<東京怪談ノベル(シングル)>


La prima Missione〜月下の葬送〜

 石造りの街並みが連なるその上に、乾いた教会の鐘の音が響く。
 遠く、高く、鎮魂と平和を願って。
 敬虔な信者たちが一時空を見上げ祈りを捧げるのと同じ頃、ブランド・ホーネスは斜めに日が差し込む通路を歩いていた。
 顔立ちだけを見ればまだ若く、銀髪と眼鏡の奥に光る青い瞳のバランスは端整と言っても良い程整っている。
 だが、頬に深く走る傷と2メートル近い長身、何より引き出されたナイフのような危うい殺気がブランドから浮ついた酒場の女たちを遠ざけていた。
 遠ざかるのは女たちだけではない。
 裾の長いコートに包まれたブランドの両手に握られる、白と黒の巨大な拳銃。
 刻まれた紅い十字の装飾は銃の形状から死出の器、棺を思わせる。
 棺を以って、標的を棺に。
 ブランドは誰とも無く、『ザ・グレイブ』――標的を必ず墓穴に案内する男として呼ばれ、恐れられていた。
 通路の最奥、ドアの傍に立った男がブランドに気付き、部屋の中に声をかけた。
「ブランドが来ました」
「通せ」
 穏やかだが一段階格の違う、張りのあるバリトンが内部から返ってくる。
 多くの人間を束ね、従わせる響き。
 ブランドの目の前で小さなマリア像の前にぬかづく男は、幾多のファミリーを抱えるマフィアのボスだった。
 やや老いたとはいえ、猛禽類にも似た眼光の鋭さは失われていない。 
「ブランド。いや、最近はザ・グレイブと呼ばれる方が多いのか」
 男はブランドに革張りのソファを勧め、自身もその向かいに腰を降ろした。
「好き勝手に呼んでいるだけです」
 ブランドはさして感銘も受けず答えた。
 他人の評価はブランドの心を昂ぶらせはしない。
 もっとも、無駄な小競り合いに巻き込まれずに済むのは好都合だったが。
「お前の腕が確かな証だ、ブランド……いや、ザ・グレイブとしての初仕事だ」
 男はいつしか、目をかけてきたブランドの成長を楽しみにするようになっていた。
 息子とも呼んでも良い程――しかし息子を死地に向かわせるのもマフィアの非情。
「ザ・グレイブ。裏切り者に墓を用意してやれ」
 骨ばった両手を膝の上で組んだ男が語るところによれば、組織の力を使って麻薬を売買・取引している者がいるという。
 男はファミリーが麻薬に手を出すのを固く禁じていた。
 どうやら北部の牧場を拠点に近々大掛かりな取引があるらしい。
「墓穴に落とすのはそいつだけで良いんですか?」
 穏やかだった男の雰囲気が変わり、ブランドもその変化を肌で感じた。
「全員だ。分をわきまえない小物がどうなるか、他の者にもわからせなければならない」
 ブランドが立ち上がると、男も自らドアを開けて言い放つ。
「お前の墓穴はまだ用意しないでおく。行け」


