<ホワイトデー・恋人達の物語2005>


■白い御使いの贈り物

ネオンがちらほらと灯り始め、街がその顔を夜へと変え始める黄昏時。空は茜色の端から徐々に紺のグラデーションが顔を覗かせ、その下を足早に急ぐ人々もどこかそぞろとして一層歩を早めているようだった。
日差しや気温は大分春めいたとは言え、夕暮れ時の風はまだ冬の匂いを残している。先の条例改正で無性にもの侘しくなった繁華街をも通り過ぎ、肌を撫でる寒風は空中へと溶け消えた。
週末の副都心ともなれば人通りはいつにも増して激しく、赤信号に舌打ちする人々の横顔を巨大スクリーンが照らしている。何とはなしに夕方のニュースを見上げる人を尻目に、何組かのカップルはお互いの話に夢中で身を寄り添わせていた。
その光景がよく見られるはず、今日は三月十四日。ホワイトデーと称しバレンタインほどではないものの、世の男女が盛り上がる恋愛イベントの日だ。
――と、その一組。片割れの今時風な茶髪の男のジャケット、その裾を引く小さな白い手があった。
怪訝そうに振り返った男の視線の先が、相手の姿を見つけられずに自然と下げられる。それもそのはず、手の主は七〜十歳歳かと言う小柄な少年――もしかしたら少女かもしれない。金の髪に透けるような陶器の肌とスカイブルーの瞳を持つ、異国の人間だった。
明らかにこの街に、場に似つかわしくない空気がそこにあった。が、そんな事を気に留める風もなく、目が合った事で嬉しそうに微笑みながら、彼は愛らしい唇を開く。
「幸せ。見せてくれる?」
問いの意味如何はともかくとして。天使のような容貌から発せられた声もやはり、外見を裏切らない透明感のあるものだった。外国人にしては完璧な日本語のイントネーション。期待にきらきらと輝く真っ直ぐな双眸が、彼を単なる迷い子ではないと物語っている。
ますます戸惑いを深めていた男の顔が、更に困惑したものへと変わる。まるで見てはいけないものを見てしまったかのように気まずい表情で、信号が変わったのをいい事に逃げるように彼女を促すと去って行った。
「あ…」
男を引き止める言葉を持たず、ただ後姿を見送ってから、少年は悲しげな顔でうな垂れた。
先程から四度目になるだろうか。最初は迷子かと警察に連れて行かれそうになり、次は男の方にふざけるなと怒鳴られてしまった。三度目は子供特有の戯れだと思われたらしく、やはり相手にされずに終わった。
それが当然の反応で、自分が見様によっては電波とも取れる問いを投げかけているとは、少年は気づいてもいなかった。ただ自分の問い方がまずかったのだろうと得心したが、かと言って他にどう尋ねたらいいのか、人の言葉は複雑過ぎて理解の範疇外だった。情けなさにうちひしがれている暇もない。
最初はもっと繁華街に近い方で呼びかけていたのだが、警戒中の警察官に無理やり保護されそうになってしまったのだ。それも警官としては当然の責務だったが、生憎彼は警察というものをまだ理解していなかった。いつまたあの制服の人達に追いかけられるかと思うと、気が気でならない。
それに――
「…早くしないと……」
焦りに似た呟きが、雑踏の隙間に零れる。
――もうすぐ。もうすぐ、今日が終わってしまう。
泣きたい気分に駆られつつ、顔を上げた彼が次の対象を探して視線をさ迷わせた。もしまた次も駄目だったらと不安がなかったわけではないが、それ以上に彼は人間が大好きだった。純粋に信じていた。
傍を通り過ぎる人々が物珍しそうに一瞬視線を流し、何事もなかったのように素通りする。目を凝らして見つけた、その先に――


□四人

最初に目が合ったのは、不思議な色だった。濁りのない少年達の目に比べ、うっすらとグレーがかっているように見える。だけどそれはふわふわとした彼女の日本人離れした雰囲気にとてもよく似合っている、優しくて深みのある色合いだった。
「あっ、可愛い子がいる〜。僕、どうしたの〜?迷子かな?」
真っ先に小走りで駆け寄ってきた彼女の名は瀬戸・マリア。目線を合わすために少し屈んだ際、柔らかそうなロングウェーブが春風に揺れる。明るい声もとても軽やかで、歌など紡いだらどれほど綺麗なんだろうと少年は思わず想像した。きっと、普段自分が聞いているのと変わりなく美しいに違いない。何より、自分に話しかけてくれた、笑いかけてくれたのが嬉しくて、早速口を開こうとしたその時。
「マリア、お前という奴は……ッ、あれほど走るなと……」
少年が返事をする前に、マリアのすぐ後ろから長身が姿を現す。慌ててはいるが濃いグレーのスーツを一分の隙なく着、見るからに生真面目そうな男性。眉を寄せて、怒ったようにマリアの腕を掴んでいる。メタルフレームの奥から覗く視線がマリアから自分へと訝しげに送られて、また怒鳴られるのかと思わず一歩下がってしまった。怖かったわけではないが、それに気づいてか、男――吉沢・由貴は若干目元を和らげる。が、困惑の気配は残ったままだ。
