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復讐は金
異世界の竜、シリューナ・リュクテイア。
人の姿をとり、人の世界で小さな魔法薬屋を営む彼女だが、その強大な魔力は人外潜む闇の底にまであまねく知れており、恐れられている。
そして今。
彼女の繊細な指により、並大抵の魔法使いでは解くどころか結び目すらも見つけられまい、唯一無二の最強魔法が編み上げられて。
彼女の弟子で魔法薬屋の店員、そしてなにより大切な妹分であるファルス・ティレイラを「抱き枕」に変えていくのだった。
「おっ、お姉様ぁ! どうして――!?」
「夕べは鑑定作業であまり眠れなかったから。昼寝には枕が必要でしょう?」
「だからってこんな! あっ、ソバ殻! 体の中がソバ殻にぃ!」
「外側は肌触りを考えてコットンにしたわ」
「枕も抱き枕もたくさん持ってますよねっ!? わざわざ私のこと……って、ムダに術式の編み目が複雑過ぎて構造がさっぱりわかんないーっ!!」
「そういえば、まだ試していない抱き枕もあったわね。今日はそっちを使うわ」
「わざわざ私のこと抱き枕化しておいて!? こうなったらせめて使ってくださいよーっ!」
「起きたら戻してあげるわ。我ながら術式が細かすぎて、解くのが面倒だから」
お姉様は邪竜オブ邪竜ですぅぅぅぅぅぅ!!
かくしてティレイラの絶叫が響き渡り。
シリューナは寝室のベッドで薄笑みながら、午睡の内へと落ちていったのだった。
「うう、お姉様の邪竜ぅ」
シリューナの術式のごく一部を解くことに成功したティレイラは、魔法薬屋のレジカウンターにもたれかかり、ため息をついた。
体の中からしゃくしゃく音がする。彼女の魔法知識と技術では、体の表面をコットンから肌へ戻すのが精いっぱいで、中まではどうすることもできなかったのだ。
と。
リンリンリン。ドアベルが澄んだ音をたてる。この音は、おまじないグッズを求めて訪れる人間ではなく、人知を越えた力を備えた“本当の客”の来店を告げる音。
「いらっしゃいませ。なにをお探し――あ」
「ごきげんよ、ろしくはないみたいね」
黒のスーツで身を固めた女。きっちりと結い上げた黒髪に細身の眼鏡と相まって、どこぞの会社の女幹部のようだ。少なくとも、初見で名うてのマッド錬金術師だと言い当てられる者はいまい。
「今日は仕入れですか? それとも納品です? まあ、お姉様は私のこと見捨ててお昼寝中なんですけどね」
しゃくしゃくしゃくしゃく。乾いた音をたてるティレイラ。
女は苦笑いを漏らし、彼女の腕に触れる。
「今日は納品に。……ああ、結び目は解けているのね。これなら書き換えられる。解呪と理がちがってもよければ、なんとかしてあげるけど?」
しゃくしゃくうなずくティレイラ。
女はいくつかの秘薬を混ぜ合わせ、ティレイラに染みこませた。すぐに薬がソバ殻と反応し、本来あるべき血肉へと変換していく。
「うわー、ありがとうございます!」
体のいろいろな場所を押したりつねったりしてみて、ティレイラはぺこりと頭を下げた。
「いいのよ。たまには普通にいいこともしておかないとね」
女はにこやかにかぶりを振り、そして「忘れるところだったわ」とビジネス用の手提げ鞄から包みを取り出してカウンターの上へ置いた。
「これ、リュクテイアさんに頼まれてた“金粉”よ」
包みの中身は、女の言葉どおり金粉だった。
「……この瓶って透化銀ですよね? 中身、危なくないんですか?」
透化銀とは文字どおり、錬金の業(わざ)で透明化した純銀だ。魔力との親和性が高い銀は、逆に魔力を封じ込める壁ともなる。
が、この粉が納品物なら、客であるシリューナの身の安全は考慮されているはず。だとすればこの透化銀の瓶は十二分に安全を考えて――
「え? 危ないけど?」
愚問だった。
それはそうだ。なにせ相手はマッドなのだから。
「リュクテイアさんからの依頼は100グラム。でも、20グラムくらい多めに入ってるわ。それはこちらの都合だから、もちろん追加料金はいらない。でも」
