<東京怪談ノベル(シングル)>


『全ての運命が加速した日』


 心は飢えていた。
 吸血鬼が一定の間隔で覚える渇きとは違う。
 ただ心が枯渇していた。
 何をしても満足できない。
 熱くなれない。
 どれだけ危険ギリギリの窮地に身を置いて、命の駆け引きをしようが、
 どれだけいい女と触れ合おうが、
 美味い飯、酒を口にしようが、
 心の渇きは決して潤わない。
 欠落しているのは、
 日常か、
 それとも俺の心か。
 破滅的に歪む、足る心。
「なあ、総一郎、これからどうする?」
「ダルい。俺は帰るぜ」
「え、総一郎、来ないの?」
「それじゃあ、あたしがつまんないわよ」
「えー、そういう事を言うなよ。俺がいるじゃねーか」
「だからあんたと居てもあたしがつまんないのよ。ねえ、総一郎も一緒に行きましょうよ」
「だから総一郎は来ねーんだよ」
「あんたが帰ればいいのに」
「おい」
 別に誰と居ても、この心の渇きは潤わない。
 満足感は感じられない。
 だけど俺は一体何を求めているんだ?
 何がこんなにも足りずに、飢えている。


 たとえそれがわかったとして、果たしてそれは本当にこの世界にあるのか?
 この緩みきった日常という名のぬるま湯の世界に………
 ―――だけどある日その緩みきった日常という名のぬるま湯の世界は壊れた。


 2003年4月。突如日本に襲来した神帝軍。
 この異邦者に世界が取った行動は迎合だった。
 世界は神帝軍の支配を彼らが現れて三日後には当然のように受け入れたのだ。
 そしてまた俺の退屈な日常はさらにその深みを増した。



 つまらない。
 つまらない。
 つまらない。



 飢える心は何を欲するのか?
 例えば俺はそれが俺の身の破滅でも受け入れるのであろうか?
 だとしたら俺は狂っているのか?



 退屈な日常。
 さらに緩みを増したぬるま湯のような世界。
 溺れていく心。
 ぶくぶくと泡を立てながら、俺はぬるま湯の中に沈んでいく。
 歪む景色。
 心を侵食するモノ。
 退屈な日常は心を渇望させる。
 沈んだぬるま湯の底から見上げた、揺れる水面。
 歪む光りの影響で見た、その水面の向こう側にある物に向けて手を伸ばすけど、俺の指はそれには触れられない。
 別にそんなにも大したモノが欲しいんじゃない。
 ただ刺激が足りない。
 スリルが足りない。
 退屈な毎日の繰り返しに心が疲弊して、喘ぐのだ。酸欠の魚のように。
「何かこの退屈な日常をぶち壊す事でも起こればいいのにな」
 それはひょっとしたら我が身の崩壊すらも厭わない願い。
 しかし俺は本気でそれを願っていた。
 そんな自分に自嘲の溜息を吐くと、俺は両肩を竦めた。
 やはり欠けているのだ。
 生きていくうえで決定的に大切な、現状に足る心。安寧を求める心。
 だから刺激を求めて、スリルを求める。それが欠けるという事は、日常が壊れるという事で、それは破滅を意味するのだから。


 何かこの退屈な日常をぶち壊す事でも起こればいいのにな―――


 そんな事を半ば冗談、半ば本気で想いながら俺は昼寝に洒落込もうとした。
 現実の世界よりも夢の世界の方が面白いのだから笑えない。
 苦笑を浮かべて事務所の来客用のソファーに寝転がろうとしたその時、しかしそれが起こった。
 夢でも見た事が無いような、本当に唐突に起こった俺の今までの日常とはかけ離れた出来事。
「???」
 突然に部屋のドアが奏でたのはその横暴への抗議であった。
 蹴破られたドアは粉々の破片となって、空を舞って、そして事務所の中に入り込んでくる神帝軍グレゴール。確かファンタズマ(導天使)という者に選ばれた戦士。
「風間総一郎だな?」
 そのグレゴールが俺の名前を知っている?
 それはどうしてだ。
 疑問が俺の思考を呑みこむ。
「それがどうした?」
 そう問い返す声はあのグレゴールを前にしているにも関わらずに自分でも驚くほどに冷静だった。
 体が震えているのは恐怖ではない。
 武者震いだ。
 求めていた退屈な日常の終焉。
 スリル!!!
「我らと共に来てもらおうか?」
「嫌だね」
 事務所の事は知り尽くしている。どこに、何が置かれているのか。
 その地の利を活かすのだ。
 事務所の机を飛び越えて、そしてフットワークを活かしてグレゴールの脇を駆け抜ける。脱兎の如く。
「へっ。グレゴールと言っても」
 事務所から外に出て、道端に停まっているオープンカーの運転席に座っている運転手の襟首を掴むと、俺はそいつを引き摺り下ろして、代わりに運転席に座った。
「あ、おい、おまえ。何をしやがる!?」
「悪い。借りるぜ、車。車が無くたって、ナンパはできるだろう」
 茫然と道端に突っ立つ運転手とさっきまでそいつにナンパされてまんざらでもなさそうだった女にそう言うが早いか俺はアクセルを全力で踏みつけた。
 車は急発進して、ほんのかすかに香ったアスファルトを焦がしたタイヤのゴムの香りに俺は唇を舐めた。
 ノーブレーキで、クラッチとアクセルの上で軽快にタップを踊りながら俺は国道を車で走りぬける。
 簡単に東京から抜け出せそうだった。
 東京から抜け出せる?
 しかし東京から抜け出してどうする?
 日本の各地にテンプルムは存在するのだ。
 奴らが俺を捕らえに来た以上、世界の何処にも俺の安息の地は、無い。
 どくん、と心臓が大きく脈打った。
 俺を取り囲んでいた世界。
 それに罅が入っていく。
 細かく微細な、蜘蛛の巣のような罅が。
 人差し指の先でほんのかすかな力を込めて触れただけでも砕けて壊れてしまいそうなほどに。


