<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


マシュマロ・ゴスロリ・ホワイトデー

(しまった……)
 胸の中で思わずそうつぶやいた時にはもう既に遅かった。松本太一の視線の先では、全身に溶けかけたマシュマロをかぶった、パートナーの逢魔にして最愛の女性、やよいが驚いたような、少し困惑した表情を浮かべて太一を見返していた。

 今日、3月14日ホワイトデー。ことの始まりはといえば、太一がバレンタインデーのお返しにと用意したプレゼントにあった。
 生まれてから一度たりとも料理をしたことのなかった太一が、わざわざ料理教室に足を運んで作ったクッキーと、黒いワンピースの水着。
 クッキーは初めてとは思えないくらいの出来に仕上がったし、水着だって、これはと思うものを見つけだした。事実、やよいもとても喜んで、すぐにそれを身に付けてお披露目してくれたのだから。
 胸元が深くえぐれている以外は、特に露出が激しいわけでも、目立った装飾があるわけでもない。けれど、そのシンプルな形と黒という色、素材の質感が、やよいの繊細なプロポーションと抜けるように白い肌をこの上なく引き立てた。
 完璧だった、いや、完璧すぎた。
 それはもう、太一がつい、むらむらっと妙な妄想を起こして低温で溶かしたマシュマロをかけてしまう程に。
 妙な妄想といっても、別にバレンタインの定番ネタ、女の子がチョコで全身をコーティングして「私を食べて♪」というのをマシュマロで再現しようとしたとか、そのままイイ雰囲気になだれこんでとか、そういうことを、まあ、全く考えなかったとは言えないが、そこまで作意があったわけではないはずだ。
 けれど、やってしまってから我に返ってみれば、これだとホワイトデーの主旨とは反対になってしまう……ではなく、これじゃあもっとイケナイ妄想を刺激してしまう……でもなく、これではやよいがあんまりだ。
「ご、ごめんね、やよい」
 怒らせてしまったかと半ばおどおどしながら謝ると、やよいは拍子抜けするくらいにあっさりとその端正な顔に柔らかな笑みを浮かべた。
「いいえ。水着ですからシミにはなりませんもの。魔皇さまから頂いたものをダメにしてしまわなくって本当によかったですわ。着替えて参りますね」
 そう言うと、やよいはすっくと立ち上がった。
 半分ほど覗いた豊かな胸と白いしなやかな肢体に、艶やかな漆黒の長い髪。立てばいっそう引き立つ大人びたそのスタイルには、少しそぐわない幼さを残した笑み。
 パートナーとしての欲目をさっ引いたとしても、艶やかな色気と脆さをはらんだ繊細さが絶妙のアンバランスで混じりあうその姿は、文句なしに魅惑的だ。怒ってなさそうなやよいの様子に心の片隅で安堵を感じながらも、太一は惚けたようにやよいに見とれずにはいられなかった。

