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<東京怪談ノベル(シングル)>


小路の使徒
「問おう。我らが護るべきものとはなにか?」
 闇の内より忍び出した声音に、白鳥・瑞科は紅を引いた唇をゆるく笑ませ。
「主の威光ですわ」
 声が続けて、問う。
「我らが示すべきものとはなにか?」
「主の御心ですわ」
「我らが下すべきものとはなにか?」
 瑞科は鳳眼を半ば閉ざし、夢見るように言い切った。
「主の慈愛ですわ」
 黒きラバースーツに包まれた肢体が湛えるは、淫魔のごとき妖艶。
 しかし。
 背より立ちのぼる苛烈と、眼に宿る清廉が。彼女を見る者に思い知らせずにはおかない。
 その女が“刃”であることを。
 闇底に在りながら天光を映す、いわば“月”であることを。
「それではわたくしも問わせていただきましょう。主の敵は、どこにおりますの?」
 ――人の世に跋扈する魔と対し、これを討つことを意義とする組織“教会”。その意義のもっともたるを体現する狩人こそが“武装審問官”。幾振りも存在しない対魔の剣の内でも最強と銘打たれた刃――瑞科が今、己を抜き放つ。

『邪教の徒を狩れ』
“教会”からの指令に、瑞科はただうなずいた。
 主の慈愛、その現し身として求められた以上、ただ応えるのみだ。
「調整は終わってるヨー。フィッティングするからネー」
 武装審問官の装具開発と調整を一手に引き受ける女――見た目はただの幼女だが――博士が、助手代わりの修道女たちに合図を送る。
「機能だけならいーんだけどサー。キミってば注文が小うるさいからナー」
 瑞科の肌を守るラバースーツの上に、次々と装具が重ねられた。
 魔獣の革を聖刃でなめした手袋、内蔵を衝撃から守りつつ、その位置を固定するためのコルセット、対魔の呪句を刻んだ絹糸で織られた純白のケープとニーソックス、人造聖骸布・改2型による、深いスリットの入った修道衣。
 同性、それも世俗を捨てて主に仕えることを選んだはずのシスターたちが、瑞科に触れるたび、思わず甘い息をつく。
 唯一なにも感じないのは博士くらいなもので、瑞科の引き締まっていながらやわらかさを残す肢体に魅せられたシスターたちへぞんざいな指示を飛ばしつつ、装具の具合の点検をし。最後にひとそろいのブーツを突き出した。
「こっちも人造がついちゃうけど、ミスリル杭のヒールつけたブーツ。まだ試作品だからさ、強い! ってしか言えないんだけどネー」
 足を差し込んだ編み上げブーツの紐を結び、ミスリルのピンヒールで床をカツリと鳴らして感触を確かめた瑞科は歩き出す。
「すべては戦いの中で測らせていただきますわ」
 不安も疑問も口にすることなく、瑞科はまっすぐと闇へ踏み入り、その姿を消した。
「……装具の説明は、あれだけでよろしかったのですか?」
 シスターのひとりが博士におそるおそる訊いた。
「ま、いつもあんなんダー。気にスンナー。それなりに使えりゃー困んねーくらいは使いこなすサー」
 博士は大げさにため息をつき、頭を掻く。
「あのコは頭も腕も神がかってっからね。アタシら凡俗にゃーさっぱりだーな」
 マッドと名高き博士の一見普通な苦笑に、シスターたちがざわりと引いた。