「んもー、睨む事ないでしょ?怖がってるじゃなーい」
「に、睨んでない。ええとだな、君はどこの――ってマリア、お前はあれほど走るなと言ってるのにだな!」
「またそれー?由貴さん大袈裟〜」
マリアと由貴、結婚三年目となる若夫婦はいつもの応酬を往来で始めていた。大抵由貴が一方的に怒っており――とは言っても理にかなった抗議ではある――最終的にはマリアが理不尽な勝ちを収めるのだが、恋人時代からいつまで経っても日常茶飯事の光景だ。
「由貴さん、その辺にしてあげて?」
クスクスと忍び笑いを漏らしながら歩み寄ってきたのは笹川・璃生。黒髪のショートカットはボーイッシュというほどではなく、程好く女性らしいフォルムを描いている。友人二人に向けている瞳は少年の色に近い、天の青だ。控えめそうでありながらどこか意志の強さも感じさせる。マリアがコスモスのピンクならこの人は百合のような白が似合いそうだと勝手に思っていると、本当に花の匂いが鼻腔をかすめた気がした。
「そうだよ、妊婦さんに怒鳴るのはあまり感心できないね」
ひときわ落ち着いた声音は璃生の隣から聞こえた。由貴と同じダークスーツを着こなしているのに、比べてどこか大人の余裕みたいなものが感じられる。多分年齢もこの中で一番上なのだろう。漆黒の長髪に紅玉の瞳、耳にはたくさんの輪が光る。華人で王・星光と言った。浮かべた微笑は人当たりが良さそうなのに、どこか妖しげで人を引き込むような魔力がある。
四人は数年来の友人で、今日は由貴の仕事が早く終わった事もあり、マリアの提案でダブルデートを楽しんで来たところだった。ちなみに男二人が女性陣の荷物を持っているのだが、マリアの買い物袋は璃生より倍はあろうかと思われる。これもある意味いつもの光景で、既に由貴も文句すら言わなくなっているのが物悲しい。デパート帰り、折角近くまで来たんだからと王がオーナーを勤める昔馴染みの店に足を向けようと通りがかったのだ。
璃生と星光が二人ともマリアの肩を持った事に、由貴はお前達は甘やかし過ぎると溜め息混じりに呟いた。この二人に関わらず何故かそういう傾向にあるのは、マリアの得な性分としか思えない。……別に自分が損な性分などとは(略)
「にんぷ…さん?」
聞き慣れない言葉を少年が反芻すると、マリアが微笑みながら愛おしげに自分の腹を撫でた。その姿はいつか本で見たかの聖母と重なって、何だか眩しくさえ思える。そういえば、マリアの腹は他の三人より少し大きく張り出していた。単に太っているのとは違うようだ。気のせいだろうか、何かそこから暖かいものが溢れているような心地がする。
「そう、この中に赤ちゃんが入ってるの〜」
少年は目を見開く。マリアの顔と腹を交互に見つめる事しばし。
「赤ちゃん?人間の、子供?この中に入ってるの?――すごい!」
「えへへ、すごい?でも大変なのよ〜、ようやく安定期入ったんだけどねー」
「……ちょっと待て。何和やかに話してる」
辺りに花でも舞ってそうな二人の間に、由貴が割り込んだ。ツッコミ&フォロー役はいつだって彼の役目である。にも関わらず、二人は既に別世界に行っているようで更に花を咲かせていた。
「じゃあ二人で作ったの?すごい!」
「何の話をしてるかーーーーーーーーーー!!!!」
「ゆ、由貴さん……」
火でも噴きそうな由貴の怒鳴り声に、通りすがりの人々が思わず振り返った。耳まで真っ赤になっている由貴につられて、止めたものかとおろおろしている璃生の頬もうっすら桜色に染まっている。元々こういう話題には免疫がない二人なのだ。そんな璃生の様子を見かねてか、星光が小さく苦笑すると夫婦の合間にさり気なく割り込んだ。
「とりあえず、生命の神秘は置いておこうか。――君はこんな所で何をしてるんだい?もうすぐ夜だし、子供の一人歩きは危ないよ」
「そうね……何か困っている事があるなら、私達で力になれないかしら?」
同じく頷き、少年の顔を覗き込むようにして尋ねる璃生。――少年の小さいながらも真っ直ぐな瞳に、雰囲気は違うけれど、自分を送り出してくれたあの子を見てしまう。いつでも自分に元気と笑顔を与えてくれる大切なパートナー。だからだろうか、自然と放っておけない気持ちになったのは。
ようやく犬も食わない喧嘩を止めたマリアと由貴も、黙って少年を見守る。八つの目に囲まれて、いささか萎縮したように少年は俯いた。
怖かったわけではない。自分を見守る目には不審も不快もなく、善意に満ちている事もわかっている。ただ、また上手く伝えられなかったらどうしよう。折角初めて尋ねてくれたのに、呆れられて去られてしまったらどうしよう。その不安が声を詰まらせる。
