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<東京怪談ノベル(シングル)>


騒動
「はぁー」
 オカルト系アイドルにして私立神聖都学園怪奇探検クラブ副部長を務める、ナチュラルボーン・オカルトマニアのSHIZUKUは、ここまで吸い込んできたにおいをため息と共に吐き出した。
 夜の雑踏から小走りで抜け出し、街の隅に身を潜める。何度も深呼吸して嗅覚をリセット。あらためて自分のにおいを嗅ぐ。
 においはしない。しないはずなのに、するのだ。コールタール臭が。
 自分でも幻臭なのだろうと思っているが、でも。
 コールタールで固められ、生ける像にされた数ヶ月の記憶が、その臭いを事あるごとに呼び覚ます。しかし、それでも。
「負けてらんないからね」
 ……繁華街の一角、メイド喫茶やコスプレバーが固まる区域に、一軒のクラブがあるという。
 まわりの店とは料金がケタひとつちがう高級店で、店の嬢は全員が古式ゆかしいバニーガール。客層はだいたいが中高年で、今時めずらしい「現金払い」の掟に万札数十枚で応えられる富裕層……。
(これでお店の名前が『バニー教団』じゃなきゃねぇ)
 スマホの画面をスクロールし、彼女が情報収集用に使っているオカルトサイトの掲示板をチェックした。
『知り合いの女の子が、知らないうちにどこ行ったかわからなくなった。お店に勤めてるって話だったんだけど……誰か同じような話知らないかな?』
 SHIZUKUは自分の書き込みについたレスの数々を読み返す。
 そこにはあからさまな釣りがあり、嘘があった。しかしその隙間に、ほんの少しのキーワードが紛れ込んでもいた。
 店に入ったまま出てこない嬢がいる。
 人の売り買いしてるらしい。
 魔女みたいな女が出入りしてる。
(あのブティックよりオープンだけど、やってることは多分いっしょだよね)
 SHIZUKUは不敵に笑み、スマホを元通りにしまい込んだ。
(魔女結社――やっとシッポつかんだよ)
 ずっと追ってきたのだ。自分を像にした魔女結社を。そしてようやく居所らしき場所を突き止めた。
(ちょっと調べるだけだし、やばくなる前に逃げちゃえばいいんだから)
 自分ひとりでできることなどないことを、これまでの経験で十二分に思い知っていた。だから、情報が確定できたら迷わず助けを求める。イアル・ミラールという、龍の加護を受けた剣士に。
(……あの人もねぇ。格好がもうちょっとまともだったら連れてこれたのに)


 バニー教団は、その手の店が寄り集まる雑居ビルの地下階にあった。
 ――これじゃ、まわりから探るとかムリじゃない?
 と、なれば。
 入口でスマホの電波が届くことを確認したSHIZUKUは、コンビニへ走って現金を引き出した。額は1回で引き出せる最大金額の50万円。監視カメラに顔も映しておく。
(よし)
 こうして普通じゃありえない証拠を残しておけば、なにかあっても早めに気づいてもらえるはずだ。
 そして彼女はバニー教団の扉を開く。

「汝ぃ、我が教団に入信希望する者なりやぁ?」
 SHIZUKUを出迎えた垂れ目のバニーガールが高い声で訊いた。
「入信? 客だよお客様! ノンアルコールで、バニーちゃんと一時間たわむれよっかなって」
「やっぱり入信であるなぁ。入信者1名様、サバトへご案内ぃ」
 無茶苦茶だ。オカルトマニア的にゆるせないレベルで。なによりバニーガールと店の設定に関連性と必然性がない。
 が、今夜の目的はあくまで潜入捜査。騒ぎを起こすわけにいかない。ぐっと言葉を飲み込んで、SHIZUKUは垂れ目の後ろに従った。
 ――っていうか、見たまんま未成年女子でも普通に通しちゃうって。結社関係なくても危ない店なんじゃないの?
 連れて行かれた先は、分厚いカーテンでしきられ、半個室状態にされたソファ席だ。来る途中、他の席の横も通って来たわけだが……内でなにをしているのかはわからなかった。
「よく来たのであるなぁ。お飲み物は、トニックウォーターでよいかぁ?」
 ソファに座って適当にうなずくと、垂れ目と入れ替わりにふたりのバニーが入ってきた。
「新しい信徒の方ですね。すごくかわいい」
「お肌すべすべ」
 バニーたちがSHIZUKUの左右に腰を下ろし、両側から押し込んできた。おっさんならすぐに正気を奪われるのだろうが、あいにく女子である彼女には、どの業界も商売は大変だなという思いしかなかった。
 そしてトニックウォーターと共に、もう2杯分のドリンクが届く。
「信徒様のお飲み物も私たちの分も、サバトの代償に含まれていますので」
「乾杯しましょう、この夜に」
 妙に熱っぽい目で、バニーたちが乾杯を迫る。
 グラスを手渡されたSHIZUKUは、押されるままに乾杯。トニックウォーターを口にした。
 なんだろう、バニーたちのこの急ぎようは。客のペースを読むこともなく、待ちきれない顔でグラスを干す彼女たち。まるでそう、なにかに間に合わせたいかのようで――
「サバトの開幕であるぞぉ! さあ、夜の帳を開けようではないかぁ!」
 垂れ目の声が響き。
 SHIZUKUのソファを隠していたカーテンが落ちた。
「え?」
 店中を細かにしきっていたカーテンのすべてが、落ちていた。
 露となった数十のソファにはそれぞれ、かなりの地位にあるのだろう男たちがいて。
 その体をバニーガールたちが取り巻き、奉仕に勤しんでいた。
「信徒様――」
 ふたりのバニーがSHIZUKUに迫る。
「え、いや、あの、ちょっと」
 魔法のような手さばきでSHIZUKUの衣服を剥いでいくバニーたち。その傍らに、垂れ目がいて。
「嘘と釣りを見抜けない子は、ネットなんか使わないほうがいい。誰だったか、そんなこと言ってたっけね」
 冷めた声音を紡ぎ、垂れ目はうっそりと笑んだ。
「ちょっとは疑おうよ。こういうことする店を未成年の女子があっさり突き止めて、しかも中に入れるとかありえないって」
 垂れ目の指先が、ふたりにからみつかれたSHIZUKUの額に触れた。
「あんたに情報流してたのはこっちだよ。あんたとイアル・ミラールにはずいぶんかき回されたからさ。意趣返ししたくてね」
 ぶつん。


