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絶望の角
幾度となく、SHIZUKUは夢を見た。
逃げ延びる途中で捕らえられ、石にされる女。
国から国へと流されゆくタールのレリーフに閉じ込められた女。
石から解かれては男たちに弄ばれ、また石へと戻される女。
戦いの中でメデューサに石化され、数十年の後に“王女”となった女。
多分、時系列はバラバラなのだと思う。
夢に登場する人々の服装が、世界史の教科書で見たような古くさいものから比較的近代風なものまで、歴史の流れに沿うことなくバラバラだったからだ。
その中でただひとつ変わらないものは――。
SHIZUKUの友人で命の恩人である、イアル・ミラールの顔をした主演の“王女”。それだけだった。
「なんとかの王女って、言ってたっけなー」
私立神聖都学園高等部校舎、その一角にある怪奇探検クラブの部室にて、長机の上に寝転がったSHIZUKUは大きく息をついた。
現役アイドルらしからぬだらけた格好。週刊誌の記者が見ればいい小ネタができたと喜ぶだろうし、ネットにでも流出すればちょっとした騒ぎも起きるのだろうが……そんなことを気にしている余裕が、当のSHIZUKUになかった。
「なんとか……なんだっけ……す、す、す……スルーじゃなくて、スリットでもなくて……」
夢特有のあいまいさに紛れ、どうしても「す」の次が出てこない。
こんなことなら飛び起きた瞬間、吐きながらでもメモをとっておくべきだった。
「ってゆーか、なんで毎度毎度吐く?」
ほとんどの場合、夢の最後で王女がタールに固められるせいだ。
あの臭いが、自分の過去を呼び起こす。ほんの少し前、SHIZUKUはタールに閉じ込められて……
「ぅえ。吐く吐く!」
口を押さえてしばしじたばた。机から落ちかけて、なんとか踏みとどまった。
「王女がイアルちゃん、のわけないか。あんなに昔から生きてるとかないもんね。じゃあ前世とか? 前前世? 前前前世か?」
それでも足りないかも。人がいないのをいいことに生脚をばたつかせ、SHIZUKUはさらに思考する。
日本であんな、剣と盾で戦うとかまずもってすごくておかしいし。あたしいろいろやばいことになったけど、なんかよくわかんない感じで助けてくれるし。そういえばけっこうしょっちゅう、独りで受け答えしてるよね。そういうのが全部、転生のせいだったら……ある。うん、あるね、アリだよね。
「イアルちゃんって、マジでオカルトなんじゃない!?」
近くに入り込み過ぎたせいで、かえって見えなくなっていたのかもしれない。
「さっそく取材! って、できない、よ、ねぇー」
飛び起きて、力を失い、再び仰向けに。
たとえイアルが思ったとおりの存在なのだとしても、興味本位でぶっ込んでいくことはできない。命の恩人だということもあるが、なによりもそんなことをしたくないだけの情が通ってしまっている。
「だってあたしら、連れだもんね。多分、やらせてってお願いされても断れんわー」
イアルの肌から立ちのぼる甘い匂いを思い出し、SHIZUKUは頬に灯った熱を指先でかき散らした。
美人だからってのもあるんだろうけど、時々やばいくらい色っぽいんだよイアルちゃん。
「――百合妄想してる場合じゃないっと」
今度こそ起き上がったSHIZUKUは、部室のパソコンを起動、よくのぞいているオカルトサイトへアクセスした。
『スなんとかの王女ってワードを調べてます。縦横3メートルくらいのコールタールの板に、女の人(王女)が浮き彫りになってる芸術品? 知ってる人がいたら教えてください!』
反応はそこそこにあった。
が、コールタールという芸術品には使われようのない素材が災いし、なかなかこれというものが出てこない。
その中で唯一引っかかったのが。
『何年か前、神聖都学園の美術館で見た気がします』
「えー!? あたし今そこにいるんですけどっ! 目録見たらわかるかな」
美術館の目録を別ウインドウで呼び出し、過去10年分に目を通すが、王女というワードを含む展示品は見つからなかった。
「うーん、情報くれた人の思い違いなのか、隠されてるのか。あたしが見てないんだから、多分思い違いなんだろうけどねー」
というわけで、この情報は優先順位を下げてキープ。
さまざまなオカルトサイトに質問を拡散し、待ち続けたが。
「収穫なしかー」
