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牙から翼!
開口一番、草間・武彦さんはあたしに言いました。
「遅ぇわ。おまえ、遅刻ってレベルじゃねぇからー」
確かに! なにせ1分や1時間どころじゃなく、1ヶ月単位の大遅刻ですからね!
「実はその、前に会ったお嬢さんにですね、人狼世界へ誘われてしまったりしておりまして……」
説明するあたしはそう、海原・みなも(人間バージョン)です。ついに戻ってきましたよ、東京へ!
「え!? マジかよ寄んなよめんどくせー事件菌が移っからよー!」
なのに、ひどい。大の大人が、女子中学生をウイルス扱いですよ。いじめですいじめ。
こうなったら人魚狼の恐ろしさをお見せしちゃおうかなどと考えたりもしたのですが、予防接種があと4回残っている身の上なのでぐっと我慢しました。還ってきたばかりなのに、嗅ぎつけられたくありませんからね“粉骨拳”には。
お久しぶりな草間さんの事務所はあいかわらず散らかっていて、コーヒーの匂いがします。
「……おまえ、そんな鼻よかったっけ?」
は。ついつい人魚狼の力を垣間見せてしまいました。
「そんなことないですぶひ」
「ぶひ?」
あたしはるーるるーとごまかしつつ、草間さんに渡された資料に目を落としました。
「家出少女捜しですか」
「おう。犬でも猫でも人狼でもねぇぞ。人間の女子中学生な」
やりましたね出世しましたねー、と喜んだら失礼かなと思いましたので、あたしは無言でうなずきましたよ。気づかいは飼い犬科の必須スキルですからね。
「居場所のアタリはつけたんだけどな、いきなり俺が乗り込んでくんじゃ怖がらせちまうかもだろ? で、接触役はおまえにやってもらおうってわけだ」
「それは了解しましたけど、こちらの方のご趣味とか部活動は?」
「えー、帰宅部9年ギャル3年、ウケればなんでもいいらしいぜ?」
ちょーウケるー。
って、今でも言うんでしょうか?
どうやら保護対処の方とあたしとがずっ友になれる可能性、まったくないみたいです。
「そもそも帰宅部なのにお家に帰ってないんですよね? 虚偽申告ですよ」
『探してんのかもな……自分がほんとに帰りたい場しy』
少し離れた場所から監視している草間さんとの通話をぶった切り、携帯電話を制服――生きている服のポケットにしまいました。おじさんの脂っぽい浪漫にお付き合いしてる暇なんかないのです。
そしてあたしは足音を忍ばせて、錆び錆びのトタン(今時めずらしい!)で造られた倉庫のまわりを巡りました。
草間さんの捜索によれば、この中に保護対象者がいるらしいですが……侵入できそうな穴はなく、裏口もありません。
「穏便に入るなら正面の入口しかないみたいです」
『運命の扉ってのはいつだってひとt』
報告の電話も途中で叩き切り、あたしは倉庫の正面へ戻ります。
ギャルの人が自分からこんな町外れの廃倉庫に来るなんて考えられません。だとしたら、誘拐犯か家出をそそのかした誰かがいっしょにいるでしょう。揉めるくらいならいいのですが、切れたナイフみたいに襲ってくるかも。
あたしはアイテムをいつでも取り出せるよう準備して、倉庫の入口を小さくノック。
「誰もいらっしゃいませんよねー? 開けさせていただきますー」
と、アルミのやわなドアのノブに手をかけた、そのときでした!
「マジ入ってるんですけどクモー」
ドアを開けて顔を出したのです――アラクネが。
いえ。なんと言いますか、その。
すさまじく獰猛で、高い知性を発揮して人間を捕食する人外アラクネを、丸っこくディフォルメしてゆるキャラ化したみたいな、ふっかふかの着ぐるみっぽいなにかがです。
「どうしたんじゃー、新米? 宅配かえ? まさか、子どもか!? ええい、下がっておれ! 妾が追い返してくれるゆえ! あやつらはすぐモンスターをゲットしようとしよるからの――」
アラクネさん(と言うよりありません)を押し退けてバーンとドアを引き開けたのは。
「……なんじゃおまえ?」
「あ、いえ、その、家出したっていう中学生の娘さんをですね、探しに」
しどろもどろ、あたしは説明してしまいました。
だって初めてだったんですよ!?
