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紫竜は甘くて苦い
ファルス・ティレイラは冬が嫌いだ。
なぜならクリスマス、大晦日、正月、バレンタインデー……彼女の師匠であり、姉的存在であるシリューナ・リュクテイアの魔法薬屋に、にわか客が次々と押し寄せるから。
そして今は2月。ゆえに店内は、チョコレートに混ぜ込むための怪しげな素材を求める女子(年齢的、性別的な自称含む)でいっぱいいっぱい。そればかりか。
「男子の心にだけ効く媚薬ってどれですか!?」
「心はとりあえずむしろ体に効く媚薬――!!」
「うちチョコ作れないんでデリバリーして」
「チョコレート味のプロテインは」
こんな輩ばかりなのだ。
「店内にないものは売ってませんっていうか非合法ドラッグなんか置いてませんから! チョコ制作費とデリバリーは超別料金っ! プロテインはジムか薬局でよろしくどうぞーっ!!」
身勝手な女子どもを気力と物理的腕力で押し返しながら、ティレイラは今日も叫び倒すのだった。
「……あの、お姉様」
レジカウンターに突っ伏したティレイラが、卓と顔の隙間からジト目でシリューナを見た。
「なに?」
チョコレートの苦みに負けないよう、強いボディにさわやかな香をつけたフレーバーティーを試飲するシリューナ。
「チョコレートそのものより、チョコレートケーキとセットにしてもらうほうがいいかしらね。さっそく商工会に中継ぎしてもらって――」
「おねえさまぁあああああああ」
ひしとシリューナの脚にしがみつくティレイラ。行かせない。ここから一歩も、行かせない!
「私っ! ありもしない便利ドラッグの販売員役させられるのもうイヤですぅぅぅぅぅ!」
シリューナは静かにティレイラの泣き顔を見下ろし、薄笑みを浮かべた。
「ティレ、あなたは魔法使いの弟子よね?」
「は、はい」
「師匠からあなたに、新たな魔法の呪文を授けるわ」
「はい?」
「『そのような効果も期待できるかと思います』。――こう言うだけで、女子の心は都合よく昂ぶるわ」
これは……商品をとにかく売りつけるためだけにあれこれごまかした、嘘ではないが真実であろうはずのない詭弁。
「お姉様は悪徳商人ですうううううううう!!」
のけぞって絶叫した拍子に、ティレイラがシリューナの脚から手をすべらせ、後ろへ倒れた。そして、ごちり。カウンターの足に後頭部がめり込む。
「――っ! わあっ」
衝撃で、カウンターの上からなにかが落ちてきた。
ティレイラが反射的に顔の前へかぶせた腕に、予想外の軽い衝撃がぽこりと跳ねた。
「え? なに?」
宙ではっしと掴み取ったそれは。
綺麗にラッピングされた小さな箱だった。
「なんでしょう、これ?」
リボンの間に差し込まれたメッセージカードを発見、ティレイラがそれを見ると、『お仕事お疲れ様です! 疲れたときに開けてみてください』。
「お姉様じゃ、ないですよね?」
「残念ながらね。……ティレ、開けてみて」
魔力感知でマジックトラップの類いがないかを確認したシリューナは、念を入れて解呪の術式を編み出した。となれば、実際開ける役は必然的にティレイラとなる。
「3、2、1、開けます!」
3でリボンを解き、2でラッピング用紙を外し、1でフタに手をかけ、合図とともに開けた。
「……飴ですね」
箱の内に詰められていたものは、とりどりに色づけられたボンボンだった。
「カードの差出人――チョコレート素材をお願いした会社の担当さんだわ」
ボンボンの隅に収められていたもう一枚の手紙には、担当者の名前とともにもう一文、書き加えられている。
この箱は魔法職人の持ち込み品で、開けた人を内側の小世界に招待するもの――一種の魔法本です。チョコレート世界ではありませんのでバレンタイン商品にはなりませんが……よろしければご試用いただき、ご感想などいただけましたら幸いです。
「ようは体のいい実験台ってわけね」
シリューナは肩をすくめたが。
