から帰ってこないって……またなにかやらかしたのかしら」
 彼女の内に在る守護者――イアル自身の姿を写し取って模す鏡幻龍が、肩をすくめて言葉を返す。
『それ以外に考えられる? あの子はすごく無鉄砲で……すごくやさしい子よ』
「――そうね」
 SHIZUKUが七不思議に挑んだのは、話に聞いたという“弟”の姉や、石像に変えられた少女たちを救いたいからこそだろう。……生来のオカルト趣味が作用していることもまちがいないが。
『状況があのブティックと似ているのは気になるわね』
「魔女結社が絡んでいるとすれば、辻褄も合う」
 どうであれ急がなければ。
 イアルは手早く戦闘用のビキニアーマーを着込み、
『さすがにコートだけ羽織っていくわけにいかないわよ。行き先は学校なんだから』
「あ」


 親友のクローゼットから借り出したスーツをまとい、イアルは神聖都学園へと踏み込んだ。
 時間は昼前。3時間めの授業が行われている最中だ。
『時間割は確認してきたわね?』
「ええ。今の時間、第四美術室には誰もいない」
 学園案内図を写したスマホ画面を見ながら、第四美術室を探す。
 SHIZUKUのスマホが見つかったのは校門前だそうだが、彼女が作動させていたGPSが停止したのは第四美術室。だから彼女の身になにかが起こったのは、そこでまちがいない。
 そしておそらくは今もそこにいて、ほとぼりが冷めるのを待たされている。敵が学園関係者になりすましているなら、見とがめられるようなことはしないはずだから。
「相手が手練れの魔女だったら関係なく運ばれてるでしょうけど」
『GPSをごまかす結界も張れない程度よ。そこまでの心配はいらないわ――イアル、もっと猫背にならないと破けるわよ』
 鏡幻龍の言うとおり、胸部アーマーの端がシャツにこすれ、いやな音をたてていた。もし破れてしまったら、なかなかに言い訳のできない有様を晒してしまう。
「猫背のほうが怪しいし、言い訳できなくない? ただでさえコスプレなのに」
『破けたら言い訳もできなくなるけど?』
 そんなやりとりをしつつ、イアルは第四美術室へたどりついた。
 表情を引き締め、息を静かに吸い、細く吐く。
 呼気の流れが不自然にねじ曲がる。
 誰もいないはずの美術室に、誰かがいる。
「見つけた」
 イアルが声をかけると、なにもないはずの空間がわずかに跳ねた。
「それは嘘だけど、今、ほんとに見つけたわ」
 イアルの右手に召還された魔法銀のロングソードが空気を高く薙いだ。
 乙女ならぬイアルには、鏡幻龍の守護の力を引き出すことがほぼできない。魔法銀の助けを借りて、ようやくごくごく微量の力を得られる程度なのだが――今はそれで充分だ。
「っ!」
 隠れ身の魔法を斬り払われ、女子生徒が姿を露わした。
『当然、生徒なんかじゃないわよね。化粧直しの時間は必要かしら?』
 制服を着てはいたが、女子生徒の顔はどう見ても20代半ば過ぎである。
「イアル・ミラール! 友の仇!」
 魔女が取り出した小瓶から液体を振りまいた。それはすぐに気化して空気に紛れ、消える。
『魔法薬ね。効果はわからないけど』
「時間をかけずに倒すわ」
 言い放つと同時に、イアルが魔女へ剣を突き込んだ。
 魔女は尻餅をついてそれをかわし、床を這って逃げ惑う。
「剣からいちばん遠い場所に逃げるとか……逃げ慣れすぎてない?」
 イアルは挑発しながら切っ先を閃かせるが、魔女は無様に、それでいて確実によけ続けた。
『――イアル、動きが鈍ってる!』
 気がつけば、魔女を追う手足の先がやけに重くなっていた。この感覚は、そうだ。
「石化……!?」
 ついにはスローモーションの域にまで動きを鈍らせたイアルに、立ち上がった魔女が獰猛な笑みを見せた。
「飲んでよし、吸ってよしの石化薬よ。あなたはここで殺す。結社の都合なんか知ったことじゃないしね!」
 魔女の手に灯った炎が刃を成し、イアルの首筋へと伸びる。
『――呪いを浄化する。あとはわかるわね?』
 鏡幻龍が鋭く告げた。
 龍はイアルの身を侵すあらゆるものを、石化によって浄化する。
 とはいえこの状況では、敵の石化攻撃を受け続けるのと同じ結果になってしまうのではないか。
「そういうことね」
 しかしイアルは笑み、鏡幻龍の石化を受け入れた。
 魔女の石化薬を押し退け、速やかに龍の守護がイアルを石へと変えていく。
「自分から石になるなんて! カケラも残さずに砕いてあげるわよ!」
 高笑う魔女の体に、硬化して重量を増したイアルの体が覆い被さった。
「なにを――」
 イアルの石の唇が、魔女のそれに重なった。
 そして。
「乙女の口づけでわたしの石化は解かれる。……よかったわ。魔女のくせに乙女でいてくれて」
 魔女の世界は女だけで成り立つため、同性で番う者が多い。それゆえの幸いではあったが。生身を取り戻したイアルは、返事を待つことなく魔女の心臓を刺し貫いた。


 さまざまな石像が立ち並ぶ美術準備室の片隅から、鼻をつくコールタールの臭いと、それを覆い隠すムスクの匂いが流れ出ていた。
「SHIZUKU、そこにいるのね」
 コトリ。小さな音が応える。
 イアルは魔女が携えていた解石薬を、臭いと匂いと音の発信源へ、迷わず振りかけた。


「事務所にばれちゃう前に助かって助かったー!」
 SHIZUKUが大きく伸びをしながら声をはずませた。
『いいかげん、こういうことに首突っ込むのはやめたら?』
 鏡幻龍の言葉にSHIZUKUはムっと眉をしかめ。
「すぐ近くにオカルトがあって、助けられるかもしれない誰かがいるんだよ!? や、結局助けてもらっちゃったし、誰も助けらんなかったけど」
 SHIZUKUの声も手も震えていた。限りない恐怖と、それを割って噴き上がる憤りとで。
「やばいことしてるなってのはわかってるし、平気なんかじゃないけど……負けてらんないから」
「負けてられない……そうね。負けられない。わたしも」
 イアルもまた救うべき親友への想いを胸に、強くつぶやくのだった。