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<東京怪談ノベル(シングル)>


 暴食の代償


 その大きな洋館は、外観は相変わらず寂れたままだ。手入れされぬ前庭、錆を落とし油を注されることのない門。雨で洗い流されてそのままの石畳。まるで誰も住んでいない廃墟のようで、お化け屋敷みたいといわれてもおかしくない。ただ人々が表立って口に出さないのは、陽が落ちればその屋敷の窓に明かりが灯ることを知っているから。明かりが灯る=誰かが住んでいるのだ。幽霊屋敷という代わりに人嫌いの女が住んでいる、屋敷の庭に迷い込んだ者を食べてしまう――そんな噂が立っていることを、今この館の主たる彼女は知っているのだろうか。

「ふぅ……まだ、まだ……」
 その屋敷の居間には大きなテーブルが置かれている。そしてその上には、無数の料理が置かれていた。
 ステーキや焼肉などの肉類、大きなスープボウルに盛られた、具沢山のスープ。ボウルと間違えそうなほど大きな深皿には大量のサラダ。焼き魚や煮魚なども豊富にあり、フルーツ類も充実している。一体何人分の食料だろうか。
 ガツガツガツ……テーブルの奥で特注の大きな椅子に座って食事を貪るのは、ただ一人の女性。満月・美華、彼女だけがそのテーブルの上の食事に手を伸ばしている。
「次はスープ」
 美華が皿を空にすると、斜め後ろに控えていたメイドが空いた皿を手に取り、指示された皿を美華の前へと持ってくる。そして美華は脇目も振らずにそれを食すのだ。
 もう一人、そっくりな顔をしたメイドが新しい料理を運んでくる。そして空き皿を受け取り、下がっていった。
 このメイドたちは、美華が作り出した人形型のメイドたちだ。さすがに腹が大きくなりすぎて歩くことはおろか立っていることすら辛い状態では家事などできるはずがなく。しかし屋敷は散らかっていく一方で、困り果てて作り出したというわけだった。
「次、魚のムニエル」
 ひとつの料理の乗った皿は、一人前よりも遥かに大きく、乗っている料理の量も数人前だ。それを皿が空になるまで食べてから次の料理に移る美華。一皿食べ終わる前に飽きるよりも、空腹が勝っていて。それ故にメイドには、自分の食べる速度に追いつくように料理を作らせていた。
 お腹が空きすぎて一気にかきこむようにたべる美華には、少し冷めた料理のほうが食べやすくてありがたい。

 いつごろからかと思いを馳せてみれば、それは冬の終わり頃だっただろうか。気がつけば食欲が増していて、普通の食事では満足できなくなっていた。いくら食べても、いくら食べても、満足した感じがしない――満足感より疲労のほうが先にやってくる不思議。
「ふぅ……」
 重たいお腹を抱えながら、美華はソファへと移動する。その所作は自然、緩慢になってしまっていた。
 ようやくたどり着いたソファは、本当は椅子からはそんなに距離はないのだが、随分苦労して長い間移動した気がしていた。

 ギシィッ……。

 美華の重みに耐えかねて、三人がけのソファが悲鳴を上げる。上質なソファだからだろうか、美華の身体はよく沈み込んだ。身体がソファに沈み込んでしまうとふたたび立ち上がるのにかなり労力を要するのだが、それでも今こうして楽な体勢で休んでいる喜びを取ってしまう。
「はぁ……はぁ……」
 少し動いただけで息が切れる。苦しい。ソファに座ってからもしばらくは、息を整えるのに必死だった。
(どうしてこんなにお腹が空くのかしら……)
 その理由は美華にもわからない。ゆっくりと巨大な腹を撫で、思うのはやはりストレスのせいか、と。
 未だ解除されないこの呪いが、自分を苦しめ、ストレッサーとなっているのだ、そうに違いない――自分に言い聞かせつつ、寄ってきた睡魔に身を任せる。
 最近は横になるよりも、こうして座っている方が楽に眠れると思うことがある。浅い眠りではあるが、とろんと意識が蕩けるようなこの時間が心地良い。
 メイドたちが美華の食事の跡を片付けている音が、ガラス越しのように遠く聞こえる。
 カチャリ、カチャリ……皿同士が触れ合う音も、不愉快だとは思わなかった。
 遠くに聞こえる掃除機の音も、美華を睡眠の沼から引き上げることはしない。むしろ、誰かが自分の代わりに家事をしてくれていることに、屋敷を綺麗に保ってくれていることに安堵する思いだ。
 静寂のみよりも多少の雑音があったほうが、なんだか安心して眠れる気がする――浅い眠りの淵で、ゆらゆら、ゆれる美華の意識。
 遠のいては何か夢のようなものを見た気がして、目覚めているような、けれども夢の中のような、不思議な感覚をおぼえる。
 まるで正気と狂気の狭間のような、心地よい眠り……誰も邪魔する者はいない眠り。
 けれども。


