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<東京怪談ノベル(シングル)>


暗線の魔
 すえた臭いがする。
 淀み、渦巻き、絡み合い、吹き散らされた――濃厚な魔の臭い。
 人界の守護者たる“教会”にあって、魔を狩る“武装審問官”。その中で「最強」と呼ばれる白鳥・瑞科は眉根をかすかにひそめ、地下鉄の改札へ続く階段を下る。
「人の気配がありませんわね。魔にしては過ぎるほどのお行儀ですけれど」
 魔にとって人間とは、自らの飢えを満たす糧であり、穢れた力を深淵から引き出すための贄である。街中という喰らい放題の場にあってそれをしなかった魔は、果たしてなにを企んでいるものか。
「どうであれ、邪な企みであることにまちがいはないのでしょうね」
 それでも。魔によってその命を使い潰される犠牲者がいないことを、瑞科は天に感謝する。人の命が護られるのであれば、たとえどのような企みがこの身に降りかかろうとかまわない。
「すべて斬り抜けてみせますわ」

 駅員すらもいない改札を抜け、ホームに立つ。
 それを待っていたのだろう。すべりこんできた電車の最後尾車両の扉が瑞科の前で開いた。
「街のあちらこちらから、この電車へ集まってきていたわけですか。確かにこれならばアジトはいりませんわね」
 見えはしなかったが、最前の運転席のあたりに魔がいるはず。臭いがそれを示していた。ならばためらう必要はない。
 瑞科はまっすぐに進み、すぐに走り出した列車の内で、見た。
「――贄も糧も、人ではなかったのですわね」
 もとは車両の内にぎっちりと詰まっていたのだろう、人を捨てた魔の眷属ども。
 それが瑞科の目の前で互いに殺し合い、喰らい合い、すすり合っていた。
『ああ。人間は力が薄すぎて吸収効率が悪いからね。力が欲しければ力を持つ者から取り込む。別におかしなことじゃあないだろう?』
 車内アナウンスが瑞科へ告げる。
 老いの深みを湛えながら太く張った、力強い声音。
「それが本当のお声ですのね、魔族の方」
『もちろん、これもまた仮初めに過ぎないわけだがね。ともあれ、君にも協力してもらうよ。より強き子どもを生み育てるために』
 車内に残された数匹の眷属が瑞科へ向かう。
 無数の細長い腕を振るう者がいた。
 瑞科はその手の爪に噛み裂かれる寸前、身を翻し。ミスリルを研ぎ上げたピンヒールを腕の中心――本体の芯へと叩き込んだ。ミスリルの聖性が魔性に対する毒と化し、その身を侵した。
 倒れ込んだ眷属を包み込み、その体を溶かし喰らった粘液状の眷属が、今得た力を触手に変え、四方から瑞科を打ち据える。
 右手の細剣で円を描く瑞科。その剣閃が押し寄せる触手を斬り飛ばすが、斬られた直後から再生を始めた触手がまた瑞科へ迫る。
「天の鎚に打たれたことはおありですかしら?」
 瑞科の左掌から放射された雷。
 高電圧の嵐のただ中へ突っ込んだ触手は引き攣れてすくみあがり、動きを止めた。
「これが、天鎚ですわ」
 スリットを割り、高く突き上げられた瑞科の右脚。ラバー、ニーソックス、そしてロングブーツで鎧われたなまめかしい脚に雷がはしり。
 振り下ろされた紫光まといし踵が、粘液を激しく泡立たせ、焼き潰した。
「どれほど向かわせても無駄ですわ。あなたのお子様は、あの騎士にすら及びませんもの」
 スピーカーの向こうの声音がくつくつと笑い、『さて』。
『そうとは認めたくないものだよ。親が子を信じないなんてひどい話はない。そうだろう?』
 瑞科はそれ以上付き合わず、最前へと駆ける。
 どれだけ殺されようと、その骸を喰らって能力を増しながらすがりついてくる眷属。その姿に瑞科はひとつの答を見た。
「まさか、殉教――」
 剣を止め、代わりに眷属の一匹をつま先で蹴り飛ばしたところで、またアナウンスが流れた。
『そうだね。子どもたちの殉教を受けて力を顕わすのはなにも、天の神ばかりではないよ。喰らい合って力を増した子どもたちは、その色濃き命を私に捧げてくれた』
 と。