「……ゆっくりでいいぞ」
そんな少年の心情を悟ってか、遠慮がちに由貴の声がかけられる。少年は顔を上げた。四人の顔を見る。胸につかえていた塊が、光に当たって溶けていくような気がした。
「あの……ね。――幸せ。見せてくれる?」




□『Jack Hammer』

地平線が鮮やかな紅を残し、覆いかぶさるようにして紺色の幕が刻一刻と広がっていく。色とりどりの光が錯綜し、闇の部分をより一層際立たせる。この街が最もこの街らしく輝く時間が迫るにつれ、宝石を散りばめたような世界が窓の外に顔を覗かせ始めていた。
地上数百メートルの景色は『Jack Hammer』の売りの一つで、新東京一帯を見渡せる。新たに復興した街並みは、以前のそれとほとんど遜色なく都心の威厳を保っていた。高層ビルの一角に位置するこの店はかつては魔皇の秘密基地と呼ばれており、逢魔の作る特殊な結界の中に現実の蜃気楼として存在している。
広いフロアの内装は落ち着いたトーンの色合いでまとめられ、高級感がありながら決してくどいものではない。元々は女性客やカップルが多かったが、最近では男性の一人客なども増えている。古今東西の酒をリーズナブルな値段で味わえ、ステージの音楽を楽しみながらゆっくりと寛げる。正に大人のための隠れ家だった。
「わぁ……天が、とても近い」
開店前の店内で、窓から夕景を見下ろしながら少年――エルは感嘆の溜息を零した。そのすぐ後ろに立つマリア――道すがらの自己紹介で『マリア』の名を聞いた時、少年はひどく喜んだものだった――はエルの肩を抱きながら、同じように下界に視線を向ける。
「気に入った〜?夜になると、もっと綺麗なのよー。ね、璃生ちゃん☆」
「ええ、とても……未だにちょっと足が竦んじゃいますけど」
いささか冗談めいた口調で笑い返した璃生は、店内をさり気なく見回した。ここは四人が出会った場所で、数え切れない思い出が溢れている。胸が痛くなるものも、温かくなるものも。どれも大切でかけがえのない欠片たち。
あの後、立ち話もなんだからと当初の予定通りこの店に向かう事にしたのだった。少年の問い――『幸せとは何か』を各々考える時間も欲しくて。何より可愛いもの好きのマリアがエルを気に入ってしまって、絶対一緒に行く〜と言ってきかなかったのだ。
「未成年者略取……」
厨房の奥で呟いてるのは、最後まで難色を示した由貴だった。もちろんエルをあの場に一人残していくのは反対だったが、万が一迷子だったりしたら両親もさぞかし心配しているだろうしと――結局はいつもの通りマリアに押し切られる形となったのだが。
その由貴が何をしているかと言えば、これまたマリア様のご要望に沿って軽食を作っているところだった。実質ここの料理長との噂も名高い由貴は、和洋中華とプロ顔負けの腕を誇っている。水曜日などは由貴特製のオリジナルデザートが出たりするのだが、あっという間に売り切れてしまうほどだ。
真剣に悩んでいる彼の姿がコミカルに映るのは、その戦闘服・割烹着ゆえに他ならない。彼を心身ともに名物『ハマーのおかみさん』足らしめる要素の一つである。
「深刻に考え過ぎだよ、由貴。エルも警察には行きたくなかったみたいだし、無理に連れていくのも可哀相だろう?かと言って家出という様子でもないし」
カウンターでノンアルコールカクテルを用意しながら答える星光に、楽観的な…と由貴の呆れ声が返る。が、文句を言いながらもエル用のお子様メニューをちゃっかり準備している様子に、星光は忍び笑いを漏らした。
――数分後。テーブルの前に並んだ、軽食と呼ぶには豪華過ぎる料理の数々に、エルはぽかんと口を開けたまま見入っていた。
魚介のマリネ風前菜から始まり、お子様受けの良さそうなエビフライにナポリタン、白身魚のソテーにシーザーサラダ、コーンスープ、生クリームとシャーベットを添えたケーキまである。立派にイタリアンフルコースだ。
「いつもながら……すごいですよね。由貴さん、ソテーのソース、レシピ教えてもらえます?」
家に帰ったら作ってあげたいなと思いつつ、少しは持ち帰らないとずるいとなじられてしまうだろうか。我が家のエンゲル係数値を上げている逢魔を思い出しながら、頂きますと璃生は手を合わせた。
「ああ、構わんぞ。水鈴用は別に取ってあるから遠慮なく食べろ」
さすがおかみさん、抜かりなき気配りである。とは璃生の胸の内。
「由貴さん、これだけは取り得だもんね〜」
「だけとはなんだ、だけとは。家事諸々、一体誰が請け負ってると……」
「聞こえなーい。はいエルちゃん、あーん♪」
あーん?と首を傾げたエルに、口を開けて?とスプーン片手に教えるマリア。向かい側で由貴が微かに眉を動かしたのは、もちろん目に入らない。ぱく、とスプーンごと飲み込んでから、エルが目を見開くと興奮したように足をジタバタさせた。
