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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
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『すばるととなせの』
あれはパトモスがまだ日本と呼ばれていたころ。
戦いがはじまったころ。
僕がまだ見ぬ魔皇を捜す逢魔として一人きりでさまよっていたころ。
彼女は突然やってきた。
「お兄ちゃん。斗七星のコト、呼んだでしょ?」
そこで昂(すばる)は目を覚ます。あの時あの場で魔皇として覚醒したのは斗七星(となせ)の方なのだが、出会いは昂の心の奥底に深く刻み込まれている。昂の顔をじっと覗き込んだ、まだ七つだった少女の夕日色の瞳。
(あれ……)
枕を抱えたまま、青緑灰色の目を閉じて昂は悩む。昂は二十代前半で、夜空の色の髪をしたもの静かそうな青年である。
(あの時僕はなんて返事をしたんだろう)
寝起きの頭で記憶を探っていると、目覚ましが控えめに鳴った。はっしと一秒以内に止めて、昂はふとんをたたみはじめる。
ここは北家。逢魔の昂の主の魔皇である北斗七星の実家である。斗七星は小学生アイドルとしての顔をもつ十二歳の女の子である。昂は斗七星のマネージャー兼お守りとして一階の和室に間借りしている。二階は、斗七星の両親――理由あって不在だ――の寝室と斗七星の部屋がある。いま斗七星は自分のベッドで昂に起こしてもらうのを待っているはずだ。
はじめて北家にきた時の事を思い出して、昂は微かに苦笑する。一軒家で空いている部屋はいくつもあるのに、自室のベッドの隣に客用の布団を敷いて、「ここが昂お兄ちゃんの寝るトコ!」と無邪気に言ってのけた。
もうお年頃なんだからそういうのはダメ、とお説教して断ると、斗七星はぶんむくれて自分の目覚まし時計を窓から放棄した。
そうして昂は毎朝斗七星を起こしにいくはめになったのだ。
ひととおり身支度と朝食の用意を終えてから、昂は階段を上がっていく。今は初夏、斗七星の部屋のドアははじめから開いていて、ほんの少しだけ開けているカーテンと窓から朝日が差し込む。天気予報では一日晴れ。
だんだん気温があがってきているというのに、斗七星は頭までふとんをかぶって身じろぎもしない。わずかに出た夕日色の頭の下の布団の中から、押し殺したような呼吸が聞こえる。たぬき寝入りというやつ。
「おはようございます、斗七星。朝ですよ」
落ち着いた声に揺るぎはないのに、顔に思わず苦笑いを含んでしまう。
「笑っちゃダメー!」
それが見えたはずはないのに、昂が声をかけた瞬間にがば!と布団が跳ね上がり、寝癖のついた夕日色の長い髪も跳ね上がる勢いで身を起こした斗七星が一瞬だけふくれて、その後にこーっと笑う。
「おはよう!昂お兄ちゃん」
いつもの一日が始まる。
北家の朝食は純和食。味噌汁を椀によそいながら昂は今朝の夢を反すうしていた。
そういえば、斗七星に見つけてもらうまでは何をして過ごしていたっけ。ほんの数年前のことなのに、すっかり記憶の彼方なことに昂はまた苦笑を浮かべる。「昂お兄ちゃん、またにがわらいしてる。もっと素直に笑うのー。うりゃ」
斗七星にほっぺたをひっぱられた。
「……癖なんだ、ゴメンね」
また苦笑。
「なおすっ」
さらにひっぱる。
「……努力します」
「あ、そうだ。今日は午後からフレパ☆のレッスンあるんだよね」
ごはんに海苔をのせながら斗七星が尋ねる。
「そうですね。準備しておかないと」
実は昨夜のうちに準備してあるが、昂はそう答える。フレパ☆clubは斗七星がアイドルとして、昂がマネージャーとして所属している芸能事務所である。もちろん、魔皇や逢魔たちの秘密基地だという裏の顔もある。
社会性も身につくし、なにより斗七星が楽しそうに歌っている姿を見られるのはいいが、やっぱりまだ小さな子供だし、見せ物みたいなことはなあ、と昂は思うが、斗七星が幸せならそれでいいなあとも思う。
