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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


完全世界
「んー」
 油汚れや謎の焦げつきが無数に散った白衣を着ては脱ぎ、脱いでは着。
 その女は長身を深く折り曲げ、作業卓に置いた水晶球をのぞき込んだ。
 直径30センチほどの水晶球の中心には紫電が身を寄せ合うように浮かんでおり、時折極細の稲妻を放ちながら点滅している。
 と。
 紫電がばらりと崩れ、どこへともなく消え失せた……。
「んーんー」
 ショートボブに切り整えた白髪を振り振り、球を持ち上げてこれまた振り振り。
「入ってますか?」
 球をノックしてみるが、内に封じたはずの魔力はノックを返すどころか形を取り戻すことすらもなく、ノーリアクション。
「んーんーんー。せっかく溜めた魔力がお亡くなりになったか」
 糸目をさらに細めてため息をついた。
 女は異世界の竜である。そしてこの世界では名うての魔法具の研究者であり、製作者でもあった。
 最近彼女はある人物の仲立ちによって人間世界で魔法薬屋を営む別世界の竜、シリューナ・リュクテイアと出逢い――見てしまったのだ。シリューナが所有する魔法具を。
 芸術美と機能美に優れた品の数々は、研究者としての彼女を激しく昂ぶらせ、製作者として凄まじく嫉妬させた。……いや、それだけであれば、彼女は自室に戻って寝食を忘れる程度で済んだことだろう。
 が。
 彼女は見せられたばかりでなく、魅せられてしまった。
 魔力を丹念に練り込んだアマルガム(水銀と他の金属による合金)に封じられたファルス・ティレイラに。
 美とはすなわち機能美。そう信じてきた彼女に訪れた、運命の出逢い。
『この子は生きているから、その生命力が押し詰められた一瞬がここに在るから、これほどまでに美しくて愛おしいのよ』
 たまらない表情で語るシリューナを恐ろしいとは思えなかった。それどころかむしろ――
 女は唇を引き結び、考える。
 魔力を圧縮・蓄積して保存し、しかも自在に取り出せる「蓄魔器」の製作。それだけでも難しくはあるが、ぜひその器に美を宿らせたい。
 彼女は悩み。理論を見なおし。設計図を描きなおし。サンプルの魔法回路を編み。ぱぁーっと投げ出して床に転がった。
 だめだだめだだめだ。全体をひとつにまとめる構成力いやインスピレーションが足りない!
「……アウトプットのためのインプットが必要だ」
 女はふらりと立ち上がり、固定電話の子機を取り上げた。


「と、いうわけで、雑談をさせてもらいに来た」
 女は言いながら、招き入れられた応接室のテーブルに設計図と各種素材、道具を広げだした。
「あの、お茶はどこに……」
 さっそく茶器の置き場がなくなったテーブルと女、シリューナを順に見ながら、盆を持ったティレイラが困り果てる。
「まあ、お客さんのご要望にお応えするのがホステスの務めでしょう。お盆は邪魔にならない床に置いてちょうだい」
 苦笑しながら言うシリューナに、ティレイラはふるふるとかぶりを振って。
「私、持ってますから!」
 行儀の悪いことをして、シリューナの評判を下げるわけにはいかない。決意をたぎらせるティレイラに苦みのない笑みを向けて、シリューナはうなずいた。
「お願い」
 そして女へ向きなおり。
「魔力回路のほうは空間操作を応用してみましょうか。圧縮率をどれくらいにするかにもよるけれど」
「できる限り高い魔力を封じたい。理論上は――んー、でも下手に安定されると世界が吸い込まれるな」
「器を変えるのが適当ね」
「簡単に思いつくのはミスリルくらいだが……コストがかさみ過ぎるし、なにより魔力染みがな」
「磨きのほうは専門職に頼むしかないかしら」
「んーんー、いっそ空間操作で切るというのは?」
「バランスによるわね。ああ、でも、逆回転させて貼り合わせれば」
「器の調整はこちらの得意だ。まずは編んでみてもらえるか?」
 よどみなく交わされるシリューナと女の言葉。
 ティレイラにもある程度以上は理解できるが、ふたりの会話のところどころが「前提」を省略しているので、展開についてわからないところも多い。
 ――でも、これが魔法使いなんだよね。
 魔法使いといえば、より強力な魔法を使いこなすことがすべてと思われがちだが、実はどれだけ既存の知識と術式を組み合わせ、高い効果を成すかが“腕”となる。
 どれほど低レベルであれ、「知らない魔法」は防ぎようがないし、「知っている魔法」も組み合わせ次第で最高レベルの魔法を凌ぐものだ。
 などと、ティレイラがうなずいていると。
「まずは無機物より有機物で試すべきだな。いざとなった際の耐久力がちがう」
「魔力を充分に内包している有機物が適切ね。いざというときの復元力がちがうもの」
 女とシリューナの目が、同時に彼女の顔を見た。
「……はい?」

