<クリスマス・聖なる夜の物語2004>


― 想いの降る夜 ―





――― 聖なる夜、ケセドの樹の下で求める人に逢える


こんな噂があなたの耳に入り始めたのはいつからだったか。
最初は単なる噂話や都市伝説の類と気にも止めていなかった。

然し、何故か心にかかる。
胸が騒いで落ち着かない。
それは未だ残る痛みのせいなのか。

どうせこの日は巷でも皆それぞれの約束で忙しない。
ひとりくらいこの噂にのってもいいだろう。

そう結論つけると、あなたはコートを掴んで冬の街へとゆく。


今夜は聖夜

何があっても、それは奇跡となる。









Beatus vir qui suffert tentationem,
quoniam cum probatus fuerit
accipiet coronam vitae.





(試練に耐うるものは幸いなり
 何となれば、いったん評価されしときは
 人生の王冠を受くるべし)










さんざめく街の喧騒も、この場所へは遠慮をしているのか
不思議なほど静かで穏やかであった。

折りしも今宵は聖夜。
奇跡の前夜。
何かが起きる前触れの刻。



それは普通の小さな教会で、特別何かあるようには見えない建物だった。
少し奥から聞こえるのは子供達の声。
門柱の小さな標識にあった孤児院なのだろう、
建物から暖かな灯りが見える。

教会の建物の前に大きくそびえる樹が、黒い影を落としていた。
その下に背の高い男の姿が見て取れる。
眼鏡の奥の穏やかな眼差しは、
この大きな樹を見上げ、ただ静かに佇んでいた。

「あれー、お兄ちゃん、だあれ?」

周囲の街灯の届かない暗い敷地内に
白い姿が浮び上った。
クリスクリス(w3c964ouma)、あどけない表情が誰何する。

続いて長い髪の少女が恐る恐る入ってきた。
腕に巻いた、彼女には少し大きいバンダナが目を惹く。
みどり(w3g896ouma)が問う。

「この樹が“ケセドの樹”なの?」

幼い表情で見上げる二人の少女に、
お兄ちゃんと呼ばれた田沼・亮一(TK0931)が屈みこむ様にして笑む。
随分長くここに立っていた為、知らぬうちに寒さで身体が少し強ばっている。

「ええ、たぶんそうだと思いますよ。」
「それ……本当か?」

切羽詰ったその声に3人が振り向くと、白い息を切らせた少女がいた。
漆黒の長い髪が乱れて顔にかかっているが
高耶(w3b248ouma)はそれに気づく様子も無い。

「お姉ちゃん、大丈夫?具合悪いの?」

クリスクリスが高那の背を撫で息を整えさせている。
それに、ありがとな、と薄く微笑み
ひとつ大きく深呼吸をすると彼女はあらためて周囲を見渡した。

「みどりね、“ケセドの樹”を探してたんだけど、わからなくて……。
 でも白い服着たシスターさんからここを教えて貰ったの、でも良かった、見つかって。」
「うん、それボクも同じ。
 お兄ちゃんがお世話してたモミの木さん辿ってたんだけど、でもこの樹はモミの木じゃないよね。」
              
あんたは?という高那の視線を受けた亮一は、ただ微笑んだだけだった。
肩を少しすくめて高那は髪をかきあげた。


他人の動向が互いに気になっている。
噂にのってきてしまった後ろめたさ、恥かしさ、
それでも、それ以上に自分を突き動かす心の衝動。


ふと―――


手首に巻いたバンダナを弄っていたみどりが、顔をあげた。
樹を見上げていたクリスクリスの青い瞳が、大きく煌いた。
俯いていた高那がゆっくりと瞼を開け、身を起し……

それぞれの歩を進めた。
その行き先は大樹、“ケセドの樹”。

そして亮一は少女達が樹の向うに姿を消してゆくのを
静かに見つめ、見守っていた。
驚きも、恐れもせずに。



「……へぇ、エライもん見ちまった、」

銀髪の男が言葉とは裏腹に平然とした様子で教会に現れた。
風羽・シン(w3c350maoh)は樹と、教会とその奥の孤児院を認め
最後に樹の前に立つ亮一に、よお、と手をあげる。

「あんたが噂の出所……ってわけじゃなさそうだな、噂にのったクチか?
 大方“ケセドの樹”の意味、わかったってところだろ。」

亮一は眼鏡を指で押し上げ穏やかに笑む。

「ええ、“ケセド”といえば浮かぶのはセフィロトの樹の第4セフィラーです、
 “慈悲、慈愛”を表すので連想したのが
 孤児院もあり、大きな樹のあるカトリック教会……まぁそんなところです。」

