<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


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「──風祭?」
 珍しい人に会ったとばかりに驚きを隠せない声が、背後から聞こえた。
 響きに何とはなしに喜びが含まれているような気がするのは、気のせいだろうか。
「はい、どうかしましたか?」
 そんな風に名を呼ばれて、何か用でもあったのだろうかと、優月は首を傾げつつ振り返る。
「いや、特にどうもしないが……。久しぶりだな」
 今度は聞き違いでも気のせいでもない。僅かに上がっていた口角が、彼の心情を現してた。
 普段サングラスを掛けて表情を隠している貴耶は、それに倣うように淡泊で感情の起伏は極薄い。
 無口で何を考えているのか解らない、と評されても反論できないような彼が、妹にはかなり甘いことを優月は知っている。
 以前マンションで優月が基地を所持していた時、目の当たりにした。
 優月にも弟が居る。下の面倒を見る苦労も楽しさも、性別は別にして共通していることが多々あった。
 互いに弟自慢や妹自慢のようなこともした記憶も、ある。
 思い出して、自然に優しい笑みが零れた。
「綾瀬さん、庭でお茶でも如何ですか?」



 基地に所属していると云っても毎日のように入り浸っているわけではない。
 今現在も同じ基地に所属しているのに、二人は久々に顔を合わせた。
 『幻想庭園』には今のところ二人の姿しか無く──そう時間も経たない内にさざめく声が聴こえてくるだろうことは明白だった──丁度優月は一人でくつろいでいようかとお茶の用意をしていた時だった。
 後一人分の茶器を出すことへの杞憂さはなく、駄目元で誘ってみる価値はある。
「あぁ……」
 貴耶はほんの少し考える素振りを見せながらも優月の手元を窺っている様子も見せ、
「では」
 相伴に預からせて貰おう、と柔らかく相貌を崩したように見えた。



◆◇ ◆



 外界の喧噪と懸け離れた、静謐の庭。
 咲き誇る花々達は世話をしてくれる人の好意に答えようと、色彩鮮やかに見る者を楽しませてくれる。
 貴耶は優月が淹れてくれる様を、静かに眺めていた。
「──そういえば、以前もこんな風にお茶を頂きましたね」
 覚えていますかと問われ、貴耶は頷く。
 優月達姉弟と貴耶達兄妹でささやかなお茶会を開いた。
 マンションの大掃除をした後の、お疲れ会のようなものだったのだが、何故だか優月の弟一人が疲労困憊で席に着いていた。
 彼一人に押しつけたわけではないにも関わらず……しかし貴耶の妹はその辺ちゃっかりしているので、押しつけられたのかも知れない。
 真相は闇の中だが、とにかく、以前開かれたお茶会では貴耶がホスト役を務め、今とは逆に優月のカップに紅茶を注いでいた。
「同じように緑豊かだが……やはり空気は違うものだな」
 ガラスポットの中で見事に咲いた華が、優雅にたゆたう。
「ええ。此方は若い方が多くて、吃驚しました」
 おかげでいつも此処は賑やかだ。
「確かに平均年齢は低いな、此処は。妹や弟にいつも囲まれているようだ」
「『パパ』、ではないんですか?」
 からかうように小さな笑いを零しながら優月が言うと、貴耶は苦笑に似た笑みをわずか一瞬浮かべた。
 カップを傾ける所作で直ぐに隠してしまったが、優月は勿論その一瞬を見逃さなかった。
 くすくす笑う優月をちょっと諫めるように視線を向けるも、サングラスで隠れて全体的に見ればバツが悪そうにさえ見える。
「以前は妹が一緒だったから、余計に兄貴面していたし、な」
 多少羽目を外してみたかったと白状するので、優月は更に笑ってしまった。

