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プラントの誘惑
「……え、萌」
柔らかな声が聞こえてきた。
萌が誰よりも深く知る声であった。
それを聞いてから、自分は微睡みの中にいるのだと自覚して、意識を上げる。
求めていた声音。それが夢ではなく現実だと確かめるために。
「――イアル」
数秒置いてから、名前を呼んだ。
すると呼ばれた相手、イアルはニコリと微笑んで身を屈めてくる。
「こんな所で眠っていては、体が冷えてしまうわ」
「あぁ……そっか……元に戻ったんだったね。私、どれくらい寝てた?」
「一時間くらい……かしら。わたしももう大丈夫だから、ベッドで眠りましょう」
萌は床の上で倒れ込むようにして眠っていた。
魔女の呪いによって幼児退行してしまっていたイアルをずっと世話してきたその疲れが、一気に体に来たという感覚であった。
イアルの呪いが解けた後、混乱する彼女の対応を取ることが出来ずに令嬢がその役を変わってくれたのだ。
「……彼女は?」
「部屋に戻ったわ、改めて寝直すって」
「そう……」
萌はイアルに支えられる形でゆっくりと自身の体を起こしながら、そんな会話を交わした。
長く続いた切迫した事態は、一旦、落ち着いたのだ。
それを改めて感じ取り、深呼吸をする。
まだ、小さく手が震えていた。中途半端な睡眠を取っていた為なのか緊張感がまだ抜けきっていないようだ。
「萌……大丈夫?」
イアルが心配そうに顔を覗き込んできた。
それを受けて、萌は静かに顔を上げる。視界に入るのは、美しいひと。萌の心を占領し続ける存在である。
「……イアル。お願いが、あるの」
「聞くわ」
「一緒のベッドで……寝てほしい。私を、抱きしめてほしいの」
「…………」
萌のか細い声は、イアルの心を震わせた。言葉に驚き一瞬だけ瞠目したが、直後にはそれを緩めて、ゆっくりと頷いてやる。
「ええ、そうね。一緒に眠りましょう。……体を温めましょう」
イアルはそう言いながら、萌の手を取った。
そして二人は同じベッドに足を運び、言葉無くゆっくりと潜り込む。
夜気で冷え切っている肩を包むようにして抱きしめると、腕の中の萌は小さく震えていた。
「萌……わたしが全部、癒やしてあげるわ。だからあなたは……ゆっくりと受け止めて。そして、穏やかな朝を迎えましょう」
「うん……」
至近距離で交わされる言葉は、どちらも囁くような声音であった。
互いが互いの声を受け止め、耳に馴染ませたあと、手のひらを重ね合った二人はゆっくりと瞳を閉じた。
不思議なブティックがある、とそんな情報を仕入れてきたのはかの令嬢であった。
彼女は最近、ネットでの調べごとをよく行っており、今回の件もそこから得たものらしい。
「『願った服が手に入る』、『思い通りのコーディネイト』……パッと見だと普通の情報だけど……その住所にそんなお店はないんだよね」
「怪しいわね」
令嬢とイアルがモニターを眺めつつそう言った。
『アングラ的ショップまとめ』という書き込みサイトがある。店主が独自に展開するプライベートブランド。そのデザインが巷で評判になっているらしい。小悪魔的な服とアクセサリーの写真がいくつか上げられているが、これらに出会うためには『何か』の条件が必要なようだ。そしてその写真の全てに、紫色のカードにキスマークが入ったタグが点けられている。その妙なマッチング感に、イアルも令嬢も既視感を拭いきれなかった。
「――戻ったよ。やっぱり、IO2でも案件に入ってた。最近、若い女性が行方不明になってるって」
そう言いながら、物音すら立てずに姿を見せたのは萌であった。
彼女は職場で一致する情報を漁っていたようだ。
「その場所にもちょっと行ってきたけど、見つけられなかった。多分、結界みたいなものが張られてるんだと思う」
「……魔女の力よ。きっとターゲットの女性を誘い込んではまた結界を張り直してを、繰り返しているんだわ」
自分たちを翻弄し続けてきた魔女たちを、今度こそ倒してしまおう。
そう言い出したのは、イアルであった。
やっと取り戻した平穏を確かなものにするためにも、魔女結社そのものを壊滅させるしか無い。その意見には、萌も賛成であった。個人的にもIO2でも、決着をつけなくてはならない件であるからだ。
「でも……これって明らかに罠よね? 危険じゃないの?」
令嬢の方は、二人の意見に少しだけ反対の意識があるようであった。頼まれるままに情報を探してはいたが、やはりイアルをまた危険に晒すのだけは、嫌なようだ。
「萌がいるもの。今度は一緒に行動するから、きっと大丈夫よ」
イアルの意思は確かなものであった。
それは令嬢から見ても、理解できた。だから彼女は、それ以上の言葉は何も告げなかった。
ある程度の情報を取りまとめたあと、実行に移るべく萌とイアルが立ち上がる。
「絶対、戻ってきてね」
見送ることしか出来ない令嬢が行った言葉は、いつもより強い響きとなって二人に届いていた。
作戦は至ってシンプルであった。
イアルが囮となり店に入り、萌が襲撃をする。簡単なだけに悟られてはいけないと、イアルは変装をして店を探し、萌はエージェントとしての行動に徹した。
「いらっしゃいませ〜」
裏路地を数メートル。イアルのパンプスに反応するかのようにして、その店は姿を見せた。
扉を押し開けると、店内からは軽い口調の女がそう告げてくる。見た目は、普通のショップ店員といった風貌であった。
「サイズもたくさんありますので、ごゆっくりどうぞ〜。何かあったら声かけてくださいね」
「……ありがとう」