週をまたいだ月曜日、これはもう別の方向からアプローチを考えるべきかとSHIZUKUが思い始めたころ。
『多分、あなたがお探しの美術品は「素足の王女」ではないかと思います』
す――あしの、おうじょ。
靄に包まれていたワードが、一気に意味を成してSHIZUKUの頭に轟いた。
「素足っ! 素足だよ素足! 素足の王女ーっ!!」
天井を仰いで両手をぐっと握りしめるSHIZUKU。急いでキーボードへ指を叩きつけ。
『そうです! それです! それって今、どこかで見れたりするんでしょうか?』
数分を置いて返ってきたレスは。
『現在の所有者は不明です。数年前に行方不明になってしまった美術品なので』
ああ、そうなのか。がっくりと肩を落としたSHIZUKUだったが。
『ただ、資料が手元にありますので、お渡しはできませんが見ていただくことはできますよ』
考えるまでもなく、指が動いた。
『見たいです!』
こうしてSHIZUKUは2日の後、駅から少し離れた場所にある低層ビル街の一角にある、小洒落た漢方薬店の扉をくぐった。
「どーもー」
店内は漢方を扱っているとは思えないほど綺麗に整えられていた。陳列棚など、まるで紅茶専門店のようだ。
「女性向けのお店なので、怪しくならないよう注意しているのですよ」
店長だと名乗った女は、タートルネックのセーターにロングスカートという、シンプルながら目に障らない格好をしていた。
――紅茶ってよりコーヒーって感じになってきたけどね。
心の中でつぶやいて、SHIZUKUはさっそく話を切り出した。
「で、『素足の王女』の資料って」
「今お持ちしますね。それまで試飲用の薬茶をお試しくださいな。副交感神経の働きを高めて、体をリラックスさせる効果のある漢方茶ですよ」
SHIZUKUは麻のカバーをかけたソファに体を埋め、勧められた茶をすする。
漢方といえばウコンのような、強いにおいがするものだと思い込んでいたが、この茶はにおいも花のようで、舌に刺激も感じない。
一杯を飲み干して、SHIZUKUは店主が姿を消した店の奥を見やった。
イアルに対して、少なからず後ろめたい気持ちがある。
彼女に黙って彼女の過去を探ろうとしている自分は浅ましい、そう感じずにいられない。
――でもあたし、オカルトに命かけてるし。それにさ、イアルちゃんのことなんにも知らないより、ちゃんと知ってたらなにか役に立つかもだし。
リラックスしてきたせいか、重くなってきたまぶたを指で押し上げ、SHIZUKUは気合を入れなおした。
「知るって決めたんだから。ちゃんと知り尽くすよ、イアルちゃんのこと」
そこへ戻ってきた店主が、プリントアウトした写真をSHIZUKUの前に置いた。
「これが『素足の王女』です。まちがいありませんか?」
黒いレリーフのただ中に浮かぶ女性の像。一糸まとわぬその肢体は、当然のことながら素足である。
「……まちがいない。あたしがずーっと見てきたの……イアル……」
「そうですか」
とろとろとずり下がり始めたSHIZUKUの顔に、店主は笑みを傾げてみせて。
「では、人違いではなかったということですね。イアル・ミラールと縁のある方」
茶に睡眠薬が混ぜられていた!? 茶自体にそういう効果があった!?
一気に覚醒したSHIZUKUは跳ね起きようとして、阻まれた。
首だけを起こして自分の体を見れば、横たえられた状態で各所をベルトで固定されている。
あたしが着せられてるのって、手術用っぽい貫頭衣。だったらこのベッドも手術用?
「これ……あたしまさか、改造されたとか!?」
あわててあちらこちらを蠢かせてみるが、拘束を引きちぎるような力は与えられておらず、特殊能力が発現することもなく、思考を侵されている感覚もなかった。
が。
「あれ――?」
いつにない感覚がひとつだけ、ある。
両脚の付け根……狭間……今のところまだなにもないはずの場所に、妙な圧迫感というか、昂ぶりが。
深いスリットの入った貫頭衣が、下腹部から流れ落ちる。
果たして露わになったものは――
「これはいわゆるオトコノコの……だよね?」
呆然とつぶやくSHIZUKU。
「なんていうかまあ、きもいねコレ。ないわー。絶対ないわー」
あまりの衝撃に、頭がうまく働かない。
自分に付与された“男”を見つめ、SHIZUKUはただかぶりを振り続けることしかできずにいた。
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