<クリスマス・聖なる夜の物語2004>


ヤドリギのためらい

 主催者の言葉をぼんやりと思い出す。
「ヤドリギには伝説があるのだよ。ヤドリギの下にいる女性はキスをされても怒ってはいけないし、ヤドリギの下でキスをした恋人たちは幸せになれる」
クリスマスパーティからの帰り道、二人で薄暗い道を並んで歩いていた。途切れ途切れのぼんやりとした街灯に足元を照らされながら、つないだ手の暖かさを感じていた。

 雪が降り出していた。寒くないの、と訊ねたら
「寒そうに見えるかい?」
と訊ね返された。貴船司は困ってしまう。迷った末に自分の黒いマフラーを外すと、隣を歩いている錦織長郎の首に巻いた。
 今夜は体の芯から冷える。けれど灰色のスーツのみでコートも羽織らず歩いている長郎が自分と同じように感じているのかはわからない、いつだってそうだった。長郎は司に向かって手の平を差し伸べながら、けれど司からは決して触れられないわずか遠くに立っているような気がしていた。眼鏡の奥にある笑顔は優しいけれど、優しい分だけ不安にさせた。
 そんな不安が消えたのは、今二人が一台ずつ押しているベビーカーの中で眠る子供たちの生まれた頃である。自分の押している水色のベビーカーを覗き込む司。よだれをたらして眠っている赤ん坊の、小さな右手が淡い色の毛布からはみだしている。冷たいそれを自分の手で温めてから毛布の中へ押し込めた。こんな些細なことが、不安をかき消して倍の幸せを与えてくれる。
「あなたは大丈夫?寒くはない?」
長郎の押している、黄緑色のベビーカーも覗き込まずにはいられない。そんな司のことを、長郎は優しく見守っていた。
 髪の毛に隠れた自分の耳が赤くなるのを、司は自覚する。どうしても、長郎の視線を意識するとそうなってしまうのだ。司は赤ん坊に気をとられる振りをして目を閉じた。ゆっくりと呼吸を整えなければ、自分の中にある幸せに押しつぶされてしまいそうだった。
 本当に、今年の一年はなんと長かったことだろう。長郎と出会って、過ごした一年間は司にとってこれまでにない時間だった。

 夢を見ているような気がする、というのは二人に共通した気持ちだった。お互い、一年前に今日を想像してみろと言われても不可能だっただろう。
「まさか家族ができるなんて」
「まさか子供を授かるなんて」
苦笑交じりでそんな言葉を吐けるのは、この「まさか」を僥倖と受け止めているからだった。信じられないからこそ、一層の喜びが去来するのである。
 手の届かない人。司にとって長郎はそういう存在だった。想ってみても決して独占はできない。だから想わないと決めていたはずなのに、子供ができたとわかってからの数ヶ月、今度は想う暇もなく飛ぶように過ぎていった。
 長郎は戦場で司が双子を出産したと聞いた。もちろん、予定日は知っていたのだけれど、立ち会うことはできなかったのだ。双子の誕生に対して最初に長郎が考えたことは、
「人はいつから記憶を持つようになるのだろうか」
ということだった。子供たちは果たして、自分が生まれたとき父はそばにいなかったことに気づくだろうか。成長したあとでも、覚えているだろうか。
 そして今、三ヶ月を過ぎた双子はそれぞれ小さなベビーカーの中で眠っている。一つを長郎が、もう一つを司が押している。まだ自我も生まれていない、人間とも呼べないような小さな生き物たち。手の中には今にも壊れてしまいそうなほど脆く軽い、それでいて確かな愛情が存在していた。

