<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


はじまりの運命


 2003年――唐突に世界は病んでしまった。
 それは予め定められた運命だったのか、それとも神の気まぐれか。
 突如天空に現れた支配者の城が人々から感情を奪う中、足掻くだけのチカラを持つものはむしろ異端者であった――


 閃光が、あたりの闇を一瞬で白く吹き飛ばした。
 榊遠夜は足を止め、夜の帳が下りたはずの空を見上げる。
「……なんだ?」
 またしても、闇が弾ける。
 続く爆音が空気を振るわせ、地を揺るがし、歓喜の叫びのごとく奇声を発する。
 衝撃と破壊を伴う波が、ぐわんと空間を歪ませた。
 危ういところでバランスを取り戻し、更に目を凝らす。
 ここは市街地のはずだ。
 表面上は何事もなく、あの天空の城からもたらされる調和というカタチを取って、淡々と日々を繰り返すだけのありふれた町のはずだ。
 また光が弾ける。
 そこに一瞬浮かび上がったのは、犬型のサーバントの群れと、グレゴール、そして、あらゆる音の矛先に立って駆け抜ける少女の姿だった。
 闇に踊る漆黒の髪が、何故か遠夜に大切な存在を思い出させる。
 チクリと胸を刺すような、哀しい記憶に触れるような。
 何をしているのか。
 何が起きているのか。
 彼女は明滅する闇の中で、必死に走り続ける。
 伸ばされる腕は人のモノ。
 そして、人ならざるモノの鉄槌。
 建物という建物から人が溢れ出し、不穏な叫びを上げて、武器を振り回している姿さえ見えた。
 容赦なく降り注ぐ攻撃は、確実に少女を追い詰めていた。
 グレゴールの操る手が、光の中に浮かび上がる。
 そして閃く、ブルードッグの青い体毛。
 清浄なる光。
 邪悪を滅する為にのみ、その効果を発揮するという、清き力。
「……狩り、か?」
 高度一千メートルの空中要塞から舞い降りてきた者たちの、強大なチカラをもった弾圧がそこにある。
 やはり、魔皇狩りが開始されたという噂は真実だったらしい。
 思わず、形のよい唇から溜息がこぼれる。
 本当にほんの僅かの間だけ遠夜は逡巡し、そして、目を閉じ、深呼吸し、
「行くか」
 開いた瞳は、禍々しいほどの赤をまとって輝きを増す。
 尾を引くように、瞳の残像が空に描かれ。
 遠夜が遠夜たらんとする証。
 紋章が額に浮かぶ。
 内に沈む闇色のチカラが一気に膨れ上がり、彼の身体を人に似て非なるものへと変じさせ―――漆黒の青年は翼のごときマントを翻し、羽ばたくがごとく大きく跳躍した。