「お姉様は邪竜オブ邪竜ですぅぅぅぅぅぅうううううう!!」
 シリューナの重力魔法に押さえつけられ、体細胞の分子変換――結晶化をかけられたティレイラが、今のところかろうじて無事な頭を振りながら叫ぶ。
 ここまで来ればティレイラにも完全に理解できた。シリューナと女が小難しいことをあれこれ言い募っていたのは結局、ティレイラを使って実験するための準備でしかなかったのだと。
「魔法の発展のためよ。蓄魔器が完成すればいろいろと自動的にはかどるんだから」
「なにがいろいろ自動的なんですかああああああああ!?」
 シリューナは小首を傾げ。
「はかどるのよ。自動的に、いろいろと」
「順番が変わっただけですぅぅぅぅ!」
「外殻の調整は済んだ。そろそろ完了してくれ。魔力を吹き込んで調整するぞ」
 女が、ティレイラの硬化した体表に術式を染みこませながら言う。
「いいわよ」
「よくな――」
 結晶化が完了し、世界でもっとも硬質な像となったティレイラの内に、シリューナがふたつの次元断層を創りあげた。
 いわば極薄の異世界と異世界の縁を重ね合わせる力技だが、ひとつを右回転、もうひとつを左回転させることで、互いの拒絶を中和し、強固な“壁”と成す。
「魔力注入」
 女が“壁”の内に魔力を注ぎ込んでいく。その際限のない魔力量は、女が人ならぬものであり、シリューナやティレイラと同様の竜であればこそ。
 大量の魔力がふたつの世界の回転の中央へ押し固められ、内へ、内へと落ち込んで……魔力的なブラックホールを形成した。
「……安定した。単一の理で抑え込もうとしたのが失敗だったな。初手で理を重ね合わせてしまえばあとはまさに自動的、というわけだ」
「さすがにこれだけの作業をひとりでするのは難しいでしょうけれどね。……とにかく、この魔力回路ならランニングコストを考えずに相当量の魔力を蓄められるわ。無機物にも応用は容易ね」
 女はうなずき、シリューナへ。
「今はひとつでも多くのデータが欲しい。君の魔力をあの子に注いでみてくれないか。調整はこちらで引き受ける」

 シリューナの指先からあふれ出す魔力が、女の指を、腕を、体を伝い、逆側の指からティレイラへ流れ込む。
「……実際見せられると驚くしかないわね。自分だけじゃなく、私の魔力圧まで変圧してティレと同期させるなんて」
「私が魔法具製作者として立ちゆけるのはこの“調整”あってのことだからね。まあ、魔法使いとしての力は君に随分劣るわけだが」
 女は言葉を返しながら、シリューナと共にティレイラを見る。
 シリューナの強大な呪いと繊細な魔法技術によって単結晶――構成分子が一切の歪みなく並んだ結晶――と化したティレイラ。
 その限りなく澄んだ“殻”の内にはふたつの次元断層が回転を成し、さらにその奥では女の魔力を飲んだティレイラ自身の赤き魔力とシリューナから伝わった黒き魔力が、竜眼をもってしても見定められないほど高速で回転して押し詰まっている。
「私の魔力がティレの魔力に呼ばれている。それをこうして見ていられるのは……感慨深いものね」
 シリューナが目を半ば閉じた。
 ティレイラとの時間を慈しむように。
 ティレイラとの融合を愛しむように。
 女はそんなシリューナの甘やかな表情をまぶしげに見やり。
「さて、実験データは記録できた。彼女の内から君の魔力を戻すぞ。調整が必要だから、君の中に少しばかり回路を編ませてもらう」
 ――シリューナの内に魔力回路が編み上げられ、展開する。
 別世界の同族が扱う魔法に興味はあったが、根本から理の異なる魔法を読み解くことは、シリューナであっても困難だ。
「今日はいろいろと参考になった。礼を言うよ」
「私も楽しかったわ。ティレの美しさをまたひとつこの目で確かめられたから」
「そうか。こちらはまだもうひとつ確かめたいものがあるのだがね」
「なに?」
 女は薄笑み。
「蓄魔器はいわば魔力の電池だ。だったら直列つなぎもしくは並列つなぎが可能かを確かめたいじゃないか」
「!」
 魔力回路が形を成した。
 シリューナの内に生じたのは、2枚の次元断層だ。
「まるで得意じゃない類の魔法なんだが、君のお手本があったからね。コピーして同じものを創らせてもらったよ」
 シリューナはすぐにカウンターマジックを発動しようとしたが、体内で発動させた魔力が異次元に遮られ、外まで届かない。
「そして単結晶化……これもコピーだよ」
「最近してやられることが多くて参るわね。魔法使いの看板もそろそろ降ろすべきかしら」
 指先とつま先から徐々に結晶化していく我が身を見下ろし、シリューナはため息をつく。
 自らの魔力回路を読み解かれることは、魔法使いにとって敗北を意味することだから。
「安心してくれ。解析したわけじゃない。調整の応用でまるごとコピペしただけさ。ごまかすために術は尽くさせてもらったがね」
 女の言葉を最後まで聞くことなく、シリューナの結晶化が完了した。


