<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


彼らの休日

 鳴っている電話を取るのは、実はとても苦手である。
 控えめに言って、仙姫は雄弁なほうではない。率直な表現で言うなら要するに無口だ。普段から意思の疎通に必要な最小限のこと以外は話さないし、時にはその最小限のことすらしゃべらない。
 本来ならば多分、パートナーの魔皇が彼の足りない言葉を補うなり、あるいはもっと喋れと注意したりするものなのかもしれない。だが魔皇もその周囲の仲間たちも、幸か不幸かあまり逢魔の無口を気にする様子はなかった。おかげで今でも仙姫の日本語は未だ流暢とは言いがたく、これは日本語とは関係ないが無表情も相変わらずだ。
 かの魔皇との出会いからもう三年以上が立ち、日本がタナトスと名前を変え、付き合いの長くなった何人かの魔皇や逢魔は、仙姫の視線や表情のちょっとした変化から、彼の感情や意思を読み取ってくれる。
 だが電話となるとそうはいかない。
 目の前でただ鳴り続ける電話をしばし見つめる。やがて仙姫は意を決して、受話器を取り上げた。
「‥‥もしもし」



「あ……もしもし仙姫さん? こんにちは」
 電話ボックスの中で、セイレーンの水鈴は明るい声を上げた。
 今いるのは、水鈴が魔皇と一緒に住まう花屋のある街とは、まるで正反対の景色の中だ。軽く百メートルはあるだろう建物ばかりの高層ビル群を見上げていると、なんだか眩暈がしてきそうで、水鈴はあわてて目の前の公衆電話に視線を戻した。ついでに硬貨をもう一枚投入する。
『水鈴……か?』
「当たりー。ね、今日お店お休みなんだよね? オーナーさんいる?」
『今日……出かけてる』
 よし、と水鈴は内心でガッツポーズをとる。
『……何か、用、あったのか? 急用なら、携帯、教える』
「ん? う、ううん、大したことじゃないの」
 ことを大げさにされてはいけないので、あわてて否定する。
「えーと……あ、あのね、今ちょっと外なんだけど、オーナーさんや仙姫さんの家ってこのあたりだったなあと思って」
 まったくの嘘ではないはずだ。今かけているオーナーの自宅の電話番号は、実は水鈴がこっそりメモしたものなのだが、そんなことは言わなければわからない。
「だからもしよければ、ちょっとお邪魔しちゃおうかと思ってかけてみたの。仙姫さん、今暇? それとも、これからどこかに出かける予定とかある?」
『予定……特に、ない。来るなら、歓迎する』
 今日はよほどのラッキーデイに違いない。こんなに思ったとおりに事が運ぶなんてと、水鈴は感激のあまり電話ボックスの中で小さく飛び上がった。
「本当? ありがとう、これから行くね。大丈夫だと思うけど、どうしても場所がわからなかったら電話する……うん、平気。着いたらもう一度かけるからね。じゃ、また後で」
 仙姫との約束を取り付け、受話器を置く。
 目の前の高層マンションを見上げながら、さてどれぐらい時間をつぶそうかと水鈴は考え込んだ。
 ……そう、先ほどまで話していたレプリカントの青年は、この建物の中にいるはずだ。
 本当はもうちょっと手前で電話をかけるはずだったのだが、公衆電話がなかなか見つからず、結局目的地の真ん前で敵地に探りの電話を入れるはめになってしまったのだった。
「あんまりすぐ着いたら不自然だよね」
 もちろん水鈴は、偶然この街を通りがかったわけではない。わざわざ内緒でオーナー宅の番号を調べたのも、自分で道を調べてここまでたどり着いたのも、前々から計画を練った上でのことだった。
 偶然を装って敵地に潜入し、偵察と探索を行って敵方の情報を収集する……要するにガサ入れというやつだ。一度ちゃんとオーナーの身辺調査をしなければ、という企みを、水鈴はついに実行に移そうとしているのだった。
「もしも部屋に変なものがあったら……急所を蹴り上げてやるんだから」
 温厚な魔皇様が聞いたら嘆きそうなことを呟きながら、水鈴はとりあえず電話ボックスを出た。もっとも『変なもの』というのが具体的に何なのか、当の水鈴自身にも特に確固たるイメージはなかったりする。

