<東京怪談ノベル(シングル)>


緋色の記憶、緋色の雨。


 ―――真っ赤だ。
 視界が真っ赤に染まって――ここが何処だか解らない。
 俺は此処で、何をしている?
 俺はただ、ひっそりと…あいつと暮らしていきたいだけだった。戦いなどには身を投じずに、手にしている温もりだけを守っていければそれで…良かったはずだ。

「……良かった…無事、だったんだね…」

 耳に響くのは誰よりも聞きなれた彼女の声。
 …どうして、そんなに掠れてるんだ? 泣いてるのか? どこか痛いのか?
 右手が、妙に温かい。
 ぬるりとした感触がして…正直、気持ちのいい物じゃないと言う事は、よく解った。
 俺の目はどうしたんだ。どうして何も映さない? こんなにも、彼女の存在が近くにあると感じることが出来るのに。

「…、……―――」

 途切れた、と思った。
 その『瞬間』、何故か腕の中に感じるあいつの意識が途切れたのが、はっきりと―――感じ取ることが出来た。まるで、ピンと張っていた糸が…切れてしまうかのように。

 真っ赤に染まっていた視界が、徐々に鮮明になっていく。
 咽返るような血の臭い…燃えているみたいに見える空の色。
 ああ、俺の視界が真っ赤だったのは…この空の色だったのか。

「……………………?」

 じゃあ、このどうしようもないような、違和感は何だ。その次に来る喪失感は、焦燥感は…。
 ずしり、と腕が重かった。

「……え………」

 本能で、ギリギリまでその光景に目を背けたかったのか。
 俺は自分の手元へと視線をやるのが、随分と遅かった。
 血で染まった自分の右手。
 そして俺の腕の中で眠るように瞳を閉じているのは…俺の大切な、姉のような存在――いや、何よりも誰よりも大切にしていきたいと思っていた、そんな存在の…レプリカントだった。

「あ………」

 言葉が出てこなかった。
 彼女は動かない。軽く揺すってみても、変化は見られない。
 彼女の胸は、血で染まっていた。その血が、俺の右手にもべったりとついている。
 何が起こったのか、俺が何をしたかという事は…考えるよりも先に現実を直視したほうが早く理解できるような気がした。

 たくさんのグレゴール達が、襲い掛かってきた事はハッキリと憶えている。
 俺と彼女は、持ち合わせる力を出し合って戦った。普段はあまり使うことのない、身に染み付いた体術…俗に言う中国風の武術を用いたものだ。
 そして俺は…癖になってしまっている『禁忌』を…破ってしまった。

 ――全部、壊してやる。

 終わりの見えないような戦いを続けていると、俺は自我を保てなくなる。
 奥に眠る人格のようなモノが、俺に囁くんだ。
 『殺してしまえ』と。
 『邪魔するものは全て――薙ぎ払ってしまえ』と。

 自分の持つ力を最大限に使い、壊してしまえ――。

 血で血を洗うような、そんな現状の中。直接伝わる肉を貫き、引き裂く感触。
 飲み込まれるな、耳を貸すな、と思っていても…俺は結局自分の弱さに負けてしまう。
 否定する自分の影から、全部を忘れて戦いのことだけを考えようとする自分に、そして…高揚感に負けて…。
 近づく者全て…そう、敵味方関係なく。
 俺の視界に入ってくるもの全てを…俺は自分のこの手で、壊してしまう。

 最愛、と感じていた存在まで。

「……良かった…無事、だったんだね…」

 彼女の声が、耳に残っている。
 暴走した俺を止めるために、彼女はその身を投げ出し俺の胸の中に飛び込んできたんだろう。

 ―――そして。

「…あ、ぁ……。…う…あああああああぁぁーーーっっ!!!」

 俺の周りには、原形を留めていない、グレゴール達の死骸が積み重なっていた。
 目も当てられない…そんな言い回しがピッタリと合うような、そんな惨状だ。
 だが今の俺には『そんなもの』は、どうでも良かった。
 ずっと一緒だと思っていた、大切なひとを…失った。自分の手で、彼女の生命(いのち)の火を消してしまった。
 優しい手で俺を包んでくれた彼女は、今はもう瞳を開かない。俺の腕の中で、静かに眠っている。

