|
暗黒の女神
情欲が高まると、海綿体に血液が流れ込む。
イアル・ミラールの場合は血液と一緒に、呪いの力そのものも流れ込んで行く。そして噴出する。
浴びた者を石像あるいは水晶像に変えてしまう、呪いの噴出物。
これの根源を、断ち切らなければならない。
まずはイアルの体内における、呪いの力の流れを切断する必要がある。
魔法による、ちょっとした手術を行う事となる。
だから私はイアルの肉体を、一部分だけを除いて石化させた。言わば麻酔である。
生身の一部分が、私の眼前で隆々と屹立している。強烈な、牡獣の臭いを発しながらだ。
この部分から、呪いの力を切断するための魔力を流し込むのだ。
「その前に、ふふっ……もう少し、遊んであげたい気はするけれど」
「させません。裸足の王女は、私たちが迎え入れます。神として」
何者かが、私の独り言に応えながら、いつの間にかそこにいた。
「貴女たちの玩具になど、させてはおきませんよ」
「だっ……誰だ、お前は!」
私の後輩の魔女たちが、狼狽している。
雷雲を思わせる黒いローブに身を包んだ、優美な姿が1つ、研究室の中央に佇んでいた。
ゆったりとした、その装いの上からでも、扇情的な女体の凹凸は見て取れる。
顔立ちは美しく、そして若々しい。イアル・ミラールと、そう違わぬ年齢ではないだろうか。
もっとも、女の年齢を外見から判断してはならないというのは、魔女の世界では常識である。
この女も魔女か、それに類する禍々しい何者かであるのは間違いない。
とてつもない魔力が、黒雲のようなローブの揺らめきに合わせ、溢れ漂っているのだ。
「お目にかかるのは初めて? 名乗るほどの名前など持ち合わせてはおりませんが……貴女がたのお名前にも、今やこの世に残す価値はなし。消えていただこうかしら」
「お前は……まさか、暗黒教団……!」
私は息を呑んだ。
「殺された連中の、仇でも討ちに来たのかい」
「あの者たちは教団の恥さらし、いずれ私の手で処刑せねばと思っていたところ。手間を省いていただいて感謝しております。もっとも」
暗黒教団の女が、ちらりと視線を動かした。氷塊に閉じ込められたまま飾られている、1人の娘へと。
「それをしてくれたのは、そこで無様を晒しているエヴァ・ペルマネント……滑稽な置物に変えられたもの。ついでに、それも頂いて行く事にいたしましょうか」
禍々しく揺らめく、暗黒色のローブ。その周囲に、複数の何かが生じた。
人影、いや異形の影。人ならざる者どもが、召喚されたのだ。
下級の、悪魔族であった。
「目障りな魔女結社の方々には、そろそろ本当に消えていただきます」
「ぬかせ。消えるのはお前の方さ」
下級悪魔の一部隊が、襲いかかって来る。
そいつらを、私は攻撃魔法で迎え撃った。
エヴァ・ペルマネントを氷漬けにした、冷気の嵐。それが下級悪魔たちを冷凍・粉砕する。凍りついた肉片が、バラバラと散る。
暗黒教団の女が、微笑んだ。
「さすが……腐っても魔女結社、という事」
「下っ端の悪魔を召喚するしか能のない連中に、負けはしないよ。いくら腐ってもね」
「では、こちらを召喚するといたしましょうか」
黒雲のようなローブが、雷鳴と電光を発した。私の目には、そう見えた。
その電光が、空気の歪みを照らし出す。そのようにも見えた。
歪んだ空気が、あるいは空間が、禍々しく実体化を遂げてゆく。人の形に、だ。
そのものたちに、暗黒教団の女が命令を下す。
「ウェイク……ゲシュペンスト・イェーガー」
自分が目覚めているのか夢の中にいるのか、まだわからない。
とにかく、誰かと抱き合っている。イアル・ミラールはそう感じた。
まとわりついてくる細腕のしなやかさ、押し付けられてくる胸の弾力。絡みつく美脚の感触。悪戯を仕掛けてくる、指先と唇。
抱かれ方にも、抱き心地にも、馴染みがある。
「……エヴァ?」
イアルは呼びかけた。
微かな笑い声が、くすくすと耳元をくすぐる。
「ちょっとエヴァ……貴女は、また朝っぱらから」
言いかけて、イアルは絶句した。
違う。エヴァ・ペルマネントではない。
相手の顔を見る前に、イアルは理解した。
エヴァの肉体にはない、有り得ないものが、太股の辺りに押し当てられているからだ。
隆々と固く、膨張している。イアルのそれと、同じように。
「エヴァ・ペルマネントなら……ほら、そこに」
有り得ないものを生やした女が、その繊手を気怠げに動かして指し示す。
巨大な氷塊が、そこにあった。常温でも溶け出さない、氷の棺。
その中に、エヴァはいた。