 俺を取り囲む退屈なぬるま湯の世界が壊れていく――――


 求めていた日常。
 嘆く訳が無い。
 ボタンの掛け間違いだ、と。
 望んだのはこれほどまでにハードなスリルではなかった、と。
 寧ろこれではまだ、
「温いぐらいだよ」
 さらにアクセルを踏みつける。
 カウンターを叩きつけるようにハンドルを回し、巨大トレーラーを追い抜く。
 しかし開けた視界の先には俺の事務所にやって来たあのグレゴールが居た。
 導天使を傍らに置く奴は、にやりとまるで俺を高みから見下ろすような笑みを浮かべると、無造作に剣を振り上げた。
 その光景に本能的に感じた戦慄が俺にブレーキを踏ませる。
 見開いた目が見たのは、グレゴールが浮かべた、俺を嘲笑う表情―――


 グレゴール。
 ファンタズマに選ばれ、
 ファンタズマの特殊洗礼の儀式を受けて、
 何らかの特殊能力を授けられた元人間。


 急ブレーキでバランスを崩して回転する俺の車にそのグレゴールは凄まじい炎の剣の一閃を放ち、そしてその一閃に俺の意識は闇の中に沈んだ。



 +++


 逮捕された俺は神殿(テンプルム)に連行された。
 俺は後ろ手に手錠をかけられて、牢獄に入れられた。
 暗く澱んだ空気の中で俺はその牢獄にある闇を見つめている。
 一体、どうして俺はここに居るのだろうか?
 俺がここに居る理由、
 ―――それは俺が世界に対して欠けた心を持つ者だからからか?



 世界に対して欠けた心?
 それは、何?
 足る心。
 今の世界に安寧を求める心。
 俺がこの世界に安寧を得られなかったのはなぜ?
 俺はどうして、そうだった?


 俺はどうして?


「知っていたから、あなたは」
 誰かの声が聞こえた。
 そして闇の中に居る俺の体を不思議な浮遊感が包み込む。
 その瞬間に俺は世界の、その世界に対する自分自身の真実を知った。
 自分が何者で、そしてずっと抱いてきた感情の理由を。
 目覚める俺。
 その俺の前に現れた黒い服の女性。
 そうだ。俺は彼女が俺の前に現れるのを待っていたんだ。
「初めまして…私の魔皇様」
 その言葉で俺が抱く想いは確信へと変わる。
 運命の導きによって目覚める力。欠けていたモノは違うモノだけど、でも逢魔との出会いがそれを埋めてくれる。
「貴様、どこから入ってきた」
 駆けつけるあのグレゴール。
 激情の紅。自分の力に目覚めた今、俺はこいつには負けない。あの瞬間にこいつに奪われた物を俺は取り返す。魔皇の力によって。
「どうやら退屈な日々とはオサラバできそうだ」
 倒した敵を背後に置いて、俺は俺の逢魔と共に世界と戦うために足を前に踏み出した。


 ― fin ―



 ++ライターより++


 こんにちは、風間総一郎様。
 このたび担当させていただいたライターの草摩一護です。
 こちらでは初めましてですね。^^
 いつもありがとうございます。^^


 アクスの方はこういう世界観に触れるお話は初めてだったので、ドキドキでした。^^
 今回は総一郎さんのアクスの世界における始動のストーリーを書くという事で、このように書かせていただいたのですが、いかがでしたか?
 もしもPLさまのイメージに沿う事ができていましたら、幸いです。^^
 このようにPCさまの印象的な話を任せていただけて、本当に嬉しかったです。^^


 それでは今回はこの辺で失礼させていただきますね。
 ご依頼、本当にありがとうございました。
 失礼します。