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<東京怪談ノベル(シングル)>


奇縁の始めは
●街角での出会いは、ある種のお約束
 あれは今から約4年ほど前――真夏の太陽照り付ける日のことである。
「……火事かよ」
 消防車のけたたましいサイレンの音が複数近付いてくるのを耳にして、車の運転席に居た青年――来生十四郎は軽く舌打ちをしてから、湾岸に程近い街中での渋滞から抜け出すべく、迂回路を求めて車を動かした。取材を終えて間もない十四郎としては、とっとと帰路につきたかったからだ。
 そんな迂回の最中、左折した途端にそれは起こった。車の目の前に、男が突然飛び出してきたのである!
「うおぅっ!?」
 咄嗟にブレーキを強く踏み込む十四郎。左折で速度を落としていたからか、激しくブレーキ音を響かせながらも、無事に車を停めることが出来た。
 そして飛び出してきた男――十四郎と同じか若干年上に見える眼鏡の青年はすぐさま車に近付き、助手席側のドアをドンドンと叩き出した。
(何だ、文句付ける気か?)
 面倒なことになるな、と十四郎が思った瞬間だった。ガチャッ、と助手席側のドアが開かれたのは。
「最寄の交番か、警察署まで!」
 眼鏡の青年はそう言って車へ乗り込もうとしてくる。そこへ聞こえてくる、複数の若い声。
「アニキ! あいつ!」
「待ちやがれ、ゴラァ!」
「ナンバー覚えろ!」
 口々にそう言いながら、柄の悪そうな若い男たちが近くの路地裏から飛び出してくる。違った意味で面倒になったことを確信しながら、十四郎は急発進でその場から離脱した。バックミラーに、小さくなっていく若い男たちの姿を映しながら……。

●追われる者たち
「草間武彦だ」
 十四郎にそう名乗った眼鏡の青年は、肩を竦めて経緯の説明を始めた。
 何でも裏路地で中年の男が暴行を受けていたのを見かけた草間が割って入った所、よく分からぬうちに矛先が変わって追われるはめになったらしい。
「ところで、だ」
 ちらりとバックミラーやサイドミラーを見る十四郎。そこには数台のバイクの姿があった。
「何で俺らはバイクに尾行されてるんだ、草間武彦さんとやら」
 あえて相手の名前をフルネームで呼ぶ意地の悪い言い回しで、草間に問いかける十四郎。理由はとっくに分かっている。あの若い男たちに、車のナンバーを覚えられてしまったのだろう。
「……人気者は辛いよな」
「そうだな、熱烈に追いかけ回されてるもんな!」
 ぼそりと答えた草間に対し、十四郎は一発くらい殴ってやっても許されるんじゃなかろうかと思いながら言葉を返す。
「そうだよな、すぐにあれだけのバイク出せるくらいだしな」
「……ん?」
 草間に言われて、十四郎の頭に疑問が生まれる。今追いかけてきているバイクは、先程の男たちの人数よりも多い。個人が応援を求めたとしても、こんなに早く人が集まるものだろうか。とすれば、相手は個人ではなく――。
「組織だなあ……」
「溜息吐きたいのは俺の方だ」
 溜息を吐く草間を横目に、十四郎は舌打ちをした。早い所、警察署なり交番なりに飛び込みたいのだが、最寄の警察署はよりにもよって先程の火事現場の先で、ならば交番はというと、たまたま拾得物を届けに来たであろう子供たちが居たりなど、巻き込めぬため迂闊に行けない状態であったのだ。
 そうこう手間取っているうちに、相手方が仕掛けてきた。車の正面から、鉄パイプを手にしたフルフェイスの男たちを乗せたバイク軍団がやってきたのだ!
「おいおい、いつから世紀末になったんだ、この街は!」
「世紀末はとっくの昔に過ぎた……っての!」
 驚きの言葉を発する草間と、咄嗟の判断で車を脇道に飛び込ませる十四郎。だがその先に、目を疑うような光景が待っていた。前方にあったのは下りの階段。普通ならば、車が走るような所じゃない。停まるしかないはず……なのだが、車は逆に速度を上げる。十四郎がアクセルを踏み込んだのだ。
 次の瞬間、二人の乗る車は空を舞い――直後、一際激しい衝撃と、断続的な16ビートにも似たような衝撃とが車を襲った。そして階段の下まで降りた車は二度ほど回転した後、ピタリと停まった。
「……誰がライト兄弟になりたいって言ったよ」
 げんなりした表情で草間が言うと、十四郎は表情も変えずこう言い返した。
「もっとでっかい鉄の塊が空を飛んでるんだ、車だって少しは飛べるだろ。たぶん」
「『たぶん』って言ったか!?」
 そんな草間の抗議の声を聞き流しつつ、十四郎はダッシュボードから車検証など、身元に繋がる物の一切合切を取り出して鞄に詰め込んだ。車はここで乗り捨てて、徒歩で移動するつもりだったからだ。車のナンバーはとっくに覚えられていたため、いつかは他の逃走手段に切り替えなければならなかった訳で、これはある意味ぴったりのタイミングではあったのだ。
 かくして車を降りた二人は、自らの足で走り出した……。

