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<東京怪談ノベル(シングル)>
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人生最大の心残り
「しょうが焼き定食一人前お願いしま〜す」
「はいよ〜」
大衆食堂“こめこめ”。
毎日のように訪れる常連や、新規の客、また週に一回来るか来ないかの客が所狭しと座敷やテーブル席に着いて賑わっている。
「おーい、志羽ー! 先の注文の野菜炒め定食はまだか?」
「はーい! 今出来ますよっ、と…」
店長に急かされるように、しょうが焼き定食の前に入っていた野菜炒めを、準備されていた定食セットの皿に盛り付けカウンターへと差し出す。
「野菜炒め定食上がり〜!」
息つく暇も与えられないほどの忙しい状態が朝から続いていた。
「志羽ー。休憩だぞ〜」
「へ〜い」
志羽と呼ばれたこの青年の名は志羽・翔流と言う。
先に休憩をしていた同期が休憩から戻り、志羽はクタクタに疲れた体を引きずるようにして休憩室に向かった。
油に塗れ、少し傾いて黒ずんだ「関係者以外立入禁止」と言うプレートがつけられた扉を開き、わずか6畳ほどしかない休憩室のソファーにドサリと倒れこむように座った。
「あ〜…。疲れた〜……」
グッタリと体をソファーに沈め、何の気無しに背もたれの部分に頭を乗せて天上を見上げる。
「………」
志羽は、しばらくの間ぼんやりと天上にぶら下がっているライトを見つめていると、妙なむなしさが込上げてきた。
「あ〜あ。俺、何やってんだ…」
父親の後を継いで古い神社の神主になるのが嫌だった志羽の夢は、サラリーマンになる事だった。だから一生懸命サラリーマンになるために色んな会社に面接を受けていたのではなかったか?
何社受けても落ちたが、それでも諦め切れなかったサラリーマンの道。
なのに今は“こめこめ”の料理人…。
理想とは食い違った現実が、今志羽を包み込んでいる。
「こんな風になったのも元はといえば、あいつらが悪いんだ。あの連中が…」
一人ごちたように呟く。
あの日、あの時にあんな目に遭わなかったら、目指していた物になれたはずなんだ。
――3年前…。
「ふぃ〜…。あっつい…」
大学を卒業した志羽は、この残暑のきつい時期になっても未だ仕事にありつけていなかった。
この頃にはもう同級生はみな、一流企業や目指していた会社に就職先が決まり、ある程度会社にも慣れた時期だと言うのに。
志羽はピシッと糊の効いた皺一つないスーツを身に纏い、右手には地図や数々の会社の資料が詰め込まれた紙袋を一つ抱えて、左手でグイッと胸元のネクタイを緩めた。
「え〜と…、次の会社は…」
キラキラと涼しそうに輝く噴水がある広場のベンチの一つに腰を下ろし、ガサゴソと紙袋から一枚紙切れを出してそれをマジマジと眺める。
『最終面接の御案内』と書かれた、何の変哲もない一枚の紙。志羽にはそれが天から垂らされた光り輝くくもの糸のように見えた。
「ここは唯一、最終面接まで残った会社なんだ。よし、絶対ここで決めてみせるぜ!」
スクッとベンチから立ち上がり、足早に駅に向かって歩き出した。
駅のホームに走りこんでくる電車は、驚くほどの人口密度。一体どこからこんなにたくさんの人が集まるのかが分からない。
電車のドアが開き、押し合いながら大勢の人で流れ出て、降りる人が全て降りきる前にホームで待っていた人間達が隙間を見つけて無理やり入り込んでいく。
志羽はその流れに流されるままに電車の中に詰め込まれ、つり革に捕まる事も出来ずに人に揉まれていた。
ガタンっと車体が大きく揺れ、ゆっくりと電車が走り出す。
(凄い人だなぁ…。でも、もしここで決まったらずっとこんな電車に乗って人に揉まれるのも悪くない)
志羽は思わずニンマリと笑みを零した。
「………」
