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永遠の夜の中へ
問題は何一つ、解決してはいない。
イアル・ミラールとしては、そう思わざるを得なかった。
救うべき人々は、石像になったり氷漬けになったりしたままなのだ。
彼女たちを元に戻す事が、出来るのではないのか。自分はもう、うっかり噴出しぶちまけてしまったもので、他人を石や水晶に変える事はなくなったのだから。
イアルがそう詰め寄っても、魔女たちは言を左右するだけであった。
気分転換を勧められたのでイアルは今、散歩をしている。たまには外の空気を吸わないと、あの魔女たちに何か暴力を振るってしまいかねないのは確かであった。
着るもののないイアルに魔女たちが貸してくれたのは、水着かドレスか判然としない、桃色の際どい衣装である。
そんなものを着て街中を歩くイアルの全身に、道行く人々……主に男たちの視線が、嫌らしくまとわりついて来る。
あられもなく衣装を食い込ませた尻に、むっちりと露出した太股に、深く柔らかな胸の谷間に、劣情そのものの眼光が貼り付いて虫の如く這いずるのをイアルは感じていた。
それほど、不快ではなかった。
何やら、自分の魅力を再確認しているような気分になってしまう。
「……駄目ね、私も」
苦笑しながら、イアルは溜め息をついた。
1人の少女と、その時、擦れ違った。
淡い体香が、ふんわりと漂った。
イアルは立ち止まった。歩いていられなくなったのだ。
遠回しな手術をするくらいなら、これを切り取ってくれても良くはない?
イアルがそう言っても魔女たちは、やはり言葉をはぐらかしながら切り取ってはくれなかった。
それが、隆々と立っている。下着のような衣装を、内側から突き破ってしまいそうなほどに。
イアルは内股気味に、前屈みに、ならずにはいられなかった。
「な、何……何なの一体……」
うろたえながら、イアルは見回した。少女の姿は、どこにも見えない。
否、背後にいた。
柔らかな細腕が、後ろからイアルを抱き締めていた。
何かを、少女は囁いた。意味不明な何事かが、イアルの耳元をくすぐる。
呪文。そう気付いた時には、すでに遅い。
自分の身体の中で異変が起こるのを、イアルは呆然と感じた。
切られたはずの何かが、繋がってゆく。
繋がった通路を、おぞましいものが、凄まじい勢いで駆け抜ける。
少女の手の動きが、それを促進している。
魔女たちが切り取ってくれなかったものを、少女は握っていた。美しい五指が、イアルのおぞましいものに容赦なく絡み付く。
己の全てをイアルは今、この見知らぬ少女に握られていた。
「裸足の王女には、ね……私、前からずっと興味を持っていたのよ」
硬直するイアルの耳元で、少女が囁く。
「この世で一番、美しく神秘的な存在……そう思っていたのに。魔女や錬金術師と関わりを持ってしまったばかりに」
囁き、嘲笑う。
「……汚らしいケダモノに、成り下がったものねイアル・ミラール」
少女の繊手が、イアルの肉体を。
少女の言葉が、イアルの心を。
苛み、嬲ってゆく。
自分は今、この世で最も汚らしく浅ましいものとして扱われている。
そう思うだけで、イアルは止められなくなった。自分の体内を駆け抜けてゆく、おぞましいものの勢いを。
それが、迸った。
通行人たちが行き交う中、イアルは無様この上ない悲鳴を上げていた。
迸ったものが、激しく噴出しながらも衣服に阻まれ、イアルの全身を濡らし汚してゆく。
ドレスか水着か判然としない衣装が、全身でぐっしょりと透けてゆくのを感じながら、イアルは意識を失っていった。
汚らしい噴出物と一緒に、様々なものがイアルの体外へと流れ出していた。意識も、魔力も、理性も、誇りも尊厳も。
そして、人格も。
魔女たちによる手術は、完璧だった。
イアル・ミラールの肉体に生じた、女としては有り得ないもの。そこから噴出するものに、噴出してはならないものが混ざり込む事はなくなったのだ。
魔女結社の残党によって断ち切られた、イアルの体内の魔力バイパス。それを、しかし繋げてしまう呪文が存在する。
魔女結社、ではなくアルケミスト・ギルドが、まるで死に際の呪いの如く、イアルの身体に施したものである。
「裸足の王女のような美しい存在も、あの腐りきった世界にあり続ける限り……汚らしいケダモノに成り下がってしまう運命からは、逃れられない」
傍らに立たせたものに、阿部ヒミコは溜め息交じりに語りかけた。
つるりと美しいマネキン人形、のように見える。
その人形の、ある一部だけが生身であった。
おぞましく脈打ち屹立する、その部分を、ヒミコは愛おしげに弄び続けた。
「だからね、あの世界は滅ぼすの。だけど、その前にイアル・ミラール……貴女だけは、こちらに避難させておきたかった。これ以上、あの世界の穢れ腐れに染まってしまう前に」
ヒミコは微笑んだ。
「だけど……ふふっ。汚らしくて浅ましいケダモノの貴女、とっても可愛かったわ。こうして人形になってしまった貴女も素敵。いろんな服、着せてあげるのも楽しいかもね」
水着かドレスか判然としない、あの衣装は今、洗濯の最中である。洗濯機の回る音が、静かに鳴り流れている。
あの衣服に付着していた大量の噴出物は、搾り取って保管してある。貴重な、研究対象だ。
「慌てる事はないわ。時間をかけて、ゆっくりと研究してあげる。じっくりと、楽しんであげる……イアル・ミラール、貴女をね」
ヒミコは立ち上がり、バルコニーへ出た。
夜景が、そこに広がっていた。明かり一つない、深夜の街並み。
永遠の夜に、支配された街。
「あんな世界は、いつでも滅ぼせるから……」
この街でヒミコが語りかける相手は今のところ、背後で物言わぬ人形となっているイアル・ミラールだけなのだ。
「この街は今、初めて私以外の……誰かがいる街に、なったのよ」
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