 瑞科の足元に、先の車両からすべりこんできた黒光が複雑な紋を描く。人の手によるものとは比べものにならぬほど微細に書き込まれた魔法陣を。
 そして。
 陣が、眷属を飲み込んでいく。生ける者も死した者も、差別も区別もなく、その術式の内に力持つ句として練り込んでいく。
「っ!」
 陣から迫り上がったものは、悪魔棲まいし地底の闇――イビルダーク。
 たとえ武装審問官最強たる瑞科であれ、この闇に触れれば聖性の護りを与えられた装具を蝕まれ、損なうこととなる。その身を浸せば、装具どころか命までもをだ。
 ミスリルのピンヒールを頼りに宙へ跳ぶ瑞科だったが。
『たとえ魔法といえど、重さから放たれることはできん。君はそう言ったな』
 アナウンスがおもしろげに。
『君がどれほど天に近いか知らんが、地に足をつかねば跳ぶことすらできまい。君の重さが君の攻めの手を、護りの衣を殺す』
 対して瑞科は。
「――あなたのお子様方はもう、すべて捧げられましたの?」
『そうだね。しかし、それを君が知ってどうするのかな?』
 瑞科の口の端が、すべらかな頬に不敵な笑みを刻んだ。
「贄を捧げるのはなにも、魔のお子様方だけではありませんわよ」
 瑞科は自らの手を護る革手袋を外し、闇へ放った。
 装具に込められた聖性が、闇の魔性を大きく弾き、ゆっくりと侵されていく。
 それを見守ることなく、瑞科はまだ抵抗を続ける手袋を踏み、前へ跳んだ。
「今、そちらへ行きますわ」
 そしてもう一方の手から手袋を引き抜き、また投げて、跳ぶ。
『自らの護りを捨てて私へ向かうか。それがどういうことかはわかっているのだろうね?』
「わたくしはこれまで、どなたにも触れられたことはありませんわ。そしてあなたにも触れていただくつもりはない。それだけのことです」
 続けて純白のロンググローブを足場とした瑞科は、その数十センチで助走をつけた。
 宙に舞う肢体が魅せる躍動が、肉欲とは無縁のはずの魔を思わず惹きつける。
『美しいな。だが、私の元へたどりつくまでに、どれほどを失うものか』
 ケープを失った瑞科はそれでも笑みを消さず、ついには中空にて修道衣を脱ぎ去った。
「これで最後ですわよ」
 コルセットを足がかりに我が身を蹴り出し、最強の護りを宿した衣へサーフボードさながらに乗って闇を渡る。
 そのまま先頭車両まで突っ込んだ瑞科は、衣を足場にそこで待ち受けていた魔と対峙した。

「はじめましてというべきかな」
 深い皺が無数に刻まれた顔の内、黒々とした両眼を輝かせる禿頭の老紳士が一礼する。
「すぐにお別れを告げさせていただきますわ」
 ラバースーツのすぐ下で息づく扇情的な体を凜と伸ばし、瑞科は細剣の切っ先を魔へと向けた。
「せっかくここまで来てくれたんだ。野暮はなしにしようか。どうせ触るなら、魔法ではなく私自身の手で触りたいからね」
 魔法陣を打ち消した魔は、両手を前へゆっくりと泳がせ、瑞科を誘う。
「――」
 瑞科が半歩退いた。
 ギキッ! たった今まで瑞科の胸の先があった空間で、尖った金属同士を突き合わせたかのように固い音が鳴った。
「魔法だけでは防がれるだろうし、かといって剣で戦っては斬り刻まれるだけ。私なりの魔法剣といったところかな」
 キヂ。ヂヂ。魔の手の動きをなぞるように音が鳴る。
 音の正体は知れないが、攻撃の手段は魔力を編んだ不可視の爪といったところか。瑞科を掴み、裂くよりも、次の手を使うに最適な距離を保つための攻め。
「ご自分だけ手が届く場所にいらっしゃるのは不公平ですわよ」
 瑞科は歩を進める。
 狭い車内だ。大きくかわすことなどできはしない。
 しかし瑞科は音の鳴る寸前、空気を揺らす気配を読んで、最小の動きでこれをかわしていく。
「おもしろくないね」
 魔は宙に両手をひらめかせ、続けざまに不可視の攻撃を放つが、瑞科を捕らえることはかなわなかった。
 と。
 あと1歩で剣の間合へ入るというところで、瑞科が歩を止めた。
「せめてもの手向けですわ。どうぞ、次の手を」
「……なんだって?」