「疲れたときは甘いものですよね! チョコじゃないとこがまたいい感じですー!」
チョコレート戦争に疲れた弟子が、わくわくしながらダイブする準備を完了。
「まあ、危険もなさそうだし。悪徳商人でも店員の福利厚生に気を配るのは務めだものね」
かくしてシリューナとティレイラは箱の内へと引き込まれていった。
「見渡す限り、飴ね」
西欧の街角を模しているらしい飴細工の世界を、シリューナは興味深げに見回した。
ストロベリーキャンディの赤煉瓦を敷いた路、ミントキャンディの白い塀、ハニーキャンディの土壁をそよ風に晒して建つ寺院。とにもかくにも、すべてが飴だ。
「18世紀の建築様式を頑なに守っているあたり、職人のこだわりね……残念なのは対象顧客層が見えてこないところかしら」
造形の隅々を確かめ、シリューナは首を傾げた。
「お姉様、私あっちのほう見て来ます!」
風の甘い匂いに引っぱられ、ティレイラが駆け出した。
「商品モニターなんだから、食べてみるなら少しずつ、いろいろな種類をよ」
「わかってますー!」
葉の代わりに飴細工がかけられたコーヒーキャンディ製の街路樹から、さっそく枝を1本いただき。ティレイラは街を跳ねるように行く。
「おいしい!」
キャンディの苦甘さが、ティレイラの荒んだ心をほろりと癒やす。
お菓子はやっぱりいいものだ。チョコレートは、今はちょっとだけ、遠慮したい気分だけれども。
「甘くて幸せ。でも、ほかの人たちがいっぱいいたらもっと楽しいよねー」
せっかくの街に自分ひとりしかいないのは、贅沢だがやっぱり寂しい。
コーラキャンディの扉に飾られたブランデーボンボンをつまんで口に放り込み、ティレイラはよしと両手を握った。
「いっぱい食べてレポして商品化してもらって! みんなでいっしょにキャンディパーティーしちゃおう!」
そしたら私、呪文いっぱい唱えて売りまくっちゃうんだからー! ソーダキャンディ色の空の下、ティレイラのキャンディファイトが幕を開けた。
「サンドイッチとか、フライドポテトとか? しょっぱい口なおしが欲しいです……」
公園のベンチ――カラメリゼしたナッツを固めたプラリネ製――に腰を下ろし、ティレイラは甘いため息をついた。
友だちとならおしゃべりしながらつまむ等々、食べかたにもコントロールが効いただろうが、おひとり様なせいで食べるしかなく、味のちがいはあれキャンディはキャンディで……。
ここまで食べ抜いてきてわかったことは、「独りお菓子が楽しいのは最初だけ」ってことだ。
だから、ティレイラがシリューナのことを思い出すのも必然だった。
「――お姉様、どこにいるんだろ?」
もしかすればまだ初期位置で調査しているかもしれない。
水場で水を飲もうとして、出てきたのが水飴だったからあきらめて、ティレイラがシリューナを探しに行こうとした、そのとき。
キュキュキュ。
固い飴をこすり合わせるような音がした。
「?」
音がした水場の裏をのぞきこんでみると、そこにいたのは丸っこくてぽよぽよした、水飴製のスライム。
「えっと、この世界の子かな?」
キュキュ。水飴の中に収まった大きなキャンディふたつをこすって応えるスライム。まあまあ、かわいいと言えなくもない。
「お水っていうか水飴、飲みたいの?」
キュ!
うん、さっきよりかわいく見えてきた。
蛇口をひねって水飴を垂らしてやると、スライムはうれしげにその下で口らしきものを開けた。
「じゃ、私行くね。あんまり飲み過ぎちゃダメだよ」
と。
ティレイラが身構えた。
今の今までなかったはずの気配が、彼女を取り巻いている。
果たして建物や草木の陰から現われたのは、さまざまな飴を組み合わせて形造られた獣たちだった。
「あなたたちはなに!?」
ギィギィ。鈍い音を漏らしながらティレイラへ、水飴を飲むスライムへ近づいてくる獣たち。狙ってるのはまさか、この子のほう!?
「そんなことさせないんだから!」
ティレイラの両手を術式が取り巻いた。彼女が唯一得意とする炎魔法の術式だ。
ギギッ!