「美味しい!こんなに美味しいもの、私は知らない……由貴、すごい、料理の天才だね!」
「い、いや、そこまで喜んでもらえると……」
こんな幼い無垢な子供に一瞬でも嫉妬した自分が大人げないと言うか醜いと言うか狭量(略)……しばらくして自己嫌悪から立ち直った由貴は、小皿にエル用のサラダを取り分け始めた。
「君のヤキモチ焼きは、筋金入りだからね」
耳元で可笑しそうに囁いた星光を思い切り睨むものの、迫力はない。何しろ由貴にはマリアと思いが通じた時、恋敵だと勘違いして星光を思い切り殴ってしまった借りがある。それは結局自分達をくっ付けんがための星光の芝居だったわけだが、つい昨日の事のように思い出されて何とも気恥ずかしい。
「エル君、私のエビフライも食べる?」
「いいの?ありがとう、璃生大好き!」
「あ、じゃああたしのも〜」
「マリア、お前はこっち」
「え?」
舌鼓を打つ四人を尻目に、マリアを牽制すると由貴は厨房から別トレイを運んできた。その上にはイタリアンと比べたら多少見通りする、慎ましい和食が並べてあった。慎ましいと言っても、きちんと栄養バランスの取れた献立である。
「何それ、なんであたしだけ仲間はずれなのー!?」
「妊婦メニューだからだ。お前最近つわり収まってきたからってちょっと食べ過ぎ、太り気味だろ。だからだな……」
「デブって事!?由貴さんがデブって言ったーーーー!!」
「人の話を聞かんかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
璃生に抱きついてわんわん泣き始めるマリア。もちろん彼女の専売特許、必殺・嘘泣きである。実際涙も零れるなどあまりに上手いので、特に男性達が疑いつつも騙される事が多々。璃生は困ったように微笑みながら、抱き止めるとマリアの背を優しく撫でた。……背中の肉もついてないし、それほど太り気味とは思えないのだが。
「由貴さん、心配なのはわかるけどもうちょっと言い方が……」
「それに妊婦さんに怒鳴るのは頂けないね」
「だからお前達は甘すぎる!いいか、太り過ぎると妊娠中毒症と言ってだな――」
またしてもマリアを庇う友人二人にまで説教は及ぶ。目を瞬いて大人達を見ていたエルは、エビフライ片手にみるみるうちに悲しそうな顔で由貴を見つめた。
「由貴、マリアをいじめないで。仲良しが一番だよ」
「エルちゃーーーーん」
今度は璃生からエルへと抱きつく対象を変えるマリア。若干戸惑いながらも、璃生の真似をしてよしよしと慰めてみる。マリアの腕の力がもっと強くなって、甘い匂いと柔らかさがくすぐったい。
「……わかった。太ってない。全っ然太ってないから、こっちを食え。俺はお前と、子供を心配して言ってるんだ」
「本当?あたし、太ってない?」
「ああ」
「あたし、妊婦でも可愛い?ちゃんと好き?」
「………………ああ………」
ギリギリの譲歩。搾り出すような細い小声をキャッチしたマリアは涙などどこへやら、笑顔全開のご機嫌で和食に手をつけ始めた。がっくりと項垂れる由貴の肩を、星光が苦笑しながら労わるように軽く叩く。そのまま、両手に花状態のエルへと視線を流した。
「ところで、本題なのだけれど。エル、君は幸せを見せて欲しいと言ったね?どうしてなのかな。詮索するつもりはないけれど、理由がわかれば俺達も協力し易いかと思ってね」
言葉通り、口調は問い詰めるものではなく子供向けの優しげなトーンだった。エルはフォークを皿へと置くと、真剣な顔で考え込む。自分が負ったものを、限られた範囲で上手く説明出来るように。
「あの……今日って、特別な日でしょう?私は、それに関する幸せを探しに来たんだよ」
「特別な……?ホワイトデーだから、でしょうか?」
璃生の星光に対する口調は、恋人となった今でもどこか礼儀正しさが抜けない。それは距離を表しているようで少し寂しいね、と星光はいつもからかってみせるのだが、あながち間違いでもないのかもしれない。
手が届くと思っていなかったから。璃生はいつもそう言い、どこか自分に対して遠慮するようなところがある。それが璃生の長所でもあり恋人としては困った欠点でもあると、星光は常々思っていた。
「そうだね、他にこれと言って思い当たらないし。すると……恋人達の幸せって事かな?」
「……そうだと、思う。男の人と女の人、二人一緒にいるよね?ええと……仲良しなの、かっぷるって言うのかな?その人達ならわかってるって仰ってたから」
「仰ってた?」
子供らしくない敬語表現に由貴が聞きとがめると、慌てたようにエルが言葉を探した。
「あ、えっと……私をここに来させてくれた人が。そう、言ってたの」
「エルちゃんに幸せを見つけてくるよう命令した人〜?」
「うん」