鮮やかな服と可愛い小物が、目の前にいくつも並んでいた。
キラキラとした輝きに、一瞬だけ意識を持っていかれそうになる。イアルはその場の雰囲気に飲まれそうになるのを何とか奮い起こし、自分に合いそうな服を二点ほど選んだあと、試着を希望した。
案内されたフィッティングルームには、今のところ怪しい点は見当たらない。
取り敢えず、ぐるっと見回したあとに、彼女は着ていた服を脱いだ。履いていたスリムジーンズをゆっくりと下ろしたあと、生成り色のブラウスのボタンを外す。試着を希望した服がワンピースであったために、全てを脱がなくてはならなかったのだ。
「……、……え?」
時間にして数秒のことであった。
脱いだ衣服をハンガーに掛けた所で、足元が歪んだと思った矢先に、浮遊感がイアルの全身を包み込む。
次の声を出すことすら出来ずに、彼女は地下へと落とされた。それには体への衝撃はなく、ふわりと宙に浮かされた状態で、イアルは目的の『店主』と遭遇することとなった。
「うふふ、いらっしゃい」
妖艶な笑みを浮かべる女。明らかに魔女のオーラを纏っている。
イアルの体は既に自由の利かないものとなっていた。視界は動くが身動きすら出来ない。
「まんまと罠に掛かってくれたわね。お姉さまに一矢報いるつもりだったのかしら? だとしたら、本当に愚かだわ」
「……っ……」
魔女はイアルを嘲笑っていた。
やはり、イアルの情報は結社の隅々まで伝わっているらしい。
見えない闇に広がる脅威に、心が簡単に折れそうになった。
――こんなはずでは、無かったのに。
そう思った所で、彼女は僅かに視線を逸した。魔女の奥に、何かが見えたような気がしたからだ。ただの暗がりだけが広がる空間かと思ってはいたが、異様な気配がする。
「!」
よくよく目を凝らしてソレを見れば、いくつもの人の影があった。
人形のように動かない――まさしく、マネキン像であった。
だがそれは紛れもなく、魔術により姿を変えられた女性たちの成れの果てだ。
「あら、気づいちゃった?」
魔女はうっとりと微笑みつつ、そう言った。
そして彼女がパチリと指を鳴らすと、イアルの体が強張った。
慌てて視線を自身の指先へと向ければ、そこから既に『変容』が始まっている。魔女の背後に並ぶようにして、自分もマネキンとなってしまうのだ。イアルはそう理解しつつも、抵抗が全く出来なかった。
魔女が自分に近づいてくる。満足気に、誇らしげに。
それを見つめるしか出来ないイアルは、そこで一旦意識を途切れさせた。全身がマネキンと化してしまったのだ。
「今回はコレが仕上げよ」
魔女が囁くようにしてそう告げた。そんな彼女の手のひらが、イアルの下半身にそっと触れたように見えた。
その直後。
「……ッ!?」
バリン、と天井が割れたような音がその場で響き渡る。
魔女が驚き顔をあげると、高周波振動ブレードが振り下ろされるその瞬間が数秒間だけ彼女の視界に残った。
萌が侵入してきたのだ。
そして彼女の目にも留まらぬ速さに、魔女は一切の太刀打ちが出来ずに切り裂かれた。それでも魔女の口元には、笑みが浮かんでいた。
「……イアルッ」
綺麗に着地した後、萌はすぐさま踵を返した。
魔女が消えたことで術を解かれたイアルは、体のバランスを保てずにその場で尻餅をつく。
「大丈夫?」
「え、えぇ……なんとも無いわ……。それより、行方不明の女性たちがここに……」
「うん、解ってる。地上に上がるルートも見つけておいたよ」
店の主が倒されたことにより、闇ばかりであった空間にも若干の明るさが戻った。そしてその場でコレクション化されていた行方不明であった若い女性たちも徐々に術を解かれて、我を取り戻す。
「あなた達を救いに来たものです。すぐに此処から出ましょう」
萌の誘導と共に、彼女たちは慌ててその場から脱出していった。間にイアルも助力し、女性たちの手を取り出口へと導いてやった。
そして最後の女性が階段を登りきったのを見送った時、イアルの背後に紫のオーラが怪しく漂ったのを萌が目撃する。
「イアル!」
「……えっ?」
気配もなく安々と現れるモノ。
疑いようもなく、魔女の存在しか有り得なかった。
「あ、貴女は……!」
「ふふ、スリリングだったでしょ?」
背後から抱きつくような仕草を見せつつ、魔女が笑う。
以前からイアルを目の敵にしていた、あの魔女であった。
「あら、あなた達……素敵な関係になったのね。そう……だったら、尚更、いい展開になるわ」
魔女は萌とイアルを見ながら、そう続けた。意味深な言葉に、二人の眉根が寄る。
「特別サービス。コレでもっと愛し合えるわよ」
「何を……、っ!?」
鈴のように笑う魔女。
幾度も聞いたかわからないその声音に乗る音には、呪文があった。
ビクリ、とイアルの体が震えた。数秒後には下腹部に熱を感じて、思わずそちらへと視線をやる。
「な、何……これ……!?」
「……ッ」
植物の蔓が足を這った、と思った。それが徐々に形を作り上げ、あるモノへと変容していく。
萌はそれを目の前で目撃してしまい、真っ赤になりながら思わず顔を背けた。
「フフフ、アハハ……ッ傑作だわ、イアル・ミラール……!」
魔女はそう言いながら楽しそうに高笑いをして、その場から姿を消した。
「い、いや……どうして、こんな……ッ、いやあぁぁ!」
その植物はイアルの体と一体化し、彼女の下半身に異様な光景を生み出す。
それを受け止められないイアルは、大きく表情を歪めて悲鳴を上げたのだった。
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