亮一は探偵事務所の所長でもあり、その頭の回転の速さは定評がある。
それ故に誰よりもはやくこの教会に辿り着いたのだが。

そしてシンの心に少なからず動揺が走っていた。
セフィロトの樹、ケセド、そこから思い浮かべるのは……

(……ゲブラー、)
「あの、どうかしましたか?」

亮一の声で我に返ったシンが、苦笑してなんでもない、と答えた。
静かに佇む亮一に何か見透かされそうな気がし、
無意識に手を強く握りしめていた。


と―――


シンの隻眼がゆっくりと背後を見遣り、何かを見る。
そして彼もまた何かに呼ばれたかのように
先の少女達の後を追うように樹へと歩を進める。
その姿が消えてゆく様を
亮一が先と同じ様に見送り、そこに聳える樹を仰ぎ見た。


奇跡は、もう、始まっているのかもしれない。








―――もう泣かない、

そう決めてからみどりは泣く事をやめた。
それは彼を、“お兄ちゃん”を忘れたわけではなく、
忘れないからこそ泣くのをやめた。

幼い恋、人はそう呼ぶかもしれない。
然しみどりは本当に彼が心から好きだった。

彼の腕に飛びついて、戸惑うその表情を見上げるのも
みどりの作った料理を一杯に食べて満足そうな笑顔を見るのも
危険な戦闘に赴く時の少し怖いくらいの真剣な横顔を見送るのも
オレンジ色のライトの中でベースを弾く時の活き活きとした目を見るのも。

「……お兄ちゃん、」

皆が心配するから、いつも笑顔でいた。
それはみどりも皆の優しい心遣いがわかっているし、
自分のせいで皆が哀しむ顔を見たくはなかった。
だからみどりはいつも笑顔でいた、それが皆の心遣いへの応えだとわかっていたから。

「……ねぇ、お兄ちゃん、みどりね、また大きくなったんだよ。
 頑張ってヒールにしたらお兄ちゃんと腕、組めるようになるかな。
 もうぶら下がらなくてもつりあうように、
 そうしたら一緒に……歩けるよ……、」

右手首に巻いたバンダナを愛しげに撫でる。
大切な、常にみどりとともにある彼のバンダナ。
その明るめの紺色に濃い染みが落ちた。

「お兄ちゃん……お嫁さんになるって約束したのに、絶対だよって約束したのに……、
 逢いたい、お兄ちゃんに逢いたいよぉ……、」

堪えていたものが堰をきったように零れ落ちる。
泣かないと決めた筈の涙は、みどりの意志を無視していく。

別れを知る前は、ただ好きだという気持ちだけがみどりの全てだった。
だが別れを知ってからは、好きだという気持ちに痛みがあるのを知った。
それは逢魔の特殊能力の痛みとも違う、
まるで自分自身を引き裂かれたかのような空虚な痛み。

「逢わせて、お願いだから……、」

慟哭は凍てついた夜を裂き、
みどりの心を開放する。
堪えていた気持ち、“逢いたい”と。

(…………泣くなよ…………、)
「……!」

ふいにみどりの背中は穏やかな温もりに包まれた。
この感覚、やさしくて力強い腕。
どんな時もこの温もりに救われてきた。
覚えている、これは……、

「お……兄ちゃん、……お兄ちゃん!」
(……だから泣くなって、可愛い顔が台無しだぞ……、)

うん、うん、と頷く。
何か色々言いたい事があるのに、言葉にならない。
伝えたい事、伝えたい気持ちはたくさんあるのに。
縋りつくみどりの豊かな髪を、愛しげに撫でる手が懐かしい。
この手に幾度安心したことだろう。
大きくて、少しごつごつして、それでいて
とてもやさしい手。

みどりの頭にふりそそぐ声は哀しみと愛しむ色が混じり
愛する者を残してしまった悔恨もみえた。

(……ごめんな、約束守れなくて……でもこれだけは覚えておけよ、
 俺はいつでも傍にいる……いつでも、だ……)
「お、お兄ちゃん!」

その声が余りにも哀しくて、みどりは振り向き彼の頬にそっと口付ける。
それに返すやさしい笑顔に改めて自分がどれだけ彼を好きなのか思い出す。

だが徐々に薄れるその姿に、みどりは焦り必死に叫ぶ。
一番伝えたい言葉、自分の気持ち。
その大好きで愛しい彼の顔を見あげる。

「みどりはね、ずっと……ずっとお兄ちゃんのこと大好きだよ!」



薄れゆく意識の最後に、
何かを伝える口元と薄い金髪が見えた。

だがその笑顔はみどりの心をひどく暖め
聞きなれぬ言葉と共にいつまでも残った。



―――Jucunda memoria est praeteritorum malorum.









