|
後の祭りのキャンドルパーティ
「もし、お嬢さん。蝋燭はいらんかね」
そんな言葉でティレイラを呼び止めたのは、一人の露天商だ。ローブを深く被った見るからに怪しい露天商は、ティレイラの返事を待たずに色とりどりの蝋燭を見せてくる。
「とても良い香りのする蝋燭だよ。火を点ければ、今まで嗅いだ事がないくらい素晴らしい匂いが一瞬の内に広がる。お嬢さんもきっと気に入るに違いないよ」
「えっ!? そ、それ本当ですか?」
とても良い香り? 今まで嗅いだ事のない素晴らしい匂い? 気になる言葉に、思わずティレイラは足を止めじっと蝋燭を凝視してしまった。
彼女の好奇心をつんつんと刺激するように、露天商は魅力的な言葉を次々と吐き出してくる。露天商の顔は依然としてフードに隠されていてその表情はハッキリとは伺えないが、僅かに見える口元はどこか不気味に弧を描いているように見えた。
(うーん、怪しい……怪しいけど、でも……気になる〜!)
「いらないのかい? なら、他の人に譲るしかないなぁ」
「い、いります! いるいるっ!」
結局のところ、ティレイラは好奇心には勝てないのだ。こうして、両手いっぱいに蝋燭を抱えて彼女は帰路につく事となった。
◆
かくして、テーブルの上には色とりどりの蝋燭が並べられている。見たところ、何の変哲もないただのキャンドルに見えるが、本当に良い香りがするのだろうか? もしするとしたら、それはいったいどんな香りなのだろう。
「ええい、ままよ!」と思い切ってティレイラは一本の蝋燭に火を点ける。すると、まるで魔法にでもかかったかのように部屋の中は一瞬の内に良い香りに包まれた。
「わぁ、凄い……」
まるで甘いお菓子のように、とろけそうな程に美味しそうなその香りは嗅いでいるだけでティレイラの心を楽しませる。露天商の言葉に嘘はなかったようで、確かにそれは今まで嗅いだどの香りよりも心地の良い香りだった。
「良い香りだなぁ……。他のはどんな匂いがするんだろう? こっちのピンクのやつも気になるし……これとか、見た目からして可愛いから匂いもきっと素敵な気がする!」
元来好奇心旺盛なティレイラが、こんなにも興味をそそるものをいくつも眼前に並べて我慢が出来るはずもない。
(よ〜し、今夜はキャンドルパーティだ!)
ニコニコと朗らかな笑みを浮かべそう決めたティレイラは、片っ端から蝋燭を点けていきその香りと炎のゆらめきを楽しみ始める。どの蝋燭の香りもうっとりしてしまう程に良く、心地いい香りに包まれながらティレイラは幸せな気持ちに浸った。
「……きゃあっ! な、何!?」
その時、そんな幸せな時間を邪魔するかのように突然何かがティレイラの懐へと飛び込んできた。
反射的に、彼女はそれを掴んでしまう。つるりとした冷たい感触が、手のひらから伝わってくる。
その何かの正体は、蝋燭であった。一本の蝋燭が、まるで生きているかのようにティレイラの手の中で蠢いている。
「な、何なの、この蝋燭!?」
するりと蝋燭は彼女の手から抜け出し、部屋の中を飛び回り始める。
どうやら、一本だけ魔法の蝋燭が混ざり込んでいたようだ。これでは、他のキャンドルを楽しんでる場合ではない。
「せっかくの楽しい時間を邪魔するなんて……! 全く、大人しくしなさいっ!」
もう一度その魔法の蝋燭を捕まえようとティレイラは手を伸ばすが、さらりと蝋燭はそれをかわし、室内をびゅんびゅんと飛び交い始めた。
瞬間、何やらトロッとしたものを腕に浴びせられ、少女は悲鳴をあげる。魔法の蝋燭は液状の蝋を生み出し、ティレイラへとかけてきたのである。すぐに固まり始めたそれを、少女は慌てて叩き壊した。
「人に蝋燭をかけるなんて、信じられないっ!」
ティレイラと蝋燭の追いかけっこが始まるが、小さく素早い蝋燭を捕まえる事は難しい上に、反撃だとばかりに浴びせられる蝋の攻撃はとても厄介だ。
少女はすっかり蝋燭に翻弄されてしまい、ついには手と足を蝋で固められ身動きが取れなくなってしまった。
「う、動けなくするなんて、卑怯よっ!」
涙目になりながらも少女は喚くが、蝋燭にそんな言葉が通じるはずもない。魔法の蝋燭は、ただ黙って彼女の周りを飛び回るだけだ。
「くっ、こうなったら……!」
最終手段だ。ティレイラの背中から、紫色の翼がはえる。翼と尻尾をはやした彼女は、飛び立とうと背にあるそれを羽ばたかせた。
けれど、その翼は一、ニ回羽ばたいた後にずしりと重くなってしまう。まるで何者かに下から引っ張られているような、あるいは……何かにおさえつけられているような感覚。
「えっ!? ……う、嘘っ!?」
『ような』ではない。実際に、翼はおさえつけられてしまったのだ。いつの間にか付着していた、蝋によって。
気付いた時にはもう遅く、ティレイラの翼は蝋で覆われていた。動かそうとしても、カチカチに固まった蝋はティレイラの翼をしっかりと包み込み、びくともしてくれない。
慌てて彼女は尻尾で蝋を叩き壊そうとする。だが、尻尾もいつの間にか浴びせられていた蝋燭で覆われていて、動かす事は叶わなかった。
「ちょっ、ちょっと待って! 待っててば! やめて! やめてよ! こらぁ!」
手足も翼も、尻尾すらも蝋燭で覆われたティレイラの姿はさながら蜘蛛の巣に囚われた蝶のようだ。どれだけ喚こうが、蝋による拘束から抜け出す事は出来ない。
彼女の全身を、トロッとした感覚が容赦なく覆い尽くす。トロトロとした蝋のパックはすぐに固まり、ティレイラの事を今の姿のまま保存するように固めてしまう。
その瞬間、ティレイラは見てしまった。たまたま近くにあった全身鏡に映る、自分の姿を。
(う、嘘でしょ!?)
それはそれは、ひどいものであった。服は乱れているし、スカートなど捲れた形がそのままな状態だ。こんな不格好な姿で固まるなんて……少女の瞳が、絶望の色へと染まる。
(こ、こんなの、嫌〜っ!)
心の中で泣き喚くしかないティレイラ。哀れな蝋人形の嘆きの声は誰に届く事もない。
楽しかったはずのキャンドルパーティは散々な結果となった。こんな事なら、露天商から蝋燭なんて買うんじゃなかった。今更後悔しても、後の祭りだ。
(いったいいつまで私はこうしてればいいの!? せ、せめて服だけは直させてよ〜!)
声なき声で喚き続ける蝋人形と化した少女をあざ笑うかのように、魔法の蝋燭は楽しげにその周囲を飛び交っていた。
|
|
|