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<東京怪談ノベル(シングル)>


人中の門番
 魔に穢された風が、“武装審問官”最強たる白鳥・瑞科の鼻先をかすめた。
 ――そのまま行かせはしませんけれど、ね。
 引き結んでいた赤い唇をふわり、やわらかく笑ませる。
 ただそれだけで。
 街を行き交う人々が、彼女の笑みに釘づけられた。
 瑞科のまとう深いスリットの入ったシスター服や、編み上げブーツから伸び出す純白のニーソックスなどには、不思議なほどに視線が集まらない。いや、誰もが見てはいるのだが。
 その艶やかな肢体を鎧い、浮き立たせる衣装は、瑞科という存在そのものに満ち満ちる澄んだ玲瓏を飾る額縁でしかなく。ゆえに彼女自身への関心を高めこそすれ、情欲や嫉妬を引き出すようなことにはなりえない。
 ごく自然に瑞科から距離を取り、呆然と見つめるばかりである。
 ……ごく一部の例外を除いて、だが。

「自信がおありなのですわね?」
 歩みながら、瑞科が問う。
「ああ、それなりに」
 凄絶な魔臭を放ちながら瑞科のとなりに並ぶ、女。隠すどころか見せつけてくる――それをためらう必要のない強者というわけだ。
「君の肉が喰いたい。血を浴び、魂を犯し、記憶を消して赤子の体へ移植し、大切に守り育ててまた殺したい」
「内から漏れ出す気配と体の持つ力の噛み合わなさ、依り代ですか」
「正確には異なるものではあるが、そのようなものだね」
 瑞科は眉根をかすかにしかめ。
「好きではありませんわね、女を食い物にする魔物は。心弱き人々を弄び、遊び場の版図を拡げたがる身の程知らずも」
 女は瑞科の切っ先さながらの視線を苦笑で流し、肩をすくめてみせた。
「殺すかね?」
「ええ。もう救えないところにまで堕ちたその体ごと」
「それは困る。困るから――抵抗してみようか」
 色のない炎が瑞科の足元から噴き上げ、その身を包み込んだ。
「……この程度では、“教会”の護りは侵せませんわよ」
 瑞科の装具はそのすべてに聖と科学による対魔処理が施されている。開発者である博士の言を借りるなら、「ドラゴンブレスだって2発は無効にできるカナー」というレベルのだ。
「まあ、体のポテンシャルが足りないのはしかたない。私の子どもたちはまだまだ数が少ないからね」
 無色であるがゆえに、まわりの人々に瑞科を包む炎は見えない。さらに言えば。瑞科が抜剣しても巻き込む心配はない。
「このままおひとりでわたくしと対しますか? それとも、あなたのお子様方をお呼びになられますか?」
「今は少々たてこんでいるのでね、子どもたちを呼びつけてはかわいそうだ。私が君と戦うよ。ひとりでは心細いから、私たちでね」
 瑞科の剣に心臓を貫かれた女が、笑顔のまま絶命する。
 しかし、魔臭は消えるどころか、より濃密さを増した。臭いの消えた女の向こうから。瑞科の背後から。こちらを見ようともせず歩き続ける人々の間から。ビルの上から……押し寄せてくる。
「自信がおありでしたら、かくれんぼすることもありませんでしょうに」
「いや「私は恥ず「かしがり屋「な質で「ね。内緒「で遊「びたいのさ」
 八方から投げつけられる言葉。そのすべてが女のものだ。
 瑞科は視線を薙ぎ、声の出所のおおよそを測る。発せられた声は7。魔が気配を散らしていることを考えれば、狭間にあと何体かの依り代を紛れ込ませているはず。
 ――人々がこちらに気づかないのであれば。
「なにをしようと問題はない。そういうことですわね」
 うそぶいた瑞科の体に魔弾が撃ち込まれた。
 細剣の柄頭でこれを打ち落とした瑞科は腰を据えたまま反転、冷気魔法を左の裏拳で打ち払い、前へ跳ぶ。
「人の目を塞いだのは失策でしたわね」
 アスファルトへ突き立てたピンヒールが瑞科を支え、次の一歩の起点となる。
 スリットを押し分けて伸びる脚で、なまめかしくも緻密なステップを踏み、瑞科は人波を渡り、ただひとりこちらへ目を向けていた女の喉を掴んだ。
「数を増やすだけで押し潰せるとお思いなら……三流ですわね」
 雷を女の体に通し、神経を焼き切った。
「ひとつかふたつ減らしただけで切り抜けられると思っているなら、私も残念だよ」
 三方から投げ込まれた黒球が瑞科の頭上でひとつに重なり、濃密な闇と化して振りそそぐ。
「たとえ魔法と言えど、重さから放たれることはできませんわ」
 瑞科が切っ先に灯した重力弾が闇を引きずり寄せ、飲み下す。闇を喰らって膨らんだ弾を、今魔法を投げた女のひとりへ投げてその体を押し潰し、残るふたりを雷で屠った。