「痴女の方」
……を、目撃したのは。
「誰が痴女じゃいーっ!」
憤る痴女の方。白い肌によく映える黒革のマイクロビキニにスプリングコートを引っかけています。
「どこからどう見てもちがうじゃろうが! ぬしの目は節穴か!?」
騙されませんよ。いくらあたしが信じやすい性格でも、あなたが普通の人だなんて。まあ、強いて言うなら。
「うーん、お化粧してないお顔が童顔垂れ目でなければ、もっと痴女っぽかったのではないかと」
「痴女などではないと言っとろうがいーっ!!」
「草間さん、倉庫に国籍不明の痴女の方が」
『あー、こっちでも確認した。異国じゃなくて異界の痴女じゃね?』
「広めるな確認するな決めつけるなーっ!! 待っておれ! 今見せつけてくれるがゆえ!」
大仰な言葉遣いをされる痴女の方は、倉庫の奥に駆けていきました。
「あの、草間さん? このままだとあたし、見せつけられてしまうようなのですが」
『おっさんの露出狂じゃねぇんだからいいだろ。ってか俺と替われ』
「それは断固拒否します」
風紀が乱れますからね!
草間さんはものすごく不機嫌そうに舌打ち、あたしに指示しました。
『じゃ、あの女が帰ってくるまでクモの着ぐるみに聞き込みしとけばいいんじゃないですかねっ』
ブツリ! 通話が切れました。
草間さんのあまりの大人げなさに愕然としつつ、あたしは取り残されたアラクネさんへコミュニケーションを図ってみることにしました。
「あの、あなたは」
「あーしぜってー帰らねークモ!」
いきなり見つけてしまいました。中学生女子じゃなくてクモですけど。
「どうしてそんな姿に?」
「マオーサマに錬金術で改造してもらったクモ。マジやばいクモ?」
かさかさ。8本脚の後ろ4本を器用に使って1回転してみせるアラクネさん。あ、背中にチャック発見です。これ引っぱったら、中から出てきちゃうのでは?
「中の人なんかいないクモ!」
お約束なのでした。
こほん。気を取り直しまして。
「マオーサマというのはまさかあの」
「妾がマオーじゃーっ!!」
すごい勢いで駆け戻ってきたのはもちろん、あの痴女の方でした。
黒ビキニはそのままですが、体のあちこちに、ドクロをモチーフにした黒い防具をつけて、赤いマントを羽織っています。
悔しいですけど……すばらしいプロポーションですね!
「確かにそのお体でしたら、露出したくなる気持ちもわかります……!」
くっ殺せの心で、あたしは痴女の方から目を逸らしました。
体もすばらしい痴女の方ですが、お化粧したその顔は垂れ目が切れ長に修正されて、凄みのある美人顔になっているのです。勝てません。クラスではおとなしい美人で通っているという噂を聞いたような気がしなくもないあたしでは。
「いやだから痴女ではないとうに! マオーじゃマオー! 漢字で書けば魔法の“魔”に王様の“王”!」
それはそれは、ご親切にありがとうございます――って!