 どくんっ!!


「!!」
 美華を強く揺り動かしたのは、巨大な自身の腹の鼓動。自らの心臓の鼓動よりも大きく、腹の中で何かが跳ねたような強い鼓動に無理矢理意識を引き戻させられる。
「……ぁ……」
 現実だ、瞳を開けた美華は少しの間ボーっとしたのちにそう理解して、そして一番最初に思ったのは。

「お腹……すいた……」

 眠る前にあれだけ食べたのに。
 眠ってからそれほど長い時間は経っていないというのに。
 腹がへるほど動いたわけではないのに。
 美華の身体は不思議と空風感を訴える。
「料理の用意をして」
 メイドたちに命じ、自分はソファの肘掛けに掴まりながら何とか立ち上がった。そして腹を抱えながらゆっくりと、椅子へと移動する。
 急いでメイドが持ってきたのは、先程の料理のうち、美華が手を付けなかったものを温め直したもの。新しい料理ができるまでの繋ぎとして持ってこられたものだったが、美華としてはそれでも全然構わなかった。とりあえず何か食べたい、その思いが先行して、とり憑かれたかのようにガツガツと料理を平らげていく。
 その様子を見ているのは、メイド人形だけ。
 メイド人形は何も思わない。余計なことも言わない。余計なこともしない。
「ん、んぐ、はむっ……」
 味わってなどいない、ただ、食物を身体の中へと流し込んでいるだけ。これがここ最近欠かせない作業だった。いつもの通りのことをしている、それだけのはずだった。けれど。


 どっ、どっ、どくっ……!


 今までとは違う腹の鼓動とともに、今までなかったことが起こった。
「えっ……」
 思わず料理を口にしたまま、声を漏らす美華。
「なっ……」

 突然、腹が膨らみ始めたのだ!

 まるで風船に空気を追加注入したように、腹は膨らんでいく。慌てて抑えたが、その勢いは止まらない。


 ガギッ……ダンッ!!


 屋敷に音が響いた。
 特注した椅子が、重さに耐えかねて壊れたのだ。当然、そこに座っていた美華は床に転げ落ちる形になる。
「っ……」
 痛みはあった。けれどもそれよりも、腹が膨らんだ恐怖のほうが大きかった。
 床に腕をついて起き上がろうとするが、振るえているせいかうまく起き上がれない。

「だ……だれか、助けて……」

 ようやくそう口にしたものの、椅子の斜め後ろに控えていたメイドは、それを自分宛ての命令とは判別できずにただ、無様に床に転がる美華を、感情のない瞳で見つめているだけだった。



 ガイアの書の数字は、『40』に増えていた――。





                     【了】




■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■

【8686/満月・美華/女性/28歳/魔術師(無職)】



■         ライター通信          ■

 この度はご依頼ありがとうございました。
 続きをかかせていただけて、とても嬉しいです。
 細かいご指定のなかった部分はこちらで創造させていただきました。
 美華様がこの後どうなってしまうのか……非常に気になるところです。

 少しでもお気に召すものとして仕上がっていることを願いつつ。
 これから先が気になりますね。

 この度は書かせていただき、ありがとうございましたっ。