そのまま追求しなかったのは、由貴もマリアも、璃生も星光も既にエルがただの人間の少年ではないと勘付いていたからだ。少し考えて、気づかない方がおかしいのかもしれないが。魔皇ゆえ、人外の存在を認められないほど常識に縛られてはいない。そして問い詰めたらエルが困るであろう事も悟っていた。
「なーんだ、じゃあ簡単じゃない☆」
璃生に手を貸してもらいながら立ち上がるマリア。そのまま向かいのソファーに座っている由貴の元へ。どうした?と言いたげな由貴の顔――頬にキスを一つ。それはマリアの祖国では挨拶代わりにするような軽いものではあったが、純粋日本培養、大和撫子並みに奥ゆかしい由貴にはそれは刺激の強いもので。
「!?!?なっ、なっ、お前、人の…こ、子供の見てる前で何……!!」
「こんな感じ〜♪後はね、この子かな」
酸欠状態の由貴には構わず、素敵なキスに見惚れてしまっていたエルに向かってにっこり。腹に手を当ててゆっくりと撫でる。慈しむように、呼びかけるように。
「愛の形が新しい生命なんて、神様ってすっごくロマンチックだと思うわ☆もちろん、今まで楽しい事ばかりだったわけじゃないけど。嫌な事や悲しい事がなければ、幸せが何かわからないじゃない?」
環境や自分の弱さに潰されそうな事も幾度かあった。それでも乗り越えてこられたのは、支えてくれる親友や仲間、何より由貴がいたから。たくさん周りに迷惑もかけてしまったけれど、だからこそ掴み取った幸せは何があっても守りたい。誰よりも自分自身が幸せでいたいと、強く願う。でなければ彼らに、生まれてくる子に申し訳ないから。
「……そう、ね。私も、幸せはそれだけじゃ成立しないと思うの。恋って自分の嫌なところも浮き彫りになるし……苦しくなかったって言えばそれは嘘。でもその苦しさの分、今笑い合えるのがすごく嬉しいの」
星光の見守る目線を感じて、照れ臭そうに璃生が微笑む。――何度みっともなく泣いてしまっただろう。眠れない夜を重ねて、どうしようもなく苦しくて。風のようにすり抜けてしまうような人。一人空回りしているようで――それでも最後に残ったのは、この人の側にいたい、好きという思いの原石。無理な背伸びは止めて、それでも手は伸ばしていたい。いつだって。
「俺の幸せは――こうやって作ったものを隣でマリアが美味そうに食べてくれる。そんな当たり前の日常だな」
璃生に続いてポツリと由貴が呟く。幸せとは何か――漠然とし過ぎていて上手い答は見つからない。きっとそれほど特別なものではないのだと思う。そこにあって当たり前のもの。当たり前だけれど、なければ生きていけない空気のようなもの。シンプルだからこそ、見失いがちなもの。怒鳴って喧嘩して、それでもまた笑い合える日々のような。
「見せるのはなかなか難しいね。幸せは、刹那にふと感じるものだと思うよ。青い瞳が俺だけを見ている時とか、はにかんで照れた顔とか、ふわっと漂ってくる花の残り香とかね」
相変わらずな星光の台詞に、璃生は思わず頬を赤らめる。星光の方はと言えば、照れなど微塵も浮かんでない様子で微笑み返していた。その瞳に映るのは、何度も傷つけた彼女の姿。手を離せばそれもなかっただろうに、そうしなかった自分のエゴ。それを認められないほど幼くはなかった。あっさりと離せられるほど、大人でもなかった。
店内に優しい沈黙が降りる。皆思い思いの表情で自分の過去を振り返っていた。今の自分達を築くもの。関係の軌跡。エルもまた真面目な顔で、皆の答を受け止めて自分なりに消化しようとしていた。
BGMは柔らかなピアノの音色。軽快なテンポなのにどこか切なく、物悲しい。ハマーはそろそろ開店を迎え、今夜もまた様々な人達を受け入れる。出会いと別れを繰り返し、人の数だけドラマを紡ぎだす。涙も苦しみも、全て飲み込んで街へと流れて行く。
――どうか。その分だけ『幸せ』が降りますように。せめて今日だけは幸あれと。
最後の茜色を窓の外に見送りながら、エルは胸の前でそっと両手を組んでいた。




□扉

群青が漆黒の色を帯びて、更け行く夜を深めていく。しかしこの街が闇に覆いつくされる事はない。煌く色の光彩が息を呑むような美しさを放ち、一つの絵としてそこに収まっているようだった。
地上約百三十メートル、三十七階建の高層タワーマンション。テクノロジーと高級感の粋を極めたこの三十階に星光の自宅はあった。都庁舎を西側から眺める形となる展望には、ハマーのある高層ビルも含まれている。先程まで自分達がいた場所を見つめていた璃生は、見劣りしない夜景に感嘆の溜息をつきながら振り返った。
六畳一間に逢魔と暮らしている璃生らしてみれば、いつまで経ってもこの部屋に慣れる事などできはしない。2LDKの広々とした間取りに、星光が揃えたらしいモダンかつシンプルな家具の数々。一番初めに来た時は綺麗だけれどまるでモデルルームのようだったが、最近では星光の逢魔や自分が度々出入りしている事もあって、徐々に生活観が滲み出るようになっていた。
