<東京怪談ノベル(シングル)>


火群流るる畔

 輸送用のヘリが朝明けの密林上空に留まり、いつもよりも早く鳥たちを鳴かせた。
 不満げに声を上げて飛び立つ鳥――その中の一羽は鋼鉄製だ――を見上げ、難なく降り立った兵士は肩に食い込んだハーネスを緩める。
 兵装に乱れがないか確認し、彼は無駄の無い動作で目的地に向かって歩き始めた。

 
 日本から撤退したマティア神帝軍はアメリカ合衆国に拠点を移し、現在も人々から感情搾取とエネルギー供給を繰り返し、統治している。
 米国軍部もまた上層部は神帝軍の支配下にあったが、兵士たちは以前と変わらず作戦に当っていた。
「なかなか優秀な成績だな。蘭桜院竜胆」
 竜胆が訓練終了と同時に呼び出された執務室では、にこやかな笑みをたたえた将校が待っていた。
 目の前に座る男は制服を隙無く着こなし、柔らかな表情とは裏腹な鋭い視線をこちらに向けている。
「その能力の高さは君が魔に属しているからか?」
 竜胆は一瞬腰の前で組んだ腕に力をこめ、舌打ちを飲み込んだ。
 何でばれとんのや。
 竜胆は魔皇として覚醒しているが、魔皇化しても刻印が浮かび上がらない。
 その特異体質のおかげで、神帝軍支配化の米国でもこれまで魔属である事を隠し通してきた。
 チリ、と肌を緊張のさざなみが伝う。
 そんな竜胆に男は意外な言葉をかけた。
「安心したまえ。
我々が求めているのは一兵卒としての能力であって、その素性に興味はない」
 まだ緊張を解けない竜胆に男は言葉を続ける。
「つまり。然るべき能力を示してくれれば、君が望む部隊への配属も可能だという事だ」
 男は壁に設置されたスクリーンに南米の詳細地図を展開した。
「君向けの作戦を設けた。参加するな?」
 竜胆の取る選択肢は一つだけだった。