「まさか、コスプレイヤーの方だったなんて!」
「コスプレイヤーでもないわいーっ!!」
「でもその防具、プラスチックですよね?」
最初はちょっと気圧されたりしていて気づかなかったのですが、近くで見れば丸わかりなのです。
「これは確かに3Dプリンターとレジンで造った自作品じゃが――なにせ資金不足での。だってしょうがなかろ? 最近のパチ(ンコ)は出玉が渋いんじゃから。あれは絶対裏で店員が操作しておるにちがいないのじゃ」
そんな、噛み締めた唇から血を流すほどですか。
なんでしょう。草間さんとはまたちがう方向のダメさを感じます。
「魔王様、あーしらいるクモ! 世界征服とかして鉄の防具造っちゃおうクモ!」
「鉄は重たいからイヤじゃー。それに妾、本当は魔王なんぞより声優アーティストになりたかった……」
前半もダメですけど、おいこら後半おい。ただの声優じゃなくて声優アーティストって。今時中学生だってそんなとんでもない夢語りませんよ。
「あーしの連れもそんなこと言って養成所行ってたけど、あの業界エリートコースみたいのあって一般から入った子、マジつらいらしいクモ」
「やってみなきゃわからんじゃろ!?」
「それに魔王様、声ぶ――声優ファンにウケないクモ。ファンが好きなの美人系じゃなくてかわいい系だしクモ。万が一なれても売れないクモよ?」
「うう。妾魔王じゃから、清楚さ皆無じゃしの……」
元中学生の魔物に諭される魔王。なかなかに地獄絵図ですね。
いけません。猛烈にやる気がなくなってきましたが、これもお仕事ですので投げ出すわけにいかないのが辛いところです。
「あの、1回その着ぐるみ脱いで家に帰ってもらえませんか? とりあえずその後のことはあらためておふたりでお話を」
ダメトークに興じていたおふたりが、唐突にくわっとあたしを返り見て。
「そんなことさせられるか! 声優アーティストの夢破れし今、妾に残された道は世界征服しかなし! 尖兵は失えぬ!」
「時給932円のバイト、やめらんねーしクモ!」
「それ、東京都の最低時給――」
「プラス3食昼寝つき、寮完備だしクモ」
あ、ちょっと条件いいクモじゃなくて、かも。――って、魔物業はバイトなんですか。魔王様パチンコで負けてるのに、よくそんなお金ありますね? いやそれよりも、錬金術が使えるならそれでお金とか資材とかそろえればいいのでは?
心の中であたしがいそがしく考えている間に、アラクネさんは静かに言いました。
「それにあーし、魔王軍に入ってやっと帰りたい場所できたクモ。……運命の扉はいつだってひとつきりなんだクモ」
保護対象者、草間さんと同レベルじゃないですかー。
とにもかくにも、報告する相手がすねて電話に出てくれないので、どうしようかとあたしが悩んでいましたらば。
「魔王様、どうしましたサル?」
「まさか勇者じゃないウオ?」
「魔王様。鶏団子ちゃんこの味つけ、味噌でいいですトリ?」
倉庫の奥から、なんだかぞろぞろと現れましたよ着ぐるみたちが。そろってファンシー。もれなくゆるゆるです。
こうなれば……! あたしは呼吸を整えて、アイテムへ手を伸ばしました。まずこの場を切り抜けて、その後で保護対象者を確保しましょう。
「まあ、ここで立ち話をしているとふくらはぎが痛くなる。妾貧弱じゃからの。とりあえずちゃんこでも喰らいながら続きを話すとするか」
ええっ!?
あたしはなんだかわからないうちに倉庫の奥に連れて行かれました。
そしてみんなで輪になってちゃんこ鍋をつついて――怪鳥着ぐるみの人が鶏団子食べてる図はなかなかにシュールでした――他愛のない話なんかして。
それなりに馴染んだあたりで、切り出されたのです。
「とりまあんたも改造されちゃうクモ」
「そういえば錬金の秘術を尽くして縫いあげた着ぐるみが余っておったのう」
言ってしまいましたね着ぐるみってぇー!
「我が軍に新たな戦力としてグリフォンが加わったわけじゃ」
……着せられてしまいましたよ、着ぐるみを。鷲とライオンを混ぜ混ぜした化け物(ただしもふもふ)に、なっちゃいました。
ちなみに。背中にチャックがあるんですけど、自分じゃ届きませんよ。中は妙に居心地というか着心地いいですけど、お風呂とかどうしたらいいんでしょうね。
「最初の2週間は試用期間じゃ。自分には魔物、合わんなーと思ったら申し出よ。それまでの給料を換算し、翌月10日に振り込んでしまいじゃ。続ける場合も月末締めの10日払いは変わらんからの」
「わかりました、グリ」
で。
あたしのバイト魔物試用期間生活が幕を開けたのでした。
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