「司、ヤドリギの伝説を覚えているかい?」
突然、長郎から訊ねられた。
「君の髪の毛にヤドリギがひっかかっている。君は今、ヤドリギの下にいるんだよ」
パーティの主催者の言葉が再び蘇る。今夜のパーティではあちらこちらにヤドリギで作ったリースが飾られていた。その下で何度か、司も祝福のキスを頬に受けた。だから、ヤドリギの伝説は忘れようにも忘れられない。
「ヤドリギの下でキスをした恋人たちは幸せになれる」
答えようとした言葉を胸の中に閉じ込めて、司は髪の毛に手をやる。左耳の少し上にちくりと指を刺す、細い枝の感触があった。
「……」
司はなにも言わず、ただ軽く目を閉じた。自分が黙っていたら、長郎は一体どういう行動に出るのだろうか。それだけを考え、じっとしていた。
 大きな手が自分の肩を抱いた、と思うと暖かい唇が自分の唇に降ってきた。キスに少し、ワインの味が混じっていたのは長郎が普段より飲みすぎたせいだろう。心地よい酔いが、全身を包んでいるようだった。
「今日はよっぽど楽しかったみたい」
いつも同じ表情をしているので、長郎がなにを考えているのかはよくわからない。今でも楽しいのか悲しいのか、表情だけでは判断できないことがあった。
 だから突然、思い切り抱きしめられたのも司にとっては全く予想外だった。反射的に振りほどこうとしたが、長郎の力は強い。銀のタイピンが顔に当たるのをよけて、それから、司はゆっくり長郎の胸に顔を埋めた。

街灯の下で抱き合ったまま、長郎がささやいた。
「今は、いつまで続くだろう」
二人が生きてきた大部分は、平穏とは程遠かった。奇跡は、一体いつまで続くか保証もできない。お互いが自分の運命を覚悟していた。ただ、今だけは。
「僕は今、君が望むものをなんだって、叶えられる気がするよ」
「私はただ、傍にいてくれるだけでいいの」
元々司は、願いが少なかった。だから多くを願わなくともよかった。今、こうしているだけでもう幸せなのだ。
「ただ、今が終わってほしくない。私はそれだけを願っているわ」
それだけ言うと今度は司から、キスが返ってきた。ごく自然な、恋人同士のなんでもないキスだった。
 二人は出会ったときからそれなりに大人の付き合いをしてきたので、キスに特別緊張したりということはなかった。けれど本当に恋人らしいキスというのは今が初めてかもしれなかった。
「……それと、もう一つだけお願い」
長郎の胸に顔を埋めていた司は、ふっと頬を離すと、自分の髪に絡まっていたヤドリギの枝を手に取った。そして華奢な飴細工にも似ているそれを、ぽきりと半分に折ってしまった。
「司?」
長郎の見ている前で、司はその小枝を半分ずつベビーカーの中で眠っている赤ん坊の枕元に並べて置いた。そして双子の片頬ずつにそれぞれ優しくキスをしてから
「長郎も、キスをちょうだい」

「……」
長郎は眼鏡のフレームを少しいじって、苦笑いを浮かべた。なんて素敵なことを考えるのだろう、自分の妻は。そんな表情だった。
 スーツの膝を折り、長郎は司がキスしたのとは反対側の、双子たちの両頬が親のキスで埋まるように口づけた。少し冷たい長郎の唇を感じると、子供たちは少し笑ったように見えた。くすぐったいのか、嬉しいのか。
「僕は守るよ。君と、二人の子供たちを。皆を幸せにすると誓うよ」
「初めて、断言してくれたわね」
司の言葉の意味は、愛情の確認ではない。これまで長郎はどんなときも、決定権を司に預けてきた。司がものを尋ねれば尋ね返し、といって長郎が尋ねてくるのを司が同じようにやれば
「僕は司に尋ねているんだよ。司が決めていいんだ」
なんでも決めさせてくれるということは優しさのように思えて、実は長郎の本心が見えず不安にされるのだった。
 だから、司は今の瞬間が一番幸せだった。夫に二人の子供、そして確かな愛情。これ以上なにかを期待することは、許されない気がした。
「伝説なんか頼る気はないけど、本当かもしれないわね」
「ああ」
静かに小雪が降り落ちる中、長郎と司は互いの手の平で子供たちのベビーカーに雪が積もらないよう庇いつつ、もう一度キスをした。

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★   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ★
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

w3d769/ 貴船司/ 女/ 28歳/ 残酷の黒

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■         ライター通信          ■
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明神公平と申します。
実はアクスディアには全く詳しくなく、世界観や時間の流れが
どうなっているのかさっぱりわかりませんでした。
司さまは「気丈でクール、でも手の中にあるものには
惜しみなく愛情を注いでしまう」そんな隠れた母性の
持ち主ではないかと書かせていただきました。
気丈な人が、好きな人にだけ折れてしまうという
設定が大好きだったりします。
手探りの中書かせていただいた小説ですが、
楽しんでいただければ幸いです。
またご縁がありましたらよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。