「ここでまた逢えるとは、思わなかった」
 笑われるのに飽きたのか、貴耶はふいに話を切り替えた。
「……私もです」
 今度は優しげな柔らかい笑みを浮かべて、優月は応える。
 やむを得ない事情でマンションを引き払い、別の場所へ転居して、気が付くと世間が騒がしくなって……。
 いつの間にか三年という月日が経ってしまっていた。
「探してみようにも、手がかりがなくてな」
 弟はモデルとして活躍していたらしいので探そうと思えば容易に辿り着けたのかも知れないが、いざ探すとなると障害は多く、掴んだと思った瞬間それはすり抜けて行ってしまう。
 自分や家族のみの安全を確保せねばならぬ状況にも陥ったこともあったし、追われる身の上で下手な動きをしてしまえば、探し人にすら危険を招きかねない。
 基地を見つけ、入隊を赦され、再び逢えたことは奇跡に近いとさえ思える。
「探そうと思ってくださったことだけでも、感謝します」
 連絡先を教え合ったわけではなかった。
 同じ基地の仲間としてしか接していなかった。とても充実した毎日だったので、それで懐かしく思うのだろうと思っていた。
 けれど、懐郷だけで理由の付かない気持ちもあり、逢魔が側に居るのに何故だか心がざわめいていた。
 そのざわめきも、今は収まっている。
「そうか……。有り難う」
 優月の言いたいことを理解したように、貴耶は安堵の息を吐く。
 短い言葉の中で気持ちを汲み取ってくれたことに、優月は微笑む。

 貴耶と同じ場所に居るということが、何故か安心している自分が居るのを、優月はいつの頃からか感じていた。
 まるで昔から傍に居てくれているような気がして……こうして一緒に居ることに心が安らぐ。
 こうして向かい合い、同じ空気の中に在る。
 何の心配事も憂いもなく、優月は心の底から安寧の笑みを浮かべることが出来る。
 どうして心が落ち着くのかは優月自身問い掛けてみても答えは出ず、貴耶に思い切って訊いてみようかと口を開き掛け──
「どうした?」
 真摯な眼差しを向けていた優月に貴耶が気づいて顔を上げた。
「お茶のお代わり、いかがですか?」
 結局勇気を出せず、笑顔を取り繕うと、優月は話題をすり替えてしまった。



◆◇◆ ◇


 梅雨も明け、晴れ晴れとした日々が続いているある日の午後。
 優月は庭の花々に囲まれたテラスで、本を読んでいた。
「――……風祭、ちょっといいか?」
 ふいに掛けられた声に、顔を上げる。
 先日茶会を開いた時とは打って変わり、妙に改まっている貴耶がテラスの入り口に立っていた。
 何かあったのかと小さな不安が脳裏を過ぎるが笑みを浮かべ、隣へ腰掛けるように勧めたのだがやんわりと断られてしまった。膝に置いた本を握る手に僅かに力が篭もる。
「弟も同じ基地に居るし、名字で呼んだら紛らわしい。優月、と名を呼んでもいか?」
 急な申し出に虚を突かれ、優月は思わず貴耶の顔をまじまじと眺めた。
 貴耶の声で優月、と名を呼ばれた瞬間、胸が跳ね上がったのを少しの間を置いて自覚する。
「……はい、別に構いませんが……」
 改まって確認されることでもなく、好きに呼んでくれても構わないのだと優月は言葉を続けようとしたが、上手く形にならなくて口を噤む。
 ただ、困惑したように貴耶を見上げた。
「いや……」
 優月の視線から逃れるように顔を背ける貴耶の姿は、何か怒っているようにも見える。
 だがなにかしら照れているようだと、優月は感じた。
「弟が居ようが居まいがどっちでもいい。俺が名を呼びたい。理由はそれだけだ」
「え? あの、」
「用はそれだけだ。じゃ」
 優月の呼び止める声も聞かず、貴耶は足早に去っていく。
「えぇっと……」
 それはつまり。
 貴耶は優月を特別扱いしてくれる、ということだろうか。
 他人行儀な名字ではなく、名前を口にしたい相手と想ってくれているということだろうか。
 優月が感じている安堵感を、貴耶も感じてくれている、ということだなのだろうか。

 期待、してみてもいいのだろうか。


 貴耶の小さくなっていく背中を見つめ、優月はそっと胸元に手を置いた。
 とくとくとやや早めに脈打つ心を中心に、ほんのり暖かいものが身体全体へ広がっていく。
 いつもと同じように皆の前でも笑えるだろうか。
 熱に浮かされたような頬に手を当て、今日は少し違う笑みを浮かべてしまいそうだわ、とそっと息を吐いた。



                                                                       * fin *