<クリスマス・聖なる夜の物語2004>


ヤドリギのためらい

 主催者の言葉をぼんやりと思い出す。
「ヤドリギには伝説があるのだよ。ヤドリギの下にいる女性はキスをされても怒ってはいけないし、ヤドリギの下でキスをした恋人たちは幸せになれる」
クリスマスパーティからの帰り道、二人で薄暗い道を並んで歩いていた。途切れ途切れのぼんやりとした街灯に足元を照らされながら、つないだ手の暖かさを感じていた。

 耳のあたりに落ちてきた冷たいものを拭おうとして、ふとそれが振り払えるものであることに気づいた。十二月下旬、小雨が雪に変わることは珍しくない。錦織長郎は白い息を吐きながら空を見上げた。夜道が普段より明るく感じられるのもきっと、街灯の光が細かく氷結した水分に拡散されているせいなのだろう。
「寒くないの?」
隣を歩く貴船司が長郎を見上げた。寒そうに見えるかい、と長郎は聞き返した。実際、辛いほどの寒さではなかった。けれど自分が司にどう見えているのか気になって、そう言わせてしまうのだった。いつも司には、自分を訊ねてしまう。
 寒くないのは、少し酔っているせいかもしれない。さっきのパーティで入籍と子供の誕生を祝福され、気持ちが高揚していた。自分を喜ばれることより司と、そして子供たちに暖かな眼差しが注がれて、それが嬉しかったのだ。
 司は苦笑してから、自分の黒いマフラーを外すと長郎の首に巻いた。マフラーはほんのり香水が香り、司自身のぬくもりも残っている。
「二人も、冷えてしまうわね」
さらに司はうなじから流れ落ちる後ろ髪を片手で押さえつつ、押している水色のベビーカーで眠る赤ん坊の様子を覗き込んだ。淡い色の毛布からはみだした小さな手を、自分の手で包み込み温めてから中へ戻す。長郎の押している黄緑色のベビーカーのほうも、気になっているようだった。
 うつむき加減の、慈しみに溢れた司の面差しを横から見守りつつ、長郎は今年一年の出来事をゆっくりと思い返していた。すなわちそれは、司と出会ってから過ごした一年間という意味でもあった。

 夢を見ているような気がする、というのは二人に共通した気持ちだった。お互い、一年前に今日を想像してみろと言われても不可能だっただろう。
「まさか家族ができるなんて」
「まさか子供を授かるなんて」
苦笑交じりでそんな言葉を吐けるのは、この「まさか」を僥倖と受け止めているからだった。信じられないからこそ、一層の喜びが去来するのである。
 手の届かない人。司にとって長郎はそういう存在だった。想ってみても決して独占はできない。だから想わないと決めていたはずなのに、子供ができたとわかってからの数ヶ月、今度は想う暇もなく飛ぶように過ぎていった。
 長郎は戦場で司が双子を出産したと聞いた。もちろん、予定日は知っていたのだけれど、立ち会うことはできなかったのだ。双子の誕生に対して最初に長郎が考えたことは、
「人はいつから記憶を持つようになるのだろうか」
ということだった。子供たちは果たして、自分が生まれたとき父はそばにいなかったことに気づくだろうか。成長したあとでも、覚えているだろうか。
 そして今、三ヶ月を過ぎた双子はそれぞれ小さなベビーカーの中で眠っている。一つを長郎が、もう一つを司が押している。まだ自我も生まれていない、人間とも呼べないような小さな生き物たち。手の中には今にも壊れてしまいそうなほど脆く軽い、それでいて確かな愛情が存在していた。

