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<東京怪談ノベル(シングル)>


水は誘う
 寒いと暖かいの狭間のある日。
 アリア・ジェラーティは、ぼんやりとした目をなんとなく前に向けて、ふわふわ歩いていきます。
 あたたかな風に押され、涼風に手を引かれ、街の奥へ。家並の外れへ。町の向こうへ。
 そして。
「――あれ?」
 小さな山の中で、ようやく我に返ったのでした。
 今日、家の手伝いはお休み。なのでぼーっとしていたら、自分でも気づかないうちに歩き出してしまったようです。それはアリアにとって、いつものことではあるのですが……
「おー」
 アリアはぽやっと声をあげました。
 彼女の目の前には剥き出された岩肌があって、しかも奥へ続く口が開いていたのです。
「洞窟」
 そういえばこの間、雪になりきらなかった雨が長く続いたせいで、山に土砂崩れが起こったと両親が言っていました。この洞窟もそれで姿を現わしたのかもしれませんね。
 ともあれ、歩いてこれる距離に謎の洞窟発見! 構造によっては氷室として使えるかもしれません。
「別荘、欲しい……」
 アリスの大事なものがしまってある地下の冷凍室はもういっぱいなのです。そろそろなんとかしなくちゃなぁと思っていたところでした。
 こうしてアリアは今までとはまるでちがう、強い足取りで洞窟へと踏み込んだのです。


 アリアの頭のてっぺんとほとんど同じくらいの高さしかなかった洞窟の口、その奥には、ぽっかりと広い空洞が広がっていました。
 どんな構造なのかはわかりませんが、鍾乳石に覆われた天井はところどころ地表と接しているのでしょう。全体がほの明るくて、見えなくて困ることはありません。
「広すぎるし、けっこうあったかいからここはダメ」
 水滴を避けながら、アリアは奥へと進みます。
「傘、持ってくればよかった」
 少しずつ洞窟の天井が低くなってきました。明るさも減り、気温も下がっていきます。いい感じ。
「でも路の途中じゃ落ち着かないし、ここじゃ宝物が濡れちゃうし」
 というわけで、さらに奥へ。奥へ。奥へ。
 ――んー、もしかしたら、このまま山の向こうまで行っちゃう?
 アリアがそう思い始めてから40秒後。
「わー」
 再び開けた洞窟の真ん中にあったものは、地底湖でした。
 直径にして100メートル以上はあるでしょうか。はるか上方を覆う天井から突き出したトゲトゲの鍾乳石は白く光っていて、そこからとめどなくしたたり落ちる水滴が雨のように湖面を揺らしています。
 しかも。
「魔力……」
 水面から立ちのぼるひんやりと心地いい魔力が波紋に乗って拡散、あたりの空気をしっとり満たしているのでした。
「きもちいい」
 アリアは魔力の素になっているものを探ろうと、湖の縁でしゃがみこみました。水は青く澄んでいて、底まで見えそうなのですが――石灰質の灰色が混ざった波紋に邪魔されて、よく見えません。
 思わず彼女が水をかき分けようと手を伸べた瞬間。
「触らないでください。律が乱れます」
 アリアが目を上げると、湖の中央に、ひとりの少女が立っていたのです。
 もちろん、人間であろうはずがありません。その灰色がかった肌はつるつると輝き、いかにも硬そうです。
「……誰?」
 アリアの問いに、少女はぎちぎちと表情を動かして笑みを浮かべ、答えました。
「わたしはこの湖を守護する者です。あなたはなにを求めてここへ来たのですか?」
「私は……すごくよさそうな洞窟だったから、氷室、作れないかなって思って。誰かいるなんて、思ってなかったの」
 アリアはぺこりと頭を下げます。
 その素直さに、少女はまたぎちぎち微笑んで。
「そうでしたか。でも、ここはわたしの大切な場所ですので、あなたに提供するわけにはいかないのです」
「そっか。……あ、このお水、ひと口だけもらってもいい? すごくいい魔力、感じるから……」
 少女はゆっくりかぶりを振りました。
「この水はわたしの一部。差し上げるわけには――」
 アリアは「う」と息を詰めます。
 見れば見るほど、感じれば感じるほど、この湖には上質の魔力が蓄えられているとわかります。触れてみたい。味わってみたい。なによりアイスを作ってみたい!
「あの、申し訳ありませんが」
 あら。知らないうちに口から漏れ出してしまっていたようです。
 アリアは名残惜しい目を湖に向けて、えいと振り切りました。
「そうだよね……。お邪魔しちゃって、ごめんなさい。この洞窟のこと、誰にも言わないから」
 これ以上湖を見ないようにしながら、アリアは元来た路を引き返そうとしました。
 でも。
「この湖を見てしまった方を、お返しするわけにもいかないのですよ」
 少女――いえ、わたしはアリアに告げます。
「どうして……?」
 ぽやっとした無表情の内に焦りを滲ませて、アリアがわたしに問いました。
 まあ、説明くらいはしておかないといけませんね。それが獲物に対するせめてもの礼儀と言うものでしょう。
「ここは普段、山の奥に埋まっています。でも、一定の距離にわたしの魔力を感知できる者が現れた際、口を開くのですよ。その者を誘い込むために」
 そう、アリアをここへ呼んだのはわたしなのです。
 アリアは宝物を運び込める別荘を探しに来たようですが、わたしが探していたのはその宝物なのですから。
「やめて」
 アリアの手から凍気が迸り、わたしを凍りつかせました。
 問題はありません。この体は鍾乳石の石灰質で造った依り代のようなもの。だから、こんなこともできるのです。
 バラバラに砕けたわたしの後ろに、新しいわたしを生やします。そしてわたしはアリアへ湖の水を――わたし自身でもある魔法水を噴射しました。
「っ!」
 アリアはころんと転がってこれを避けました。
 1体1ではなかなか時間がかかりそうです。ですので。
「わたしの数を増やしてみましょうか」
 わたしは湖のあちらこちらからわたしを生やしました。そして一斉に魔法水を、アリアへ浴びせかけます。
 ですがアリアはあきらめません。
 ころころ転がりながら、氷雪で鎧った右手を床へ打ちつけます。地面を覆う鍾乳石が割れ、たくさんの欠片ができあがり。
「えいっ!」
 アリアはその欠片たちに氷雪をまとわせ、撃ち出しました。
 物理と魔法、両方の力を乗せた散弾が、わたしを次々と撃ち砕いていきます。ぽやっとした子だとばかり思っていましたが、意外に頭は悪くないようですね。
 こうして。わたしが粉々になっていく間に、アリアは立ち上がって外へ向かいました。
「あら大変。このままでは逃げられてしまいます」
 わたしはおろおろしてみせて、心の中で舌を出しました。
「……あれ?」
 アリアの逃げ足がどんどん鈍くなっていきます。
 そうでしょうとも。だってアリアはここへ来るまでに、思うよりもたくさん浴びてきたのですから。わたしの一部である、鍾乳石の石灰分を含んだ水滴を。加えて、先ほどの魔法水の飛沫もです。
 服へ染みこんだ石灰が固まって、アリアは体をうまく曲げ伸ばしできなくなったわけですね。
「追いかけっこは苦手ですので、このまま体の自由を奪わせてもらいますね」
 ひとり戻ったわたしは、ゆっくりとアリアの背中へ近づいていきました。
 と。
 アリアが勢いよく振り返ったのです。
 どうやって? ――すぐにわかりました。私に固められた服を凍らせて砕き、体の自由を取り戻したのです。
「女の子は慎みを持たなければいけませんよ」
 言い終えたわたしの胸にアリアの掌が叩きつけられて、わたしは一瞬で凍りつかされました。ひとりに戻ったのは、ちょっと失敗でしたね。
 下着をまとうだけの姿になったアリアが、外への路に駆け込んでいきます。
 わたしはそれを砕けながら見送って……笑みました。