 昨今、邪教の巣は街中にある。
 人を隠すには人の中へというわけだが、人ならぬ魔までもが紛れられるほど、街は薄暗さを増しているということなのだろう。
 ――新世紀を迎えていながら、わたくしたちは主の光ささぬ暗き時代へ押し戻されているのかもしれませんわね。
 人気のない小路に歩を進める瑞科は胸の内でうそぶき、腰に佩いた細剣の柄に手をかけた。
 邪教の徒により、人払いのまじないがかけられた小路に、人がいる。
「名乗りは必要ですか?」
 瑞科に対してかぶりを振った男は、服の裾や襟、袖から垂れ落ちた肉を揺すりながらかぶりを振った。
「おかまいなく。あなたを飼うつもりはありませんし、僕はもう、人間辞めてますし」
 男の肉がちぎれ落ち、アスファルトに爆ぜる。
 爆ぜた雫が蟲と化し、高い羽音を響かせ、飛び立った。
「喰われたわけではありませんわね。捧げたのですか、あなた自身を魔に」
「はい。入信した次の日に。だっていいことないじゃないですか、この世界って」
 男がかすかに顔をしかめた。おそらくは人だったころに受けた仕打ちを思い出したのだろう。
 瑞科は剣を抜き放ち、男へ切っ先を突きつけて。
「自死は主の御愛を穢す大罪。それをしなかったことにだけは報いましょう」
 蛆の体に蝿の羽、そして男の顔を持つ蟲どもが、キーキーと嘲笑しながら瑞科へ襲いかかった。
「ひれ伏しなさい」
 瑞科の左手から重力弾が放たれ、蟲どものただ中でその“重さ”を解放した。
 悲鳴をあげながら路に叩きつけられ、潰れゆく蟲。
 が、その軛を逃れた数多の蟲どもはひるまない。剥き出した歯を、瑞科へ突き立てんと迫る。
「点よりも、線」
 右手の細剣が横薙がれ、先頭を飛ぶ蟲どもを斬り払い。
「一閃よりも、一撃」
 剣を振った勢いでそのまま半回転した瑞科のなまめかしいラインを描く右脚が、修道衣のスリットを割って伸び出し、孤月を描く。
 重力をまとわせた後ろ回し蹴りが蟲を引き寄せ、打ち潰していく。
「一撃よりも、轟閃」
 掲げた左手からあふれ出した雷が紫雨と化し、残る蟲どもを焼き尽くした。
「――そして陽動には迎撃を、ですわ」
 剣が、瑞科の脇をくぐって後ろへ突き出されていた。
 切っ先に喉を貫かれた女が、息を飲もうと口元を蠢かせ、そのまま果てた。
「色を変えて忍び寄ったところで、魔物臭さまでは隠せませんわ」
 瑞科は男へ目を向けて。
「こんな小兵程度では、わたくし満足できませんわよ?」
 男は笑い、揺すった肉をまき散らしながら応えた。
「いちばん近くにいたのが彼女だったので。協力してもらえるかなと思ったんですけど。なりたてはやっぱりダメですね」
「よほどの手を隠しているのでなけば、あなたもわたくしの相手はつとまらないかと思いますけれど?」
 男は余裕を崩さず笑みながら。
「ウチの教団って、決まった集合場所みたいなのないんですよ。僕らは街のあちこちにいて、繋がってるんです」
 男のまわりに浮かぶ新たな蟲どもの羽音が、そのトーンを変えた。
 いや、羽音が変わったのではない。
 変わったのは、空気だ。
「っ」
 瑞科が身をひねった瞬間。その胸先をかすめて塊が飛び去っていった。
「今のところの僕の力はこんなくらいですけどね。そのくらいの連中が何人かがかりだったらどうでしょう?」
 ビル壁から伸び出した鋭い棘が、とっさに構えられた瑞科の剣をかすめていく。
「弾む硬球に、壁の針ですか」
「そして僕は」
 男の生み出した蟲が自らアスファルトへその身を叩きつけ、体液をなすりつけていく。
「すべる脂、というわけですわね」
 瑞科自身が叩き落とした蟲どももまた、脂となって路を覆っている。あの男の狙いは蟲に瑞科を喰わせることではなかったのだ。
「わかってもらえたところで、始めましょうか」
 言い放つ男の横で、スーツ姿の冴えない中年が背中を丸めた。ちぎれ飛んだジャケットの背面からは鈍い金属質の殻が見えている。
 そして姿こそ見えないが、周囲のビル壁からは盛んに蠢動の気配が漏れ出してもいた。単体ならその挙動を読むことも容易いが、球と蟲とがそれを邪魔してくることは確実だ。
 追い詰めたつもりが、追い詰められているこの状況。
 しかし。
「これで楽しめますかしら?」
 瑞科は長い茶髪の毛先をぶるりと震わせる。
 恐れではなく、悦びを込めて。

