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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>
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迷路を抜けて
いつものように音楽室の下を通れば、澄んだ歌声が耳に届く。
耳に心地良いと感じるのは、この歌声の中にあの少女の声があると知っているからこそだろうか。
「リラさん……」
呟きは誰の耳に届く事もなく。ただ、淡い笑みを羽月に残したばかりだ。そして、その笑みも苦いものに取って代わられる。
この思いに気付いた頃の事だった。
それと前後するようにリラとの間に距離が開いた。
ためらいがちな笑顔を見せてくれていた彼女がどこか硬い表情を見せるようになり、向けてくれる笑顔も減った。そう思うのは決して気のせいではない筈だ。
それでも時折見せてくれる笑顔はいつにも増して眩しく、優しい。だから羽月は余計に戸惑っていた。
どうすれば良いのだろう。
この想い告げても良いものだろうか。
そもそもどういう風に告げれば良いのか。
想うたびに考えが変わる。思いを告げたいと願い、告げるべきではないかもしれないと思い悩む。
それがこの夏中繰り返されていた。
いまだ答えは出ない。
羽月は首を振って内心の拘泥を振り払うと校門を目指した。
部活が終了してもリラは片付けを理由に帰る時間を伸ばしていた。
「どうしたの? まだ帰らないの?」
同じパートの少女の言葉にリラは小さく頷いた。
「まだ片付いてないし……。それに、今帰ると暑そうですもの」
「あはは、確かに西日が強いもんね。最後だったら戸締りお願いね」
それじゃ、と手を振る少女を笑顔で見送ってから、リラは小さなため息を一つこぼした。
暑いからなんて、嘘。本当は――。
「まだ、練習中かしら……」
背筋をまっすぐに伸ばした羽月が、練習する姿を見るのが好きだった。否、今も好きだ。出来る事ならその姿を一目見たい。
「でも、そんなのムリだわ」
人の気配に聡い少年はきっとリラに気付くだろう。
そして淡い笑みでリラを見てくれるかもしれない。
そうなって欲しいと思うのと同じ位、その笑顔をリラは恐れていた。
その笑顔を見たらきっと好意を信じてしまうから。
心に抱く思いを口にしてしまいたいと願ってしまうから。
だから笑顔を見るのが怖い。想う気持ちを止める事は出来そうになかったけれど、想いを告げて今が壊れるのが怖い。
だから、会えない。
リラはそっと腕時計を確認する。後10分。それだけ待とう。そうすれば、あの人とすれ違わないかもしれないから。
けれど。リラは思う。
そんな事をしてしまってあの人は妙に思わないだろうか。
ため息がもう一つ。
想いと一緒に悩みもまた深まっていくのだった。
空がそろそろ夕闇の色に染まり始める。
道場の窓に切り取られた空を眺めて、羽月は竹刀を振る手を止めた。
暗くなりきる前に帰ろう。そう思い、正面に向かい、深く頭を垂れる。師範にも、共に練習した友人達にも、同じく頭を下げると、道場から外に出る。
道場から出れば、視線が自然と母屋の方に向く。彼女はもう帰ってきているのだろうか。
顔が見たい。そう思いはしたものの、羽月は母屋から離れるように歩き始めた。
リラに困った顔をさせたくない。ならば会わない方が良いのかもしれない。
帰り支度を整え、帰途へついた羽月は道場とは違う方向から見知った人が歩いてくるのを見つけて、驚いた。
リラの祖父。彼の通う道場の主である。
「羽月か」
「先生。どちらにおいででしたか?」
深く頭を下げて言う羽月に、老人は好々爺の笑みを浮かべた。
「ああ、リラが遅いのでな、散歩を兼ねて歩いていた所だ」
「リラさんが……、まだ帰っていないのですか」
「行き違いになったかもしれんな。ああ、そうそう。丁度良かった。羽月、18日は暇か?」
突然問われて、羽月は戸惑った。9月18日と言えば――。
「リラさんの誕生日ですね」
「そうだ。大した事は出来んが、祝おうと思っていてな。羽月も来ないか?」
「私が行っては迷惑では」
咄嗟に言った言葉に老人は笑った。
「幼馴染のお前が来て悪い筈がなかろう。お前が来たらリラも喜ぶ」
喜んでくれるだろうか、本当に?