 コロンビアの情勢は神帝軍統治下にあっても、さして前時代と変化を見せていない。
 反政府ゲリラが立て篭もる地域はほとんどが悪路の続く未開拓地で、軍部との争いは長い膠着状態にあった。
 しかし最近、武装ゲリラは支配者のいなくなったサーバントを利用し始めた。
 竜胆が指示されたのはキメラサーバント研究所の破壊、及びそれに加担する武装ゲリラの撃退だった。
 湿度の高い樹林を越えて向かった先に、研究所らしき建物が見えてきた。
 初めからそれが建物と知らされていなければわからない程、建物自体も入り口も巧みに隠されている。
 ここが目的の場所はずだ。
 しかし、竜胆は違和感を感じていた。
 見張りもおらんて、どないなっとんのや。
 掃討用にMP5A5を構えながら扉を開け、身体を滑り込ませる。
 その先には戸外と異質な、白い清潔な床が広がる。
 無人の通路に竜胆の泥付きの足跡だけが点々と付けられていく中、紅い色が曲がり角の向こうに見えてきた。
 血、やな。
 まだ温かささえ感じられそうな鉄錆びた臭いが、引き上げられたマスク越しにも伝わる。
 血と結びつくある種の予感はすぐに確信へと変わった。
 手を付きながら歩いたのか、白い壁にもまだ乾いていない血の手形が流れるように続いていた。
 そして壁に刻まれた無数の弾痕。
 先に誰か入り込んだんか? いや、今回は単独作戦のはずや。
 不審に思いながらも、竜胆は通路を進む。
 低く唸る空調の音だけが無人の静けさの中聞こえる。
 滴る血の跡はある一室の前で消えていた。
 この中に傷付いた者たちが逃げ込んだようだ。
 何の気配もわからへんな。
 数秒内部の物音を伺い、竜胆は扉を蹴り開けた。
「何や、これ……」
 思わず一人呟いて、広がる濃い血臭に竜胆は顔をしかめた。
 照明の消えた室内は広く、通路から差し込む光の中かろうじて人間だったとわかる肉塊が転がっている。
 近付いてよく見ると、手にはまだ銃やナイフを握り締めている。
 切れ切れの服装や装備から、彼らが武装ゲリラの一員である事は間違いない。
 まさか仲間割れかいな。
 原型を留めない程砕かれた人の身体は、嫌悪感を通り越してただの蛋白質の塊に見える。
 わいも、死んだらこんな風に見えるんかな。
 不思議と竜胆の心に虚無感は無い。そこにあるのは生命活動を止めた事実だけだ。
 と、獣の立てる甲高い叫びが暗がりから響き、竜胆を現実へ引き戻した。
 暗がりに慣れた瞳が映し出すものは、醜く身体を金属繊維に融合させた生物。
 サーバント・グリフォンをベースに人為的に手を加えられたものだった。
 神話におけるモンスターの外見を持つサーバントだったが、今、竜胆が対峙する三体に神に属する者の畏怖は感じられない。
 グリフォンの後肢は床を蹴る度に金属の爪を鳴らした。
 打ち鳴らされる死出のスタッカート。
 三体もおるんか……厄介やな。
 グリフォンは確実に間合いを狭めて歩んでくる。
 ここは一旦下がるか?
 背後にある扉を意識して数歩下がった時、照明が点けられた。
 反射的に振り返った扉の傍に、白衣姿の若い男が立っていた。
「まだ生きてる者がやつがいんのかよ〜。案外人間もしぶといな」
 肩の辺りをもみながら、ジャンクフードで育ったような丸い体躯を揺すらせる。
 彼なりに肩をすくめたようだ。
 銃を向けられても男はのんびりと構えている。
「もう少し、獣性を特化させた方が良いかな? ま、今度作る時に考えようか」
 ぱち、と丸い顔の真ん中で瞳をしばたかせると、男は両手を組み何事か詠唱した。
 光の波動が男から広がる。
 ――ワード・オン・コマンド。
 こいつグレゴールか!?
 ファンタズマから洗礼の儀式を受けたはずの男は、殺戮を楽しむかのように下卑た笑いを顔に貼り付けている。
 この顔も、ただの人間には崇めたい程神々しく見えんのやろか。
 胸クソ悪ィで。
「床に転がってんの……仲間やなかったんか!?」
 コンバットナイフを懐から引き抜いて逆手に持ち、竜胆は男の喉元に突きつけた。
 が、刃は前に立ちはだかるグリフォンの羽ばたきにに止められた。
「別に、仲間でも何でもないよ。
金くれて研究させてくれるっていうからここで働いてるだけ。
こいつら死んだのだって事故さ。勝手に檻開けちゃって」
 MP5の銃弾を浴びせるも、グリフォンの金属製部分がことごとく弾く。
 マガジンを装填し直し、コンビネーションを取りながら襲ってくるグリフォンを牽制するが、苦戦が続く。
 グレゴールはグリフォンの戦いぶりが気になるのか、その場に留まり竜胆の戦闘を見守っている。
 タダ見しよってからに!
 戦闘の続く中、身体の芯に近い部分が体温の熱さに反比例して醒めてゆく。
 隙を見つけな、竜胆。
 その声は自分自身でもあり、遠くから聞こえる他者の声にも思えた。
 絶対あるはずや。そのたった一回にさえ見つけられたらいいんや。
 それで、これまで生きてきたんやないか。
「……タダ見の駄賃、おどれの命で貰うわ!!!」
 僅かな隙を狙い、竜胆は一気にグリフォンたちとの間合いを詰める。
 そしてコンバットナイフで柔らかな生体部分の急所を突き、ゼロ距離から直接銃弾を叩き込む。
 死にかけるグリフォンの呼吸音が次第に消えていく中、血でぬめるナイフを一振りし竜胆は立ち尽くす男に向き合った。
 グレゴールの表情が驚愕から恐怖に変わる前に、彼は絶命した。


 作戦終了予定まで、あと十分程残っていた。
 もうすぐ輸送ヘリが竜胆の立つ川辺に到着するはずだが、暮れ行く薄闇にまだその機影は見えない。
 川上の一角、森の一部が燃え上がり紅い光を放っている。
 爆破した研究所がくすぶっているのだろう。
 まだ、煙草吸う時間くらいあるやろ。
 ライターが軽い音を立てて竜胆の煙草に火を点す。
 竜胆は疲労の押し寄せる身体に紫煙を吸い込み、火影の流れる川を見つめた。

(終)