「お願いがあるんですけど……、聞いていただけます?」
 あのホワイトデーから数日が経ったある日のこと。その声に太一が読んでいた新聞から顔をあげると、軽く小首を傾げるやよいと目が合った。
「も、もちろん、何でも聞くよ」
 その「お願い」の中身を聞く前に、反射的に太一はそう即答していた。
 ただでさえ、好きな人のおねだりを断るのは難しい。それに加えて、ちょっと甘えるようなやよいの愛らしい笑みは、先日の一件を実に鮮明に太一に思い出させた。惚れた弱味に後ろめたさも加われば、疑問だとか用心だとかいうものは、いとも簡単にふっとんでしまう。
「ありがとうございます。嬉しい」
 太一の返事にやよいは満面の笑みを浮かべ、おもむろに後ろ手に隠し持っていたものを取り出した。
 やよいの極上の笑みに思わずほわんと見とれていた太一がそれに気付いた時には、やよいの細くて形の良い指が既に太一の衣服にかかっていた。抵抗する間もなく、そのままするりするりとパンツから脱がされてしまう。
 その大胆な行動に一瞬身体を硬直させたすきに、今度は先ほど脱がされたパンツの代わりに、柔らかで滑らかな生地のそれをやはりするりとはかされた。妙に肌触りがよく、けれどもやけに軽くてすうすうとした何とも頼りない感触が、太一の戸惑いを一層深くする。
「え、えっと、やよい……?」
 それが女性ものの、いわゆるランジェリーと呼ばれる下着であることに気付いた太一は、抗議の声をあげたようとしたが、それは中途半端にかき消えた。くすくすと笑いながらさらに太一の服を脱がせにかかるやよいがあまりに楽しそうだったからだ。
 ふと傍らを見れば、いわゆるゴシックロリータと呼ばれる衣装一式と、さらにはご丁寧なことに、大きな化粧道具箱まで用意されている。
 さすがにこれを着せられるのかと思うと、勘弁してくれという気持ちも湧いてくるのだが、一方でこんなに機嫌の良いやよいを見ていると、ずっとこの表情を見ていたいと思えてくるし、こんなに喜んでくれるならたかがゴスロリ服くらい、という気にさえもなってくる。
「素敵ですわ、魔皇さま」
 そんな迷える太一の胸の内にはお構い無しに、やよいは手際よく太一を着替えさせてしまうと、満足そうに微笑んだ。
「そ、そう?」
 その微笑みに、やっぱりお願いを聞いてよかったなどと、じんわりと幸せを感じてしまうあたりが惚れた弱味というやつだろうか。魔皇といえど、所詮は男。好きな女の笑顔にはめっきり弱い。
「……でももっと似合うようにしたいです……」
 おもむろに考え込むような表情になってそう呟くや、やよいは太一の顔から眼鏡を取り去った。途端に、太一の視界は輪郭を失い、ぼんやりとした世界が広がった。気のせいか、やよいがくすくす笑う声がより甘く、くすぐったく耳に響く。
「ええと、後は……」
 そう呟きを残すと、一旦やよいは立ち上がった。いそいそ、といった風情のその足音が遠ざかり、しばらくの後に、より軽やかなものになって戻って来る。
「きっと魔皇さまに似合いますわ」
 嬉しそうな声の後に、すっぽりと頭に何かかぶせられた。さらさらと細い絹糸のような感触が太一の頬を撫でる。
「魔皇さま、少しじっとしていて下さいませね」
 間髪を入れず、やよいの弾んだ声が再び降ってきたかと思うと、今度は目の際に何かを貼り付けられた。
 さすがに弄る場所が目元となると、やよいも多少は緊張しているらしく、その張り詰めた吐息が太一の頬にかかる。
 太一が、弄られていない方の目をうっすらとあけると、真剣なやよいの顔が間近に見えた。花がほころぶような、やよいの笑顔は文句なしに魅力的だが、至近距離でじっと見詰められているようなこの真剣な表情もかなりぐっとくるものがある。
(こ、このシチュエーションって実はなかなかおいしいかも……)
 他に見ている者がいるわけでもなし、太一にとって、もはや自分が何をされているかはどうでもよくなりつつあった。それどころか、ともすればやよいに弄られるのが快感になりつつあった……のかもしれない。

「はい、これで完成ですっ。とってもお似合いですよ、魔皇さま」
 うきうきとした声でやよいが告げる。
 あの後、太一がほんわりと幸せな感触に浸っている間に、ドーランと紅が丁寧に顔に乗せられていた。おかげで、顔の皮膚が若干引っ張られるような感じがする。つけまつげをつけられたまぶたも、やっぱり少しひきつったような感じで、瞬きする度に異様に重たく感じられた。さらには少し首を動かせば、その度にウィッグの細いまっすぐな髪がさらさらとこぼれ落ちるように動いて、太一としてはどうにも違和感を拭えない。
「……そんなに、似合ってるの?」
「ええ、とっても」
 そう言ってやよいは鏡を見せてくれたが、幸か不幸か、眼鏡をとってあまりよく見えない太一には似合っているのかいないのかよくわからない。
「せっかくですから、お人形も抱いて……、あ、そうそう、記念撮影も致しましょう」
 それでもなぜか、嬉しそうにはしゃぐやよいの顔だけはやけにはっきりと見えた。

 最愛の人の、心からの笑顔。これほど喜んでくれたなら。今年のホワイトデーは最高だったと言い切っても良いだろう。そう思えば、太一の顔にも自然と微笑みが浮んできた。
 ちょっと照れくさくて恥ずかしくて、それでも暖かくて優しい時間は、尽きせぬやよいの遊び心とともに、ゆっくりと過ぎて行った。

 尚、後に自分の女装姿を写真ではっきりと目にすることになる太一が、その時に自分の隠れた魅力と新しい嗜好に目覚めたりしないかは……、今は神のみぞ知る。

<了>