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<東京怪談ノベル(シングル)>


囚われのアンドロギュヌス


 私のせいで、イアルが捕まってしまった。
 IO2エージェントの少女は、そう言ってひたすら己自身を責めていた。そんな事をイアルが望んでいるはずはないと言うのに。
 イアルは、自分が必ず助け出して見せる。彼女はそう意気込んでいた。
 気負い過ぎている、と響カスミは感じたものだ。
「イアル……わかっているの? 貴女、私だけじゃなく、いろんな人に心配かけてるのよ……」
 語りかけてみても当然、返事はない。
 その代わり、金髪が見えた。金髪の煌めきが一瞬、視界をかすめたのだ。
 カスミは、足を止めた。
 見間違いではない。人混みの中で、サラリと揺れる金色の髪。あんな綺麗な金髪の持ち主が、そう何人もいるとは思えない。
「イアル……!」
 行き交う通行人たちを半ば押しのけるようにして、カスミは駆け出した。
 イアル・ミラールの後ろ姿が、艶やかな金髪を揺らしながら、雑踏の中へと消えてしまう。
 否、消してしまうわけにはいかない。
 見失わぬよう、カスミは懸命に追いすがった。
「イアル、待って! 待ちなさい! 何日も何日も、勝手にいなくなって!」
 街中だと言うのに、大声を出してしまう。
 金髪の後ろ姿が、振り向きもせぬまま、ビルとビルの間に入り込んで行く。
 カスミは、それを追った。
 路地裏で、イアルが待っていた。
 人違い、ではない。一流企業のOLのように女性用スーツを着こなした、イアル・ミラールである。
「イアル……」
 何を話すべきか、言葉を頭の中で組み立てる前に、カスミは呼びかけていた。
 イアルが微笑む。
 その笑顔を見て、カスミは息を呑みながら口籠った。
 根拠のない確信が、頭の中を、心を満たした。
 違う。この女は、イアルではない。
 イアル・ミラールの姿をした、おぞましい何かだ。


 イアル・ミラールは今、瓶の中にいる。
 牝獣の身体から採取した、この腐った乳製品のような液体こそが、イアルをイアルたらしめている物質なのだ。
「これを遠心分離機にかければ……イアル・ミラールの人格と、鏡幻龍の力とに分ける事が出来るよ」
 瓶を揺らし、中身の液体をタプタプと鳴らしながら、女錬金術師が言う。
「で、牝犬ちゃんの方は……言ってみれば抜け殻だけど、まだ使い道がありそうね。ホムンクルスよりも、ずっと強いし」
「私らの言う事を聞けば、気持ち良くなれる。ようやく、それを覚えてくれたみたいでねえ。番犬・猟犬として、役には立ってくれてるよ。だけどねえ」
「粗相しまくりで大変よ? ちょっと知能高めのホムンクルスでも作って、世話係に」
「ホムンクルスよりも」
 1人が、にやりと笑った。
「イアル・ミラールの複製体試作品がね、さっき面白いお客さんを捕まえてきたわ。あの牝犬ちゃんの……どうやら個人的なお知り合い、みたいなのよね」


 気がつくと、カスミは男になっていた。
 女ではなくなった、わけではない。
 女の肉体には有り得ないものが、おぞましく隆々と生えているのだ。
(何……これ……)
 これほどの恐怖を、カスミは今まで感じた事がなかった。
 世の中に、これほど醜悪なものが存在するのか。そしてそれが今、自分の身体から生えている。
 男であり女であり、男でも女でもない。
 そんなカスミの有り様を、謎めいた女性たちが観察している。鑑賞している。珍しい動物を、あるいは滑稽な見世物を、見て愉しむようにだ。
「おやまあ、これは御立派……」
「イアル・ミラールと、どっちが……という感じかしらねえ。うっふふふ」
 カスミの身体から生えた醜悪なものを、その女性たちが繊手で握り、さすり、豊満な胸で挟み込み、綺麗な唇で吸い嬲る。
 イアルの名前が出た。この女たちは、イアルを知っている。
 問い質さなければならない。カスミは、そう思う。
 だが口から溢れ出すのは、詰問の言葉ではなく、しどけない吐息と悲鳴だけだ。
「学校の先生なんだって? かわいそうにねえ。さぞかし色々と溜まっちゃってる事だろう」
「あたしたちが、ほら全部……搾り出してあげるよ。楽になっちゃいなよ」
「飼ってあげる、可愛がってあげるよ。イアル・ミラールと一緒にねえ」
 またしてもイアルの名前が出た。
 問い質さなければならない。確認しなければならない。イアルがここに囚われているなら、助け出さなければならない。
 カスミのそんな思いも、未体験の快楽の中に溶け込みながらドピュドピュと噴出して消え失せた。


 懐かしいものを着せられている。ぼんやりと、カスミはそう思った。
 鎧、と言うよりも金属製のビキニ。
 防御効果など全くなさそうな、この甲冑を身にまとい、勇ましく戦っていた誰かが昔いたような気がする。
 遠い昔の記憶……否、そんなものがあるわけはない。
 自分は昔から、ここの女練金術師たちに仕えるメイドであり、護衛なのだ。
 練金術師たちの、身辺を警護する。雑用をこなす。それ以外にも、こんな仕事をしなければならない。
 部屋じゅうにぶちまけられた汚物を、カスミはモップで拭い取っていた。
 粗相の犯人が、すぐ近くで威嚇の唸りを発している。
「ぐるるッ……がふぅううぅ……」
 豊麗な肢体で四足獣の姿勢を取り、牙を剥いている若い娘。たわわに膨らんだ胸は床に密着し、肉付きの豊かな尻は後方に突き上げられている。何やら、奇怪な装身具を穿いているようである。
 モップを使いながら、カスミは微笑みかけた。
「……こんなにお部屋を汚したのは貴女? おトイレも教えてもらっていないのねえ。かわいそうな子」
「がるるるる、がうッ! ……くふぅ、きゅうぅぅん……」
 牝獣、としか言いようのない有り様の娘が、まるで仔犬のようになった。
 カスミは身を屈め、頭を撫でた。
「綺麗な髪なのに、ベトベトしている。身体も臭うわよ? お掃除ついでに洗ってあげるわね」
「くぅん……きゅふうぅぅ……」
「うふふ、貴女とは仲良くなれそう。私はカスミ、貴女は? ……貴女は……」
 この牝獣の名前を、自分は知っている。カスミは一瞬、そんな気分になった。
 気のせいであるのは、間違いない。
「あなた……は……」
 カスミの声が震えた。どういうわけか、涙が溢れ出して来る。
 それも、気のせいであるに決まっていた。