 今、女の前にふたつの蓄魔器がある。
 シリューナとティレイラの形を持ちながら、幾重もの理を張ることで器と化した結晶体が。
「まずは魔力の充填だな」
 女はシリューナの固い唇に自らの唇を合わせた。唇に貼りつけた魔力回路を通じ、充分な魔力量がシリューナへ注がれ、その奥にある黒き魔力塊へ吸い込まれていく。
「確かに感慨深いものだ。誰かと自分とを交えるということは」
 昂ぶるまま、女はシリューナの首筋に唇を這わせる。
「なにも生み出さず、なにも成し得ない……が、その無駄にこそ、魅せられる」
 女は無理矢理にシリューナからもぎ離した唇で紡ぎ、ティレイラの伸べた指先にシリューナの指先を触れさせ。
「まずは直列」
 ふたつの蓄魔器が繋がったことで、内の魔力が引かれ合い、指先へ向かおうとして次元断層に阻まれる。これほどに触れ合いたがっているのに、けして互いにたどりつくことはできないのだ。
 1歩下がってその様を見つめる女。
 まるで宇宙のようだ。あれほどの数がまたたいているのに、その距離は果てなく遠く、互いに出逢うこともできないまま燃え尽きていく、星。
 しばし見とれた女は名残惜しげに、それでもふたりの間に立ち、魔力の路を差し込んだ。断層を貫いた路をたどり、シリューナへ流れ込むティレイラと、ティレイラへ流れ込むシリューナ。
 調整などなにひとつしていないはずなのに、ふたつの魔力は互いを受け入れ、より強い力を成していく。
「並列なら繋げられるか……断層の安定が失われるが……今後の課題だな」
 かくて孤独だった星は出逢い、互いの魔力を受けて輝きを放つ。
 好事家ならずとも、この様を見れば財のすべてを投げ打ってでも手にしたいと望むだろう。そう、望むのだろうが。
「思い知らされるな」
 シリューナとティレイラの間に、他者が割り込むことはできないのだと。
「パーフェクトワールド、というわけだ」
 女はため息をつき、そして顔を上げた。
「せめて堪能させてもらおうか!」


「……で、逃げなかったのはいいけれど、覚悟はできているのね?」
 応接間。疲れた顔に怒りの笑みを貼りつけたシリューナが女へ訊いた。
「覚悟はないが、貴重なデータを取らせてもらった礼はあるぞ」
 女が実験データをまとめた資料をシリューナへ手渡した。
「今回こちらが使った術式もまとめてある。いろいろと自動的にはかどらせてくれ」
「はかどらせるわ。自動的にいろいろと」
 固い握手を交わす女とシリューナに、ティレイラが高い声をあげた。
「え、終わりですか!?」
「なにか問題でもあるのか?」
「いえ、なにも問題ないわね」
「それ答えるのお姉様じゃなくて私ですーっ!」
 キーっと憤るティレイラに、シリューナは涼しげな顔で。
「進歩に犠牲はつきものよ。今回は私も犠牲として我が身を捧げたわけだし」
「今後の犠牲って私ひとりですよね!? しかもお姉様が私のこと犠牲にするんですよね!?」
「ええ。それを思えば今日の屈辱なんて小さなものだわ」
 お姉様は邪竜オブ邪竜ですうぅぅぅぅぅぅう!!
 ティレイラの絶叫を聞きながら、女は荷物をまとめて立ち上がる。
「ではそろそろおいとまするよ」
 これ以上、邪魔をするのは野暮というものだろうからね。
 胸の内でつぶやいて。