「ごめんよ、散らかっていて。適当に寛いでいておくれ」
言いながら星光が片付けているのは、脱ぎっぱなしになっていた彼の逢魔の服。それもこの部屋の空気を動かしているものの一つで、小さく笑うと璃生はソファーに腰を下ろしながら閉まっている扉を見遣った。
「仙姫さん、今日はいないんですか?」
「うん、出かけたみたいだね。パソコンばかりいじって引きこもりになってるから、よく柳が誘ってくれるみたいだけど」
璃生とは対照的に、星光は基本的に逢魔には不干渉だった。かと言って疎んじているわけでもなく、形はそれぞれだと思っている。柳と言うのは先程別れた由貴の逢魔で、彼もハマーの常連だ。その由貴達はエルを連れて自宅に帰り、星光もまた渡したいものがあるからと璃生をマンションへ誘ったのだった。
星光に連れられて何度か足を運ぶうちに、フロントスタッフに顔と名前を覚えられてしまったのは何だか気恥ずかしく、同時に少しだけ誇らしくもある。そしてこの部屋に女性の痕跡がない事にどこかホッとしている自分が未だにいて、それに気づかされると居たたまれなくなる。
自分だけを見て欲しいと思うのは我侭だと言い聞かせてきた。この人はとても素敵な人で、周りも素敵な人ばかりで。ごくごく普通の生活を送ってきた自分の目には眩し過ぎて。だからそんな独占欲はおこがましいと。振り向いてくれた事だけでたまらなく嬉しかったのに――止められない、もっとと望んでしまう。それが普通だと彼は言うけれど。
それが苦しくて何度も身を引こうと悩んだけれど、でも結局はこうして傍にいる事を望んだ。あの時よりは自分の嫌なところとも正直に向き合えるようになったし、強くなれたとも思う。
「そんなに仙姫の事が気になるかい?俺が目の前にいるのに」
冗談めかして戻ってきた星光が、物思いに耽っている璃生の前に青いカクテルを置いた。涼しげな色合いで度数が低く、飲み口が爽やかなそれはスカイ・ハマー。ハマーオリジナルのカクテルで女性客に人気がある。三年前のホワイトデーにも、君の瞳の青にもよく似ているねと星光が出してくれたものだ。
「あ、あの、そういうわけじゃ……」
「わかっているよ。ちょっと妬いてみただけだから」
どうしてそういう言葉がさらりと出てくるのだろう――璃生は心の中で呟く。恋人同士になった今でもこの部屋と同じく慣れる事が出来ず、頬が熱を持ってしまう。誤魔化すように頂きますとグラスに口つけたけれど、余計に火照ってしまうようだ。
「そういえばエルちゃん……ちゃんと幸せ見つけられたんでしょうか?というか、見せてあげられたのかな……」
話題転換を試みて、ふと思い出した少年の後姿。別れに名残惜しそうに何度も振り返った姿は、つい家に来る?と口にしてしまいそうだった。
軽めのスプリッツァーを飲みながら、隣に腰掛けた星光は可笑しそうに目を細める。距離が近くなっただけで、その目がこちらを見ているだけで、璃生の鼓動は自然と速くなる。どんなに傷ついたってやっぱりこの人が好きなんだと、教えてくれるように。
「今度はエルが気になるかい?」
「オーナー……」
「はは、ごめんごめん。うん、俺は伝わったと思うけどね。後はエルが判断する事じゃないかな」
「ああして口にするのは、ご本人の前でちょっと恥ずかしい気もしたんですけど……ね」
それでも今の自分の正直な気持ちだったから。目の前だからこそ、嘘はつきたくなかった。
「俺は嬉しかったけれどね。君は遠慮して押し隠してしまうところがあるから。かと言って隠すのが上手いわけでもないし、嘘も苦手。――俺とは正反対だ。だから……なのかな」
「……オーナー?」
では今見ている彼は――その想いが顔に出たのだろうか、星光は否定するように微かに首を振るとグラスを静かに置いた。
「ごめんよ、また変な事を言ってしまったね。君を不安にさせたいわけじゃないのだよ。そんな君の前だから、俺も嘘偽りは出来ないとね。ただほんの少し、君より表現が回りくどいだけで。歳の分だけ、怖くなるのだよ。ストレートにぶつける事がね」
だからこんなにも前置きが長くなってしまった――全て冗談に変えるように笑いながら、星光は無造作にスーツのポケットに手を入れた。長い指でゆっくりと取り出されたのは――銀色の、鍵。宙に揺れるそれは照明の柔らかな光を受けて、踊るように煌く。
目を見張った璃生が、信じられないというように瞬いた。まさかそれは――淡い期待と喜び、一抹の不安と遠慮。全てが胸の奥から溢れそうになる。