 まったく別々であったはずのふたつの歯車が、カチリと噛み合う音がする。



 小石川天にとって、それは起こりうるはずのない事件だった。
 わからない。
 何故自分は追われているのか。
 自分の中に眠る血の意味を知ったのは、それほど遠くない過去の出来事。
 天空に出現した神帝に不信感と反発を抱いたのは、ソレよりもう少し前。
 誰かの言いなりになるなんて嫌だった。感情を押さえつけられ、まるで飼い慣らされた犬のように従順であれなど、無理な相談なのだ。
 だから抗った。
 それは当然の行動。
 なのに、天は今、情け容赦なく襲い掛かる爪と牙に翻弄され、目指すべき場所すらも、自分がどこに居るのかさえ分からなくなっていた。
 殺される。
 殺されてしまう。
「何であたし、こんな目に遭ってるわけ?」
 いまや彼女の怒りは臨界点を軽く突破していた。
 理不尽な状況に、怯えるどころか憤りを感じて身体を震わせる。
 気に入らないものは気に入らない。
 けれど、そのささやかな自分の主張は、平和と調和を求めて歌う天使たちの、忌々しいグローリアによって掻き消されようとしていた。
 どうすればいい。どうすれば逃げられる。どうすればここから。
 一際鋭い咆哮が空を裂き、やけに足並みの揃ったブルードッグの群れが、天の身体を捕えた。
 やられる。
 誰か。
 誰かここから―――
「掴まえた」
「―――っ!?」
 何かを求めるように伸ばした腕が空を掻き、ブルードッグの群れの中に呑まれ掛ける身体が、突然、別の力によって引き上げられる。
 あまりにも確かな浮遊感。
 繋いだ手の熱。
 同時に、背後で破裂音。
 サーバントの断末魔が弾け、ぐしゃりと潰れていくのが視界の端に引っ掛かる。
 なおも追い縋る獣の爪よりも強く、それはより強く天を抱き寄せた。
 誰?
 そう問いかけるはずの言葉は、声にならなかった。
 至近距離で自分を覗き込む、紅蓮の瞳。
 炎のように輝きながら、そこにひらめく感情の色は闇よりも深く冷たい。
 彼の目に射抜かれ。
 言葉と思考を同時に失った。
 代わりに、それまでひたすら上がるだけだった心拍数が、とくん…と僅かにリズムを変える。
 だが、ソレの意味するところへ思い至るより先に、またしても視覚を奪うかのごとき閃光が2人を突き動かした。
「手を貸すから」
 いらない。
 反射的に、そんな返事を叫びそうになり、そこでようやく天は彼の額に浮かぶ紋章に気付く。
 あんたに何が出来る。
 そう吐き捨てそうになった言葉も、キレイにどこかへ吹き飛んだ。
「俺を見失わないように注意して」
 天の身体を水の止まった噴水の上に降ろして、彼は静かに囁く。
 強く抱き締められていた身体が距離を取り戻し、彼から感じていた温度がほんの少し遠退いた。
「俺はあっちを片付けるから、そっちは向こうを」
 視線の先、空中と地上にふたつの敵。
「やれるな?」
 彼の拳が青の炎をまとう。
「やれる」
 やはりそうだ。
 彼は自分と同じ存在。自分と同じ血をこの身に流すもの。
 だから、天も同じように拳を握る。
「タイミングを外さないように」
「了解。大丈夫――」
 そうして背後に青年の気配を感じながら、自らの秘めたチカラを一気に解放した。
 内側から突き上げる、激情の赤い迸り。
 甲高い絶叫。
 瞬間。
 彼女の瞳に映る景色が一変した。
 繰り出されるのは、音速の力。
 凄まじいスピードを付与された天の身体が、猛スピードで突っ込んできたサーバントを軒並み殴り飛ばす。


 光の中に、鮮赤が飛び散り、少女と青年の視界を染め上げていく。
 砕け散る生命は、断罪する側を凌駕する強大な魔の存在を知らしめる。
 あれほど多かった狩人達が、たった2人の魔皇によって確実にその数を減らすのだ。
 ぐしゃりと湿った破裂音が立て続けに鳴り。
 爆ぜる、断末魔。
 驚愕の色を乗せ、不穏な気配におののく異形の者達に対し、異質な血をその身に宿す2人の抗いは勢いを増し―――


 情熱の赤を思わせる少女の姿を視界に捉えながら、遠夜はその血のような瞳でぐるりと戦況を確認する。
 そろそろ、か。
 有機も無機も何もかも構わず周囲の一切を全て薙ぎ払い、ついで、『召喚』。
「行くよ」
 呼びかけに応え、出現したのは、ひとつの機械だ。
 遠夜はヴィーグルにひらりと跨り、なおもグレゴールへ向けて拳を振り上げた彼女の手を後ろから握った。
「乗って。振り落とされないように、しっかり掴まって」
 2人分の重さで一瞬沈んだが、それでも勢力の半減した断罪者たちを振り切るには充分だ。
 彼女を自分の後ろに座らせると同時に、グリップを大きく捻る。
 エネルギー波が、追いかけてきた諸々を吹き飛ばす。
「どこに行くつもり?」
「安全な場所」
「安全な場所?そんなものが」
「いけば分かるよ。それより」
「なに?」
「それ以上喋っていると舌を噛むかも……」
「――っ」
 常にはないほどのスピードで、薄くなったブルードッグの壁を突きぬけ、高く高く、他の誰の目にも触れない場所へと上がっていき、そのまま進路をある場所へと確定させる。
 空を斬り。
 唐突に加算される重力に胸を圧迫させながら。
 瞬く間に、ヴィーグルは市街地の明かりを地上の星に変える。