●海路という名の道
 ついてない時は、とことんついてないらしい。車で階段を素っ飛ばすという奇策に出て得た時間的猶予も、組織による人海戦術の前にはほぼないに等しいようだ。ならばいっそと、二手に分かれて逃げてはみたものの、道の選択が互いに悪かったのか、相手方の立ち回りが上手だったのか、数分後には合流してしまう始末。
 じわりじわりと追い詰められ、二人は湾岸沿いの道を走るはめになっていた。
「何で男二人で、湾岸沿いを全力疾走しなきゃいけないんだ」
 十四郎の口から愚痴がこぼれると、草間は真面目な顔でこう返した。
「なーに、二人組の刑事が港を走っているのを俺は見たことがある。確か横浜の――」
「昔の刑事ドラマで見たぞ、それ!?」
「冗談だ」
 とは言うものの、草間の表情は固い。余裕があってのそれではなく、そのように自らに思わせるためのものであったのかもしれない。追い詰められた状況なのだ、諦めたくなる気持ちが次第に強まってきていても不思議ではなかった。
 けれども、土壇場で幸運の女神は二人に微笑んだのかもしれない。やがて見えた小規模なヨットハーバーに、今まさに水上スキーを楽しまんとするカップルの姿と、いつでも海に出られる状態のボートがあったのである。海に出られれば何とかなるかもしれない――そう思った二人はカップルの所へ走り込み、
「借りるぞ!」
 と、有無を言わさぬ勢いで言い放ったのであった。そしてカップルが唖然としている隙に、ボートへと飛び乗る十四郎。次いで草間も乗り込もうとしたのだが……。
「あんたはそっちだ」
 と、十四郎が指差したのは、水上スキー。何という無茶振りであろうか。
「振り落とされるだろ!?」
「振り落とされる状態になれるんなら、乗れる! いいから出るぞ!」
 沖に向け走り出すボート、引きずられていく水上スキー。そうして二人は、海の男となった――。

●蛇足、あるいは顛末
 十四郎の元に、全て片が付いたと草間から連絡があったのは、翌週のことであった。
 あの後、海に出てどうにか逃げ切った二人は、事情説明やら諸々を草間が背負うということで話をつけ別れていた。件の若い男たちの特徴などは、十四郎がしっかりと記憶していたので、それらも草間へと伝えていた。それもあってか1週間ほどで事が済んだのである。
 草間が警察から聞いた所によると、暴行を受けていた中年の男は、件の連中と敵対する暴力団の組員だったそうだ。そして割って入った草間は仲間と勘違いされ、巻き込まれた十四郎は顔を見てしまったがために追いかけられることになったのだという。いやはや、何とも酷いとばっちりである。
「と、簡単に言えばそういう訳だ。もし何かあったら、草間興信所まで連絡をくれ。じゃあな」
 と言って電話を切る草間。ここでようやく、草間が何者であったのか、初めて十四郎は知ったのであった。
「……探偵かよ、あの野郎」
 十四郎は大きく溜息を吐くと、やれやれといった様子で言葉も吐き出した。
「何かあっても、絶対ここには頼まねえ」
 十四郎の、草間に対する印象は下の下、最悪と言い切っても差し支えなかった。ほぼ間違いなく、このまま自然に縁が切れることだろう、十四郎はそう思っていた。少なくとも当時は、そう思っていたのだ――。

【了】