「魔法がお上手ですのね。ただ、依り代のほうはそうでもないようですけれど」
 人々の間から進み出た女たちが一斉に笑んだ。
「揺らがないね。普通の顔をした女は殺しづらいだろうと思ったのだが。幼児にでもしておけばよかったかな」
「同じことですわ」
 瑞科は剣を正眼に構え、切っ先を揺らめかせる。
「魔に魂を喰われたものへ伸べられる救済の手はひとつきり――主の御心を映す刃で、その魂を魔から断つ。それだけですもの」
「なるほど、揺らがないわけだ。いけすかない思い込みに囚われている」
 それぞれの口で語りながら、女たちが瑞科を取り巻く。手に構えたナイフの刃は濡れており、毒が塗られていることを示している。
「全員が捨て身。さて、かわしきれるかな?」
 一斉に、女たちが瑞科へ跳びかかった。
 正面から突っ込んできた女の手首をつま先で蹴り上げ、その勢いに乗って瑞科は中空へ。先陣3人の突進をかわしておいて、彼女はその頭頂部へヒールを突き込んだ。
 脳を貫かれて動きを止めた女をそのまま足場とし、くねるように体を巡らせた瑞科の剣が、次に迫っていた女の首を落とした。
 そして回転を止めず、回転しながら足場代わりの女たちの崩落をコントロールした瑞科は下へ。行き交うナイフの下へ潜ってやり過ごし、引き抜いた右足で女たちの脚を刈る。
「っ!」
 女たちが崩れたときにはもう、瑞科は蹴り足をアスファルトに食い込ませ、回転を止めている。慣性を止めた反動を利し、今度は左足を引き抜いて、彼女はまた上へ。女のひとりの腹を膝で突き上げ、くの字に曲がったその体を左手で引き回す。
 まわりの女のナイフがこの即席の肉盾に突き立ち、絡め取られていく。
「剣技と魔法、どちらにも非凡であることは知れたよ。ぜひ名前を聞かせてほしいところだね」
 血と泡を噴きながら倒れ、激しく痙攣する女には目もくれず、他の女たちが口の端を歪めて言った。
「呪いをかけるためですの? わたくしの名は、わたくしかあなた……どちらかの最期に語らせていただきますわ」
「つれないね。だが、敵とはすべからくつれないものだ。ああ、ちあみに名を聞きたかったのはただの興味だよ。気に障ったならゆるしてほしい」
 瑞科はかすかに表情を引き締めた。
 この魔が余裕を気取っているのではないことは明白だ。そして思っていたよりも“やる”のであれば、これまでの行動のすべてに意味がある。
 素手のまま襲い来る女たちを斬り伏せ、穿ち、焼き切りながら、瑞科は魔の次の手を待つ。現状でなにをしてくるか予想はつかないが、どのような手を打たれたとしても、打たれた端から食い破れば済むことだ。
「警戒はしながらも読みはせずか。その自信が果たして君をどこまで生かすものかな」
 最後に残った女を斬り、瑞科が呼気を吹いた瞬間。
 後方から飛来する狙撃弾。
 瑞科はこれをターンでかわして雷を投げ返し――ビルの屋上に控え、最後の隙を狙っていたらしい依り代を撃ち抜いた。
「これは?」
 今度こそ息をつき、あらためてアスファルトに突き立った弾を見やれば、それは魔法ならぬ実体弾……いや、むしろそれは極短のロッド……
「そういうことでしたのね」
 ロッドから、込められていた呪いがあふれ出す。今瑞科が殺した女たちの血肉と魂を代償に、修羅地獄の底より、来たる。