「彼女は私の……妹、と言うべきかしら? ふふっ。出来損ないの姉と、選ばれし妹よ」
「貴女は……」
誰なの、と言葉を続ける事がイアルには出来なかった。
女が、イアルのそれをキュ……ッと優しく握り込んだからだ。
「貴女の、この御立派なものは……後天的に、植え付けられたものでしょう? 私は違うわ」
おぞましく屹立したものをイアルに擦り付けながら、女は言った。女、と呼ぶべきなのであろうか。
「私は生まれつき……霊鬼兵の失敗作として、この世に生を受けた時から。ふふっ……偉大なる『虚無』の思し召し、なのかしらね」
笑いながら、彼女は怒り狂っている。それが、イアルにはわかった。
「だから私は……『虚無』を、許さない。盟主たる、あの女神官を許してはおけない」
「やめて……」
汚らわしい快感が、イアルの声を、吐息を、甘く弾ませる。
「許せないから、と言って……彼女に戦いを挑むなんて……絶対に駄目……巻き添えで、大勢の人が死ぬ……」
「勝てるわ。『虚無』に対抗し得る強大な神を、造り上げる事が出来れば」
霊鬼兵の失敗作であるらしい女が、イアルの生やした醜悪なるものを強く握った。
「そのために私は、この暗黒教団を立ち上げたのよ。神を育てるのは、人の信仰心だから」
強く、時には優しく、彼女の優美な五指は、イアルのおぞましいものを嬲り続ける。囁きに合わせてだ。
「悪魔族の中から適当な個体を召喚して本尊に据え、大勢の人々に信仰させ……彼ら彼女らの純粋な祈りと願い、どす黒い欲望と邪念、そういったもの全てを注入して、神に育て上げようとした。けれど全て失敗。まるで私のような出来損ないの神もどきを、誕生させては廃棄処分……それを繰り返しているうちに暗黒教団は、そうね。一時期の魔女結社、程度には大きくなったわ。信者集めのノウハウは私、虚無の境界仕込みのものを持っているから」
彼女は、虚無の境界を憎んでいる。ではエヴァ・ペルマネントはどうか。エヴァに対しても憎しみを抱いている、何か危害を加える意図がある、のだとしたら、氷漬けのエヴァに身を守る術はない。
何とかしなければ、というイアルの思いも、穢れた快楽の中に溶けてゆく。
「エヴァ・ペルマネントは……私、嫉妬のようなものが無くはないけれど、憎いわけでもないわ。彼女もいずれ、あの盟主によって使い捨てられる運命からは逃れられないのだから。それより貴女よ、イアル・ミラール」
耳朶をくすぐる囁き声が、熱を帯びてゆく。
「虚無に対抗し得る、至高の神……貴女なら、成れるわ」
彼女の言葉を、イアルはもはや聞いてはいない。
認識能力が、理性が、知性が、快感の渦の中に溶け込んでいた。
そんなイアルの耳に、なおも囁き声が注がれる。
「空っぽになった、その心に……まずはサキュバスを召喚して宿らせる。神への第一歩よ、イアル・ミラール」
聖母。
名乗ったわけではないが、信者たちからはそう呼ばれている。
聖なる母である、と同時に聖なる父でもある肉体を、黒雲のようなローブに包み、聖母はステージ上に佇んでいた。
暗黒教団の、巨大な講堂。
ほぼ全ての座席を埋める信者たちに、かつて霊鬼兵であった聖母は告げた。
「今日この時、まことの神を私たちは得たのです。皆様どうぞ、さあ、お祈り下さい」
ステージの奥、豪奢な祭壇の中心部に、石の女人像が安置されている。
翼を広げたサキュバスの像、にも見える。石造りの、美しい女悪魔。
それが、女としては有り得ないものを隆々と生やしている。その部分だけが、石ではなく生身であった。
「女にして男、すなわち完全なるもの。偉大なるアンドロギュヌス……この全き神が、皆様の切なる祈りを聞き届けて下さいます。さあ、願いなさい。神にすがる以外の道を失った人々よ、祈り、願うのです」
聖母の語りに応じ、信者たちが口々に祈りを唱える。
「私を捨てた、あの男が……どうか、苦しみながら死にますように……」
「僕を鬱病に追い込んだ会社の連中……どうか全員、手足がもげますように……」
「引きこもって暴力ばかり振るう、私の息子を……どうか、安らかに死なせて下さいませ……」
「結婚……結婚、結婚、結婚させて下さい。お嫁さんになってくれる女性に、多くは望みません。ただ23歳以下で、可愛くて優しくて家事が出来てもちろん処女で」
祈りが、願いが、欲望が、講堂内全域で渦を巻きながら、女人像に流れ込む。
石造りの、女神。
その女神としては有り得ない生身の部分が、信者たちの妄念を漲らせ、固さと大きさを増していった。
|
|
|