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<東京怪談ノベル(シングル)>


闇の中の母


 テレビか、電子レンジか、パソコンか、何かしらのAV機器か。
 とにかく、いくらか大きめの家電製品を投げつけられた。
 単純なヒステリーではない。
 明確な殺意を、母は隠そうともしていなかった。
「やめて……やめて、ママ……」
 頭から血を流し、顔面を赤く汚し、それを拭う事も忘れたまま、ヒミコは呻いた。
 包丁を片手に持ちながら、母は何事か呟いている。よく聞き取れない。
 ヒミコに対する、罵詈雑言、呪い文句、であるのは間違いない。
「……やめて……ママぁ……」
 怯えるヒミコに向かって、母が包丁を振り下ろす。
 恐怖が、悲しみが、そして憎しみが、ヒミコの中で激しく爆ぜた。
「ママぁ……ぁあああ、アアアアアアアッッ!」
 母の肉体も、爆ぜていた。


 全身が、濡れている。母の返り血……否、単なる寝汗だ。
 ベッドの上で上体を起こしたまま、ヒミコは青ざめ、震えていた。
「おはようございます、お嬢様」
 メイドが1人、そこにいて声をかけてくる。
「朝食の前に、シャワーをお浴びになった方がよろしいようですね」
「……ママ…………」
 呟き、エプロンドレスにしがみついてゆくヒミコを、そのメイドは優しく抱き止めてくれた。
 頭では、わかっている。
 このメイドの名はイアル・ミラール。阿部ヒミコの、母親などではない。
 母は、あの時に死んだ。今の夢の中で、死んだのだ。
 否。あんなものは、母ではない。
 本当の母は、ここにいる。
「ママ……ぁ……」
 泣きじゃくるヒミコの頭を、イアルはそっと撫でてくれた。


 アルケミスト・ギルドや魔女結社が、大々的にホームページなど開いているわけがない。
 怪しげな商品を取り扱っている通販サイトなどを、片っ端から覗いてみるしかなかった。
 妙にリアルな人形や石像、猟奇的な絵画……無論それらの大半は、いくらか悪趣味なだけの無害なオブジェにすぎない。
 それらの中に、いくつかある『本物』を、ヒミコは見逃さなかった。
 本物の魔女が作り上げた、本物の呪力を宿した工芸品。中には、生きた人間を材料にしたものもあった。
 それらが表示されているページに、魔女結社へ直通するリンクが馬鹿正直に貼られているわけでは無論ない。だが、辿れるものはある。
「私とした事が……!」
 牙を剥くように歯を食いしばりながら、ヒミコはキーボードを乱打していた。
「あんなっ……! 動く人形でしかないイアル・ミラールを……よりにもよって……ッッ!」
 ママ。
 そんなふうに唇と舌が動いたのは、何年ぶりであろうか。
 イアル・ミラールは今、部屋の片隅で石像と化している。
 魔女結社……今は僅かな残党しか生き残っていないようだが、とにかく彼女らの本拠にこうしてハッキングを仕掛け、調べ上げた。イアルがこれまでに経てきた、様々な状態を。
 石像、だけではない。ブロンズ像、マネキン人形、レリーフ像、氷像、人面真珠……それらを、ヒミコは全て再現してみた。
「結局……石像が一番しっくり来るのよね」
 くるりと椅子を回転させてイアルの方を向きながら、ヒミコは微笑んだ。
 イアルは応えない。今の彼女は、物言わぬ石像である。
 いや。一部分だけが、相変わらず生身のままであった。おぞましいほど、生き生きとしている。
「何とまあ……浅ましくも可愛らしい」
 くすくすと、ヒミコは笑った。嘲笑であろうか。微笑ましくて、笑っているのか。
「そうよイアル、貴女は私の友達……こんなふうにね、無様なところや愛らしいところを見せて、私を面白がらせてくれる。それだけでいいのよ」
 ヒミコは椅子を回転させ、再びパソコンに向かった。
「貴女は、私の友達……母親ではないのよ……」
 母親。
 その単語を頭から追い出すべく、ヒミコはハッキング作業に集中した。
 イアルに関しては、まだまだ調べなければならない事が多過ぎる。
 今や小規模な残党勢力である魔女結社のデータでは足りない。
 アルケミスト・ギルド、それに……出来れば、IO2のデータバンクを覗いてみたいところである。
 魔女結社を調べてみたところ、少しばかり気になる情報があったのだ。
 イアル・ミラールは、どうやらあの『ヴィルトカッツェ』と接触を持ったらしい。
 IO2屈指の生ける殺戮機械である彼女が、イアルとどう関係してどう動き得るのか、それも調べておきたい。
 だがIO2相手となると、弱体化した魔女結社にハッキングを仕掛けるようなわけにはいかなかった。
 下手をすると、逆探知をされる。
 外部からの物理的な侵入がほぼ不可能な、この『誰もいない街』に、ネットから入り込まれて来る可能性もなくはない。IO2ならば、その程度の事はする。
「生意気なヴィルトカッツェ……ふふっ。だけどね、貴女が可愛らしく命乞いをしてくれるなら……友達にしてあげてもいいのよ? イアルと一緒に、可愛がってあげる……」
 ガタゴトと、奇妙な音が聞こえた。
 石像と化したイアルが、震えている。砕けてしまいそうなほど激しく振動している。
 唯一の生身部分を、隆々と立たせながらだ。
「ああ……そうだったわね、イアル」
 物憂げに、ヒミコは椅子から立ち上がった。
「その汚らしい火山を、定期的に噴火させてあげないと……頭が変になってしまうのよね、貴女。まあ石像のままでもいいけれど」
 この街の中でなら、イアルを人形や石像に変えるのも生身に戻すのも、ヒミコの意のままである。
「貴女の反応を見てみたいから……声を、聞きたいから。生身に戻してあげるわね」
 石像に、ヒミコは軽く手を触れた。友達の肩を、叩く感じにだ。
 石像は、生身に戻った。
 生身の、獣に変わっていた。
「な……っ……」
 ヒミコは、押し倒されていた。メイド服を着た牝獣にだ。
「ぐっ……ぐるッ! がふ……ぅ…………お……じょうさ、まぁ……ぁあああ…………」
 牙を剥き、吐息を乱しながら、イアルは泣いていた。
 泣きながら、ヒミコの細い身体を抱き締める。
 左右の細腕が、凄まじい力で全身を束縛するのをヒミコは感じた。
 息が、苦しい。
 豊かな胸の膨らみが、ヒミコの顔面を圧迫している。
 柔らかな肉の圧力の中、ヒミコは辛うじて声を漏らしていた。
「…………ママ……」
 このまま、窒息してもいい。
 ふと、そんな事を思いながらヒミコは目を閉じ、呼吸を圧迫する柔らかなものの中に、自ら顔を埋めていった。