 二十分ほど時間をつぶしてから電話をかけると、仙姫はマンションの前まで迎えに降りてきてくれた。
「……いらっしゃい」
「お招きしてくれてありがとう。あ、これお茶菓子。二人で食べようね」
 水鈴も手伝っている店『せんか』には喫茶スペースも併設されていて、そちらは別の人が担当している。本日のケーキはそちらに頼んで持たせてもらった、手作りの苺ショートだった。中身がケーキと聞いて、仙姫は渡された箱を大事そうに抱える。仙姫は水鈴より三つほど年上だが、冷たそうに見えてこういうところが結構かわいい。
「すごい所に住んでるんだねえ。何階だっけ?」
「三十階」
 こともなげに答えた仙姫に、広々としたエレベータホールを見回しながら感嘆する。ひとくちに三十階といわれても今ひとつ実感が湧かないが、少なくとも水鈴の今の住まいよりもずっと高いところにあるのは確かなようだ。
 エレベータを乗り継いでその三十階まで上がり、部屋に通されてまた驚いた。
「うわあ……ひろーい」
 リビングは整然と片付いていてまるでモデルルームのようだが、テーブルの上に何かのカタログが重ねて積まれていたり、暖房やAV機器のリモコンが無造作に置かれていたりして、確かに人が生活しているらしいことを物語っている。テレビの前に置かれた大きなソファなどは、水鈴が横になってもまだ余りそうだ。
「ここだけで、もう私たちの部屋が入っちゃうかも……。これとはまた別に、それぞれ個室があるんだよね?」
「ああ。……見るか?」
 仙姫のほうからそう言ってきたのだから、水鈴はよほど好奇心に満ちた顔をしていたのだろう。もちろん彼女としては願ってもない話で、是非! とその申し出に食いついた。仙姫が不思議そうに小首をかしげる。
「期待してるほど、多分、珍しいもの、ないぞ?」
「でも見たいなあ。ここのおうちに来たの初めてだもん、探検だよ」
「探検か」
 反芻した口元が少しゆるんでいた気がしたのは、大げさな物言いがおかしかったのかもしれない。ケーキの箱をテーブルに置いて、仙姫はひとつうなずいた。
「わかった。探検しよう」
「やったー!」
 こんなにとんとん拍子でことが運ぶなんて、と水鈴は小躍りしたい気分だったが、仙姫はしごく真面目な表情のままもう一度念を押した。
「本当に、珍しいもの、ないぞ。……俺の部屋は」
 考えてみればいくら同居しているとはいえ、部屋主の留守中に勝手に私室に入れたりするわけはない。提案した以上は引っ込みがつかず、通してもらった部屋にびっくりした。
「うわあ……これ全部、仙姫さんの?」
「そう。水鈴が電話くれたとき、ここで情報集めてた」
 リビング同様多分相当広いのだろう部屋に、所狭しと見慣れない機械類が並んでいる。
 水鈴だって隠れ家を出てずいぶん経つのだから、パソコンぐらいはわかるのだが、そのパソコンがいったいどうしてまたこんなに何台も必要なのかまでは見当もつかない。ほの白く光るモニターでちかちかと何か字が絶えず動いているところを見ると、ただ電源をつけっぱなしにしているわけでもないようだ。
 花屋では絶対に見られない光景に目を奪われた水鈴は、使い道のさっぱりわからない機器類を覗き込んでいる。
「私から見ると、ここも充分珍しいと思うんだけど……わっ!」
 何台もあるパソコンから太いコードがあちこちに伸びていて、そのうちのひとつにつまずきかける。なんとか踏みとどまって、水鈴はほっと胸を撫で下ろした。うっかり転んだりしようものなら、機械の山が雪崩を起こしてつぶされかねない。
「悪い。大丈夫か」
「う、うん。もう出るね。こういうのよくわからないから、壊しちゃったらいけないし」
「そうだな……俺も、水鈴が怪我をしたら、いけない」
 片言の仙姫の言葉はときどき言い回しがおかしくなるが、意味は充分伝わった。仙姫にとってこれらの機器は大事なものなのだろうに、それより先に水鈴のことを心配してくれたこともありがたい。
 やっぱり来てよかったと思う。
「ありがと。ね、さっきのケーキ、食べよっか。せんかの苺ショート、おいしいよ〜」
「……そうだな。茶、淹れよう」
 生クリームたっぷりのショートケーキは、話しながら食べていたらあっという間になくなってしまったのだが、一度キッチンのほうに消えた仙姫が月餅を出してきてびっくりした。どうもこっそりお菓子類を貯蔵していて、これもその秘蔵の品のひとつらしい。月餅はぎっしり詰まった餡がさわやかに甘くて、洋菓子とはまた別の美味しさだった。
「仙姫さんも甘いもの好きなんだあ。なんか嬉しいな」
「……さっきの部屋で、作業の合間、たまに、食べる」
「へーえ。そういえば、疲れたときには甘いものがいいってよく言うもんね……あ、そうだ」
 いいことを思いついたと、水鈴はテーブルの向こうの仙姫に向かって身を乗り出す。
「ねえねえ仙姫さん、今度うちのお店に遊びにおいでよ。さっき食べた苺ショート以外にも、おいしいケーキ色々置いてるんだから! 飲み物ぐらいならサービスしちゃうよ」
 別に水鈴が経営者というわけではないのだが、頼み込めば多分皆駄目とは言わないだろう。顔を近づけたままにこにこと微笑んでいる水鈴を、仙姫はわずかな間戸惑った様子で眺めていた。
 やがてためらいがちに、こくりとひとつ頷く。
「うん。じゃあ、約束!」
「……わかった。約束」
 こうしてふたりはお菓子とお茶を堪能して、もうそろそろお暇しますという頃には、水鈴は本来の目的などすっかり忘れ果てていた。
 帰宅して晩御飯を食べながら、『出かけてたみたいだけど、どこに行ってたの?』と尋ねられ、結局オーナーの部屋を探ることができなかったことを思い出して、水鈴は大層悔やむことになった。



 数々のモニターやパソコンや周辺機器が所狭しと並ぶ自室の中で、仙姫はふと、機器類に埋もれるように置かれた電話機を見やった。電話は今はひっそりと沈黙している。
 ……仙姫は未だに、電話をとるのはとても苦手である。無口なたちなので、声を出さなければコミュニケーションのとれない電話は彼にとって結構難儀な代物だ。
 だがたまには今日のような嬉しい来客の知らせもあるので、できるだけ鳴ったら出るようにしている。