「たあっ!」
跳びかかってきた先頭の獣の鼻面に炎をまとわせたオーバーハンドフックを叩きつけ、吹っ飛ばした。
もちろん、ただ殴っただけではない。殴ると同時に魔法の炎を撃ち込んでいる。
獣は燃え溶けながら壁に叩きつけられ、どろどろに溶けて垂れ落ちた。
「次っ!」
四肢に灯した炎を獣どもに見せつけながら、ティレイラが踏み出した。
自分の未熟は思い知っている。シリューナのように魔法で圧倒するような戦いかたはできないのだと。
そんな自分が後ろにいるものをかばいながら、1対多の戦いを切り抜けるためには、小さな魔法の手数を重ねるしかない。……範囲指定や攻撃地点指示などの細かい制御と調整を必要としない、魔法格闘戦をしかけるしか。
「絶対守ってあげるからね……!」
回り込んできた獣どもの足を思いきりの水面蹴りで焼き払い、彼女の上を跳び越えようとした獣を伸び上がってのアッパーで打ち落とす。
そして飴の牙や爪は痛いけれど、肌を貫くほどではない。
いける。このまま一気に――
「ボクのかわいい獣たちをいじめるなんて、悪い子だね」
飴の散弾がティレイラの体を打ち据えた。
「っ! あなた、魔族!?」
カバーした腕の隙間からティレイラが散弾の主をにらみつける。
その視線を笑みで受け止めたのは、黒い角を生やした魔族の少女だった。
「ボクの街へようこそ。ま、勝手にそう決めたってだけなんだけどね。でも、ここはボクが先に見つけた場所なんだ。先住権はボクにあるんだよ」
「勝手に棲みついた人に権利なんかない! ここはみんなの場所になるんだから!」
ティレイラが両手の炎を合わせて火球を成し、投げつけた。
「そんなこと言われてもね。ここはボクだけの場所だよ。でも、キミは特別に迎えてあげてもいい。ボクの街を飾るオブジェとしてさ!」
溶けた獣が鋭い飴の棘と化して宙へ舞い。ティレイラ目がけて殺到した。魔力が込められたこの棘に刺されれば、ティレイラは無事ではすまないだろう。
「……だったら!」
ティレイラが自らを解放した。
角が、尾が、翼が迫り出し、さらにその体が人としての形を解いて本来の姿――紫竜の姿を取り戻す。
硬い竜鱗が棘を弾き、重い足が飴の獣を踏み砕いた。
『私だって本気で怒っちゃうんだからね!』
尾のひと振りで、爪の一閃で獣どもをなぎ払い、少女へと迫るティレイラ。
しかし少女は余裕を崩さず、ひと言。
「そろそろいいんじゃないかな。たっぷり補充しただろ?」
ギュギュギュ。
振り返ると、そこには竜の巨体と比べて見劣りしないほどの、水飴の大蛇がいた。
『え? え? あの、まさかあなた、さっきの』
ギュギュ!
すぐに気づいた。ティレイラが守っていたはずのスライムが、蛇となって威嚇の声をあげているのだと。
「キミはアタマ悪そうだからさ。ちょっと罠をしかけさせてもらったんだ」
ギュ!!