「ホワイトデーのお返しに、何がいいかずっと考えていたのだけど。……信じてもらえるかな。俺は鍵だけは誰にも渡した事がないんだ。踏み込まれる事が怖かったわけじゃないよ、踏み込んだ人を傷つけるのが怖かった。それは俺自身の性格とか、職業柄とか諸々の理由があったけれど」
口調に後悔の色はなく、けれども淡々としてはいなかった。過去への愛情が確かに流れていて。そして微笑む。傷ついても立ち上がって、迷いながらも真っ直ぐにぶつかってきてくれた女性に。
「君は――守られるだけの女性じゃないと、わかったから。俺とした事が失念していたね、恋する女性は脆くも強くて、儚くもしたたかだという事を」
受け取ってくれるかい?と顔を傾けて青い双眸を覗き込む。お互いコブつきだから完全に同棲というわけにはいかないけれど、それでもよければ。笑ってそう付け加えた声が、ぼうっとしてしまった璃生の耳に届いたかどうか。
受け取りたい衝動と、躊躇いと。ぶつかり合ったそれは、一瞬にして立ち消えた。
――いつだって。求めるために、手を伸ばしていたい。そう決めたのは自分自身。怖がらずに、飛び込んでいけるように。背中を押してくれる、あの子のために。
震えてしまう指先が恥ずかしかった。見守ってくれているのが嬉しかった。貴方の想いが、何よりも。
そして手が鍵に触れたと思った瞬間――


「え……?」
突如。辺りが真っ暗闇に包まれた。一瞬停電かと思ったが、すぐに違うと気づく。
空間からは一切の音が消え、全ての気配も消えていた。まるで璃生のいる部分だけ現実から切り離されてしまったように。今しがた傍にいたはずの姿を探して、辺りを見回した。
『……星光……』
ふいに響いたまろやかな女性の声。それが聞こえると同時に、辺りに風景が戻った。けれどそれはマンションの中ではなく、薄汚れて雑然としたアパートらしき一室。不思議と色は戻っておらず、昔のテレビのようなモノクロームの世界が広がっている。
『どうしたの?痛い?』
「あ……!」
思わず声を上げてしまって、慌てて口に手を当てる。でもそれは無意味だと気づいた、ここにいる璃生の姿は彼らには見えていないのだ。
狭苦しい部屋の窓際でベッドに横たわった女性。やつれて顔から肩回りの肉がごっそりと落ち、死期が近い事が明白だった。顔立ちは美しかったんだろうと思わせるものの、病床では面影でしかない。ただ一つ、目の輝きだけはまだしっかりとしていたが、それもいつまで持つかと思われた。
傍らで林檎を剥いていた少年――女性によく似ていた、おそらく息子なのだろう。その姿から璃生は目が離せない。間違えようもない、この子は――あの人だと。
少年の脇腹からは、ぼろ布越しに微かに染みが滲んでいた。脳裏に、彼の体に残る手術の跡を思い出す。刺されてしまったんだよと冗談ぽく流していたけれど、直感的に違うのではとずっと思っていた。
『……ごめんね……一人に、してしまって……』
『何言ってるの、もうすぐ――』
『………もう、いいの……私は……だから、こんな事はもうしなくていいの……』
視線を傷口へと向けてから、母親は枯木のような腕を少年に伸ばした。彼女は知っていた、息子が自分の治療代のために駆けずり回って金を集めていた事を。この街で子供一人が金を稼ぐ方法なんて限られている。危険な事もしているのだろう、顔を酷く腫らしていた時もあった。ましてや大金ともなれば、内臓の一つくらい売っていてもおかしくはない。何度止めなさいと言ってもこれだけは聞き入れなかった。
だが全ては手遅れだった。自分の体だから、誰よりも自分がわかっている。死は足音を立てずにそこまで来ていて、もうすぐ飲み込まれるだろう。何人たりとも逃れられない運命。
死ぬのは怖くない。心残りがあるとすれば、それはこの子を一人残していく事だ。自分の前では涙も見せず気丈に振る舞っているが、本当は誰よりも孤独を恐れているこの子を。
手を握り返した少年は、やはりぎこちなく微笑んでいた。いつだって自分を勇気付けるように。
『そんな事言わないで、大丈夫。この間張さんが、良い薬が届くと言っていたんだ。だから――』
『………行き…なさい……』
『え?』
『……私が……死んだら……この街から、出て――お前は……もう、ここに居てはいけない……』
自分がそうだったように、この街に殺されてしまう。親の目から見てもこの子は利発で要領も良いから、いつまでもこんな所に捕らわれてはいけない。自分がいなくなれば、縛るものもなくなるだろう。少なくとも今よりは、もっとましな生活を送れるはずだ。自分の運命を切り開くだけの能力は持っていると信じている。
本当はずっと自分が守ってきたと思っていたのに。実際は逆だったのかもしれないと、生気のない顔に儚げな微笑が浮かんだ。きっとそうだ。この子は自分の生きる希望をずっと与えていてくれた。