女が笑みを浮かべ、そっと。
「それって20グラム減ったとしても問題ないってことよね?」
「え? あの、どういうこと、ですか?」
「この金粉はね、生体を純金に書き換える粉なの。お客さんが換金できないように防止処置はしてあるけど、とにかく20グラムあれば人間ひとり、余裕で金の像にできる」
ティレイラはうう、と顔をしかめた。この粉、シリューナはまちがいなく自分に使う気だ。
いつもいつも、手を変え術を変え、ティレイラを像やらオブジェやらにしたがるシリューナ。いや、そういう目に遭う理由は結構な割合で彼女自身のせいだったりもするのだが、なんにしてもこの粉をそのままシリューナへ渡してしまっては我が身が危ない。
……そういえば。シリューナは今、ここにいないのだ。
この粉を受け取った自分が20グラムもらったとしても、シリューナにとがめる術はなく、後で困ることもない。と、いうことは。
「やられちゃう前にやっちゃえ、ですよね」
ティレイラは気づかなかった。
女の口の端に、悪魔の笑みが閃いたことを。
抱き枕を抱え、まどろむシリューナ。
その片脇に、ティレイラが魔力と足音を忍ばせて近寄り、立つ。
せーの。心の中で弾みをつけ、口を開けておいた瓶から金粉をふりふり、シリューナの全身に降りしきらせる。
「っ」
際どいところでくしゃみしそうになったが、全力で我慢して、ティレイラはこそこそとシリューナから遠ざかった。
錬金の品は魔力を発しない。構成が魔法とはまったく異なるからだ。
だからシリューナに感知される恐れはない。ない、はず。
じりじりと見守るティレイラだが……シリューナの寝姿に変化はなかった。
やっぱりカウンターマジックされちゃってるのかな?
シリューナの域まで達すれば、無意識の内でも抗呪の魔法を常時発動させているものだ。そうでなければ、狩られることなく200年を生き抜けはしない。
ティレイラははらはらと見守り、ちょっとシリューナの寝顔に見とれ、閉店札をかけてきてしまった魔法薬屋のことを気にしたり――
(あ)
まるで過冷却水へ小枝を投げたように。
シリューナの肌へ一条の金がはしり、瞬時に拡がって、体表を覆い尽くした。
果たして顕われたものは、そう。
「お姉様の、金の像」
10秒かけて5歩分の距離を0にして。
20秒かけて10センチの間を0にして。
ティレイラは人差し指の先で、シリューナの頬に触れてみた。
硬い。
それなのに、儚い。
純金はやわらかく、もろい。触媒として魔法でもよく使われる素材だけに、半人前のティレイラもその特性は十二分に理解していた。
「おじゃまします……」
そっと、シリューナのベッドへ潜り込んだ。爪先で傷をつけてしまわないように。脚で蹴りつけ、ねじ曲げてしまわないように。横向きになって眠るシリューナの背へ添い、腕と脚とを彼女にからめ、静かに息をつく。
――髪も硬いんだ。
いつもであれば、かすかな風にもしゃらしゃらとそよぐ黒髪。今は金を映し、ベッドへ流れた形を保って動かない。
――これ、お姉様がいつも見てる私。なんだよね。
最初は、いつものしかえしをしてやるつもりだったし、自分以外の誰かがオブジェになるということに興味がそそられた。
だから。ちょっといたずらして、写真なんか撮って後で見せて、いっつも私はこんな気分なんですからねーっと、頬を膨らませる……そんな他愛のないことを、考えていたのだ。
でも。
大事にされてるんだな。
ふとそんなことを思ってしまう。
シリューナは隙あらばティレイラを呪術の実験台にしたあげく固め、弄ぶが、生身を取り戻したティレイラの心身に傷を残すようなことはけしてしない。
どんなにやさしく触ってくれてるんだろう。どんな気持ちで、私のこと。
冷たい金にティレイラのぬくもりが移り、ほのかな熱を帯びていく。
今、シリューナの金の心臓が動き出したら――少しだけでも、胸を高鳴らせてくれるだろうか?