 SHIZUKUには知る由もなかったが、このバニーガール衣装は魔女結社謹製の“呪いの服”だ。
 催眠魔法をたっぷりと吸わせた糸を織って作った、着用者を一種のゾンビとする服。与えられる命令に限りはあれど、素人女を極上の商品に変えることができる。
 そして。
 今までは外部にデータベースを用意し、女と魔力の線で繋いで知識や技を伝達する必要があったが、このバージョンでは小型のスティック型端末を服に仕込むことでその手間をはぶくことに成功した。
 バニー衣装から黒のワンピースに着替えた垂れ目が、バニーガール姿のSHIZUKUを見やる。
「仕上がりは上だね」
 SHIZUKUはなにも聞こえぬように、黙々と小ぶりなナイフで野生化少女と戦っていた。
 戦いに関して素人である彼女だが、無駄も隙もない動きで野生化少女を圧倒し、その首を掻き斬ってみせた。
「野生化の仕末はいつもどおりで。その子はプログラムの調整を。今夜は多分、仕事が入るから」
 部下の魔女に命じた垂れ目は、店のさらに下層に造られた暗殺者育成用の鍛錬所を出て上へ上がる。
 今夜も情欲を満たすために男たちが集まっている。
「客を満足させろ」との命令、それを実現するための技の数々をインプットされたバニーガールたちは、申し分ない働きを見せるだろう。
 そして要望があれば、もうひとつの仕事も完璧にこなすのだ。自分の立場を脅かす者の存在に困り果てた客の要望――暗殺依頼にも。
 SHIZUKUはイアルをおびき寄せる撒き餌だ。
 しかし。当の魚が食いつくまではせいぜい働いてもらう。本来であれば奉仕のほうにも回したかったのだが……。
「コールタール臭い女じゃ、店の評判落とすだけだからね」


「はい? ああ、お世話になってま――せんよね。で、ご用件は?」
 イアル・ミラールに電話してきたのは、SHIZUKUと縁のあるテレビ番組製作会社の社長だ。
 なんでもSHIZUKUとまた連絡がとれなくなったらしい。……そういうことはまず、イアルでなく事務所に言うべきだろうに。
『あの子、また突っ込んじゃったんでしょうね、首』
 イアルの内に在り、彼女の姿を依り代とする鏡幻龍のあきれ声に、イアルもまたうなずき。
「なにに突っ込んだのかは直接聞くしかないけど。とりあえず本人を見つけないと」
 イアルは親友のパソコンを立ち上げ、SHIZUKUが出入りしているオカルトサイトの掲示板を表示した。