滲んだ視界が徐々に形作られ、ぼんやりとした思考も戻りつつあった。
それと共に聴覚も戻ってくる。
静寂の中のゆっくりとした振動は、自らの鼓動。
そして覚醒するまでに視界を埋めていたのは
聖母、マリア像だった。


「まぁ、こんな真夜中に教会にいらっしゃるなんて、」


穏やかな驚きの声音が背後から聞こえ、
5人は其々ふり返る。
そこには灰色の修道服を着た年嵩のシスターが蝋燭を手に立っていた。
そして自分達がばらばらに教会内に座っていた事に気がつく。
いつの間にいたのか知らぬ者に不審を唱えるでもなく、
寧ろ祈りを捧げていたと思ったらしくシスターの喜色は濃い。

だが今自分のおかれている状況に説明をつけるのに
少々苦労が必要のようだ。

「……夢、だったのかな」

クリスクリスの呟きは皆も同じ。
大樹を見上げていたところから先が幽かな記憶。

「いや、夢であってたまるかよ、」

シンの言葉は確信。
そしてそれが為に踏み出せる未来への糧。


マリア像の下の燭台に灯りと燈しながら、時が替る事を静かに告げるシスター。
聖夜が終わり奇跡の日がやってくる。


「奇跡が……起きたんだよ、きっと」

みどりの奇跡はその胸にそっと仕舞われた。
誰も知らなくていい、みどりだけの奇跡なのだから。

「噂というものも、真実を含むもの……ということですか」

手の中の鎖に通した二つのリングを見遣り亮一が苦笑する。
想うことへの答えは在ったのだ。


穏やかな静寂の空間から、
現実の喧騒の空間へと戻るべく扉へ向う。


「……ありがと、な」

高那は一度だけマリア像を振り返った。
今だけはこの慈愛の神を信じたい気分だった。


シスターに一礼し扉を出ようとして、みどりはふと立ち止まった。
気になっていた事がひとつある。

「シスター、……あの、ひとつ聞いてもいい?」
「ええ、私で答えられる事ならばどうぞ。」

その穏やかな顔に安心する。

「ええと、この言葉の意味、わかりますか?
 んと……“ゆくん……だめもり……あえす……とぷら……え……”だったかな、」
「……“Jucunda memoria est praeteritorum malorum.”かしら?」
「そう、それです!ゆくんだめもりあです!」

シスターは目を細めて答える。

「それはラテン語の格言ね、“今の苦しみを思い出して喜べる日も訪れる”という意味だわ。」
「え……、……じゃあ、お兄ちゃん……、」
「あなたにその言葉をくれたお兄ちゃんは、とてもやさしい方なのね。」

みどりは一瞬涙をその瞳に滲ませ、
然し顔をあげすっきりとした笑顔をシスターに見せた。
そして大きく頷きお礼を言うと扉の向うに足を踏み出す。

今はもう迷いのない、確かな足取りで。








世界は奇跡の前夜から、奇跡の日へと時がうつっていた。
そしてその奇跡は自分の身にも起きた。
それはもう揺るぎの無い確信として胸にしまってある。


視界に白いものが落ちる。
その様はまるで想いがゆっくりと堆積するように
静かに降り積もる。



聖夜の奇跡―――

たまにはこんな夜も、いいかもしれない……











(fin.)


★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
★   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ★
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】


アクスディア

【 w3b248 / 高耶 / 女性 / 17歳 / 逢魔 】
【 w3c350 / 風羽・シン / 男性 / 26歳 / 魔皇 】
【 w3c964 / クリスクリス / 女性 / 12歳 / 逢魔 】
【 w3g896 / みどり / 女性 / 12歳 / 逢魔 】

東京怪談

【 TK0931 / 田沼・亮一 / 男性 / 24歳 / 探偵所所長 】


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■         ライター通信          ■
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お初にお目にかかります、伊織です。
此度は「想いの降る夜」にご参加頂き有難う御座いました。

今回は聖夜という事もあり奇跡に因み、
皆さんの心の補填を主題とし、ラテン語を織り交ぜて描写してみました。
少しでも心象風景を楽しんで頂けたら幸いです。

キーワードの“ケセドの樹”につきましては
少々難しかったでしょうか、田沼亮一様のみ正解でしたので
ナビゲーターとしてお願い致しました。

またお会いできる機会がありましたら
宜しくお願い致します。


>みどり様

小さい身体いっぱいに恋慕う気持ち、素敵ですね。
切なさを知ったみどり様の子役としての演技にも
今後深みが出ることでしょう。

改めて此度のご参加、有り難う御座いました。