ものすごい人に身動きが全然取れない状態で、志羽と向かい合うようにして立っていた女性が一人でニヤニヤと笑みを零している志羽を訝しげな表情で見上げてきた。
鋭い女性の視線がかち合った瞬間に、志羽は慌てて目を逸らし、表情を元に戻した。
電車に揺られること数分。ようやく目的の駅に到着した。
後ろから強い力で押し出された志羽は、乱れたスーツを直しながら駅を出た。
真昼間から若者でごった返す交差点を横目に、志羽は手にした地図を見ながら人気の少ない路地を目指して歩き出した。
「え〜と…、次の角を左だったかな…」
志羽が目的の角を曲がり、人気のない道をしばらく歩いていた時だった。
ふっと志羽の周りが暗くなり、視界を悪くさせる。
「?」
志羽が何気なく後ろを振り返ると、逆光のせいでよく見えず志羽の目には真っ黒い男達が数人立っていた。
思わず眩しさに眉間に皺を寄せ、相手をよく見ようと手を目の上にかざして影を作った。
「我々はグレゴール。神帝軍の者だ。悪いが一緒に来てもらおう」
「何?」
相手の顔が良く見えず、志羽は一層目を凝らす。
しかし、ゴッ! と言う鈍い音が志羽の耳に入ると同時に目の前が急にかすみ始めた。
何か鈍器のような物で後頭部を殴られたのだ。
「な…」
フラッ…と前のめりによろめき、手に持っていた紙袋をバサリと地面に取り落とす。
遠のく意識の中で、志羽は相手の顔を見ることもなくその場に倒れこんだ。
「………」
ふと、目を覚ました志羽の目に、見慣れない風景が飛び込んできた。
2、3度瞬きを繰り返しぼんやりと宙を眺めながら自分がどこにいるのかを模索する。
まだ霞む頭で分かったのは、今自分がいる場所が空中要塞テンプルムだと言うことだった。
「!」
急激に思考回路が繋がり、寝かされていた寝台から飛び起きるとズキンッと後頭部が疼く。
「……ってぇ〜…」
そっと後頭部に手を触れてみると、ボッコリと大きなたんこぶが出来ていた。
腕時計にさりげなく目を向けてみると時刻は夕方の4時を少し過ぎている。
「あ〜……。すっかり面接時間過ぎてる…」
小さな声で元気なく、心底ガッカリしたように肩を落として志羽は溜息を吐き出した。
「神帝軍とか言ってたな…。ちくしょう…! 俺の人生設計を狂わせた代償は高いぜっ!」
ガンッ! と力いっぱい近くの壁を殴った。
「静かにしろ!」
不意に扉の外から聞き覚えのない声が聞こえてくる。
「なんだとっ?! このクソ大事な時に邪魔しやがって! ふざけんなってんだ!」
噛み付かんばかりに声を張り上げた瞬間だった。プシュと小さな音を立てて部屋が開く。
そしてコツコツと足音を響かせて入ってきたのは、一人のスレンダーな女性だった。
「初めまして」
女性は笑うこともなく、志羽にそう告げると目の前まで歩いてきた。
「………」
志羽は直感的にこの女性に強い力を感じ取った。強い、結びつきを感じる力。
女性はそんな志羽を見てクスッと笑い、囁くような小さな声で呟いた。
「やっと見つけた。我が魔皇…」
ソファに体全体を預けたまま、志羽はただぼんやりと過去を思い返していた。
その後のことは、あまりよく覚えていない。
どうやってあの要塞を抜け出したのだろう?
とにかく、ここへ戻ってきてから改めて就職活動をしてやっと決まったのが、この大衆食堂“こめこめ”だった。
そして今は調理師の免許を習得するために勉強に仕事に毎日忙しく駆けずり回っている。
「はぁ〜…」
深い溜息を吐いた時、休憩室のドアがノックされ勢いよく扉が開かれて店長が怒ったような顔を覗かせる。
「こらぁっ! 志羽! いつまで休んでんだ! もう休憩時間は終わってやがるぞ!」
「えっ! もうそんな時間スかっ!? すんません!」
ソファーからガバリと跳ね起き、店長にどやされながら志羽は持ち場に駆けて行った。
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