 バニースーツの上にキャバクラ仕様のドレスをまとったSHIZUKUは今、路地の片隅に潜んでいる。
 目に意志の光はない。“そのとき”を、ただひたすらに待ち続け、動かない。
 と。
 この路地に、恰幅のいい初老の男が入ってきた。
 男は政治家で、路地の奥には寂びたバーがある。そこで彼は新たな政党の決起集会を、同志と行うことになっているのだが……彼に立ってもらっては困る者がいた。
 端末からの指令で、SHIZUKUが起動した。
 どこかの店から少し抜け出してきたような体で、男がいる路地の口へ歩いて行く。あと10歩――5歩――2歩――並んだ。
 SHIZUKUの手にナイフが現われた。手の内に隠れるほど小さく、しかし刃の射出機能が備わっていて、押しつけて刃を撃ち出せば標的の心臓程度は容易く貫く。
 だが。
「――すみません。少し酔っちゃったみたいで」
 よろけた女が男の体を押し退け、SHIZUKUの手首を払っていた。
「ああ、いいんですよ。大丈夫ですか?」
「ええ。それよりも、お急ぎになられてるんじゃありません?」
 男は壁を削って落ちた刃には気づかず、男は女に見送られて路地へ入っていく。
 反応して追おうとするSHIZUKUだったが。
「通すわけにいかないのよ、SHIZUKU」
 女がSHIZUKUの背の下――腎臓に貫手を突き立て、その動きを止めていた。
 腎臓は急所であり、もろい臓器だ。ここへの攻撃はほとんどの競技で禁止されている。
 しかし、痛みを見せずに振り向いたSHIZUKUは、左のミドルキックを女の右腹へねじりこんできた。
『肝臓狙い! いつの間にこんな技、覚えてきたのかしら?』
 女の内で誰かが驚きの声をあげる。
「あのときのメイド服と同じにおいがする。女を操る服――確定ね」
 蹴りを無造作に引き上げた膝でブロックした女……イアルが口の端を吊り上げた。
『魔女結社の罠でしたってことね。まあ、あれだけわかりやすいエサを撒いてもらってたら、わからないわけもないけど』
 鏡幻龍が肩をすくめてみせた。
 あの後、イアルたちはすぐにSHIZUKUの書き込みを見つけ、レスをたどった。そして彼女をこのあたりで見たという最新レス――ご丁寧にも、ATMのカメラに写った映像を添えられたもの――を得たのだった。
「好きにさせておかないわよ。これ以上はね」
『その前にあの子を止めないと』
 鏡幻龍に言われるまでもなく、イアルは足捌きとフェイントでSHIZUKUを壁際に誘導していた。
 戦闘において、有効打とは「答」だ。
 答を出すにはまず式を埋めなければならない。このことが理解できていない者ほど、答を出そうと闇雲に打ちかかってくる。そう、本職ならぬ魔女に技だけをインプットされた今のSHIZUKUのように。
 壁を背にさせられた彼女は、すべての動作の起点となる軸足を充分に引けないままイアルへ向かっている。脚が連動できていない突きはただの手打ちで、速度も威力も乗せられはしない。
「せめてナイフがもう1本あればね」
 一歩下がって襲い来る拳をかわしたイアルは路地の反対側の壁を蹴り、体当たりでSHIZUKUを壁に叩きつけた。
 続き、動きを止めたSHIZUKUの顎の脇に畳んだ肘をつけたかと思いきや、腕を伸ばす。
「わたしが最初に踏み出した一歩を見逃したとき、もう勝負はついていた」
 顎を強く弾かれたSHIZUKUは大きくよろめき……しかし倒れることなく踏ん張って、ためらわずに逃げ出した。
『イレギュラーに対応できなくなって、操り主のところへ帰ろうとしているのね』
 鏡幻龍の声にうなずき、イアルも駆け出した。


 たどりついたバニー教団でイアルを出迎えたのは、魔女の一群と得物を携えたバニーガールたちだった。
 魔女どもを魔法銀のロングソードで斬り伏せ、バニーガールをカイトシールドで打ち据えて眠らせながらイアルは進む。
 魔女側からすれば数を頼みに押し潰すつもりだったのだろうが、多人数でひとりを囲むためにはそれなり以上の空間と連携が必要となる。ひとり一殺の技だけをしこまれただけのバニーと近接戦闘に不慣れな魔女では、剣士たるイアルにかなうはずがない。
 果たして店の地下、鍛錬所に至ったイアルは、垂れ目とSHIZUKUを見つけ出した。
「あなたたちの目論みは叶わなかったわね」
「これからでしょ、意趣返し」
 垂れ目がSHIZUKUの耳を叩いた。
「あんたの目の前であの子が死ぬ! 最高じゃない!?」
 いきなり奥へと駆け出すSHIZUKU。後を追いながらイアルは、わめきながら魔法を撃とうとした垂れ目の腕を斬り飛ばし、返す刃でその胴を袈裟斬り、裂いた。
『あの子、どこに――!?』
 SHIZUKUが向かった先はすぐに知れた。鍛錬所の奥、なみなみとたたえられた液体窒素泡立つプールだ。
 止める間もなく、SHIZUKUがプールに身を躍らせ――凍りついた。
 窒素を抜く機構を探し当てたイアルはすぐに実行し、布を厚く巻きつけた手でSHIZUKUを引き上げた。そのまわりに散らばる、元はバニーガールや野生化少女だったのだろう残骸は見ないふりで。
「でも、どうすれば――」
『水につけるのよ! 瞬間冷凍したものなら蘇生できるってテレビで見たわ!』
「それって確か、カエルくらいまでじゃ――」
『わたしの魔力を合わせて溶かす! 絶対助けてみせるわよ!』
 そして。

 店のソファの上で体を重ねていたイアルが、ゆっくりと体を起こした。
『まだよ。もう少しあたためて』
「そんなこと言われても、冷たいのよ……」
 氷のように冷えたSHIZUKUの体。しかしその心臓は確かな鼓動を取り戻しつつあった。
「寝てる顔はかわいいのにね。どうしてこう、無鉄砲なのかしら」
 イアルは再びSHIZUKUの体に自らの体を重ね、熱を分け与える。彼女が目を覚ましたとき、いったいどう言ってこの状況を納得させようかと悩みながら――