 狭い路地に、球が跳ねる。
 脂をすりつけた硬球は不規則に横すべりながら瑞科へ跳びかかり、よけられるとすぐに壁を跳ねて軌道を変える。
「ふっ」
 瑞科は重力弾を握り込んだ左掌でこれを弾くが、壁から伸び出した棘がすぐに硬球をすくい、左右から交互に球を跳ね上げてまた軌道を乱すのだ。
「さしずめピンボールですわね」
 問題は、ボールの的が瑞科ひとりということと、そして蟲だ。
 球と針の間隙を埋め、八方から襲い来る蟲は、叩けば叩くほど路を脂で侵し、瑞科の足場を奪っていく。
 幾度めかもう数え切れないほどの強襲を弾いた瑞科だったが、上から来ると見せてななめ下から跳び上がってきた硬球を受けた際、勢いに押されて一歩退き――路に落ちた蟲脂を踏んで、バランスを崩した。
 と。またも跳ねた硬球が、壁から突き出した針に貼りつき、タイミングをずらして落ちてくる。
 受けるつもりだった左掌は空を切り、間に合わない。
「試させていただきますわよ――」
 瑞科は未だ足場を得られず、すべり続けている左足の踵を強く押し出した。
 その圧力を感知したブーツが、人造ミスリルのピンヒールを射出、脂を貫いてアスファルトへ突き込まれる。
「な!?」
 確実に瑞科を叩き潰す。その心づもりに水を差された硬球は声をあげるが、もう落下を留めることはできない。
「面には点」
 聖と技とを併せて研ぎ上げられた剣の切っ先が硬球の一点を突き上げ、硬球自身の重さをも利して突き通した。
「神敵に紫雷の裁きを」
 剣身を駆け上った雷が、殻の奥にある魔の肉を、骨を、血を、焼き尽くしていく。
「えげげげげげえええええええ」
 球が解け、路に落ちた。
「――!」
 同胞の死を目の当たりにした棘が、左右の壁から突き出てくる。
「ひとりではなく、ふたりでしたか。本当にピンボールでしたのね」
 剣を高く放り上げた瑞科が、革に鎧われた両手で左右からの棘の先端を掴み。重力弾を押しつけた。
 突然、超重量を負わされた針の先が下へ落ち、根元――ビル壁に同化していた本体ごと、壁から剥がれ落ちた。
 男女の区別がつかない矮小な双魔が、左右から同時に目を剥く中心で、瑞科は艶然と笑み。
「ようやく顔を合わせられましたわね。これでごあいさつができますわ。――ごきげんよう」
 紫雷を左右へ投げ、双魔を同じように焼き尽くした。
「まだお友だちがいらっしゃるのでしたら、すぐに来ていただくほうがよろしいですわね」
 静かに語る瑞科へ、残された男はかぶりを振り。
「あとは神のそばに控えてるはずです。でも、僕だってまだ終わってませんし」
 蟲の脂を路へ、壁へ積もらせながら、男が歯を剥いた。
「踵が刺さらないくらい厚く脂を盛れば、動けないでしょう?」
 男の体が人型から変じていく。短くやわらかな足を無数に持つ脂蟲へ。
「報いると言いましたね。その言葉だけは守りましょう」
 直ぐに立つ瑞科へ脂蟲が迫る。自らの積もらせた脂の上をすべり、複雑な軌道を描いて瑞科の踝へ――
「雷よ」
 瑞科の両手から放たれた雷が脂に突き立つ。
 聖なる雷は邪なる脂と反発し、その“摩擦”が炎と化した。
「あああああああ」
 自らの脂を糧に燃え立つ炎にまかれ、脂蟲が悲鳴をあげる。このままでは、神に報いることなく滅ぶ。まだ復讐もしていないのに。いやだ。いやだいやだいやだいやだ!
「ああああああ!!」
 彼の背を突き破り、伸び出したのは羽。脂が燃え尽きるにはまだ時間がかかるはず。瑞科の動きが封じられている間に、空から!
「あなたが逝く先は煉獄の底ですわ」
 瑞科の手に、剣があった。先ほど上へ投げていたが、いつまでも戻ってこないことで忘れていた……!
「跪きなさい」
 瑞科の剣から伸び出した雷刃が彼の羽を斬り払い、燃え尽きさせた。そして。
「苦しませるつもりはありませんわ。もう、お逝きなさい」
 やわらかな体に衝撃が突き通され、激しく揺さぶられた瞬間。男はなにを考え、感じる間もなく意識をかき消された。


「アジトがないのであれば、祭壇もないということですわね。だとすれば」
 教祖ではなく、神そのものがこの街にいる。
 瑞科は剣を鞘に収め、小路を後にした。
 魔が人の中にいるというのであれば、もっとも多くの人が集う場所にこそ魔も潜んでいるはず。
「教えていただきに行きましょうか。神を騙る者の教義と戯れ言を」