考え込んでしまった羽月の様子に老人は肩を叩く。眼差しは孫を見るような、優しいものだった。
「難しく考えんでも良い。誕生日も今年だけと言う訳じゃあないからの。暇だったらでいい」
用事があると解釈したのだろう言葉に、羽月は小さく頷いた。
道場の方に帰る師範の姿を見送り、羽月は空を見上げた。
出来る事なら祝いたいのだが、果たして自分が行っても良いものだろうか。
迷う心を深く包み込むように星が瞬いていた。
「え? 藤野君を誘った?」
リラは祖父の思いがけない言葉に瞬いた。
「駄目だったか?」
「そんな事ないけど……来ないんじゃないかしら」
自信なさげなリラに祖父は笑う。
「お前の誕生日を覚えていたし、来るかもしれんぞ」
「……え? 覚えていた?」
「18日と言っただけで、判った」
それはつまり、誕生日を知っていてくれた、という事だろうか。
リラの頬にほんのりと赤みがさした。
どうしよう、嬉しい。
それでも、胸が一杯になりそうな気持ちにリラは蓋をする。
「でも、来ないかもしれないわ」
頑ななリラの言葉に祖父と祖母は目を合わせた。
「……そうね、期待しないでいた方が来た時に嬉しいものねえ」
そんな祖母の言葉に曖昧に頷いて、リラは私室に戻る。
ぱたん。
閉めた戸に背を預けてリラは目を閉じる。
「来る訳、無いわ」
そう、来る理由が無い。
だから、もしかして来てくれるかも、なんて期待しては駄目よ、リラ。
目を閉じて自分に言い聞かせると、リラは大きく息を付く。
「誕生日を覚えていてくれてたなんて……」
一度は静まった筈の心に喜びが溢れる。
気にかけてくれていたのかしら。
だとしたら、それだけで、充分。
「ありがとう、藤野君」
それだけで、充分だから。
誕生日に来てくれるかもなんて、夢を見たりしない。
きっと嘘になるけれど、リラは自分にそう誓った。
羽月は今宵何度目かのため息を付いて本を閉じた。どうにも本の内容が頭に入らない。
「行っても良いものだろうか」
声に出して呟くと羽月は首を振った。
リラに直接誘われた訳ではないのに、行っても良いのだろうか。
リラの迷惑にならないだろうか。
自分がいる事で嫌な誕生日になってしまっては――。
思いは巡る。しかし、結論は中々出なかった。
否。気持ちのままに行動して良いと自分を納得させきれなかった。
リラの誕生日を祝う席に招かれて嬉しくない訳がない。出来る事なら、祝いたい。
けれど。
リラの気持ちはどうなのだろう。羽月が行っても良いと思っているのだろうか。
嫌われてしまったのかもしれないとさえ思うのに、祝いに行く等、無神経かもしれない。
確証の無いままだからこそ、天秤はどちらにも傾くのだ。
そして、もう一つ問題もあった。
誕生日を祝うからには贈物の一つも渡したい。
けれど、何を贈っていいのか、羽月には今一つ判らなかった。
出来れば身につけて貰えて、自分が贈ってもおかしくないもの。
人付き合いが得意ではない羽月に、そんなものをすんなり思いつけ、というのはかなり無理な話だった。
「難しいな」
唸るように呟いた時、羽月は悩むあまり忘れていた事に気が付いた。
リラは、誰かが祝おうとする気持ちを無碍にする人ではない。
リラは、一生懸命選んだ贈物を一笑にふすような人ではない。
そんな簡単な事をどうして忘れていたのだろうか――彼の好きな女性はそういう人だったのに。
18日までに精一杯のプレゼントを選ぼう。
羽月はそれでももう一度、難しいな、と呟いた。
大きなケーキと心づくしのご馳走を囲み、祖父、祖母、そして友人達はリラの誕生日を口々に祝った。
リラの後には封の開けられた包装紙と、プレゼントが小さな山を作っている。
開ける度にその愛らしさに喜び、綺麗さに顔をほころばせるリラに、プレゼントを選んだ相手と周りは嬉しそうに笑う。
そんな暖かい心づくしの祝いの席に一つ、空いた席がある。
羽月の為に用意されたその場所はこの日一度として温められた事はない。
いいの。皆が祝ってくれるだけでこんなに嬉しいんだもの。
リラはそう思いながらも、その空席を見る度に僅かに眉を曇らせた。
「あいつ遅いな」
誰かの言葉にリラははっとして小さく首を振る。
「きっと用事があったのね。ねえ、そろそろ食べましょう」
ケーキにロウソクが年の数だけさされると、後は火をつけるだけだ。
リラの祖父が一本目のロウロクに火をつけようとしたその時だった。
遠くから慌てた足音が近付いて来る。らしくもなく大きめの音を立ててドアを開いたのは――。
「藤野君……!」
「遅くなって、申し訳ない」
やや荒い息遣いでそう言った少年は口元に手をあてて呆然と立ち上がった少女に歩み寄った。
「その……、好みが判らなかったもので」
それ以上の言葉が続かず、羽月はそっと、銀色の小さな包装紙を差し出した。
「……ありがとう。開けてもいい?」
「勿論」
小さな包装紙から遠慮がちに顔を出したのは、薄紫のリボンだった。リラはそれをぎゅっと胸に抱いた。
「嬉しい、です」
僅かに潤んだ目でリラはそれでもこぼれるような笑みを浮かべた。心からの笑みに羽月もまた、嬉しさに頬を綻ばせた。
「よかった」
しみじみとした言葉に、リラの笑顔が更に輝く。薄紫のリボンを髪に絡めて結ぶと、ためらいがちに彼の為の席を示した。
「よかったら、座って」
「ああ。……遅くなった上に騒がせて申し訳ない」
思い出したように周囲に詫びる羽月に合わせて、何故かリラも頭を下げる。その様子に皆は楽しげに笑った。
「それじゃあ、火をつけるぞ」
全部のロウソクに火がともるとカーテンが閉められ、そして、歌声が聞こえ始める。
歌に笑顔で応えて、リラは大きく息を吸った。
ロウソクを吹き消すと歓声があがった。
お誕生日、おめでとう!
fin.
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