いろいろ考えてはいても表情に全く出ない昂をじーっと見ていた斗七星がぱたんと箸を置いた。
「ごちそうさまですか?」
「今日は斗七星学校いかない」
昂のお茶を飲む手が止まる。
「えっ?」
斗七星は、いつもの……いつものイタズラをするときの笑顔で言い放つ。
「お出かけしよう、昂お兄ちゃん!」
言うが早いか、斗七星は衣替えしたばかりのセーラー服のままカバンも持たずにさっそうと玄関へ向かおうとする。
「ちょっと待って、せめてこれを流しに」
わたわたとお茶碗やお椀を重ねはじめる昂。「はやくー」ダイニングの入り口からリボンで結った頭だけのぞかせて斗七星がせかす。
がしゃがしゃと食器を置いた昂は急いで身体の向きを変え、ちょっと考えて、ノースリーブの黒いシャツの上に薄手のジャケットだけ羽織る。
(せ、洗濯物が……)
一瞬頭をよぎるが、優先順位のレベルが違うので、今朝の洗濯物は干されることなく洗濯機の中であえなく放置される。
姿の見えなくなった斗七星を追って玄関を飛び出すと、横合いからがっしとつかまれた。昂のおなかのあたりにある斗七星の頭。それが上を向いて、にこっと笑う。
「川まで飛んでっ」
昂は苦笑いする。
「ちょっとだけだよ」
人化を解いて、逢魔ナイトノワールの「黒き翼」、ブラックホーンが背中からするりと出てくる。斗七星が昂の首筋にぎゅっとしがみついた。この秘密の空中散歩は斗七星のお気に入りで、昂にとっては内心冷や冷やものなのだが、せがまれれば断らない。
近郊の川原のそばに、白詰草の咲いた原っぱを見つけた。
「よつばのくろーばーっ」
斗七星はさっそく駆けていってしまう。昂はというと、朝露の残る白い花を摘みはじめた。それを器用に輪っかにしていく。
「そーゆーのはどこで覚えるの?」
斗七星がいつの間にか寄って来ていて、興味深そうに昂の手元を見つめていた。
「ヒミツです。はいお姫さま」
斗七星の夕日色の頭に花輪をぽんとのせる。斗七星の顔が嬉しそうにぱっと輝いた。
たたたと原っぱの中ほどまでまた走っていって、両手を広げてくるくる回る。セーラー服の裾や、夕日色の長い髪もくるくる回る。
普段着か、仕事の時に着るレースやフリルをふんだんに使った服や、いっそ白いドレスならもっともっと映えたのに。昂がそんな事を思っていると、斗七星がたたたと寄って来て、後ろに手をやって首をかしげて上目づかいにじぃっと見る。
「?」
「昂お兄ちゃん、その顔のまんまでいてっ」
斗七星の言葉に、昂はいつのまにか浮かべていた静かな微笑みのまま凍り付く。
「あ、不自然になった」
ずっと原っぱをちょこまかしていた斗七星は、昂とそれぞれ交換した四つ葉のクローバーに満足して、お昼ちょっと前には昂の膝枕で寝付いてしまった。
(……動けなくなっちゃった)昂はなんとなく天を仰ぐ。
けれど、ずっとこのままでもいい。
ずっとずっと。
「……お兄ちゃん。斗七星のコト、呼んだでしょ、か……」
無意識に斗七星の頭を撫でながら、昂は「最初の言葉」をつぶやく。
「うん、昂お兄ちゃん斗七星のコト呼んでたよ。ずっと」
かくんと首を落とすように下を見ると、斗七星が大きな瞳をぱっちりと開いて昂を見上げていた。吸い込まれそうな夕日の瞳。
「……どんな風に?」
胸の動悸をおさえつつそっと聞いてみる。
「むかしのコトだからわすれちゃった。昂お兄ちゃんがいまココにいるから、いーんだよ」
斗七星は照れたように笑う。
「……僕、あの時なんて返事した?」
ほとんど囁くように聞いてみる。
「……」
…………。息を呑む。
「……えへへ〜、わすれちゃった」
言って斗七星はくるっと背中をむけてしまう。昂は安堵とも落胆ともとれないため息をついたが、もし今ほんの少しだけ斗七星の顔をのぞきこんだなら、いつもはほんのり桜色の頬が真っ赤に染まっているのが見えたはずだ。
朝日のようなその姿も、昼間の太陽のようなその心も、夕日の色のまっすぐな目も、
僕がずっと守るから。
だけど、イタズラは程々にね?
おわり
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