 例えば、この出会いこそが運命なのだとしたら―――



 全ての気配と血の匂いが遠い存在に感じられる頃、ようやく天は、頬に受ける風を冷たく感じながら口を開いた。
「気になっているんだけど」
「ん?」
「やっぱり納得いかない。どうしてこんなことになってるのか、全然わからない」
 どうして自分が殺されかけたのか。
 どうしてあんなにもあからさまな憎悪を叩きつけられなければいけないのか。
「どうして、あたし達、狩られなくちゃいけないんだ?」
 それは当然の疑問で。
「……魔皇だから、だろ」
 彼の回答もまた当然のようで。
「魔皇だったら、どうしてこんな目に遭わされるわけ?」
「……目障りだから、以外の理由があればいいけど、どうだか。たぶん、もっとずっと根は深いだろう」
 本当のところは、自分たちには分からない。
 それを知るまでには、もしかすると今以上に多くの犠牲が必要となるのかもしれない。
 多くの時間を、必要とするかもしれない。
 ただ、無気力に生きるのが耐え難いと、言いなりになって見せかけの平和の中に身を置きたくなんかないと、そう想い、抗う自由すら認められない世界で。
 でも。
 彼には会えた。
 死がちらついたあの瞬間に、手を差し伸べてくれる存在が、ここにいる。
「そうだ……聞くのを忘れてたけど、名前は?」
 思わず身を寄せようになってしまった彼女の思考を断ち切るように差し出される、何気ない相手からの質問。
「た、他人に聞く前に、自分で名乗るのが礼儀ってもんじゃないの?」
 彼にしがみ付きながら、天は出来る限り感情を抑え、素っ気なさを装って口答えする。
 心臓の音が伝わらなければいいと、そう頭の片隅で必死に祈りながら。
「あんた、誰?」
 だが、詰問調の声とは裏腹に、天の瞳の中に優しい戸惑いが滲む。
「どうして、あたしを助けてくれたの?」
 瞳が揺れる。
 心が揺れる。
 ソレが自分でも分かって、更に動揺は広がっていくけれど。
 彼は今、こちらの顔が見えない。
 だから、構わずに問いかける。
「あんたはなに?」
 何の目的があって、こうしてくれるんだ。
 無償の好意を信じられるほど無垢ではないから、そんな幻想などとっくの昔に打ち砕かれてしまっているから、だからあえて問うてしまう。
 何故、と。
「俺は……命の恩人、になるんじゃないかな」
 まるでそれを察したかのように、遠夜の目もまた、あの凍えるような光の代わりに、穏やかな、どこか春の日差しを思わせる温かさを湛える。
「榊遠夜。俺の名前だ」
 背中越しのぬくもり。
 それはけして悪いものじゃない。
「改めて聞くけど、そっちの名前は?」
 風に掻き消されそうな音で、彼女は俯き、彼の服をほんの少しだけ強く握り締め、
「あたしは、小石川天。よろしく……で、さっきは有難う……」
 命の恩人。
 その事実の重さをしっかり刻み付けて。
 この出会いを忘れないように。
「あ」
 いつのまにか、闇に塗りつぶされていたはずの眼下に、広く揺らぐ水面が広がっていた。
「海?ここ、もしかして……」
 訝しげに呟きを洩らした彼女に、遠夜は僅かに笑みをこぼした。
「安全な場所だって言ったはずだ」
 そして、不意に思いついたように会話の接ぎ穂を探し、興味深そうに身を乗り出しかけた彼女へと声をかける。
「降りるから、気をつけて。怪我、しないように」
 ヴィーグルの軌跡は、美しい曲線を描いて砂浜へと降り立った。
 そこは、彼にとっての居場所。
 彼が存在することを許してくれる、愛しく美しい隠れ里。
 彼女を連れてくることにためらいを感じなかった理由を、遠夜は自身で気付かないまま、やりすごす。
 長い長い夜の終わり。
 辿り着いたのは、瑠璃色の優しくたゆたう海の世界。
 ゆっくりと水平線の向こう側から昇り初めた朝日が、水面を通して2人を遠くから優しく照らし出す。
「この礼は、必ず返すよ」
 天は、遠夜の夜の色の瞳をまっすぐに見据え、そう宣言した。
「別に、たいしたことじゃないけど……」
「でも、嫌だから。命を救ってもらったんだ。この借りは大きいし、あたしは借りを作ったままでなんかいたくない」
 与えられるだけの自分ではいたくない。
 そう固く決意して。
「じゃあ、期待している」
 負けたよと、そう小さく笑い、
「それから……何かあったら、ここへおいで。力になれると思う」
「あ」
 一瞬、ほんの一瞬だけ垣間見えた、自分だけに向けられた思いがけない優しい光に、天の鼓動がまたもリズムを崩す。
 言葉が、また喉で仕える。
 それでも辛うじて遠夜の目をまっすぐに見つめ、
「じゃあ、また。どこかで」
 固い握手を交わして、別れを告げたのは美しい景色の中。

 その日、それぞれが抱える運命の歯車がカチリと噛みあい、運命の糸は、確かに2人の間で紡がれた。



END