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<東京怪談ノベル(シングル)>
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『始まりを告げる傷』
囚われているのは、この身体か、それとも心だろうか。締め付けられて酷く痛む。目の前で起こったその惨劇が、まるで自分の全てを縛り付けているように。
そこにあることが当たり前になっていた幸せ。父がいて、母がいて、仲の良い弟がいた。結婚を約束した恋人が隣にいた。明るい笑顔を交わし、優しい言葉を交わし、触れればぬくもりを感じられる場所。
心から安らげる人達と一緒にいられるという、ただそれだけの暖かい平穏がこんな形で音も無く崩れていくだなんて、過去の自分に想像出来るはずもなかった。
「なぜ…?!」
リョウ・アスカの声は届かない。父を、母を、そして恋人をこの場で殺したその相手には。
それでも必死に叫ぶことしか出来なかった。問いかけることしか出来なかった。その理由を、意味を教えて欲しい。ここで起きていることは嘘だと言って欲しい。その聞き慣れた声で、いつもの元気な笑顔で、兄さんは悪い夢を見ていたんだよと目を覚まさせて。
愛する弟の名前をどれだけ呼んでも届かない。父を、母を、そして恋人を殺したその本人には。
何もかもを壊し、まるで幻だったかのように消し去ったその光の刃は今、リョウを真直ぐに見ている。まぎれも無く、自分を、狙って、いる。
何度目かわからない、それでも問いかけた。なぜ、どうして…!!
愛している、愛していた。心から信じていた弟が、自分の目の前で両親と恋人の命を奪っただなんて信じられるはずがない。そして今、兄であるリョウにその殺気を向けているなんて考えられるはずもない。
血は繋がっていなくても、自分達は本当に兄弟だと疑いはしなかった。弟だってそう思っていたはずだ。いいや、今でも思っているはず。
その思いを嘲るように切り裂いて、冷たくなった両親と恋人の姿が見える。そして、その前に立っている弟が、見える。
「--- …っ!!!」
弟の名を叫ぶのと同時に光の刃がふり降ろされ、リョウは自分の胸が激しく斬り付けられるのを感じた。現実という名の鋭い切っ先が胸をえぐり、恐れと絶望という名の涙が溢れた。
痛みと悲しみと疑問の渦、遠ざかる意識の中でやっと頭が理解する。
自分は、両親を、恋人を…信じていた弟に奪われたのか。
すべてを、失った、のか。
静かな暗闇の中で目が覚めた。何処かもわからぬ場所に縛り付けられ囚われている体、自分が生き残ったことをリョウは知った。
リョウの胸にある傷が、現在の残酷な境遇をはっきりと証明している。それがズキリと痛むたびに、悲しみが、恐怖がリョウに襲い掛かり、押しつぶされそうになる。
ここは何処なのだろうか。自分はなぜ囚われているんだろう。いいや、そんなことよりも…どうして…。でも、それを認めてしまったら…。様々な思いが全身を巡る。
リョウは何度も繰り返し自分に言い聞かせたが、冷静になどなれるはずがなかった。それは至極当然のことなのに、まるで自分だけが蜘蛛の巣にかかった虫のように足掻いているように感じる。
愛する両親を失った。結婚を約束していた恋人を失った。そして、弟は…
リョウは首を振った。何かの間違いだ、誰かそう言ってくれ。どんなに強くそう願っても、瞳に焼き付いたあの情景は消えない。倒れている3人の無惨な姿、リョウの前に立ち、見下ろしていた弟。
「本当に、お前が、やった…のか」
ぽつりとその言葉を口にした途端、波のように感情が込み上げてきて、何かが切れたようにリョウは嗚咽した。
一体どこで何が、狂いはじめたのだろう。理由もわからぬまま壊れてしまったすべての中、ひとり生き残ってしまった自分にこれから何を考え、生きていけというのだろう。あまりに酷過ぎて、未来など見られない…。
絶望。何もかもを飲み込む、その2文字に、リョウは支配された。ここまで信じ難い悲境の底にたたき落とされるだなんて…。
どのくらい時がたっただろうか、知る術もなかったが。どこからか小さな音がした。
リョウはハッと顔をあげる。何か、得も知れぬ何かが現れる、そんな気がしたのだ。
しかし目の前は変わらず暗闇だ。囚われた自分を救い出す導きの手が現れるなどという、都合のいい話があるはずもない。当然だった。
だが…だがなぜだろう。悲しみにくれるリョウを、何かが、誰かが呼んでいる。そんな気がした。
確信などない、絶望のあまり自分が狂っただけなのかもしれない。その可能性の方がまだ高い。それなのに…一体なんだ、この不思議な感覚は。
ここで立ち止まるなと、お前はここで死ぬべきではないと、胸の奥から突き上げてくるかのような何か。やがて形をとりそれが目の前にきっと現れる、そんな気がする。
それは黄泉の世界から、リョウを迎えに来るのだろうか。それともこの暗闇から、まだ見ぬ何処かへと連れてゆこうというのか。わからない。考えても答えは出ないだろう。…でも。
「……」
何も持たない自分を導こうというのなら。…いいだろう。
もしそれが現れたなら、リョウは、その手をとろうと反射的に思った。
もう自分には何も無いと思ったし、すべてを失ったと思ったが…誰かが自分を呼んでいるのだ。それならば…せめて、この疑問を解決するまではその呼び声に応じてもいい。
絶望に囚われた暗闇から、悲しみと痛みと、確かな傷を抱いたままでも、這い上がり…
答えを求め、その道を歩き始めるために。
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