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<東京怪談ノベル(シングル)>


猫の石像


「無茶をするなと! あれほど言ったのに!」
 雑居ビルの一室に、茂枝萌の怒声が響き渡った。
 IO2が、萌の活動拠点として借りてくれている部屋だ。パイプベッド、机と椅子、テレビ、それに各種治療機器類が雑然と配置されている。
 そんな室内を、萌は早足で歩き回った。時折、壁や机を叩きながら。
「貴女が無茶をしてイアルが喜ぶとでも? まったくもう……」
 この場にいない女性に、萌は文句を言った。
 神聖都学園の女性教師が1人、行方不明になったのだ。
 十中八九アルケミスト・ギルドの仕業であろう。1人で、イアルを探し歩いていたに違いない。
 素人に見つけられるわけがない、と思いかけて萌は自嘲した。
「イアルを見つけられないのは、私も同じ……」
 ここにイアルが囚われているに違いない、と当たりをつけた場所に出向いてはホムンクルスの大群に迎撃され、それらを殲滅し、アルケミスト・ギルド関係者らしき人間がいれば締め上げて訊問する。
 その繰り返しを、萌は強いられていた。
 アルケミスト・ギルド。関係者への訊問で、その組織名だけは掴む事が出来た。
 IO2がもう少し、この組織に関する調査に本腰を入れてくれれば、とは思う。
 アルケミスト・ギルドがIO2に重要視されていない、最大の理由。それは被害者の少なさである。
 確かに、若い女性が何名か行方知れずになってはいる。が、例えば魔女結社が行っていた誘拐や人身売買に比べれば慎ましやかなものだ。
「そう、組織のせいにしては駄目……イアルは、私1人の力で見つけて助け出す」
 萌の呟きに反応したかのように、その時。
 突然、テレビが点いた。
 イアル・ミラールが映っていた。BGMに合わせて口パクをしながら、何かと戦っている。いや、踊っているのか。
 廃病院で、血の涙を流すマリア像が置かれた教会で、大量に立てられた水子地蔵たちの真っただ中で、ミステリーサークルの描かれた田園で、ストーンヘンジの中で、モアイの林立するイースター島で、ナスカの地上絵の真ん中で。
 イアルは踊り、戦いながら、誰かの手を引いている。
 イアルより年上と思われる、萌にとっては見知らぬ女性。いや、誰かに似ているような気がする。
 誰であれ、この映像が一体何であるのかは明白だった。イアル・ミラールを起用してのPVである。
 誰のPVか。いかなる会社の、あるいは組織のPVであるのか。
 萌は、呆然と呻いた。
「……虚無の……境界……」
『さすがね、ヴィルトカッツェ』
 虚無の境界・盟主である女神官が、画面上に現れた。優雅にウォーターフォンを奏でながらだ。
『孤軍奮闘を強いられているようね? IO2上層部の人たちは、アルケミスト・ギルドの厄介さ加減をまるで理解していない様子』
「……貴女たちは理解しているという事? あの連中を」
 藁にもすがる。自分が今、そんな思いでいる事に萌は気付いた。
 不倶戴天の敵である『虚無の境界』から、しかしイアルの居場所に関する情報を得られるのであれば。
(私は……この女に、どんな代償を払う事になっても構わない……)
『安心なさい。貴女から何か取ろうという気はないから』
 盟主が、萌の心を読んだ。
『私はね、生意気で可愛いヴィルトカッツェが焦燥と絶望に苛まれている様を見たいだけ……ふふっ。貴女がもっと絶望するようなお話をしてあげましょうか』
 優美な五指が、ウォーターフォンを愛撫する。
 おぞましくも美しい音色が、萌の全身を粟立たせた。
『近日中に、私たち虚無の境界はアルケミスト・ギルドを叩き潰す……小賢しい錬金術師どもの本拠地に、霊鬼兵の精鋭部隊を殴り込ませる準備がね、もう整っているのよ』
 その本拠地の場所を、住所を、盟主はさらりと口にした。
『殴り込みの戦闘指揮官は、もちろん貴女もよく知っている彼女よ。今は別の任務で出ちゃってるから戻り次第、作戦開始という事になるわ……あの子、大喜びで錬金術師どもを皆殺しにして、イアル・ミラールを自分のものにしてしまうでしょうねえ』