 俺はその現実を受け入れられなくて、受け入れたくなくて…。
 空に向かって叫んでいた。
 手のひらについたままの血と同じ色をしている、空に向かって…。

「うああああ…っっ!! あああーーー…っ!!!」

 瞳の奥が、熱かった。
 焼けるような熱さだった。もうこのまま、焼け焦げてしまえばいいとさえ、思えた。頬を伝う涙にも、このまま皮膚を溶かしてしまえと思った。
 
 彼女が居ない。
 もう何処を探しても、俺の『君』は…傍には居ない。

 多くを望んでなんかいなかった。
 ささやかな俺の『幸せ』を、守っていきたいと願っただけだった。
 人の道を踏み外すような、そんな『汚い野望』なんてものは…微塵も持ち合わせてなんかいなかったのに…。
 
 ――俺が、何をした?

 誰でもいい、そう問い質したかった。
 彼女と、彼女の笑顔を守りたい。一緒の時間をいつまでも保ちたい。
 それだけだったのに。

「…何も望まなかったのが…悪かったのか…!? それとも…お前を望んだことが…過ちだったのか……!? なんで…なんで…っ お前が…!!!」

 誰でもない、相手の居ない状態で、責めたてるような言葉を。
 何度も繰り返していたような、気がする。
 答えをくれる存在が欲しかった。そして、『これは全部夢なんだ』と言ってくれる存在が欲しかった。

 再び、我に返るまで…どれくら時間が経ったかは解らない。
 散々泣き叫び、恨み言を口にしていた俺は冷たくなった彼女を抱きしめたまま、その場を動かなかった。動けなかった。
 落ち着きとともに新たに生まれたのは…自分に対する嫌悪感だったからだ。
 彼女を『殺した』のは他の誰でもない、ましてやグレゴール達でもない、俺自身の手。
 何度同じ事を繰り返せばいいのか。禁忌を犯すたびに誓いを立てたはずだ。『しっかり、自我を保とう。そして出来る限りの戦闘を、避けよう』と。
 ――いつか、取り返しのつかないことになる前に…自分をコントロール出来るようになろう、と。

「……全然、出来てねぇ…だろ…っ」

 乾いたはずの瞳に、また熱いものがこみ上げてくる。
 物言わぬ姿となった、彼女。俺はその存在をきつく抱きしめながら、また泣いた。
 『ごめん』などと言う言葉は吐けなかった。そんな簡単な言葉じゃ、駄目な気がした。だから何も言えなかった。
 答えも何も…返すことの無い彼女をずっと抱きしめたまま、俺は咽び泣いた。
 辺りの血が乾き、空の色が藍色に染まっても、俺はその場を動けなかった。

 涙を流すのは、雨。
 彼女の思いか、俺の思いか…それは解らない。
 悲しい匂いを含んだ雨は…泣き崩れていた俺に容赦なく降り続き…その勢いを止めることはなかった。




 -了-



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陸・琢磨さま

初めまして、ライターの朱園です。
今回はご発注ありがとうございました。

ダークな感じ…とご指定がありましたのでそれを目指してみたのですが…如何でしたでしょうか。
一人称文も久しぶりで、とても新鮮な感じで書くことが出来ました。
少しでも気に入っていただければ、幸いに思います。

よろしければご感想など、お聞かせください。今後の参考にさせていただきます。
今回は本当に有難うございました。
またお会いできる機会がありましたら、よろしくお願いいたします。

朱園 ハルヒ。

※誤字脱字が有りました場合は、申し訳ありません。