 長郎は、司の髪の毛になにかひっかかっているのに気づいた。白っぽい小枝の正体は、ヤドリギだった。パーティのリースに使われていたのが、気づかないうち折れて、司の髪にもつれていたのだろう。
「ヤドリギの下でキスを拒んではいけない」
今夜二人をパーティに招待した主催者が言っていた。ヤドリギの下でキスをした恋人たちは幸せになるのだそうだ。だから、キスを拒んではいけない。
 手を伸ばせばすぐ摘み取れる距離にあるヤドリギをそのままにして、長郎は司に尋ねた。
「司、ヤドリギの伝説を覚えているかい?」
君の髪の毛にヤドリギがひっかかっているよ。君は今、ヤドリギの下にいるんだよと言ってみる。
 ベビーカーから顔を上げた司は髪の毛に手をやってヤドリギを確かめると微笑み、それから軽く目を閉じた。いつも自分に問いかけてばかりの、決定権を司に与えてばかりの長郎に、今度は自分を委ねるような仕草だった。
「さあ、どうするつもり」
赤い唇は挑んでいる。
 白のロングコートに包まれた司の肩に、そっと触れる。そして雪に触れても溶けないくらいの軽いキスを落とした。
 かわいそうに、司の唇は冷たく震えていた。実際、長郎よりも寒さに耐えていたのは司のほうだったのだ。それなのに、長郎が寒くはないかと心配してマフラーを巻いてくれた。なんて可愛らしい強がりだろう。長郎は思わず力を込めて司を抱きしめた。

街灯の下で抱き合ったまま、長郎がささやいた。
「今は、いつまで続くだろう」
二人が生きてきた大部分は、平穏とは程遠かった。奇跡は、一体いつまで続くか保証もできない。お互いが自分の運命を覚悟していた。ただ、今だけは。
「僕は今、君が望むものをなんだって、叶えられる気がするよ」
「私はただ、傍にいてくれるだけでいいの」
元々司は、願いが少なかった。だから多くを願わなくともよかった。今、こうしているだけでもう幸せなのだ。
「ただ、今が終わってほしくない。私はそれだけを願っているわ」
それだけ言うと今度は司から、キスが返ってきた。ごく自然な、恋人同士のなんでもないキスだった。
 二人は出会ったときからそれなりに大人の付き合いをしてきたので、キスに特別緊張したりということはなかった。けれど本当に恋人らしいキスというのは今が初めてかもしれなかった。
「……それと、もう一つだけお願い」
長郎の胸に顔を埋めていた司は、ふっと頬を離すと、自分の髪に絡まっていたヤドリギの枝を手に取った。そして華奢な飴細工にも似ているそれを、ぽきりと半分に折ってしまった。
「司?」
長郎の見ている前で、司はその小枝を半分ずつベビーカーの中で眠っている赤ん坊の枕元に並べて置いた。そして双子の片頬ずつにそれぞれ優しくキスをしてから
「長郎も、キスをちょうだい」

「……」
長郎は眼鏡のフレームを少しいじって、苦笑いを浮かべた。なんて素敵なことを考えるのだろう、自分の妻は。そんな表情だった。
 スーツの膝を折り、長郎は司がキスしたのとは反対側の、双子たちの両頬が親のキスで埋まるように口づけた。少し冷たい長郎の唇を感じると、子供たちは少し笑ったように見えた。くすぐったいのか、嬉しいのか。
「僕は守るよ。君と、二人の子供たちを。皆を幸せにすると誓うよ」
「初めて、断言してくれたわね」
司の言葉の意味は、愛情の確認ではない。これまで長郎はどんなときも、決定権を司に預けてきた。司がものを尋ねれば尋ね返し、といって長郎が尋ねてくるのを司が同じようにやれば
「僕は司に尋ねているんだよ。司が決めていいんだ」
なんでも決めさせてくれるということは優しさのように思えて、実は長郎の本心が見えず不安にされるのだった。
 だから、司は今の瞬間が一番幸せだった。夫に二人の子供、そして確かな愛情。これ以上なにかを期待することは、許されない気がした。
「伝説なんか頼る気はないけど、本当かもしれないわね」
「ああ」
静かに小雪が降り落ちる中、長郎と司は互いの手の平で子供たちのベビーカーに雪が積もらないよう庇いつつ、もう一度キスをした。

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★   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ★
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

w3a228/ 錦織長郎/ 男/ 34歳/ 残酷の黒

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■         ライター通信          ■
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明神公平と申します。
実はアクスディアには全く詳しくなく、世界観や時間の流れが
どうなっているのかさっぱりわかりませんでした。
長郎さまは「飄々としていて本心はあまり見せない、そして
愛情表現が苦手」という印象です。
今回自分の戸惑いがなんとなく相手を不安にさせる、そういう
司さまとの関係が少しはっきりするという話を意識してみました。
手探りの中書かせていただいた小説ですが、
楽しんでいただければ幸いです。
またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。