 冴える月光が、短く草の刈り込まれた農地を照らし出している。組織を裏切った男が潜んでいる牧場は、一見他のものと変わりないように見える。
 しかし広々とした農地は視界を遮るものがなく、街道からも通じる道は一つだけで、 不審者が近付けばすぐに見張りが発見できるのだった。 
 男が満月の晩を取引に指定したのはそういった理由もあった。 
 今夜は牧場にそぐわない黒服を身に纏った見張りたちが、そこかしこで辺りに視線を向けている。
 と、牧場の正面入り口、牛を模した絵を描いたアーチの下に一人佇む男がいた。
「貴様……!?」
 見張りが不審げに声を出す前に、その両手が月光の中闇から浮かび上がる。
 右手には黒の棺、左手には白の棺。
 棺に刻まれた血の色をした十字架が、見張りの目に焼き付く。
「――ザ・グレイブ!」
 ス、とブランドの両手が上がり標的に狙いを定める。
 月下のブランドは冷徹な死出の案内人そのものだ。
 その瞳が捉え、銃が向けられた者は全て死の弾丸で心臓を撃ち抜かれる。
「Buona notte……墓穴が待っている」
 ブランドは見張りが銃を懐から抜き出す前に引き金を引いた。
 その乾いた銃声がこだまして、牧場にいる見張りたちを騒然とさせる。
 第一の標的が大地に膝をつく前に、ブランドは駆け出していた。
 広い牧場内、取引をしている裏切り者がいる場所まで、ブランドはたった一人でたどり着かなくてはならない。
 正面から姿を見せて乗り込んだのはボスの意向――ファミリーを裏切った者がどうなるか見せつけるため、そしてブランドが『ザ・グレイブ』の名をこれまで以上に強く決定付けるためでもあった。
 バラバラと見張りたちが集まってくる。
 腰だめにサブマシンガンを抱えた男たちが足元を狙うが、巧みにそれをかわしてブランドはその中央に飛び込む。
 同士討ちを考えて一瞬ひるんだ見張りの銃を、ブランドの銃が流すようになぎ払う。
 そしてそのまま、見張りの顎に遠心力をつけたもう一方の銃底を叩きつける。
「この……ッ!!」 
 銃撃に近接格闘術を加えたブランドの素早い動きは、見張りたちに苛立ちと、ついで恐怖を与えた。
 見張りたちの狙いがブランドに定まる前に、二つの棺が新たな十字架を立てる。
 目の前の標的を撃った反動を生かし背後に回った男を銃底で打つ。更にその動きを殺さずにその向こうの標的を撃つ。
 ブランドの動きに止まる隙はない。
 じりじりと後退して行く見張りたちを追いながらも、ブランドは首謀者となった裏切り者のいる倉庫を探していた。
 銃撃が長引けば逃げられてしまう。 
 ――あそこか。
 牧場の一角、見張りが多く配置された倉庫が見える。
 両手から同時に銃弾を撒きながらブランドは走った。
 翻るコートの影を追うように、地に落ちた薬莢の数だけ見張りが倒れていく。
 ちょうど全弾を撃ち切ったところでその場に静寂が訪れる。
 今、この場で立っている者はブランドだけになっていた。
 ブランドは周りに気を配りながら倉庫の中へと進む。
 本来なら収穫された穀物や家畜の飼料が積まれているはずだが、がらんとした内部がここを単なる取引のカモフラージュだと知らしめている。
 倉庫の奥に二人の男がいた。
 ファミリーを裏切った男と、今夜の取引相手だ。
 逃げ遅れた取引相手の眉間に銃弾が撃ち込まれるのを間近で見せられ、組織を裏切った男は上ずった叫びを上げた。
「ひ、ひぃッ!!」
 額の禿げ上がった貧弱な体躯に掴まれた銃は、男が打ち鳴らす歯の音に合わせて震えている。
 銃の撃ち方さえおぼつかない、小物の姿だ。
 両手が銃の反動に耐えきれないのか、男の狙いはブランドを大きく外れていった。
「く、来るな! 死神!!」
「死神なんて大層なものじゃない。ただの、墓掘りだ」
 ブランドは狙いの定まらない男の銃を弾き、冷ややかに告げた。
「欲を出しすぎたな。生きる以上の欲は持たないのが、小物の心得だ。
そう、ボスが言っていた」
 牧場で最後の銃声が鳴り響いた。


 それから数刻が流れ、血臭漂う牧場に街道から一台の車が向かってきた。
 ヘッドライトの先に照らし出されたブランドに、運転してきた男が声をかける。
 予定通り、ブランドを迎えに来たファミリーの者だった。
「よぉ。お前が生きてるって事は終ったんだな?」
「ああ。終わった」
 そう告げるブランドの声はあくまで冷たく、とてもその場にいた全員を墓へと案内した風には見えなかった。
 大量の殺戮を行った者はその興奮に酔っている事が多いというのに。
 ボスが目をかけるこの男――『ザ・グレイブ』の底の深さに男は背筋が冷えるのを感じた。
「おい、乗っていかないのか?」
 ブランドは何も言わず、片手を挙げて一人ヘッドライトの向こう、闇の中へと消えていった。

 
(終)