<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


貴方の隣で

「おい、おとなしくしてろって!」
 洗いたてのシャツをハンガーにかけて干す私の向うで、猛流が泡だらけになって逃げる犬を追いかけている。
 きれいに刈り込まれた芝生の上で、猛流は自分のTシャツにも泡を付けながら、ようやく捕まえた犬の身体を洗い流した。
「お前だってきれいになった方が良いだろ?」
 猛流も一緒に水をかけた方が良いんじゃない?
 白いシャツの陰からそれを見ていた私は、思わず頬の辺りを緩ませてしまった。
 こんなに穏やかに過ごせる時が、私にも持てるなんて、思わなかった……。
神魔人の戦いが終ってから、まだ流れた月日は片手に余る位だというのに。
 秋と呼ぶには少し汗ばむ気温だけど、澄んだ空の青さと、並んで干された私と猛流の洗濯物の白さが目にしみる。
「あー、何で犬ってヤツは水が嫌いなんだか。リーシェス、タオルくれ」
 そう言って、猛流は濡れて張り付いたシャツに顔をしかめ、次いで豊かな髭を蓄えた口元で私に微笑んだ。
 私の魔皇、神薙猛流。
 猛流だけがたった一人、私をこの世界に繋ぎとめてくれる。
 貴方の命が終わる時、私もこの世界に別れを告げる。
 たとえこの世界を支配するのが平穏でも戦乱でも、貴方の隣が私の居場所。
「待ってて、持ってくるから」
 私は開け放したリビングの窓から、タオルを取りに部屋に戻った。