「わたくしをもてなしてくださるためにご用意くださっているのでしょう? それを見せてくださいませ」
 魔は愕然と両眼を見開き……破顔した。
「おもしろいね君は! 装具の護りを受けていない君が、私のもてなしを受けたいだなんて! ああ、君みたいな子ができたら、どれほどおもしろいことができるだろう」
 瑞科は艶然と笑みを返し。
「こんな子どもだましでわたくしの目を塞げる。そう思われているのは心外ですもの」
 指摘された魔の笑顔が苦く歪んだ。
「やれやれ。慣れないことをするものじゃあないね、搦め手なんて。いつもどおりにやるだけでよかったわけだ。この力をもって押し潰す。それだけで」
 魔が着込んでいたスーツが、内から噴き上がった魔力で弾け、塵となった。
 老いさらばえた体に浮き上がったものは。先ほど車両の床を覆ったものよりも精密に書き込み、円を重ねて圧縮した、超高密度の魔法陣だ。
「このひと筆ひと筆に、子どもたちの心臓から絞り出した血を使っているんだ。そこへ私の魔力を点火して、起爆させる。生きながら煉獄を見たまえ」
 魔法陣が赤黒く色づき。地獄の業火を燃え立たせた。
 車内の座席が、つり革が、手すりが、網棚が、さらには瑞科の細剣までもが、溶け崩れることすらもかなわず、地獄の底へ流れ落ちていく。
 魔は確信していた。瑞科の体もまた、同じように消滅したものと。
「地獄を借りていらっしゃるだけのあなたに、わたくしは捕らえられませんでしたわね」
 炎のただ中に立つ瑞科。いや、その体がある場所に炎はない。
 彼女がピンヒールの先に引っかけたままここまで連れてきた修道衣が、炎の出どころを塞いでいた。
「ドラゴンブレスはきっと、あなたの知る地獄よりも凄まじいのでしょうね」
 歌うようにうそぶき、瑞科が跳んだ。
「っ!」
 炎を呼び寄せて手にまとい、これを迎え討たんとする魔だったが、しかし。
「あなたのお子様にも申しましたけれど――面には点、ですわ」
 瑞科の身に残された残り少ない装具にして最後の武器でもあるブーツのピンヒールが、炎を突き抜いて魔の胸へ突き立った。
 踵に込められた力を感知し、さらに射出されるヒール。ミスリルの聖杭は魔という存在の奥底まで潜り込み、その魔性を滅する。
「ぐ、あ、があ、あ」
「お逝きなさい。地獄よりも深い虚無へ」
 魔はあえぎ、そして……
「これは参った! 参ったよ! こんな痛みを感じたのは久しぶりだ!」
 ずるり。闇と化して床へ落ちる。
 その後に残されたものは。
「!?」
 ひとりの女だった。
 魔は狡猾だった。本体を晒すと見せて、依り代に取り憑いていたのだ。しかも眷属ならぬ、未だ人の身たる女に。
 崩れ落ちる女へ瑞科が手を伸べた隙に、闇はその身をぶるりと震わせた。
 すると車両が半ばから切断され、瑞科と女を残して魔を乗せた最前部だけが先へ。
「見くびったつもりはなかったが、君のような者が来るとは思っていなかった。次はもう少し手を整えてくるよ。そうしたらまた遊んでおくれ。大丈夫、私は絶対に君を逃したりしない。約束するよ」
 遠ざかっていく魔を見やりながら、瑞科は小さく息をついた。
 追うことはできるが、聖杭に穿たれた女を放っておくわけにはいかない。
「……次があるのでしたら、すべての償いはそのときにしていただきますわ」


“教会”へ戻り、連れ帰った女をシスターたちの手に託した瑞科は、衣装を整えた後に報告へ向かう。
「――教団の殲滅はほぼ終了いたしました。首魁である魔とは、遠からず逢えるものかと」
「騎士を呼び出せる程の魔導師か。チームを編成し、君のバックアップに」
 瑞科は闇の向こうから響く声音を遮り。
「わたくしと並び立ち、剣を鈍らせずにすむ方がいらっしゃいますの?」
 沈黙は、そんな者は誰もいないという否定であり、不要であるとの言への肯定であった。
「それに、せっかくお誘いをいただいたのですもの。この身を尽くしてお相手を務めたく思いますわ」
 瑞科の笑みに映るものは、魔との再会への予感――新たな戦いへの高揚だった。