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<東京怪談ノベル(シングル)>


花実を咲かす死などなく(3)
 暗い廊下を歩く、一人の男がいる。
 今日はこの男の所属している組織にとって大事な儀式の日であるが、生憎と下っ端である彼は儀式には参加する資格がなく、こうしてアジトである廃工場の見張りをしているのだ。
 ふと何者かの気配を感じ、男は顔をあげ後方を見やった。しかし、そこに広がっているのは闇だけで、人の姿どころか動物や虫の姿すらもない。
「なんだ、気のせいか……」
 そう呟き、安堵の息を吐いた直後、男は冷たく無機質な床へと倒れ伏していた。男自身も、自分の身にいったい今何が起こったのか理解出来ていないであろう。
「ふふ、こちらですわよ」
 薄れ行く意識の中、男はいつの間にか背後に立っていた琴美のそんな声を聞いた。
 ひと目見たら忘れない程の美貌を持つ彼女は、街を歩いていれば必然的に人の視線をさらう。けれど、仕事の時の彼女は違う。闇に身を隠し、気配すら消して敵の死角へと回り込む一流のくの一だ。バレないように背後へと忍び寄り、一撃で相手を倒す事など造作もない事なのである。
「それにしたって、気付く方が一人もいらっしゃらないなんて、少し拍子抜けですわね」
 ここにくるまでに数十人もの見張りをすでに倒している琴美は、予想以上に歯ごたえのない敵の強さに肩をすくめてみせた。
 敵地にいるというのにどこか余裕すら彼女に、死角から銃弾が襲いかかったのはそんな時だ。
 けれど、その攻撃すらも琴美にはお見通しである。少女はクナイを翻し銃弾を弾き返せば、隠れていた敵の元へと跳躍する事でいっきに移動する。降り立った彼女に相手が見惚れる間もなく、クナイで敵を切り裂き鮮血の花を咲かせた。
「そこまでだ! 侵入者め!」
 廃工場に似つかわしくない大きな男の声が、琴美の形の良い耳をくすぐる。彼女の周りを、どこからともなく現れた男達が囲んだ。組織の者達が、ようやく琴美という侵入者に気付き集まってきたのだろう。
 だが、三十人に近いその数を前にして琴美が浮かべた表情は、恐怖や焦りではなく――笑みであった。
(かかりましたわね……!)
 一斉に、琴美へと敵達が襲い掛かってくる。
 しかし、彼等はまだ知らないのだ。自分達がいる場所は、もうすでに琴美の手のひらの上なのだという事を。

 ◆

 廊下を走る一つの影がある。男は、さらってきた者達が囚われている牢へと向かっていた。突然の侵入者により、今宵の儀式は中止だ。厄介な侵入者を仲間が足止めしている内に、生け贄を連れて別のアジトに避難しようと男は目論んでいるのである。
 だが、辿り着いた牢屋の中には、誰もいなかった。
 魔術で結界まで張っていたのだ、一般人である彼等が自力で脱出出来るわけがない。だとしたら、何故彼等はいなくなってしまったのか。
(まさか、あの侵入者が? いや、あいつは囮の相手に忙しく、奴らを避難させる時間なんてなかったはずだ)
「あら、残念でしたわね。私達のほうが早かったようですわ」
 いつの間にかそこに立っていたのか、後ろからかかった凛とした少女の声に困惑しながらも男は振り返る。彼女に微笑まれたその瞬間、男が一度ごくりと喉を鳴らしたのは、自分の作戦が失敗に終わっていた事を悟った絶望故か、それともその少女のあまりの美しさに見惚れてしまったからなのかは男自身にすら分からなかった。
「チームワークも忍にとっては大事なスキルですのよ。私が敵をひきつけている間に、さらわれた方達は私の部隊の者が無事救出いたしましたわ」
 時間稼ぎをしていたのは、男だけではなく琴美のほうもだったのだ。彼女は自らを囮にし、さらわれた者達を仲間が救出する時間を作ったのである。
 優秀な者を妬む者はいる。しかし、あまりにも敵わない存在を前にすると嫉妬する気すら起きぬものだ。若いながらも優秀な琴美の実力は、仲間の皆が認めている事であった。琴美は強く美しく、それでいて仲間に慕われてもいるのだ。
 今回、この廃工場が怪しいと睨んだ琴美に二つ返事で仲間達がついてきたのも、自分自身を囮にするという琴美でなければ危険な役目を自ら名乗り出た彼女に誰一人として反対しなかったのも、彼女の事を信頼しているが故である。
「あなたのお仲間は、もう一人も残っておりませんわ。あなたが最後ですわよ。さぁ、覚悟なさって!」
 琴美は武器を振り上げる。そしてその一撃は、信頼しているが故に危険な任務を任せた琴美達とは違い、仲間すら捨て駒にし逃げようとした男への裁きの鉄槌の代わりとなった。

 ◆

(さらわれた方達は救出出来ましたけど、どうやらこの組織のトップはとっくに逃走していてここにはいないようですわね)
 上に見捨てられていたという事すら知らずに戦っていた男達を少し哀れに思いながらも、琴美は通信機で仲間へと連絡をし情報交換を済ませる。
(とりあえず、一度戻って上司に詳しい報告をいたしましょう。桜の木の事も気になりますものね。……あら?)
 一度帰路へとつこうとした琴美だが、ふと視界の隅に入ったものが気にかかり足を止めた。
「これは、魔術の力……いいえ、もっと邪悪なもの……呪いのような力が宿っておりますわね」
 男達が使っていた武器にこの世のものではない不思議な力が宿っている事に気付くと、少女はその整った眉を僅かに寄せた。その武器からは、触れる事すらためらいたくなる程に邪悪な気が溢れ出しているのを感じる。
「恐らく、これは使用者の魔力を吸い取って力に変えてしまう厄介な武器ですわ。使い続ければ、使用者のほうが武器に食べられてしまう両刃の剣」
 そこまで推測したところで、琴美は倒れ伏した男へと視線をやる。どこか憂いげに思案する少女の顔は、いつもとは少し違った神秘的な魅力を醸し出していた。
「けれど、この方にはとてもじゃないですけれど、この武器を持つに耐えられる魔力があったとは思えませんわ」
 魔術師でもないこの男がこの武器に触れたら、その瞬間に全ての命を吸い取られてしまうに違いない。けれど、この男がつい先程までこの武器を振り回していたのを琴美は確かに見ている。合わないピースを無理矢理はめたパズルのような違和感が、琴美の胸を巣食った。
 ふと、その時、風がふいた。窓の外を、大きな突風が。
 それと同時に、舞い散るのは桜の花びらだ。廃工場の外にあった桜の木のものだろう。
 それだけなら何もおかしな事ではない。おかしいのは、その量だ。舞い散っている花びらの数は、一枚や二枚ではなかった。窓の外を覆い尽くさんばかりに、大量の花びらが風に飛ばされているのだ。この分だと、あの木に咲いていた桜の花全てが散ってしまった事だろう。
 ――一瞬にして散る謎の桜の木に、呪いのような武器。
「今回の事件、どうやらただの誘拐事件ではないようですわね」