ティレイラはもの言わぬ金を抱き、想う。
お姉様に逢いたい。
想ってしまうともう、たまらなくなった。
起き上がって女に渡された変換解除粉の瓶を掴み、金粉とまちがえていないかを何度も確認してから手にすくい、シリューナへ……
「え?」
手が動かない。
粉に触れた箇所が金と化し、あわてて揺らしたはずみに粉が舞ってティレイラの体へ付着、どんどん金を拡げていく。
「え? え? だって、この粉、金じゃないのに!?」
「別に金を造る触媒が金色である必要はないのよ」
いつの間にか寝室の戸口にあの女が立っていた。
「え、って、これ」
「そう。それも“金粉”よ」
「騙っ」
「ごめんなさい。どうしてもあなたを金にしてみたくて。あたしのわがままのせいで……本当に、心から謝罪するわ」
しおらしい声を満面の笑顔から垂れ流し、女は為す術なく金へと変換されていくティレイラを見守った。
女はうきうきと2体の像へ近づき、それぞれの髪先を折り取った。
「さて」
錬金で効力を高めた水銀を入れたビーカーにそれを落とし込めば、ふたすじの髪は見る間に溶け出した。
「正しくアマルガムができたわね。純度は完璧。次は」
女の両手の爪先から細い雷が放射。
「伝導率の試験かしら?」
そこから繰り広げられたのは、さながら化学の実験だった。
女はあらゆる試薬や秘薬を用いてシリューナとティレイラの“純金”を証明し、金と化した神経と生体神経との伝達速度の差をグラフ化、さらには魂の重さの計算式をひねり出して課題を導き出していく。
そして。彼女たちの金の体を黄金律に当てはめ、その「美しさ」や「かわいらしさ」がなにをもって成されるのか仮説をたて、自らの心身をもってそれを検証しにかかった。
金に体をからめ、夢中で蠢く中、女は浮かされた頭で思う。
結局は嗜好なのだ。
好ましいからこそ美しいと呆け、かわいらしさに魅せられ、欲を抱く。
あとはそう、相手をどれだけ想うか。それだけのこと。
「残念だけど、あたしはあなたたちをそこまで想えないから。欲のまま弄ぶのが精々ね――」
弾けた後の余韻を楽しむ間もとらず、女は2体の像から離れた。
「余った粉はサービスしておくわ。楽しませてもらったお礼よ」
女は急いで魔法薬屋を出た。
もうすぐ“換金防止処置”が働いて、ふたりの体は生身に逆変換される。
物と効果をシリューナに見られれば、当然この騒動の原因が自分だと気づかれる。そうすれば彼女は、手段を選ばず報復してくることだろう。
「しばらくは今日の記録と記憶だけ持って外国暮らしね。ごきげんよう、おふたりさん」
「……状況と犯人はわかったけれど、肝心の共犯者がこれじゃ、尋問もできないわね」
血肉を取り戻した体を起こし、シリューナは自分の横に起き上がった形で固まった金の像を見やった。
“金粉”をあのマッド錬金術師に頼んだのは自分だし、もちろんそれはティレイラ相手に使うつもりだった。まさかティレイラがそれを使って逆襲してくるとは思いもしなかったが……すべてはあの女が来る日に昼寝などしてしまった自分のせい。
「マッドよりも先に、あの女が悪魔だってこと、ティレに教えておくべきだった……」
あの女は自分の欲を満たすために他人をそそのかし、使う。あれだけの錬金の腕がなければ、竜の力を使ってでもこの世界から消し飛ばしてやるところだ。
「どうせもうこちらの呪術が届かない場所に逃げ込んでいるだろうし――ああ、もう。まんまとやり逃げされたわ」
イライラとため息を吹き、シリューナは手を伸べた。
その指が触れたのは、未だ金から戻らないティレイラの首筋。
「怒りをぶつける先がティレしかないんだから。これはそう、しかたないことなのよ」
限りない優しさと慈しみを込めて。
シリューナは、金となってなお吸いつくような質感を失くさないティレイラの肌触りを愉しんだ。
「復讐はなにも生み出さない。でも、時には粋なはからいを生んでくれることもある。――胸に刻んでおかないと、ね」
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