 瑞科はもう一度息をついた。
 4本の手にそれぞれバスタードソードを携えた骨の剣士は、“教会”においては「騎士」と呼ばれる脅威度の高いアンデッドモンスターであり、戦い慣れた武装審問官でもチーム戦を挑むことを推奨されている存在だ。
「門番代わりにしては少し大仰ですわね」
 魔が瑞科に女たちを殺させたのは、騎士を呼び寄せるに足る無念を積み上げる目的か。魔が自らの手を振るわなかったのは、殉教させてしまっては女たちを贄として使えないから。
 結局、まわりの人間を巻き込まなかったのも、これを実行するまで瑞科に悟らせないためだったわけだ。
「迷える子羊の魂の欠片すら、主の御手へお渡しできませんでしたこと、おゆるしください」
 瑞科は憂いを込めて天へ祈りを捧げ。
 これまでになかった闘志を握り込み、剣を振り上げた。
「そして、あの魔に教えてさしあげますわ。己の計算の甘さを」
 振り下ろされたバスタードソードを受けず、瑞科は体を横に向けてかわしつつ、その手元へ踏み込んだ。
 盾を持たずに剣ばかりを掴んでいることから、攻め気が高いのは知れる。踏み込めば当然、残る3本の剣で斬りかかってくるだろうことも。
 タイミングをずらして振り込まれた2本の剣を足捌きだけでかわし、瑞科は雷をまとわせた切っ先を突き込んだが。
 ギィン! ギロチンさながら、横へ振り下ろされた最後の1本に阻まれ、落とされた。
「最後の一手は残しておく。意外に慎重ですのね」
 追撃の三連突きをステッピングでかわし、間合をとった瑞科は細剣を上段に構えなおし。
「お相手いたしますわ。技の限りを見せてくださいませ」
 そのまま一歩踏み込んだ。
 がら空きにされた胴へ誘われた騎士が、ソードの2本を瑞科の鳩尾と肝臓へ突き込む。手首をあえて固定せずにやわらかく保つことで、払われてもすぐに軌道を修正して再襲する突技だ。
「まずは1本」
 上から閃光のごとくに斬り下ろされた細剣が、鳩尾を狙う剣を手首ごと斬り落とした。当たった瞬間に刃を引くことで、宙を舞う花びらすらも両断する、日本式の剣術である。
 そうしておいて、肝臓への剣へ背を向け、剣の腹を背に添わせることで受け流し、騎士の剥き出しの肘関節へ切っ先をねじり込む。挙動の支点である肘を押さえられた腕はその動きを止め、切っ先のひねりで容易く斬り落された。
「2本」
 2本の腕を損なったことで動きを取り戻した騎士が、残る腕で肘打ちをしかける。
 瑞科はその肘を重力弾で補強した左掌で進行方向へ押し出し、体勢を崩させた。
「3本」
 瑞科が数えたのは、遅れて振り下ろされてきた4本めの剣。3本めを防がれることを見越して、騎士がかけた保険だ。
 瑞科は崩れゆく騎士の膝へブーツのヒールを打ち込み、自らの体を固定。重力弾を這わせた剣を突き上げて騎士の尺骨を削ぎ斬った。
 乗せられた重さを支えきれず、3本めの剣ごと騎士の腕がへし折れる。
 がしゃりと倒れ込んだ4本めの腕は、振り上げる間もなく斬り落された。
「これで、4本」
 はるか昔に朽ちたはずの騎士の頭をなにかが震わせる。
 それが恐怖であると思い出すことは、最期を迎えてなお訪れてはくれなかった。


「そろそろご本体とお会いできますかしら?」
 再び「瑞科」を取り戻した街を渡りながら、彼女は小首を傾げた。
 魔が子どもたちと呼ぶ信徒を呼び寄せなかったことには意味がある。おそらくはこの街の何処かで、なにかしらの儀式の準備を進めさせているのだろう。もしかすれば、瑞科の命を容易くすり潰すほどの。
「すべては主の御心のままに」
 瑞科は十字を切り、強く歩を踏み出した。