少年の手が、微かに震えた。――本当は。ずっとわかっていた。いくら自分が手を尽くして金をかき集めたところで、もう救えないんじゃないかと。でもそれを認めてしまったら、明日を生きていけない。
母だけが全てだった。どんなに辛い仕事でも母は決して自分に弱味を見せなかったし、いつも強く優しく美しかった。澱んだこの街で、流されながらもしっかりと手を引いてくれた。
お腹がすくのも辛くはない。横暴な客に殴られても耐えられる。傷が痛くて眠れない夜も、その手がさすってくれるだけで安らかだった。
貴女が傍に居てくれさえすれば。だから――
『………嫌だ………』
願いは空しく、母親の瞳が虚ろになっていく。それでも柔らかく微笑んで、「ごめんね」と掠れた声で呟いた。一人にしてごめんね、と。
零れた涙は止まらなかった。今まで母には一度も見せた事がない。母が病で苦しいとか痛いとか言わなかったように。繋ぎ止める方法が自分にはなく、ただ見守るしかできない。なんて無力なのだろう。その無力さに押し潰されて、ただ泣いた。それしか出来ない自分に、また泣いた。
謝らないで。どんな事でも耐えられるから。だからお願い。
『一人に――しないで――』


一人は。嫌だよ。


「………璃生?どうしたんだい?」
気遣わしげな彼の声が、現実を呼び戻した。さっきの少年とは違って、低くて、でもソフトな声のトーン。
視線を上げると、心配そうに微かに眉を寄せた彼の顔があって。その手が、さっきまで母親の手を握り締めていた手が、ゆっくりと自分の頬に伸びてくるのをぼんやり見つめていた。周囲が色と輪郭を取り戻しても、未だどこか夢心地のようで。
「また――俺が泣かせてしまったのかな?」
問われて、初めて自分が泣いている事に気がつく。無言のまま頭を横に振ったけれど、彼が原因である事はきっと伝わってしまっている。いつだって自分が泣くのは彼に関係する事ばかりだったから。璃生が口を開かないのを見て、星光もまた黙ったまま濡れた頬を拭った。
『貴方の寂しさ、璃生ちゃんがきっと埋めてくれるから』
あれはマリアの結婚式だっただろうか。星光に向けてマリアが言っていた言葉。耳に入ってきてしまったその意味を、今になってようやく心から悟る。
きっと――彼が人を受け入れてしまうのは、その人が孤独でいる事が耐えられないから。そして自分も。
どうして彼の過去に触れられたのかはわからないけれど、大きすぎるあの孤独を自分が埋められるのだろうか?そう考えると尻込みしてしまう部分がないとは言えない。だって私は彼のお母さんじゃないから。全てを受け入れるなんて、そんな大きな愛はきっと持てないから。
それでも、気持ちの強さは負けはしない。その中に入れるのなら。少しでも埋めてあげられるのなら。届けられるのなら。
「!」
両手で彼をぎゅっと抱きしめる。いつも自分が抱きしめてもらってるから――優しく守ってくれるから、今日は自分が抱きしめてあげる心積もりで。
自分でも大胆過ぎてびっくりしたけれど、驚くこの人なんて滅多に見れるものじゃない。そう思うとおかしくて、思わず笑いそうになってしまった。一瞬驚いた彼の腕が、いつものように包み込んでくれる。普段は余裕に満ちたそれが今日は無性に心細く思えて、抱きしめる手に力を込めた。掌には受け取った鍵があって、それごと強く握り締めながら。
その鍵が淡く白い光に包まれていたのは、さっきまでの事。ほんの少しの奇跡の原因は、今の二人には及ぶべくもない事で。元の硬質な光を取り戻し、ただそこにあるだけだった。
「何でも……ありません。――一人じゃ、ないですよ?」
「……璃生?」
「私、ここにいますから。頼りなくてたまには迷ってますけど、でも――何があっても、いますから」
そのためだったらいくらでも打たれ強くなってやろう。自分からそんな気概が出てくるなんて、思いもよらなかったけれど。故郷の彼のお母さんのお墓に、胸を張ってまたご挨拶できるように。
見上げた彼の顔。いつも掴めない表情なのに、今はあの少年と重なって見えた。寂しいのに誰かのため、いつも微笑みを絶やさない。それが上手くなったこの人が切なくて、愛しかった。


もう一人で、泣かないで。
寂しさの中に取り残されそうになったら、いつだって手を伸ばすから。






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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【w3a287/王・星光(わん・しんくゎん)/男/32/魔皇・孤高の紫】
【w3a395/笹川・璃生(ささかわ・りお)/女/26/魔皇・直感の白】
【w3b517/瀬戸・マリア(せと・まりあ)/女/27/魔皇・激情の紅】
【w3c585/吉沢・由貴(よしざわ・ゆき)/男/27/魔皇・修羅の黄金】