「どうして……?」
 困惑するアリア。
 あったはずの路が、今は鍾乳石に閉ざされていたからです。
 これはわざと説明していなかったのですが、私の本体は湖にあるわけではありません。言ってしまえば、湖を含むこの“洞窟”こそがわたしなのです。
 わたしは湖へ戻る口も鍾乳石で閉ざし、アリアを路の中に閉じ込めました。ああ、ちゃんと明かりはつけておきましたよ? あの子の表情が見えなくなったら、楽しみが半減しますからね。
 さあ。白く光る鍾乳石から、魔法水を降らせましょう。
 身を守る衣服を失くしたアリアの肌に、わたしという石灰質が這い、浸透していきます。
「あ、ああ」
 肌が固まっていく不快感に、アリアは身もだえます。凍気を放ち、天井の鍾乳石を凍らせます。
 でも、すべては無駄なあがき。わたしは氷を少しずつ水で溶かし、またアリアへ降りかかりました。1……2…3、456789。リズミカルにとめどなく、彼女を侵すのです。
「や、め――」
 今です。アリアの唇が開いた瞬間、濃密な魔力をまとったわたしはその中へ。外と内から、開いたままの形で口を固めてしまえば、あとはもう彼女の体内へ入り放題というわけです。
 そうしておいて、わたしはアリアの肌を満たす水分を追い出し、わたしで満たしました。ぷにっとやわらかかった彼女の肌が、つるつると硬い鍾乳石へ換えられていきます。
 でも、アリアはまだ抵抗をやめません。ありったけの魔力でわたしを追い出そうとあがくのです。そうですよね。誰だって、石になんてなりたいはずがありません。
 わたしは思い出しました。今までわたしの内で石に換え、閉じ込めてきた命の数々と、その抵抗、嘆きの表情を。
 初めは確か、迷い込んできた羽虫でした。その次はネズミやコウモリだったでしょうか。まあ、それらはわたしの奥深くに埋まってしまっているので、確かめようはないのですけど。
 ――ああ、比較的浅い場所に人間が何体かあったはず。せっかくですから、探し出してアリアといっしょに並べてあげましょうか。
 そんなことを思いながら、わたしはアリアの内から粘膜を侵しつつ、血に混じって隅々まで行き渡り、細胞を固めていきました。
 まずは末端部から。そこから少しずつ、体の中心へ、石を拡げていくのです。
「――!」
 自分がゆっくりと石へと置き換わっていく恐怖に、アリアが声をあげます。もちろん、音にはなりません。もう喉も声帯も固められていますからね。得意にしているのでしょう氷雪魔法も、体が動かない以上は使いようがありません。
 わたしはうきうきとアリアへまとわりつき、満たしながら、冷静なふりをして声をかけてみました。
「アリア、気分はどうですか?」
「……」
 救いを求めるように上向いて、物言わぬ鍾乳石の像と化したアリア。
「わたしの気分は――上々ですよ!」
 たまらず高い声をあげて、わたしはアリアを、なによりも神聖なわたしの内――湖へと引きずり込みました。
「時間はいくらでもありますからね。愛でさせてもらいますよ、先の先まで。奥の奥まで」
 侵し、犯し、冒す。なによりも楽しい時間の始まりです!