 萌の知る限り、虚無の境界の盟主は嘘をつかない。
 決して嘘ではない言葉を巧みに操り、人の心を掴む。それが彼女だ。
「あからさまな嘘つきよりもタチが悪い……だけど、イアルに関してだけは」
 彼女は、真実のみを語っている。
 それは萌の、根拠のない思い込みに過ぎないのかも知れなかった。
 ともかく萌は、右手の高周波振動ブレードを一閃させた。
 イアル・ミラールが真っ二つになった。
 クローンの類である事は確認するまでもない。ホムンクルスの応用であろう。まあ、良く出来てはいる。
「私じゃなければ、騙せたかもね」
 言いつつ萌は、左手でサブマシンガンをぶっ放した。
 何事か能書きをたれようとしていた女錬金術師たちが、掃射に薙ぎ払われて屍に変わる。
 人の壁が失われ、今まで見えなかったものが見えた。
 IO2エージェントとして自分は今まで、大いに手を汚してきた。汚らしいものを、目の当たりにし続けてきた。
 だが、と萌は思う。ここまでおぞましいものは見た事がない。
 おぞましい事をしているのは、1人のメイドである。
 行方不明となった、あの女教師が、清潔感あるメイド衣装を着せられたまま、不潔極まる行為に没頭しているのだ。周囲に広がる殺戮の光景にも、気付いていない。
 おぞましい事をされているのは、おぞましいものを生やした、おぞましい生き物であった。
 先程のクローンよりも出来の悪い偽物だ、と萌は思った。思い込もうとした。思いたかった。
 そんな思い込みを断ち切るほどに鋭い直感が、しかし真実を告げている。
 この醜悪な生き物が、紛れもない、本物のイアル・ミラールであると。
 虚無の境界の盟主は、やはり嘘をつかない。
 あらゆる感情を押し殺しながら萌は、両者の首筋に手刀を叩き込んだ。


 意識を失ったイアルを、萌はパイプベッドに縛り付けた。
 今の彼女が、獣だからだ。本気で暴れ出されたりしたら、萌でも手がつけられなくなる。
 同じく意識を失った女教師は、メイド姿のまま縛り上げ、部屋の隅に放置してある。
 彼女がイアルにしていた、おぞましい行為を、萌は思い返した。
「同じ事を、私が……やらなきゃ駄目? なの……?」
 イアルの生やしている醜悪なものが、とめどなく膿を噴射している。
 これを一滴残らず搾り尽くすしか、イアルの肉体を元に戻す手段はないように思われた。
 他にもある、のかも知れないが萌にはわからない。思いついた事から、試してゆくしかない。
 萌は、まず手を遣った。可愛らしく繊細、に見えて実は刃物の如く鍛え込まれた五指が、イアルのおぞましいものを愛撫する。
 腐汁のようなものが、ドピュドピュと噴出した。
「イアル……こんな臭くて汚いもの、植えつけられて……生やされて……」
 あの錬金術師たちを、もっと苦しめて嬲り殺しにしてやるべきだった、と萌は思う。
 魔女結社でさえ、ここまで非道い事はしなかった。
 ろくに洗浄もされていないのだろう。イアルのそれは汚れと悪臭にまみれながら膿を吐き出し、まるで腐りかけた腫瘍のようでもあった。
 痛ましさが、萌の胸中に満ちた。
「私が、癒してあげる……心配しないで、イアル……」
 萌は、口を遣っていた。
 可憐な唇が、イアルのおぞましいものに触れてゆく。
 白く濁ったものが、凄まじい勢いで迸り出て萌を汚した。可憐な美貌に、愛らしい口元に、小さな口内に、ぶちまけられた。
 それは白く濁った、と言うよりも灰色に近い。石の色、である。
 石の味を舌に感じながら、萌は石像と化していた。