 あの日。
 私たちが初めて……ようやく出会えたあの日。
 神帝軍が捕らえた人間を解放する為、私は仲間たちと一緒にギガテンプルムへと侵入した。
 いつの間にか私は『死天使』と呼ばれていたけれど、私は死の安らぎをもたらす天使などではなかった。
 黒い刃の大鎌をグレゴールの血で濡らし、人間の収容エリアへと向かいながらも、私の心は冷えていたから。
 私には、まだ魔皇がいない……。
 逢魔として生まれた私には、対となる魔皇がいるはずだった。
 偶然か必然か、仲間の中にはギガテンプルムの中で人間の中に魔皇として覚醒する相手を見つける者もいた。
「……ッ!?」
 次々と収容エリアを開放していく途中、私は突然身体の奥に熱さを感じた。
 内側から肌を焼く高揚と、その先に感じる恍惚。
 歩みを止めた仲間がいぶかしげに見ていなければ、私は自分の胸に指を滑らせていたかもしれない。
 どうして今、こんな時に?
 インプに属する私だけれど、人前で淫技に耽る趣味は無い。
 ゾク、と背中から翼の先までも甘い痺れが伝う。
 感じる。
 これをもたらす相手がすぐ側にいる事を。
 私の、魔皇が。
 鉄格子の中に囚われていても、その心の烈しさが私にも伝わってきた。
 収容エリアの一室、静かにこちらを見つめる男と目が合った。
 その瞬間私は理解した。
 ここに私の探していた魔皇がいる。
 冷えた私の身体を激しい炎で焼き、同時に穏やかな温もりを与えてくれる相手が。
 男の鍛えられた身体に纏わせた服は汚れていたが、他の者に比べて小競り合いで付いたような怪我が無い。
 ロックを外し、部屋の中の他の人間を外に出してから私は彼に聞いた。
「貴方、あまり天使たちにやられてないわね。どうして?」
 男はジーンズに包まれた逞しい筋肉を伸ばし、歯を見せて笑うと事も無げに言った。
「抵抗すればその場で殺されたろうからな。
とりあえず、生き延びるのを優先して選んだのさ」
 口調はあくまで静かだけれど、私はその瞳に心を奪われていた。
 生と死だけが掟の世界で、生き続ける獣が持つしなやかな美しさ。
 研ぎ澄まされた牙と爪で獲物を捉える瞬間を見逃さない、野生の獣の瞳。
 男を見上げる私の胸が強く鼓動を打つ。
 人間にこんなに魅了されたのは初めてだった。
 この人を私の魔皇に……。
 けれど、魔皇としての生をこの人は受け入れてくれるだろうか?
 人として生きるのなら、それが例え見かけだけでも安寧に生きていける。
 魔皇として生きるのならば、人として得た全てを投げうって、戦いの日々に身を投じなければならない。
 ためらいに口をつぐんでいると、彼は私の姿を見て余裕のある声で言った。
「しかし、すげえ格好だな」
 インプの影の服は確かに最低限肌に張り付いただけの物だったけれど、そんな言葉を人間にかけられたのは初めてだった。
 肩にかかっていた緊張が解けて、私は思わず噴き出した。
「初めてよ、貴方みたいな人」
 この人なら大丈夫……私にはそう思えた。
 選択肢を選び取るのは彼の自由。でも、できればこの人と一緒に新しい世界を見ていきたい。 
 私は口調を改めて彼に言った。
「生き延びる為、人である事を止めるか。座して死ぬのを待つか。
今すぐ、ここで決めて」
 彼が言葉を返す前に、彼の手に白銀の竜が形をなし、螺旋の刃を装備した槍状の武器が現われた。
 ――魔皇殻ドラゴンヘッドスマッシャー。
 魔皇として生きる事を選んだ彼は、それを手に私の先を立って通路に出た。
「それじゃ、行くか……名前は?」
「リーシェス」 
 通路の先から再びグレゴールたちの気配が感じられる。
「俺は猛流だ」
 猛流は魔皇殻を装備した腕を振り、戦うべき相手の姿を探して通路の向うに視線を向けた。
 そこに立つのは、生き残る為ならば両手を血に染める事も辞さない、『残酷の黒』の刻印を得た一人の魔皇だった。
 私は黒い刃を構え、逢魔として彼の側に寄り添った。
 その日の夜、無事にギガテンプルムを脱出できた私たちは、自然に身体を寄せ合った。
 それから私たちは、片時も離れず行動を共にした。
 見た目の無骨さとは裏腹に、猛流は争いを好まない優しい人だった。
 けれどそれ故に、信念を懸けて闘う時には容赦なく相手を倒した。
 人間だった時からレスラーとして鍛えられた身体で、グレゴールやエンジェルを無残に屠った。
 時に見せる獰猛さも、狡猾さも、全てその奥に優しさがあるからこそ、私は彼を信じてこれた。
 猛流は飾り立てた言葉を言わないけれど、いつも行動で心を示してくれた。
 だから不安にはならなかった。
 闘い続けるだけではない。神魔の間に立ち、信念を掲げ停戦交渉をする猛流は頼もしく魅力的で、誇らしかった。
 彼の逢魔でいられるのが嬉しい。
 逢魔として一番近い場所にいられるだけでも私は満足していた。
 だから神魔戦線が終わりを告げて平穏が訪れた時、『一緒に暮らそう』と言い出した猛流に、私は逆に驚いた。
 身体を重ねても、魔皇と逢魔には子供を成す事が出来ない。
 どんなに愛し合っていても、いつかその事が私たちの関係を壊すかもしれない……。
 そう私はどこかで思い、猛流に求められながらも、彼が去った時には諦められるよう自分を抑えていた。
 人として生きてきた猛流は、やはり自分から生まれる幼い命を望んでいるはずだから。
「同じ人間同士でも、子供のいない夫婦はたくさんいる」
 そう言ってくれる猛流の腕の温かさに涙をこぼすと、
「奥さんがこんなに甘えてるんじゃ、子供なんかいたら面倒見切れんな」
冗談めかして笑ってくれた。
 子供の代わりでは無いけれど、犬と猫を飼い、私たちはその成長と仕草を二人で分け合って暮らし始めた。

 
 庭に面したリビングの窓から床に腰掛けた猛流は、濡れたシャツを脱いでいた。
 背中には幾つもの消えない傷跡が残っている。
 そのどれもが付く所を、私は側で見てきた。
「はい、猛流」
「お、サンキュー」
 猛流は身体を捻り、受け取ったタオルでまだ滴の滴る身体を拭った。
 その向うに広がる風景は、たった数年前までは戦乱が支配していたとは思えない程平穏に見える。
 いつか、また戦いの日々が始まるのだろうか……。
 私はかすかな不安を消すように、猛流の背中に身体を預けた。
「リーシェス?」
 広い背中ごしに猛流の鼓動と温かさを感じていると、私は広がる心の靄を払うことが出来る。
 これから先に何があっても。
 私達はきっと大丈夫。否、絶対に大丈夫。
 猛流の側なら、そう信じていける。

(終)