ぬるりと襲い来る蛇。
一瞬ためらったティレイラだが、それでも口を大きく開け、迎撃に移った。
『もう!』
紫をまとうドラゴンブレスが蛇を討つ。
しかし、表面を蒸発させながらも蛇はティレイラへ迫り、ついにはその口の中へ水からの頭を突っ込んだ。
『ぅぇっ!』
ブレスが強引に止められた。
その隙に、蛇がさらにティレイラの奥へと這い進む。
甘い匂いが口から食道、胃までもを塞ぎ。
もがくティレイラの内へ、蛇の巨体がすっかり収まってしまった。
『ちょっと! これどういう――』
吐き出そうとしても、重い水飴は彼女の胃にしっかりと貼りつき、出てきてくれない。それどころか凄まじい速度で彼女の体に浸透し、行き渡り始めていた。
「外側は硬くできても、内側はそういかなかったね」
喉の奥を鳴らす少女の前で、ティレイラの竜鱗はしだいに飴色へと変化して……
「前の姿もいいけど、こっちはこっちで趣がある。ボクはいいオブジェを手に入れられたよ」
竜の飴オブジェが、公園の一角に飾られることとなったのだった。
「飴はやっぱりいいね。こんなに固いのに儚い。手間を惜しめばすぐ変色して濁る」
少女はどこまでも透き通ったティレイラの体を陶然と見渡し、指先を這わせた。その指を舌に乗せてみれば、ほのかな甘みと共に苦みばしった魔力が香る。
「うん。ただ甘いだけじゃないのがすばらしいね。ボクはいい仕事をしたよ!」
「それはどうかしらね?」
背中からかけられた艶やかな声音。
少女は振り向こうとして、振り向けなかった。体が2割余り石化しているせいだ。
「飴の香りに紛れさせて、石化の呪を撒いたわ。動かないで。動けば石化がそれだけ進行するわよ」
シリューナである。
一向に戻って来ないティレイラの魔力の残り香をたどり、ここへ至ったのだ。
少女はぐぅと喉の奥を鳴らし、息を詰めた。少しでも呪を吸い込む量を減らすために。芯まで石化される前に、対抗術式を編まなければ。
「あなたが術式を編むのと同じ速度で石化が進むようにしてある。ティレに夢中なあなたを測るのは簡単だったから」
魔法使いの勝負は、相手の魔術の程を測れるかどうかで決まる。そして相手の魔術を解析できるということは、より高位の魔法使いであるということに他ならないのだ。
シリューナは必死で対抗術式を編む少女を置き去り、ティレイラへ近づいた。
「綺麗だわ……あなた、どうしてティレを竜の姿で固めたの?」
「は? そんなのカッコイイからに決まってるだろ! ボクはどうでもいいものは造らない。最高のものしかいらないんだよ!」
思わず言い返した少女の体から、少量の呪が抜けた。もちろん少女の対抗術式によるものではない。シリューナの解呪によってだ。
「今のはお礼よ。私が一時忘れていた、ティレの本当の姿の美しさを認めてくれたことへのね」
シリューナはティレイラの鱗の端に舌を這わせ、かすかに眉根を跳ね上げた。
「苦い。上白糖の味じゃない。これは――チョコレート。後悔が記憶と結びついて、これほどの深みを乗せるなんて……」
「魔力ってのは言葉以上に“語る”からね。……キミ、この子の苦みの原因知ってるの? だったら教えてよ。由来がわかればもっと味わいを楽しめるんだから!」
「そうね。あれは――」
語りながら、シリューナは少女の石化をまた緩めた。
そしていつしか解放された少女は、シリューナと並んでティレイラの味と美しさについて語り明かす。
「……苦みが深まってる! これ、どういうことだろうね!?」
「おそらく思っているんでしょうね。私のことを邪竜だって」
「そっか。思いがリアルタイムで味に反映するんだね。やっとわかったよ。生きた美術品を造りたがる連中の気持ち!」
「一瞬を切り取ることもすばらしいけれど、“変化”は一瞬の先……次の一瞬を魅せてくれるのよ」
「変化か。あ! ティレイラの体はボクの水飴が原料なんだ。ちょっと熱を加えたらいくらでもポーズが変えられるよ!」
「それはいいわね。飛び立つティレの躍動感を再現できたら、半日は潰せる自信があるわ」
ティレイラの第一の不幸は、好事家がふたりそろってしまったこと。第二の不幸は、チョコに祟られてチョコ味のキャンディと化してしまったこと。
「また苦みが深くなった!」
「自分から味を変化させるなんて! 私がティレを味わっているんじゃない。ティレが私に味わわせている……まずいわね。理性が保てないかもしれない」
24時間後。
ティレイラはようようと飴状態から解放された。
少女は上機嫌でこの小世界から去り、シリューナはいつにない笑みでその背を見送った。
そして。
ティレイラは不本意ながら3キロほどのダイエットに成功させられたのだった。
「――お姉様は邪竜オブ邪竜ですぅぅぅぅぅぅううううう!!」
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